第8話 闇の中の漆黒

 ジョー・カーティスがルナティックのパイロットとしてギルドに所属したのは二年前のことだ。

 ルナティックの操縦技術に自信があったジョーは、ランキングを登り詰めるのは容易なことだと思っていた。

 ランクを上げて名前が知られるようになれば、名前を指定で依頼が入るようになる。そこで依頼主に気に入られれば非公式に専属となり、得られる報酬が増える。そうなれば、ルナティックの独自の強化が可能になり、さらに上を目指せる。道筋は見えていた。

 だが、操縦技術に優れるだけでは、ランキングを上げることは出来ないと気付かされるのに、さほど時間は掛からなかった。

 指名を受けないうちは、同業者同士で報酬のいい依頼を奪い合うことになる。そこでは、依頼を達成する能力だけでなく、相手を出し抜く狡猾さと運が必要だった。ジョーはここで才能を発揮することができなかった。

 

 落ちぶれて底辺で燻るジョーに、ある日突然、月世界のアンダーグラウンドからの招待状が届いた。

 その依頼は時間と場所を指定し、「すべてを残し、戻らない覚悟があるのなら、ここに来てほしい」とのメッセージが添えられていた。

 危険な香りの漂う謎めいた依頼はジョーを魅了し、躊躇う余地を与えなかった。現状に何の未練もなかったジョーは、言われるままに月面に飛び出し、その場所へ向かう。

 ルナティックの出撃の準備をする格納庫で、もう戻らないかも知れないという悲壮感を醸し出したつもりだが、誰にも気に掛けられることはなかった。担当のメカニックも、顔見知りの仲間たちも、「どうかしたのか?」と言ってくれなかった。予想できたことではあるが。

 「こんな惨めな待遇とはおさらばだ。僕は選ばれたんだ!」

 

 月面の、昼と夜の境目が指定された場所だった。

 夜の側の、霧のような闇の中に佇む人影に、ジョーはすぐに気付いた。それがルナティックであるのはすぐ分かった。怖気づいたわけではないが、十分な距離を開けて月面に降りる。静かに砂塵が舞った。

 コクピットの中で、ジョーは無意識に息を潜める。メインモニターに拡大し慎重に様子を窺う。それは見たことがない姿で、全身が黒く、機体各所の装甲が異様に膨らんでいる。

 漆黒のルナティックはおもむろに跪いた。頭部ユニットを跳ね上げコクピットハッチを露出させると、そのまま暫く、沈黙が漂う。誰かが出てくる流れだが、いつまで経ってもそれはなかった。

 「まさか、乗り移れ・・・、ということか?」

 ジョーはライフルを構えた姿勢でにじり寄る。目前で、機体の大きさに気付いた。片膝を付いた肩の高さが、通常型ルナティックと同じくらいだ。艷やかな装甲には、通常の装甲にはない秘密が隠されているはずだと、直感した。

 ライフルを降ろし、漆黒のルナティックの左肩に左手を伸ばす。何の反応もないことを確認してコクピットから出た。

 その瞬間、見渡す限りの虚無に包み込まれた。圧倒的な孤独を感じながら、ジョーは黒いルナティックを見下ろしながら、力の限り叫んだ。

 「僕は選ばれたんだ!この機体がその証拠だ!」

 他の腕を伝い、漆黒のルナティックに乗り移った。コクピットから溢れる光が、ジョーを見知らぬ世界へ誘う。気がつくとシートに収まっていた。メインモニターに女性が映っている。ゆっくりとまぶたを開き、ジョーに語りかけてきた。

 「ようこそジョー・カーティス。この機体はウォーロック。あなたそのものです。私はエイミー。あなたのサポートを担当します」  

 エイミーは微笑み、戸惑うジョーが落ち着くのを待った。 

 

