第119話 母と香澄

 俺は、菱友家で歓待を受け、予定してなかった昼食までご馳走になった。


 だから、香澄を家に連れて行く時間が遅れていた。それで、母が気を揉んでいるか心配だったから、そっとメールしておいた。

 


 2人の交際は、学業をおろそかにせず、節度を持って付き合うことを条件に、許してくれた。


 最後に許可を得る相手は、俺の母のみとなった。



「そろそろ、行こうか」


 香澄に、そっと耳打ちするとうなずいた。



「少し待ってて」


 そう言うと、香澄は自分の部屋で着替えて来た。


 俺の前に現れた香澄は、今まで以上に、さらに美しかった。

 こんな綺麗な人と付き合えるかと思うと、俺は嬉しくなってしまい、母のことなど忘れ、しばし見惚れていた。



「どうしたの? 行くわよ」

 

 香澄に、肩を叩かれ我に返った。



「ご馳走になり、ありがとうございました。 これから、香澄さんを母に会わせたいので、そろそろ行きます。 交際を許していただき、ありがとうございました。 節度を持ってお付き合いさせていただきます」


 俺は、香澄の両親に深々と頭を下げ、豪邸を後にした。


 来た時の大きな門扉を出ると、香澄が不思議そうに俺を見た。



「ねえ、元太。 車はどこにあるの?」



「えっ、俺は電車を乗り継いで、最寄りの駅から歩いて来たけど、帰りも駅まで歩くつもりだったが …。 もしかして、まずかったか?」



「ちょっとお。 空手の稽古の時ならいざ知らず、元太のお母様に会うためにオシャレしてるのよ。 汗でビショビショになったら台無しじゃん。 車を出すわ」


 そう言うと、香澄は再び、家に戻った。



 しばらくすると、家の中から黒塗りの高級車が出てきて、俺の前に停車した。

 中から、香澄と両親が出てきて、俺を見て笑っていた。



「元太、来る時に駅から歩いて来たって本当か? ずいぶん遠かっただろ。次に来るときは、車を手配するから、遠慮せずに連絡をよこすんだぞ」


 才座は、俺の肩を叩いた。



「本当に、遠慮はいらないのよ。 元太さん」


 香澄の母も、優しく声をかけた。



「はい。 ありがとうございます」


 俺は、とりあえず返事した。



「それじゃ、元太行くわよ」


 香澄に手を引かれ車に乗り込むと、俺は、車の中から深々と頭を下げた。


 車が動き出すと、香澄の両親は手を振ったが、その姿は小さくなり、やがて見えなくなった。



「車の手配をしてくれて、ありがとうな」


 俺は、香澄にお礼を言った。



「ううん、気にしないで。 だけどさ、無鉄砲も時と場合を選んでね。 私の姿を見てよ」


 俺は、改めて香澄を見た。いつもズボンなのに、今日は、丈の短いスカートをはいて、細めの太ももが見える。 それに、元々綺麗なのに、薄らと化粧をしてさらに美しい。

 俺は、あまりの美しさに、口をアングリと開け、また見惚れてしまった。



「ちょっと、元太。 なに、固まってんのよ!」


 香澄の声がしたが、俺は、まだ動けずにいた。すると、前方から声がした。



「お嬢様が、あまりに美しいんで、声を失ってるんですよ」


 運転席の、野尻が明るく声をかけてきた。すると、香澄の顔がポッと赤くなった。


 俺も、本当のことを言われ、恥ずかしくなってしまった。



 野尻に冷やかされたことで、2人は無口になってしまったが、そうこうしてるうちに、車は俺の家に着いた。



「それじゃ、行ってくるけど。 帰りに電話するね」



「はい。 お嬢様、分かりました」


 野尻は、まだニヤニヤしていた。



「さあ、行くぞ」



「うん」


 

 普通の一軒家だから、さして歩かずに、玄関の前に来た。


 ドアを開ける前に、隣に立つ彼女を見ると、いつもと様子が違う。そこで、俺は手を握り、そっと声をかけた。



「香澄、だいじょうぶか?」



「押忍!」


 俺は、返事を聞いて驚いた。香澄は、いつになく、極度に緊張しているようだ。



「香澄、落ち着け! 呼吸法だ」


 俺は、香澄の腰に手を当て、空手の息吹をするよう促した。



フォー


「落ち着いてきたか?」



「うん、ありがとう。 何だか泣きそう。 こんなにプレッシャーを感じたのは、生まれて初めてよ。 あなたのお母様の圧力は、空手の達人のようだわ」


 いつもより早口ではあるが、だいぶ落ち着いてきたようだ。



 俺は、玄関のドアを開け、中に入った。



「母さん、菱友さんを連れてきた」


 大声で呼ぶと、母が玄関に走って来た。 

 よほど慌てたのか、俺と香澄の目の前で、足がもつれ、つまずいてしまった。



バタンッ


 母も、いつになく緊張しているようだ。

 そんな様子を見て、香澄は目を丸くしていた。



「急いで出てきたら、つまずいちゃったわ。 恥ずかしいところを見せてゴメンなさいね。 香澄さん、初めまして!」


 母は、満面の笑みだ。転んだことなど無かったかのように、平然と挨拶をした。



「初めまして、お母様。 菱友 香澄 です。よろしくお願いします」



 2人は、お互いの顔を見つめ合った。

 こうしていると、香澄は、実の母より俺の母に似ている気がした。まるで、ドッペンゲルガーに遭遇したようだ。



「いやだ …。 香澄さんに、つい見惚れちゃったわ」



「私もです。 なんか鏡を見ているような …。 あっ、ごめんなさい」



「良いのよ。 私も、同じような感覚になっていたわ」



 俺は、シンクロする2人に、ひとり置き去りにされていた。

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