第13話

会社で仕事をしていると、あの、と声がきこえてきた。福山くんがクッキーの箱を持って立っていた。「これ、お土産なんですけど、貰ってないですよね。」「あ、、ありがとうございます。」仕事のときにたまに話す人だ。「あの、、、最近なんかありました?」ときいてきた。「はい。実は、昨日会ったばかりの人と一夜をともにしたんです。」とは言えなかった。「いえ、特に。」と言ってごまかした。おまけに、あは、という中途半端な笑顔も添えて。福山くんは「そうですか。」と小さな声で言ったが、顔はまだ何か言いたげな感じだった。何かが彼に伝わっているのだろうか。焦ってしまった。麻衣はまだだるい気分は消えなかったが、こうして大勢がいるところで忙しく何かをしていると、嫌な気分を紛らわすことができた。そういう意味では今日が平日で良かった。きっと休みの日なら一人で家で鬱々としてしまっていただろう。

昼休みになり、麻衣と昼食を食べに行く。よく行くお店「フラワー」に入った。レストランというには少々汚くてアットホームすぎる。それに、レストランなのかカフェなのか居酒屋なのかよく分からないお店だ。「フラワー」は近くて便利なので2人はよく行くのだった。雫のエビグラタンがきた。麻衣は、コロッケランチを頼んだ。まんまるで大きなコロッケが二つ乗っている。サクサクと食べていると幸せな気持ちになる。麻衣は「フラワー」のエビグラタンも好きだった。長崎のこういう喫茶店にはなぜか「グラタン」系のメニューをよく目にする。麻衣は長崎にきて「グラタン」をよく食べるようになった。喫茶店のグラタンはもったりとしていて甘く、食べていると懐かしい気持ちになる。雫は麻衣の「報告」をきくと「え~、麻衣ちゃん、すごいね。小説家になれるんじゃないの。体験が。」とどこか興奮した様子で言った。雫は、目をキラキラさせているように見えた。麻衣も友達がこのような報告をしてきたら興味深くきくだろう。なぜなら自分とは関係ない話だから。雫は「麻衣ちゃんは、その船乗り(笑)のことは好きなの?」ときいてきた。麻衣は「うん。」と答えた。好きか嫌いかと聞かれたら好きだ。それにやってしまったことへの執着心が麻衣の中にはあった。麻衣は門松くんのラインを開いた。門松くんが送ってきたラインのキャラクターが「いいね!」と言っているスタンプ以降はなにもない。これは昨日ラインを交換したときに送られてきたものだ。麻衣は仕事中にこっそり見つけた恋愛サイトを思い出した。「付き合う前に絶対セックスはするな!」というタイトルの記事。その恋愛サイトには世にも恐ろしいことがかかれており、セックスをしたら付き合えない、だの、女の価値が下がる、だの軽い女に見られて引かれるだの、好き放題かかれていた。そのサイトは麻衣を不安にさせたが、もしここにかかれていることが本当だとしても「そうですか」としか言いようがない。麻衣は「一夜限りの関係」というものを軽蔑しており、自分はなるべくそうはなりたくないと思っていた。出会った人とはなるべく長い関係を続けていきたいものだ。しかし、もう「やって」しまっているのだから、しょうがない。門松くんから連絡が来なくて付き合えなかったとしても身を引くしかない。潔く身を引けるかは分からないけど。このサイトはご丁寧に「いま厳しい状況だぞ。」ということを教えてくれた。見なければ良かった。麻衣はやっとの思いで、退社時間まで耐えた。


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