第3話 これからの話

 とりあえず今後の話を、とコーヒーを淹れて椅子に腰かける。05ゼロゴーは取扱説明書をパラパラと見て、「後で見ておく」とため息をついた。


「なぜ俺の分までコーヒーを淹れた?」

「飲めるわよ」

「でもそのまま排出されるんだろ、どこからか知らないが」

「それはそう」

「無意味だな」


 私は僅かに眉をひそめる。「じゃあ私が飲みます」と自分の目の前にコーヒーカップを2つ並べたのは、どこからどう見ても滑稽だった。

「……怒ってる?」と尋ねてみる。彼は眉を八の字にして「怒ってない」と答えた。

「混乱しているだけだよ」

「怒っているように見える」

「それじゃあ言わせてもらうが、君も君だ。どうして川本裕に執着する?」

「……4番目のあなたは『俺も逆の立場なら同じことをする』と言っていたけれど」

 05は言葉に詰まった様子で「そういう話じゃない」と言う。私はコーヒーを一口飲みながら、「あなたたちを造り出したことについて罪悪感はあるけれど、そもそも裕くんがこんなに早く死んでしまうのも問題よ」と指摘した。

「だって一生を誓い合ったのだもの。それなのに結婚して十年やそこらで死んでしまうなんて、重大な契約違反と言えるのでは」

「じゃあそんな契約は反故ということにしよう。結婚をなかったことにするんだ」

「……仕方ないので不問にして差し上げます」

 ため息をついた彼が、諭すように「君は意固地になっているだけだ。川本裕にそれほどの価値があるものか」と言う。私はコーヒーカップを置いて、真っすぐに彼を見た。


「私はずっと裕くんに憧れていた。裕くんみたいになりたかった」

「お……川本裕に?」

「コーヒーなんて好きじゃなかったのよ、全然」

「それは薄々察せられることだったが、眠気覚ましに飲んでいるものとばかり」

「若いころのあなたが、何だか寝不足の顔をしてポケットに手を突っ込みながらコーヒーを飲んでいるのが好きだった」

「君、男の趣味が悪いと言われたことは?」

「幾度か。裕くんに出会うまでにはひどい人ばかりだったから」

「残念ながら裕くんもそこに含めた方がいい。俺が言えることじゃないけど……」


 カップを両手で持ち、「裕くんが映画に誘ってくれて嬉しかった。天にも昇るようだった」と呟く。05はきょとんとしていたが、やがて該当のデータを見つけ出したように「ああ……」と遠い目をした。出会った頃、初めて彼が私を誘ってくれた日のことだ。

 私たちは大学のゼミで出会い、交際を始めた。


 ふと私は「どうして私だったの?」と尋ねる。と同時に彼も「どうして俺にしたんだ」と口を開いた。


 空咳をした05が、「いや俺の方は順当だろう。君は当時、ゼミの中だけじゃなく大学のマドンナだった。俺が想いを寄せていてもおかしくはない」と話す。「想いを寄せていた? あなたが?」と思わず聞き返してしまう。

