第5話 夢を見ないAIは昏々と眠る

 かつて妻であった里子という女が「この家って、こんなに狭かったかしら」と呟くのを05ゼロゴーは聞いた。

「……うん、君は物を置きすぎだな」


 05は人型AIロボットである。科学者である里子が、3年前に亡くした夫の川本裕を模して作ったものだ。それだけでなく、その夫の記憶や思考パターンまでインストールされている。05からすれば、自分は紛れもなく川本裕であった。しかし、そうではないということもわかっていた。川本裕も生前は科学者であり、AIと人間の違いは誰よりも弁えていた。だから、05と名乗った。決して人間ではないのだと自分を律するためだ。


「せめてテーブルを端に寄せられればと思うのだけど、私の力では……」

「なんでテーブルを寄せてしまうんだよ、君は君の生活をもっと大切にした方がいいぞ」


 里子は曖昧な返事をして、キッチンの足台に腰かける。どうやら諦めたようだ。05はため息をついて、「どうしてもっていうなら、テーブルを寄せてやろうか」と提案してみる。里子が何やら簡易食品を口にしながら、「あなたにはできないと思う」と簡単にその意見を切り捨てた。

「だってそのテーブル、とっても重いから」

「普通、ロボットは人より強い力とか持ってない?」

「あなたならそう造ったかもしれないけれど、私は必要のない機能をつけたりはしないわ……」

「なっ」

 意地になり、05はテーブルを力いっぱい押した。確かに、全く動く様子はない。

「せめて生前と同程度の筋力をつけてくれよ」

「大体生前と同程度だと思うけれど」

「君、俺の筋力なんて測ったことないだろう」

「でも昔私と腕相撲したでしょう。私の勝ちだった」

「負けて差し上げたんですアレは。当たり前だろうが」

 諦めきれない様子で、05はテーブルを押し続ける。なぜだかそれを楽しそうに、里子が見た。

 やがて05は顔を上げる。「……わかったぞ。俺はこのテーブルより軽いな?」と里子の方をうかがった。今更気づいたのかという顔で、里子は口元に手を当てる。

「軽量化した方が便利だから」

「えー……」

「だって。裕くんが病に倒れてから何度か抱き起したりしたけれど、もう無理よ。私も若くないもの」

「看護疲れを引き合いに出されると納得せざるを得ない」

 むう、と不満げに05はテーブルの上に飛び乗った。「お行儀が」と里子は目を丸くする。


「博士、前々から思っていたんだが君は料理をしなくなったのか? ずっと栄養補助食品ばかり口にしているな」

「……忙しくて」

「そうか。料理が趣味だったようだから残念だ」

「趣味だったかしら、料理」

「楽しんでたろ」

「楽しかったわ、裕くんはいつも美味しいと食べてくれたから」


 言葉に詰まった様子の05は、「ぐぐ……」と何か飲みきれないような顔をしてうつむいた。しばらく唸っていたが、いきなり顔を上げて「よし!」と口を開く。

「君、そうは言ってもまだその歳だろ。新しく恋でもしたらどうだ。大抵の男は、君の料理を美味いと言って食べるぞ」

 そうして、小さくガッツポーズした。「よし! 言えたぞ、やっと言えた。これぐらいのことは言えるんだよ俺だって……」と言いながら里子を見てぎょっとする。「うわ泣いてらぁ。びびびビックリ」と慌ててテーブルから降りた。

 里子は涙を拭いながら、「そうよね、いつまでもこうじゃダメよね」とうなづく。

「でも私、裕くん以外には角砂糖ほどの愛着も持てないのだけど。それでも恋ってできるかしら」

「うーん……まあ、最初は角砂糖ほどの愛着でもいいんじゃないか。恋ってのは育てていくもんだろう」

「そもそも男の人の知り合いがあまりいないわ。舘林くんとかしか」

「舘林はやめない? 川本裕の知り合いじゃない方がいいな、できればだけど」

 まあその問題はちょっと置いておこうか、と05は冷や汗を拭う素振りを見せた。


「俺は君のサポートAIロボットだ。料理ぐらい作って見せよう」

「へ?」




 05の作ったオムライスを食べて、里子は目を輝かせる。

「あら意外。美味しいわ」

「君はこと生活力に関して俺を馬鹿にしているよな。レシピという正解があって、その通りに作った料理が不味いわけないだろう」

 里子がパクパク食べ進めていくのを、05は見つめた。彼女が姿を、ただ見ていた。


「……ぜろごー?」


 音がするような覚醒。05は瞼を開けて初めて、自分が目を閉じていたことに気付く。

 眠っていた? 機械である自分が?

 あっ、と里子がいきなり立ち上がった。


「やっぱり。充電がないわ、05! 昨夜フル充電したはずなのに」

「……俺って充電式だったのかぁ」

「取扱説明書にも書いてあったかと」

「あれを読み進めるのも覚悟がいるんだよ」


 こっちへ、と言われ05も立ち上がる。しかしふらついて里子に支えられた。「ほら軽量化が役に立った」と彼女は嬉しそうな顔をする。

「今日は無駄な動きばかりしてるから電力を使ったのよ」

「無駄な動きだったか……」

 それで、と里子が05の表情をうかがう。

「今まであなたが眠ってからしか充電したことなかったけれど、どうかしら。空腹に近いものを感じる?」

「いや……どちらかというと、とても眠い」

「おかしいわね、空腹を感じるようにしたと思ったんだけど」

「それは無駄な機能というやつでは」

 聞かなかったふりをして、里子は05を寝室のソファに座らせた。「充電するわね」と声をかける。


「……博士」

「ええ」

「ケツがあったかいなぁ」

「座るだけで充電できていいでしょう」

「俺の充電口、ケツにあるのかぁ」


 ふふ、と慈愛に満ちた表情で「どうかしら? 満腹になる?」と尋ねた。05は自分の口に手を当てて、「そうだな……」と呟く。

「君は、元より満腹なところに無理やり食事をとらされる気持ちがわかるかな……食い放題で限界まで食った後プロテイン流し込まれてるみたい。端的に言えば吐きそう」

「吐かないわ。吐くものなんかないし、そういう風には造ってないから」

 それもそうだ、と納得しながら05は耐える。「でも次は、うんと気持ちよくなれるように調整するわね」と里子が肩をすくめた。それはそれで嫌だなぁ、と05はため息をつく。


「苦痛なのなら、やっぱりあなたは眠っていた方がいいわね」

 不意に里子は、05と目を合わせた。にっこりと笑って、口を開く。


「“おやすみなさい、あなた”」


 それは、毎晩彼女の声で聴く言葉だ。

「その言葉……」

 驚きというよりは呆れを多分に含んだ目で、05は里子を見る。しかし瞼は簡単に落ちた。


 強制スリープのパスコード。まったくどういうつもりだか知らないが、趣味が悪い。あの充実した、愛おしい日々を想起させる言葉。そして今からは、自分が彼女に手も足も出ないただの機械であるということを刻み付ける言葉だ。

 ああ、それでも。この言葉を聞くたびに自分を律していかなければ。俺は彼女のサポートAIロボットだ。それ以上のものにはなれない。


(おやすみご主人マスター。不思議な気分だな。俺は二度と目が覚めなくてもいいんだ。君の都合で俺のことを永遠に寝かしつけておくこともできるのだから)

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