第120話 相性

 母と香澄は、しばらく見つめ合っていたが、我に帰ったのか、2人同時に、恥ずかしそうに目を逸らした。



「さあ、上がってちょうだい」


 母は、例によって何事もなかったかのように話しかけた。切り替えの速さには、息子の俺も驚く。



「お邪魔します」


 香澄は、先ほどのことを少し意識しているのか、頬を赤らめている。図太さでは、どうやら母に軍配が上がったようだ。



 その後、リビングに向かったが、ごく普通の家なので、玄関を上がると、直ぐに到着した。



 部屋を見ると綺麗に整理整頓されていたが、正直、これには驚いた。

 香澄が来るからと、母が必死に掃除したのだろう。普段は俺がやってるから、奮闘している母の姿を連想すると、可笑しくなってしまった。



「元ちゃん。 何、ニヤついてるの?」



「いや、何でもない …」


 母は、強く目配せした。俺の考えたことを察知したようだ。



 下を向いてやり過ごしていると、今度は香澄の声がした。



「こちらは、小さくて可愛い別宅ですこと。 素敵だわ! 無駄な作りがなくて、機能的で快適だと思います」


 香澄が、いつもと違う愛嬌のある声で話した。どこから、こんな声が出せるのだろう。とても不思議に思った。



 母は、豆鉄砲を食らった鳩のように、キョトンとした顔をした。


 俺はヤバいと思い、思わず目を逸らした。



 そういえば、以前、妹の静香が俺の家に来た時に、同じようなことを言っていた。

 姉妹の性格は違うが、思考は似ているようだ。



「香澄さんの家は、大きいのかしら? どの位の建坪があるの?」



「えっ。 測ったことはありませんが、そうですね …。 家が建っている範囲を考えると、長さは50mで奥行きは30mといったところかしら。 そうすると、1,500平方メートルだから、坪数で言うと 454坪程度です」


 香澄は、サッと計算した。


 高校生にするような会話でなかったが、香澄は根が真面目だから、真剣に答えた。



「フフッ。 香澄さんて真面目で可愛らしいわ」


 母は、優い笑顔で香澄を見た。

 それに対し香澄も、母に笑顔を返した。


 2人の笑顔は、美しいだけに、この時は不気味に感じてしまった。



「この家の建坪は36坪なのよ。あなたの家の12分の1以下ね。 でもね、香澄さん。 これでも、普通の一般家庭では大きい方なのよ。 それに、別宅じゃなくて、この一軒しかないわ。 ここに、親子3人で暮らしてるのよ」


 母は、少し困ったような顔をした。



「えっ、この一軒に3人も …。 私、失礼なことを言ったのかしら? ごめんなさい」


 香澄は、驚いたような顔をした。やはり、世間知らずのお嬢様なのだ。



「良いのよ。 住む世界が違うようね。 それより、これから住み心地を試して見る?」



「えっ、泊まって良いんですか?」


 香澄は、嬉しそうだ。



「もちろんよ。 元ちゃん良いわよね」


 母は、俺を見た。正直、母の魂胆が分からないから、一抹の不安を感じてしまった。



「ああ。 明日は、日曜だから良いと思うけど、香澄が寝る部屋はどうするんだ?」


 この家は、リビングが大きい代わりに、部屋数が極端に少なかった。つまり、客室がないのだ。



「元ちゃんの部屋があるでしょ」


 母は平然と言ってのけた。



「ベッドが一緒だけど、良いのか!」


 俺は、思わず叫んだ。

 それを聞いて、香澄は赤くなっていた。



「なに変なこと言ってんの! 2人とも、良からぬ想像をしたかしら? 元ちゃんは、リビングのソファーで寝るのよ」



「そうか、分かった」


 俺は、少し気が抜けてしまった。香澄を見ると、同じように気が抜けたのか、口をあんぐりと開けていた。


 同じ布団で寝ることを想像しただけに、落差が大きかったのだ。



「お母様、私がリビングで寝ます。 元太さんに迷惑をかけてしまうわ」


 香澄は、我に返って、大きな声で力説した。



「気にしなくて良いのよ。 ねっ、元ちゃん」



「まあな」


 俺の返事を聞いて、母は満足そうな顔をした。



「ところで、香澄さんは、食事は何が好きかしら?」


 料理が苦手な母が、作れるハズがない。そんなことを聞いてどうするのか、不思議に思った。



「お母様、気を使わなくても …」



「気にしないで、正直に言って」



「はい。 強いて言えば、鴨のコンフィとか好きです」




「コンフィと言うと、フレンチかしら?」



「はい、その通りです。 他には、ポアレとかフォアグラも好きです」


 香澄は、屈託のない笑顔で答えた。



「そうなの、残念だわ。 フレンチは、予定に無いわ。 フレンチ以外ならどう?」



「イタリアンも好きです …」


 その後、2人は夕食の話で盛り上がっていたが、料理の名前を聞いても、俺はチンプンカンプンだった。

 母さんの場合も、俺と同じハズなのに、なぜか、話が弾んでいる。

 外国語が堪能だから、料理の名称から、国を連想し、適当に話を合わせているようだ。



「香澄さん。 今日は、特上の握りにするわ。 どうかしら?」



「はい、好きです」


 長い話し合いの末、夕食は、出前の寿司になった。

 恐らく、最初から決まっていたのだろう。庶民である俺たちにとっては、かなりのご馳走であるが、香澄の反応は薄かった。

 庶民の力では、どんなに頑張っても越えられない壁があることを実感した。


 そういえば、父は夜に帰って来るはずだが、予想外の展開に驚く顔が目に浮かぶ。

 俺は思わずニヤけてしまった。

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