 しばらくして、完全に破壊されたジョーのルナティックが、ジャンクハンターにより発見された。その状況から、生存が望めないと判断され、レベル3遭難者として処理された。


 ウォーロックのコクピットの中で、ジョーは目を閉じ、初めてここに収まった日のことを思い出していた。あのときと同じようにエイミーの声が聞こえる。

 「もう一度繰り返します。今回の標的はギルドのランキングトップ、リッチー・ポットリーです。ジョー、聞いてる?」

 「相変わらずいい声をしているな・・・、聞いてるとも。今回は、軍の試作品を破壊しろ、じゃないんだな?」 

 「そう、それが私たちのスポンサーの意向よ。不満かしら?」

 「不満があろうがなかろうが、やるさ。目標に狙いを定めて撃つだけ・・・、だろ?失敗すればどうなるか分かっている。心の準備は出来てる」

 「弱気にならないで。あなたは必ず出来るから。それと、作戦の前に伝えておきたいことがあります。前の作戦でのことだけど・・・、ネム・レイスは知ってるでしょう」 

 ジョーは目を見開いた。

 「あれは、レイスだったのか?」

 レイスのことは、もちろん知っている。ギルドに所属する前にレイスの存在は知らなかったが、その名を知った時のはもうずっと上に行っていた。実力の違いを思い知らされた相手の一人だ。

 「そう、近接戦闘の天才レイス。分の悪い相手だったの。気休めにしかならなかも知れないけど、あなたじゃなかったら無事に戻れてないわ。自信を失う必要はないのよ」

 ジョーは聞いていない。

 「そうか、レイスか。あれはレイスだったのか」

 ジョーの表情に生気が戻り紅潮していく。   

 「不意を突かれなければもっと戦えた。その手応えがある。純粋なルナティックの操縦のセンスなら負けないことを証明してやる・・・!」

   

 月面を低い高度で、黒い船が進む。ウォーロックと同様の設計思想で、スラスター噴射が出す光はほとんど隠されている。

 上甲板のハッチが開き、ごく僅かに船内の光が漏れる。そこからウォーロックが飛び出すとハッチは閉じられ、船はどこかへ飛び去った。その場に取り残されたウォーロックは急上昇し、ぐんぐん高度を上げていく。そして、軽々と、ルナティックに設定されている制限高度を突破した。

 


 ネム・レイスがG4格納庫に現れたのは三週間ぶりだ。主を待ち続けた自らのルナティックを見上げていると、それに気付いた、別の機体を整備しているメカニックのイシムラが声をかけてきた。

 「生きてたとは驚いた」

 「幽霊かも知れません」

 「そういや、お前は幽霊野郎って呼ばれたっけな」

 その名前と風貌と戦い方から、幽霊野郎と呼ばれることがあるのをレイスは知っていた。そう呼ばれることは別に嫌ではなないし、どうとでも呼べばいいと思っていた。

 「なんとでも言ってください。結構気に入ってます」

 雑談をしながらタラップを登り、コクピットに飛び込んだ。出撃前の儀式である最終チェックを始める。

 「今日は何するんだ?装備はどうする?」

 「お呼びが掛かりました。相手はトップです」

 装備変更のアームを動かすパネルを操作しながら、イシムラは苦笑いする。

 「早速か?トップを金で買ったとか言われているが、見縊るなよ。裏工作だけで勝ち続けているとは思えない。あいつなりに十分な準備をして待ち構えているはずだ」

 「それを確かめてきます」

 レイスは機体の電源を入れた。スクリーンに周囲の映像が映し出される。メンテナンスカートに乗るイシムラがメインモニターに映し出される。イシムラは「贈り物をどうぞ」という手振りを見せた。スクリーン越しに、ワイヤーフレームで描かれた機体の左手を見てみると、何かを持たされている。サブモニターに詳細を表示させると、それは、装弾数三発の使い捨てグレネードランチャーだった。

 「ミロクのスタッフが稼働データの吸い上げに来た時、置いてったんだ。たまには新しいおもちゃで遊んでみろ」

 機体が重くなるのを嫌うレイスは、引き受けた依頼の殆どを、ミドルレンジライフルと予備弾倉のみで熟す。それは、そうすることにこだわっている訳ではなく、必要があれば武装を追加するつもりではいる。