「何が驚きなんだ。俺が下心なしで君を誘ったとでも?」

「あの当時は、本当になかったのよ」

「いや、あったんだ。どうして君が俺の下心の有無を断定するのか知らんが」

 ふむ、と腕を組んだ05が「まあ確かに下心にかかわらず、あの頃の川本裕はあまり人間に興味がなかった」と苦い顔をした。そうでしょう、と私は思わず頷いてしまう。


「そんなあなたが、どうして私に声をかけてくれたのかが謎だった。いつから私に……その、好意らしきものを?」

「グイグイ来るなぁ」

「あなたに聞いておけばよかったと後悔した話なら数えきれないほどある」

「俺の話すことが川本裕の真実じゃない可能性は大いにあるぞ」

「それでもいい」


 そうだな、と視線を彷徨わせた05が「あの頃の俺と言えば」と口を開く。

「教授から『君はもうディベートに参加するな』と言われるほどの社会不適合者で、大学内外で孤立していたが」

「……? 孤立していた? あなたが?」

「不思議と君とはちゃんと話すことができた。普通にコミュニケーションを取れたのが君だけだった。だから君を逃すわけにいかなかったんだ」

 私は本気で戸惑ってしまって、「まずあなたが孤立していたという事実がない。いつの話?」と確認してしまう。05も困った顔をして「ずっとだよ」と答える。

「誰もあなたとディベートをしたがらなかったのは確か。あなたって討論になると急に攻撃的になるんだもの。でもそれ以外では人当たりが良かったし、人望もあったと思うわ」

「誰の話をしてる? それは君の……何というか、色眼鏡では?」

「……その可能性もあるけれど、でもあなたが孤立していたという事実は絶対になかったと思う。誰か第三者の意見を聞きたいところね。あのゼミにいた……舘林くんとかに」

「舘林はやめてくれ。俺と君の交際が始まってからというもの折り合いが悪い」

「嘘。ほんとに?」

 驚きの事実に私は目を見開く。舘林くんとは今でも交流があり、裕くんが死んでしまった時にも随分とよくしてくれたものだった。


 気を取り直して私は「推測するに」と人差し指を立てる。

「あなたにとって討論や意見を交わし合うことこそが“コミュニケーション”であって、それ以外のやり取りが記憶にないだけでは?」

「……そうだとしても、俺と“コミュニケーション”を取ってくれたのが君だけだったという事実は変わらない。俺は君と話すことが楽しかった」

 私は一瞬だけ目を閉じて、深呼吸をした。聞いておいてよかった、と思う。たとえこれがAIの生み出した架空の物語だとしても、提示された答えは私の心の穴をある程度埋めてくれるようだった。


 それで、と05は目をそらしながら続ける。「君はどうして川本裕なんかを?」と。

「裕くんはその当時から、厭世的でありながら決して内向的ではない、どちらかといえば朗らかに喧嘩腰……みたいな人だったけれど」

「嫌な男だな」

「そういうところが、無性にかっこよく見えた」

「やはり男の趣味が悪すぎるのではないか」

「……あなたの言うことはいつも革新的で興味深かったし。それはそれとして全面的に支持できるものではなかったけれど」

「君のそういうところ大好きだぜ」

「それと……笑い方が可愛らしかった」

「嘘だろ? 俺は女の子に『笑い方が気持ち悪い』って言われたこともあるぞ」

「それはそれは」

「蓼食う虫も好き好きというやつだな……」

 ふと05は頬杖をついて、「君は俺のことをよく見ていたんだな。俺はと言えば、君と話すのが楽しい自分のことしか考えていなかった」と呟く。私は笑ってしまって、「そうであったなら本当に嬉しい」とちょっとだけ泣いた。


 好きだった。本当に本当に、好きだった。

 今でも、彼との初めてのデートで待ち合わせ場所まで行くドキドキした気持ちを覚えている。彼はそっけなくて、話なんかほとんどしなくて、下心があるようにはとても見えなかった。彼は無口な人ではなかったから、そんなにも私は退屈な女だろうかと落ち込んだものだった。

 彼の恋人になった日は、信じられなくて何度も確かめた。指先に触れても拒絶されなかったから手を繋いだ。手を繋いでも拒絶されなかったからキスをせがんだ。キスをして初めて、どうやら本当にこの人の恋人になったらしいぞと浮足立った。

 失いたくなかったのに。何より失いたくなかったのに。


 05は言った。「俺が君のパートナーを造ってあげよう。最高のAIロボットだ。川本裕とは似ても似つかない姿で、川本裕とは違う思考パターンにしよう」と。私はぼやけた視界のまま彼を見る。

「それが出来たら君は、もう川本裕のことは諦めてくれ」


 そうね、と言おうとしたのに声が出なかった。代わりに『わかっていますよ』という頷きを見せる。05は表情を和らげて、「それにしても」と話を変えた。


「君と初めて見た映画って何だったかな。あの時はあんまり緊張していたもんで、映画なんか見ている場合じゃなかった」

「あなたも?」

「焦ってたよ。映画館を出ても、映画の内容をひとつも覚えていないんだ。普通は感想を言い合うだろ。俺は君のリアクションを見て、それに合わせようと思っていた」

「どうりで口数が少ないわけだわ。残念ながら私もそうだった」

「しびれを切らした俺が」

 興味深かった、と言ったのだった。今思えばあまりに浅い感想だった。なるほど、そもそも内容が頭に入っていなかったのか。


「無性に気になってきたな」

「私も」


 顔を見合わせ、どちらからともなく笑い出す。その日は仕事の話をせずに、DVDショップへ行くことになった。

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