第123話 至福の時

 静香と都立図書館で話してから2日が経過した。


 夕方、リビングでくつろいでいると、香澄とその両親から電話があり、静香が笑顔を取り戻し元気になったことを聞かされた。


 静香が笑顔を取り戻す事ができて、本当に良かったと思った。

 そして、また、愛くるしい笑顔を見たくなってしまった。


 でも、今後、その笑顔を見れないと思うと、寂しくなってしまった。

 俺は、静香を妹のように思っていたから、なおさらだった。


 会うことはおろか、話すことさえなくなってしまった今、彼女が、明るく話しかける姿を思い出すたびに、寂しい思いが込み上げてくる。



 また、静香のこと以外にも、気落ちする状況があった。



 安子のことである。東京の大学を受験するために帰って来るとの話だが、真相が分からない。


 来るはずがないのに、彼女からの連絡を心待ちにしている。

 だからこそ、情けなく惨めにな気分になる。


 心がこんなに弱いとは、自分でも意外だった。


 いや、もともと強くなかったのかもしれない。

 これまで1人でいても平気だったのに、人と心地よい関わりを持つようになってから、それを失う怖さを知ってしまったようだ。


 この恐れを克服したいのだが、できない …。


 男らしくなりたいのに、今までより弱くなっている。

 俺は、祖父や父のように強くなれないのかも知れない。




 だが、それでも良い。


 俺には、香澄がいる。


 彼女は、俺に残された唯一の存在なのだ。誰もが羨む美女で、スタイル抜群、しかも成績優秀で欠点など存在しない、まさに完璧な女子だ。



 彼女といる時間は至福のものであると自信をもって言える。



 香澄とは、付き合うようになってから、週に4日は逢っている。


 場所は、いつもの定食屋だ。

 夕食の野菜定食を囲み、どうでも良い話をしていると、嫌なことを忘れられる。


 俺は、話のネタが乏しく直ぐに寡黙になってしまうが、彼女から常に新しい話題が提供される。

 俺は聞き役に徹しているが、香澄の話す声は心地よい音楽のように聞こえ、俺を幸せな気分にさせる。



◇◇◇



 2人は、今日も定食屋にいる。そして、香澄が話しかけてくれる。



「ちょっと、聞いてるの!」


 香澄の、ジャブのような言葉が突き刺さった。



「すまん。 それで?」


 俺は、受け流すように返した。


 しかし、香澄の様子がいつもと違い、感情的になっている。

 俺は、マズイと思い、相手の言葉に耳を傾けた。

 


「だから、大学進学のことよ」


 不満そうに、俺の肩を叩いた。



「東慶大学を目指すんでしょ?」


 香澄は、当然のような顔をして俺を見た。

 


「ああ、そのつもりだよ」



「それでさ …。 菱友家の事情を分かってるんだから、もちろん法学部志望だよね。 私と一緒に通うんだからね!」


 香澄の真剣な眼差しを見ていると、思わず頷きそうになったが、何とか堪えた。



「俺の両親も、東慶大学の法学部出身だから、それも有りかと思うんだけど …。 でも、自分は理系が好きだから、正直、悩んでるんだ。 この前、静香さんと会った時に、全寮制の開北高校に進学する話を聞いたが、彼女の意志を貫く姿を見て、凄く立派だと思ったんだ」


 俺は、香澄に顔を近づけて話した。



「何よ、それ。 元太は、歳下の静香を見習うの? 自分の意思を貫くことも大切だけど、将来のパートナーの事情も考えてよね」



「えっ、パートナーって?」



「私たち結婚するのよ。 いい加減な気持ちで付き合えないって、元太も言ってたじゃん」


 真顔で言ったところを見ると、香澄は本気のようだ。

 俺は、香澄との夫婦生活を想像して、鼻の下が伸びてしまった。



「俺の気持ちも同じだけど …。 でも、そこまで急がなくても …」



「私は、住菱グループの後継者なのよ。 だから、そのパートナーにも、その責務が付いてまわるわ。 お父様は、場合によっては、元太を後継者に据えても良いと言ってた。 私と一緒に、グループを支えてほしいの」


 今日の話題は、いつもより重いが、進学校の高校2年ともなれば、受験の話がメインになってもおかしくない。

 


「確かにありがたい話だけど、直ぐに結論を出さずに、時間をかけて考えないか」


 俺は、縋るように言った。



「分かったけど …。 仮にも国立の最高学府である東慶大学だよ。 そこの理系と文系の両方を、掛け持ちで勉強できるの?」


 香澄の言うことは、至極当然の話であったが、何とかこの話題から逃れたかった。



「何とかなると思うんだけど、考えが甘いかな?」



「元太は、塾に通ってないと言ってたけど、全国統一模試を受けて自分のレベルを確認した方が良いわ。 万が一、東慶大学に落ちたら、私たちの将来がなくなってしまうのよ」


 香澄は、不安そうな顔をした。



「落ちたら、俺たちの関係も終わると言うのか? そんなの、おかしくないか?」


 俺は、抗議した。



「心配ないわ。 元太なら合格できるわ。 でも、全国統一模試は受けてよね。 私も付き合うからさ」



「ああ、分かった」


 香澄に言われ、久しぶりに塾の全国模試を受けることになった。

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