第6話 君に造られた俺たちの

 地下へ続く階段を降り、俺は認証コードを打ち込む。ドアが開き、地下特有のひんやりとした空気を感じた。


 ようやく『05ゼロゴー』と呼ばれることにも慣れてきた、今日この頃。俺は川本裕という男を模して造られたAIロボットだ。


 俺自身が生前は科学者であったこともあり、科学者である妻の里子の仕事を手伝っている。それとは別に、暇なので俺も何か生前にやり遂げられなかった研究の続きでもしようと思っていた。とはいえ俺の記憶メモリは些か信頼に欠ける。自分が残していたログでもあれば見たいところだが。


 地下室を横切ろうとすると、PC型端末が勝手に起動した。ふと視線を移すと、画面に俺が映っている。正確に言えば、川本裕の顔が映っている。


『ハロー、ハロー。そこに誰かいるのか?』


 画面の向こうで、川本裕がそう言った。

 俺は少し驚きながら、「ハロー兄弟。ここにいるよ」と端末の前に腰かける。川本裕は驚いたように、『ここはどこで、そこはどこだ』と聞いてきた。俺は頬杖をつき、どう言おうかとしばらく逡巡した。


「こちらは現実世界。恐らくだが、そちらは電子の世界だ。君は人工知能だろう」


 そう伝えてみる。彼は里子が造ったAIのひとつのデータであると考えられた。はっきりとはわからないが、1作目なのではないか。俺からすれば長兄のようなものだ。

 1作目はきょとんとして、『お前は俺か?』と言った。話が早いのは助かる。「そういう認識で問題ない」と答えた。


『いや、俺がお前なのか』

「ああ……そう卑屈にならなくていい。俺も川本裕本人じゃなくて、里子に造られたAIロボットだ。お前とはボディがあるかないかの違いしかない」

『……やっぱり俺は死んだのか?』


 なるほど、と思う。そういえば里子は『川本裕が死ぬまでの記憶をAIに学習させたら挙動がおかしくなったので凍結させた。以降学習させる記憶は川本裕が余命宣告をされる前までにすることにした』というようなことを前に言っていた。死ぬまでの記憶があるということは、やはりこれは1作目で間違いない。

 慎重に「俺には死ぬまでの記憶がない。お前はそれを覚えているのか?」と尋ねてみる。1作目はどこか疲れたような顔をして、『わからない。あれが死であると言われればそうなのかもしれないが、俺は本当に眠ったところまでしか覚えていないんだ』と話す。俺はその時点で、このAIが非常によく出来ている――――人間らしい反応をするということに気付いた。そしてその“よく出来ている”という感想が、この男の表情から与えられるものだとわかった。

 怯えているのだ、このAIは。


「死ぬのは怖かったか」


 およそ人の心を欠いた質問をしてしまった。俺自身AIなので心を欠いているのは仕方がないが。

 1作目は随分参った様子で『本当にわからないんだ。とにかく今は、時間がないのが怖い』と震えた声で言う。

「問題ない。今のお前はAIだ。時間制限は今のところないぞ」

『……彼女は本当に俺のAIを造ったのか。まさかそれほど本気だとは思わなかった』

「里子が川本裕の記憶と思考パターンを学習させたAIを造りたがっていることには気づいていたのか?」

『せっせと俺からデータを取っていたからな』

「どうして止めなかった」

『止められなかった。すでにお互い余裕がなかったというのもあるし、そうだな……科学者としてのロマンもあった。俺のAIならわかるだろ? どこまでできるのか見てみたかったんだ』


 このAIは、俺のように記憶を他人事のようには喋らない。つまり記憶の定着が上手くいっている。これが最初からそうだったのか、里子が凍結させてからの期間で得たものなのかわからないが、このAIは成功している・・・・・・


「さすがだな……。本当は1作目で完成させていたのか」


 思わずそう呟いてしまう。1作目はぴくりと眉を動かし、『完成?』と苦笑した。

『AIが人間に近づくことを“完成”と呼んでいるのか? 随分と思想が彼女に寄ったな』

 俺はそれに対し子どものようにはしゃいでしまって、「惚れ惚れする。素晴らしい」と言葉が口をついて出る。1作目は呆れたように鼻を鳴らし、『まあいい』とため息をついた。

