第115話 戸籍と決意

引っ越してから二週間と少し経ち、九月も下旬に差し掛かっていた。

今年の夏は暑さが長引いているものの、御子宅はエアコンガンガンで全く暑さを感じない。

三人での生活は、最初こそ色々と戸惑ったものの、ずいぶんと慣れてきたそんな頃。


光はキッチンで今日の夕飯を作っていた。

御子が用意してくれたタブレット端末で、料理アプリを見ながら四苦八苦するのもようやく慣れてきた。


今のところ光だけが無職でやることがないので、家事全般を引き受けていた。

御子も拓哉も遠慮はしたものの、光の強い希望で仕事が決まるまではと条件付きで家事手伝いということになっている。


「~~♪」

光は鼻歌混じりで上機嫌に包丁を走らせていた。

今日はいつもより少しだけ豪華なものを作っている。


「ただいまー。」

御子が帰ってきた。

いつもならとっくに帰ってきていても不思議じゃない時間だが、今日は寄り道でもしてきたんだろう。


「おかえりー、御子ちゃん。」

光は上機嫌で返事をした。


「なんや?機嫌よさそうやな。今日の夕飯はなんなん?」

「今日は手巻き寿司にでもしようかと思って、準備してるよー。」

「おおー、そりゃええな。楽しそうや。」

そう言って御子は着替えに部屋へと戻っていった。


もうそろそろ拓哉も帰ってくる時間だろう。

そんなことを考えていたら、案の定・・・


「ただいまー。」

拓哉が帰ってきた。

「タク君、おかえりー。」

こういった光景も随分と慣れてきた。


「なんか凄そうなの作ってるねー。」

キッチン横を通った拓哉に声をかけられた。

「うん。今日はちょっと豪勢だよ!」


そう。

今日はいつもより豪勢だった。

光にとって少しばかり良い事があった日だからだ。


--

「じゃーん!」

食卓を三人で囲みながら、光は一枚の紙きれを見せてきた。


三人で生活しているんだから、その意味は二人ともわかってはいる。


今日はついに光の就籍が認められた日だった。

その結果として戸籍謄本をもらってきたんだろう。

光は誇らしげにその紙切れを二人に見せてきた。


「おー、ようやくか。そっちはあんまり知らんけど、長かったんやろ?」

御子は中トロなどを巻いた手巻き寿司を楽しみながらリアクションをした。

「うん、長かったねー。四回も裁判所に通ったし、二か月もかかったよ。」

光は光で戸籍謄本を大事そうに仕舞いながら答えた。


「でもようやく第一歩って感じだね。おめでとう、光ちゃん。」

拓哉は精一杯の労いの言葉を送った。

「うん。唯志君たちが頑張ってくれたおかげ。だから、タク君のおかげでもあるよ。ありがとう。」

光は笑顔で拓哉にお礼を言っていた。


実際のところ、拓哉は何もしていない。

これに関して何かをしたかと言えば、『唯志に会わせた』程度であろう。

だから光のお礼がお世辞なんだってことは、自分が一番わかっている。


だが、光はそんなことは思っていなくて、心からお礼を言っているんだろうと思った。

それが余計に心苦しくもあった。


「で、今後はどうするんじゃ?とりあえず、ようやく第一歩目が完了じゃろう?」

御子は今後のことが気になったようだ。


「うーん、とりあえずご飯食べたら唯志君と莉緒ちゃんにも報告行ってこようかなって。」

光は唯志宅に報告に行きたいようだ。


「yarnとか電話じゃなくて?」

拓哉は今作った手巻き寿司を頬張りながら質問した。


「うん。これはちゃんと面と向かって報告しておきたいんだよね。お世話になったし。」

光なりのケジメなんだろう。

光はこの後直接お礼を言いに行くという意思が固いらしい。


「あ、ちゃんと洗い物とかしてから行くからね!」

光はそう付け加えた。


--

唯志の家は徒歩五分ほど。

そういった立地を選んだとはいえ、近くて非常に助かる。

洗い物などを済ませた後になったから今は夜の七時半ほどになっている。

唯志が残業などをしていなかったら莉緒と二人部屋にいる時間だろう。


光は今日の出来事を一刻も早く報告したかった。

莉緒はもちろんだが、この件に関して一番お世話になった唯志に、だ。


ピンポーン


エントランスのインターホンを押してから気づいた。

(あ、来る前に連絡しとくべきだったな。)


考えるよりまず行動。

光の良いところでもあり、悪い癖でもあった。

十分に自覚してはいるものの、中々治るものでもない。


(いなかったらどうしよう?)

そんなことを考えていた。

この間ほんの一秒ほど。

だが、インターホンから返答はあった。


「はいはい、どちら様ですかー?」

声からして莉緒なのは明白だった。


「莉緒ちゃん!私だよー。」

「おー、ひかりんか。ま、とりあえず入りなよー。」

莉緒がそう言うとエントランスのロックが開く音がした。


--

「いらっしゃーい!」

玄関では笑顔で莉緒が迎えてくれた。


「おじゃましまーす!・・・あれ?唯志君は?」

部屋に入ったものの、一番の目当てだった唯志の姿が見当たらない。


「ああ、唯志なら今日は急用ができたから遅くなるって。唯志に用事だった?」

どうやら唯志はいないようなだった。


「そうなんだ・・・。えっと、莉緒ちゃん、これ。」

光はそう言って莉緒に戸籍謄本を見せた。


「おー!今日行くとは聞いてたけど、無事とれたんだね!おめでとー!」

そう言って莉緒は光に抱き着いて喜んでいた。

「ありがと、莉緒ちゃん。・・・苦しいよ。」

光も照れながらも嬉しかった。


「その報告でわざわざ来たの?」

莉緒はよほど嬉しかったのか、ニコニコしながら話を続けた。


「うん。そうなんだけど・・・。一番頑張ってくれた唯志君いないのか・・・。」

そう言って光は少し俯いた。


「そのうち帰ってくると思うけど、どうだろね。電話で催促しようか?」

莉緒は唯志を急かそうかと聞いてきた。


光は悩んでいた。

この戸籍の話はいの一番に唯志に聞かせたかった話だった。


だが、唯志がいなくて莉緒と二人きり。

そして、戸籍が取れたこの状況。


「ううん。いいの。・・・莉緒ちゃん、二人で話したいことがあるの。」


光は覚悟を決めて、莉緒と向き合った。

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