 今回は相手も場所も分かっているが、不確定要素は残されている。イシムラが、オーダーなしに武装を追加するのは稀なことだが、その勘に助けられることはしょっちゅうだ。

 「使ってみます。ランチャーは捨てていいんですよね」

 「そうなってる」

 操縦桿を荒っぽく操作して最終チェックを済ませると、機体をフル稼働状態にする。ふかふかだったシートが適度な硬さになり、レイスの下肢を包み込む。

 「じゃあ、行ってきます」

 背後の扉が開き、ルナティックが乗っているベースごと引き込まれる。扉が閉まる時、手を振るイシムラが見えた。

 エアロックを抜け、一気に外まで出られるルナティック専用の通路に運ばれた。通常はエレベーターで外まで運ばれるまで待つが、レイスはルナティック一機がギリギリ通れる通路を、スラスター全開で飛び抜けた。

 月面に飛び出したレイスは、グレイロビー宇宙港全体が視界に入る高度まで舞い上がり、招待状を寄越した相手が待ち構える、テストエリアへ向かった。


  軍が、演習や戦闘が予想されるエリアを進入禁止に指定すると誰も寄り付かなくなるが、ギルドが指定すると逆に人が集まる。そこでは、ムーニーたちの娯楽のひとつであるルナティック同士の果たし合いが行われる。

 テストエリアを取り囲むようにギャラリーが集まっている。暇な同業者のルナティックや民間機、たまたま近くを哨戒していた軍用機も降りてきていた。

 軍用機の機体に「SW」のマークがあるのは、グレイロビー駐留軍スワール隊の所属であることを示す。

 グレイロビー宇宙港に設置されている、ライブカメラや監視カメラが何台かテストエリアに向けられ、月世界の各都市や地球にも映像が配信される。


 ギャラリーが取り囲む灰色の中で、孤独に立ち尽くす派手なラッピングを施された機体の頭上を、レイスは彗星のように飛び越え背後に着地した。そして、相手と同じタイミングで振り向き正対した。

 派手なラッピングには見覚えがある。最近、新発売された清涼飲料水「ポットリー・ドリンク・ネオ」のロゴだ。

 ラッピングルナティックのパイロットは語り始める。

 「来てくれてありがとう、レイス。僕はリッチー・ポットリー。僕のことを金でトップを買っただけの、ただの金持ちだと言う人がいる。この評価に僕の心は大変傷ついている。確かに僕には素敵な仲間がいて、たまに助けてくれる時がある。そう、たまにだ!常に、じゃないんだ!それなのに、誰も僕を認めてはくれない。だから、僕は努力でここまで登り詰めたことを証明しなくてはならない!」

 レイスは「どうぞご自由に」と、言いながら、ロックオンサイトに捉えたリッチーの機体を観察する。機体そのものは強化されてはいなさそうだが、武装は明らかな強化品だ。どれもこれも、開発元のミロクのカタログには載っていない物ばかりだ。

 「そこで、レイス!君を倒して実力を証明して見せたいんだ。手伝ってくれるだろう、レイス!」

 レイスに返事をする暇を与えず、リッチーは全武装を一斉に撃ちまくった。

 両腕の、タイプの違うライフルと、左肩の自動標準のガトリング砲、右肩の150ミリ砲が同時に放たれた。凄まじい迫力で迫りくる弾幕を、レイスは左に飛んで躱した。リッチーの機体は全武装一斉発射の反動を受け止めきれず、バランスを崩して後ろにのけぞった。