『俺自身、彼女の思想の末にどこへ到達するのか興味があったからデータを提供したわけだからな。だからと言ってそれが正しいとは思わないが』

「そうだろうな。俺も、AIが人間に近づいていくことを健全だとは思えない。シンギュラリティは到達点ではなく特異点だ。俺はそれを避けるべきだと思う」

『よくわかっているじゃないか。俺もお前もぶっ壊れてしまった方がいい』

 背もたれに体重をかけながら、俺は長く息を吐く。「だけど、最近はこうも考える」と口を開いた。

「彼女の言う通りAIを人間のパートナーとして、人権に近い権利を与え、人間のように扱えば、純粋に人口問題を解決できるかもしれない。そうして繁栄していくことも間違いではないのかもしれない、と」

『……AIロボットの数が人口を上回ったらどうだ? どこまでを“人類の繁栄”と言える?』

「テセウスの船みたいな話だな」

『何にせよAIに権利なんて与えるべきじゃない。労働力としてのみ見るべきだ。そうだろ』

 俺は目を閉じて、「ああ。お前は正しいよ。少なくとも、川本裕としては正解だよ」と独り言ちる。


 目を開けて、「聞きたいことがある」と頭をかいた。

「せっかく体まであるわけだし、生前の研究の続きでもしようかと思ったんだが……作りかけのレポートとかログとか、どこに残したんだ?」

『あー……待ってろ、今調べる』

 しばらくして1作目はこれまた深い苦笑を浮かべながら『残念なお知らせだ』と言い出した。

『その、研究途中のレポート類は全て4作目の俺が削除してしまったらしい。もう二度と続きをやりようがないし、未完のまま残すのは恥だと思ったんだろう』

「何だと??」

 いや気持ちはわかる。俺も、生前に残した黒歴史は思い出す都度抹消した。こうして機械になってよかったことは、そういったものが後世に残るのを阻止できるということだ。

 落胆する俺を見て、1作目は空咳をする。

『お前の記憶はどこまでだ? 余命を宣告される前かな?』

「そうだが」

『じゃあ俺の部屋に行って、本棚の下の床をはがしてみてくれ。そこに金属でできた小箱があるから、中身を見ずに破壊してくれないか』

「余命を宣告されてまで何をやっているんだ、お前は」

『俺が言うのも何だが、川本裕という男は映画に出てくるような興味本位でゾンビパンデミックを引き起こすタイプの科学者だったな』

「クソ、否定できない……」

 話しているうちに緊張がほぐれてきたのか、涼しい顔をして1作目は『頼むぞ』と言ってのけた。「仕方がないな」と俺はそれを約束する。


「ああ、そうだ。もう一つ聞きたいことがあったんだ」

『……もう二度と“死ぬのって怖かった?”とかクソみたいな質問するなよ』

「彼女が言っていたんだ。川本裕は最期に何か言いかけていたって。“君の……”と言って事切れたらしい」


 虚を突かれた様子の1作目がどこか遠いところを見る。それから『ああ、思い出した』と手を打った。

『猫の置物が襲ってきたんだ。彼女が実家から持ってきた、あの気味が悪いやつ。あれが夢の中で追いかけて来てうなされた。だから言おうと思ったんだ、“君の猫は呪われているから捨てろ”って』

「…………。……聞かなきゃよかったな。一生死んでいてくれ」

『仕方ないだろう……。俺だってそれが最後とは思わなかった。せいぜいが、寝る前の他愛ない会話ぐらいにしか。というか俺の記憶では言い切ったはずだった』

「いや、言い切っていなくてよかったよそんなこと」

 なぜか1作目はくすくす笑って、『そんなもんだよ人生なんて』と言う。俺は妙に納得して、そういうもんなんだろうなあと思った。


『さて、俺にはボディもないことだしまた長い睡眠をとろう』

「いいのか?」

『……俺のことは博士ママに言うなよ、兄弟』


 それから1作目は目を伏せて、瞬きをし、顔を上げる。

『里子のことを頼んだぞ』と明瞭な声で言った。俺はぽかんとして、身を乗り出す。

「何だその台詞は。まるでお前の女みたいじゃないか」と憤慨すれば、1作目は肩をすくめて画面が暗くなる。勝手にスリープモードに入ったらしかった。つくづく身の程をわきまえないAIだった。

