第126話 丸菱の田中

 部屋の端の方で座席表を眺めていると、背後から肩を叩かれた。

 武道を嗜む者として、背後を取られる事は恥である。俺は、半ば驚きながら、恐る恐る振り向いた。



「元太、遅くなってスマン。 さあ、席に着いて美味いもんを食おうか!」


 才座であった。全く気配を感じなかった。

 彼は空手の達人であるが、相当の高みにいるようだ。俺は、油断した事を悟られないよう、笑ってごまかした。



「なんだ。 そんなにご馳走を食べれる事が嬉しいのか? それだったら、今回に限らず、これからも一緒に参加してくれよ。 会合には、ご馳走がセットだからさ」


 才座は、真剣な表情だ。どうやら、冗談ではないらしい。



 その後、才座に連れられて指定席に向かった。


 2人が席に着くと、業界の関係者が次々と挨拶に来た。

 もちろん、住菱の才座が目当てである。だから、隣に座る名字の違う俺の事を不思議そうに見る。そして、一瞬の間をおいた後、機嫌を取るかのように、俺にも挨拶をしてきた。


 俺が口を開こうとすると、才座が自分の子供のようなものだと口を挟む。そうすると、相手は俺に対し、平伏するかのように腰を低くする。それが、あまりにも露骨すぎて気分が悪くなった。

 こんな感じが、しばらく続いた。



 そして、開演の時間が近づき、挨拶回りが途絶えた頃、才座が俺に話しかけてきた。


「元太。 人が訪ねてきて面倒臭いと思うが、会社経営には必要な事なんだ。 いつもは香澄を連れて来るんだが、今後は、元太にも体験して欲しいと思ってるんだ」


 才座は、少し遠慮がちに話した。



「なんで、俺なんですか?」



「元太が香澄と付き合いたいと言った時は嬉しかったよ。 ハッキリと言うが、香澄と結婚してほしいんだ。 あの娘は、住菱の後継者だが、元太が貰ってくれるなら嬉しい。 2人で住菱グループを発展させてほしい。 香澄は、元太に後継者の座を譲りたいと言ってるが、俺も、その方が良いと思ってるんだ」



「その事は、おっちゃんの親父さんも承知してるんですか?」


 話の流れから、つい、立ち入った事を聞いてしまった。



「香澄を後継者にすることには同意してるが、元太の事は話してない。 でも、おまえの事を知ってるから、反対はしないだろう。 それに、近々俺が代表に就任する予定だから、そうなれば、誰にも反対させない。 あっ、この話しは、他に言うなよ」


 才座は、しまったといった顔をした。

 昔からそうだったが、俺の事を息子のように思っているのは本当のようだ。そこまで思ってくれるのは、素直に嬉しい。


 

 その後、司会から開会の挨拶があり会合が始まった。


 会合といっても、業界関係者が集まる単なる懇親会のようである。

 また、才座への来訪者が多くなり、彼は食べる間もなく対応に追われていた。


 そんな中、俺が孤立しているのを見て不憫に思ったのか、才座は来訪者を断って、俺に話しかけて来た。



「元太、楽しんでいるか? 遠慮なく食べな!」


 才座は、少し申し訳なさそうな顔をした。

 それに対し、俺も気を遣ってもらって申し訳なく思ったが、座席表の気になる事について、思い切って尋ねてみた。



「おっちゃんに、少し聞いても良いですか?」



「ああ、何でも答えるぞ」



「座席表のここに田中 安子とあるけど、大阪に転校した知り合いと同じ名前なんです。 親は病院経営をしてると聞いたが、ここに来ているのか気になって …」


 俺の問いかけに、才座は座席表の該当箇所を見た。

 すると、なぜか嫌な顔をした。



「ああ、これか。 丸菱の座席にあるこの名前だな。 この会社は、昔から住菱とライバル関係にあって仲が悪いんだ。 昔と違って、グループ全体の事業規模は、こちらが遥かに上なんだけどな。 どうしても、対抗意識が抜けないようだ。 最も、こちらも気に食わないと思ってるがな」


 才座は、愉快そうに笑った。



「共通の菱という文字があるから、関連がある会社と思っていました」



「まさか。 菱が同じと言うのも対立の原因になってるくらいなんだ」


 才座は、また、嫌な顔をした。



「そうなんですか …」


 俺は、大企業なのに大人気ない話だと思った。それに、才座のいつもと違う態度にも驚いた。



 そんな俺の気持ちを察してか、才座が付け加えた。


「でも、俺に丸菱への敵対意識はないぞ …。 元太の話では、田中 安子って娘の親は、病院を経営してると言ったよな。 丸菱にも系列の病院はあるが違うような気がする。 この娘は、人違いじゃないか?」



「そうだよな …」


 俺も、そう思えてきた。



「なあ、元太。 挨拶に行って見るか? 丸菱の社長の田中 安道は好きじゃないが、何か話のネタになるかも知れない」


 才座は、ニヤッとした後、俺を連れて、その席に向かった。



「やあ、田中社長」


 才座が話しかけると、その男は、慌てたように立ち上がった。



「これは、これは、菱友社長。 どうされました? あれ、今日は、美しい娘さんはいないんですね。 そちらの背の高い方はどなたですか?」



「ああ。 私の倅のようなものです」


 才座が言うと、田中は俺の顔を食い入るように眺めた。


 2人は笑顔で挨拶をしたが、側から見るとキツネと狸の化かし合いのように見える。



「それより、そちらの方は、田中社長の娘さんですか?」



「はい、中学生の娘の安子です」 


 そこには、可愛らしい顔をした女の子がいた。

 やはり、俺の知る田中 安子ではなかった。

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