血滴る朱殷色の糸
佐武ろく
1
「好きです!僕と付き合って下さい!」
振り絞った勇気で押し上げた言葉を口にしながら、僕は頭を下げ片手を前に出した。謝罪をするように深く頭を下げたのは誠意の表れか彼女の顔を見ながら答えを待つのが怖い弱さか。多分、後者だ(もちろん前者が無い訳じゃないから8対2といったところだろう)。
告白の言葉が消えてしまうと、緊張がひどく絡みついた僕以外はまるで世界の音量がゼロになってしまったかのようだった。それは心臓の音のみならず心の声すら漏れてしまうんじゃないかと心配になる程。
もしかしたら彼女はもう、目の前から去ってしまったのかもしれない。そんな不安さえ湧き上がる静けさの中、僕はただただ返事を待っていた。どこか期待しながらも緊張し宝くじの番号を確認する時と似た気持ちを抱えて(正確に言えばそこへ更に緊張を追加させた気持ちだが。何しろその緊張で少しばかり気分が悪かったのだから)。
だけど緊張で時間の流れをまともに感じられなかったおかげで経過した時間が短いか長いかすら分からないまま、その時はちゃんと来た。静寂を掻き分けた彼女の声が僕の耳へ届く。
「アタシさ......。実は――吸血鬼なんだよね」
* * * * *
騒がしい教室にチャイムより少し遅れてドアの開く音が響いた。
「おーい。お前ら席つけー」
担任の高橋先生の声にまだおしゃべりをしていたいくつかのグループが解散していく。その間に教壇に立った先生は教室を一見し出席簿に視線を落とした。
「
僕は窓際の一番後方の席から斜前を見た。1つだけポツリと空いた席。
そこからはまるで秋が訪れ葉の落ちた枯れ木のような寂しさを感じた。
「ったくアイツは...」
すると何の前触れもなく開いたドア音が先生の呆れたような声を遮った。
僕や先生を含め教室のほとんどの視線を浴びながら入って来たのは、担ぐように鞄を持ちブレザーの下からジップパーカーを着た女子生徒。その人は掻き上げた前髪の片方(もう片方は顔に掛かっている)をいくつかのシンプルなヘアピンで留めたポニーテールに耳で光るいくつかのピアス、まだ眠そうな気の強さを感じる目をしている。
彼女は
そして鬼塚さんは大きな欠伸をしながらドアを閉める為に止めた足を動かし始めた。
「今日も遅刻だぞ。鬼塚」
「すいませーん」
ただの作業として動かされた口から出てきたその言葉からは当然ながら謝罪の意は欠片も感じられなかった。
だけど先生は特にそれについて咎めることはせず再び出席簿に視線を落とす。
「まぁ、来るだけマシだが――たまには遅刻せず来いよ」
「はーい」
気の抜けた声が教室へだらしなく響く。多分だけど話は聞いてない。
そんな彼女は僕の斜前の席まで来ると鞄を投げるように机へ置き、雑に椅子を引いて倒れるように座った。どうやら枯れ木には桜が咲いたようだ。
すると何の前触れもなく突然、彼女の顔が僕の方へ(視線でも感じたのだろうか?)。
不意に合う目。気まずさと気恥ずかしさと焦燥と...。一気に湧き上がった様々な感情はまるでミキサーで掻き混ぜられたように区別がつかなくなり、ただただ訳の分からない気持ちがそこでは渦巻いていた。
「なに?」
そんな僕に彼女は端的な一言を口にした。その声が低めなのは怒っている訳じゃなくてまだ眠い所為だろう(そうだと信じたい)。
「あの、いや......別に。ごめん」
予想だにしていない事にすっかり動揺丸出しで恥ずかしい。渦から1人這い上がって来たそんな感情を感じながら僕は顔を逸らした。
「あっそ」
視界の外から聞こえた彼女の素っ気ない声。
少しだけ速まる心臓を胸に僕は朝のホームルームが終わるまで窓の外を眺めていた。時折、そこに映っていた彼女を見ていたのは内緒だが。
実を言うと今日という日は僕にとって特別な日。このクラス――いや学校のみんなにとっては普通の何てことない日だろうけど(もしかしたらそうじゃない人もいるかもしれないが)僕にとっては祝日のように色違いで誕生日のように印の付いた日だった。
なんたって今日僕は心に秘めた想いを伝えるのだから......。
古典的な方法だけど昨日の放課後に鬼塚さんの靴箱へ手紙を入れておいた。
『10月20日の放課後に体育館裏に来てください』
名前を書かなかったのは察してほしい。場所もベタだけどこの学校の構造上あの場所は良い感じなんだ。
とにかく朝からそのことで頭は一杯。だから授業にも友達との話にも身が入らなかった。
そんな1日の昼休み後、丁度5限目の教科書をロッカーから取り出し机に置いた時。教科書の上へ雑に折られた紙が1枚、投げ捨てるように飛んできた。誰だろう? そう思いながら顔を上げるとポケットに両手を入れた鬼塚さんと目が合った。
「お、鬼塚さん!?」
予想外の相手に包み隠さず感情を表に出してしまった。思わず大きな声を出してしまったから周りを確認してみたけどどうやら大丈夫そう。
そしてそんな僕とは相反し鬼塚さんは何も言わず、机の前から立ち去り教室を出て行ってしまった。
その後ろ姿がドアから消えた後、僕は視線をあの紙へ。まだよく分からなかったがとりあえず紙を手に取り中を見てみる。
『変更 体育館裏→幽霊ビル 17時半』
そこに書かれていたのはそれだけ。でもそれだけで十分通じる。
だけど1つの疑問が僕の中に浮かび上がった。
「何で僕があの紙を入れたって知ってるの?」
入れる時、周りには誰も居ないことを確認したのに。
でもこうやってわざわざ場所の変更をしてきたってことは何か用事でもあるんだろうか? どちらにしても呼び出したのは僕だしちゃんと従わないと。にしても直接じゃなくて何でわざわざ手紙で伝えたんだろうか?