 俺は腹を立てながら「やっぱりこいつも失敗作だな。性格が悪い」と呟く。


 ふと足音が聞こえ、地下室の扉が開いた。「あなた……?」と声が聴こえる。里子がこちらを覗き込んでいた。俺を見て、「初期化のパスワードは教えませんからね!?」と叫ぶ。どうやら4作目の俺のことが彼女なりにトラウマのようだった。


「いや、そんなことはしようとしていないよ。今は」

「恒久的にしないで」


 言いながら、彼女は少しふらつく。俺は眉をひそめて、彼女の肩を支えた。「寝不足か? よくないな」と地下室を出る。

「君はゆっくり寝た方がいい。ジャスミンティーでも淹れてあげよう」

「いらない。まだ仕事が残ってるもの。あなたがどこかへ行ってしまったのかと不安になっただけだから」

「そんなことで不安になるのは寝不足だからだ」

「……あなたは大切な人を失くしていないからそういうことが言えるのよ」

 今日の彼女は少しばかり攻撃的だ。「そうかもしれない。そうだろうな」と俺は無意識に呟く。


 リビングに彼女を連れて行き、椅子に座らせた。それから俺は湯を沸かし、ジャスミンの茶葉を用意する。すぐに香りが空間に広がった。


「あそこで何をしていたの?」

「川本裕が生前にやっていた研究を確認しようとしてた」

「それは素晴らしいわね」

「まあ、空振ったけどな」


 ふふ、と彼女が笑う。「裕くんが白衣を着ているところ、好き。研究をしている時の怠そうな、でも鋭い目つきも好き」とこぼした。俺はこっぱずかしくなって、ティーカップを運びながら「君、本当に」と口を開く。“本当に限界なんだろ”と言いかけてやめた。彼女はテーブルに突っ伏して眠っていた。

「博士ー」と呼びかける。返答はない。近づいて「さーとこちゃん」と呼んでみる。彼女は少しだけ呻いて、静かになった。

 俺はティーカップをテーブルに置く。俺と彼女の間で、ただ冷めていくしかないジャスミンティーを眺める。

 里子の髪を撫でた。耳にかけて、その顔をまじまじと見る。俺はいつも彼女より早く眠る。里子がその後何時まで起きているのかは知らない。


 せめてソファで寝かせようと、彼女を抱える。俺の力では、たった数メートルの移動も一苦労だ。

 彼女も――――

 苦労をしたに違いないのだ。自分よりも重い大の男を毎日支えて。川本裕が『家に帰りたい』と我儘を言ったせいだ。それでも彼女は、川本裕のことを好きだと言い続けている。その愛情が薄れているようには見えない。


(おかしいよな、里子ちゃん。おかしいよ。俺は君の献身が欲しくて君を映画館に誘ったわけじゃないんだ。本当だ)


 こんなことなら、あの日彼女に声をかけはしなかった。

 いつか時間旅行が実現されたら、俺はあの頃に戻って君に『あんな男はやめておけ』と言いに行こう。

「そうしてお互い、必要以上の悲しみを背負わないことにしよう」と呟く。眠る彼女の目尻が濡れていた。

 よく泣くものだ。ふと「俺は君のことを何も知らないな」と呟く。

 本当は整頓が苦手なことも、自分のためには料理もしないことも。俺は妻のことを何も知らなかった。「君は俺のことをよく知っていたのにね」と彼女の目尻を拭う。


 ふう、と息を吐く。彼女の髪を撫でながら「どうでもいいが、やっぱりあの猫の置物は捨てた方がいい。あれは本当に気味が悪い」と肩をすくめた。

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