さっきから首を傾げる度に心の中に建てられた疑問の塔が一段ずつ高くなっていくのを感じた。このままじゃ白い雲に触れてしまいそう。その前に僕は手紙をポケットに仕舞った。
それにしてもこういう事務的な手紙でも彼女から貰えたというだけで嬉しいのはきっとこの気持ちが理由なのだろう。馬鹿と言えばそうだけど僕はこんな些細な喜びでさえ大切にしたい。胸に灯る温かな淡い光を感じながら1人静かにそう思っていた。
* * * * *
結局何事にも全然集中できないまま学校が終わり放課後。部活にも入っていない僕は約束の時間までを潰す為に本屋に来ていた。
漫画とか小説とかを回った後は適当に店内を見て回る。筋トレとかあの女優の初写真集とか戦国武将の一生だとか。色々な本を見ては通り過ぎていく。
だけどある1冊の本が僕の足を止めた。タイトルは『吸血鬼と人間』。僕はその本を手に取るとパラパラと捲り、流し見ていった。
それは(簡単に見た限りだけど)ずっと昔の――まだこの世界で人間と吸血鬼がそれなりに交流をしながら暮らしていた時のことや教科書にも載ってる人間と吸血鬼の大きな戦争。
そして現代の人間と人間に紛れ暮らす吸血鬼の生き残りについて書かれていた。
目次には『あの戦争は止められたのか?』『これから身を顰める吸血鬼を含めどう接していくべきか?』などがあってきっと色々と著者の考えとかが書かれているんだろう。
でも僕はそれぐらいで本を閉じ棚に戻した。
この著者がどう思ってるかはちゃんと読んでないから分からないけど、世界中の人々の大半は吸血鬼のことを良く思ってないということは高校生の僕でも分かる。
多分それは吸血鬼が人の血を吸う事と―中には食べる者もいたとか―歴史に残る程の大きな戦争は吸血鬼が人間を食料として支配しようとしたことで起きたという事。そして吸血鬼は人間をひどく見下していたということが大きく関係してるんだと思う。
実際僕は、吸血鬼は悪いとまではいかなくともあまり良い種族ではないという風に教わった。でも(教わったことが本当だと仮定した場合の)事実だけを見れば吸血鬼に対してあまり良い印象は持てないのは確か。
でも僕は実際に吸血鬼と会ったことはないから彼らが本当にそういう存在なのかは分からない。って確か最近の授業でも思ったっけ。
それから20分程ぐらい経った後。そこまで大きくな本屋だということもあり、まだ消費し切れなかった時間を手に余らせたまま僕は店を出た。
どうしようか、そう思いながら適当に足を進めていると、ふと自販機が目に入った。丁度、喉が渇いていた僕はお茶を買いそのまま近くのベンチへ。
特にやることもなく焦る必要は無かった僕はゆっくりとお茶を一口飲み、ポケットからスマホを取り出して視線を落とす。
そしてSNSなんかを色々と見ていたらあるニュースが目に止まった。
「街中で暴れていた男を逮捕。後の検査で吸血鬼と判明」
この手のニュースはたまに流れてくる。政治家の汚職事件より少し少ないくらいだ(もっとも海外も含めたらもっと多いが)。
現代の吸血鬼は身を顰め人に紛れているかこうやって事件を起こすかの大体2択。でも当然ながらこういった悪い方が大々的に取り上げられるから吸血鬼関連のニュースは大抵悪い事だ。だから吸血鬼の印象はより悪い方へ傾くのかも。
でも現に僕も心のどこかでは、また吸血鬼かと思ってしまっていた。
それにしても最近授業で吸血鬼との歴史をやったせいか今日はやけに吸血鬼という単語が目に止まる。まぁ別にだからと言ってどうという訳でもないのだけど。
僕はそれからも小説なら読み飛ばされ映画ならカットされるような時間を過ごし、約束の時間に約束の場所へと向かった。
* * * * *
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