 レイスがこの瞬間を見逃すはずはなく、条件反射のように鋭くグレネードを撃ち込む。

 グレネード着弾の直前、ギャラリーの中の一機が飛び出しリッチーの前に躍り出た。グレネードはその機体に命中し炸裂した。   

 想定された展開に驚きはない。着地したレイスはすぐにジャンプし、低い高度を維持しつつ次の攻撃のチャンスを窺う。

 リッチーを庇ったルナティックは盾を構えていて、グレネードの爆発を耐えきった。盾はボロボロで次の攻撃には耐えられそうにない。

 スピーカーから、リッチーが、助けに入ったルナティックのパイロットと話す声が聞こえる。

 「ギャルソンか!?」

 「リッチー様、ご無事ですか?御母上の指示で助太刀に参りました」

 「助けなど必要ない!邪魔をするな!そこをどけ」

 「成りません。今回の相手は、今までとは違います。リッチー様御一人ではとても敵いません。助太刀いたします!」

 「その必要がないことを証明するための戦いだ!どけ!」

 「そうはいきません!」

 二人が揉めているところへ、容赦なく二発目のグレネードを撃ち込む。ギャルソンはボロボロの盾を捨て、その身を盾にしてリッチーを庇った。機体は中破し崩れ落ちる。その向こうから、リッチーの自動標準ガトリング砲が弾をばら撒くが、精度を欠く。

 レイスは動き回りながら、使い慣れたライフルでリッチーの左肩を狙い撃った。ガトリング砲もろとも左腕が吹き飛んだ。

 これで、ほとんど勝負は決したが、ギャルソンが崩れ落ちた機体の中で、「セバスチャン!」と叫ぶのを聞いた。と同時に、サブモニターが、ギャラリーの中に不穏な動きをする機体を映し出す。

 「そりゃ、いるよな」

 やや不利な状況を察したレイスは、咄嗟にテストエリアを飛び出しギャラリーの中に紛れ込んだ。

 場外乱闘に慣れっこのギャラリーたちは、盾にされるのを嫌がり、次々に散っていく。そこに、体勢を立て直したリッチーの右肩のキャノンが放たれる。

 「僕の邪魔をするな!」

 「あんたは、少し遅い」

 弾速が遅い砲弾を躱すのは容易い。すぐさま反撃のグレネードを撃ち込み、空になったランチャーを投げ捨てる。あとは一瞬後に訪れる着弾の瞬間を待つだけだ。

 しかし、その刹那、リッチーは何者かの攻撃を受け頭部を破壊された。後ろに倒れたことで、グレネードは外れ何もないところで炸裂した。

 レイスは、状況を理解できないながらも、もう一人の仲間のセバスチャンを狙おうとするが、セバスチャンも何者かの攻撃に依り、腰を撃ち抜かれ、機体は大破し崩れ落ちた。

 

 戦闘は突然終わりを告げ、静寂が訪れた。

 

 どこからかの狙撃だ。その狙撃手のいる方向も、正体もだいたい分かる。レイスは振り向き、遥か上空の暗闇を見上げた。

 

 

 「あいつ・・・、僕を見ている・・・」

 ウォーロックのコクピットの中でジョーは、レイスの視線に、正確に射抜かれていると感じた。寒気を感じた気がしたが、これは武者震いだと自分に言い聞かせた。

 ロックオンサイトはレイスの機体を捕らえ、コクピットブロックに狙いを定めている。超長射程ライフル「ライトニングスタッフ」のトリガーに掛かる指に力が入る。しかし、引き絞ることなく力は緩み、トリガーから外された。

 「撃たないの?」

 「撃つもんか。今回の目標じゃないんだろう」

 「そうね。じゃあ、別の機会に」

 「あいつを仕留めるときには、目の前で、僕の存在を明らかにした状態で撃つ。僕に倒されたことを思い知らせてやるんだ」

 「出来るの?」

 「やるさ。やってみせる」

 ジョーの強い意志表示にエイミーは満足し、微笑んだ。しかし、それも一瞬だった。

 「それから、言っておきたいことがもうひとつあるの。レイスとの交戦の後、あなたを追ってきた軍の機体についてだけど、あれは・・・、ルグラン・ジーズ」

 ジョーはその名が、何を意味するのかを知っている。      

 「ルグラン・ジーズか。軍のエース。そして、君の・・・」

 「ここで個人的なことを言ってはいけないのだけど、私は、あなたの手で葬られることを願ってます」

 ジョーは、エイミーの寂しげな眼差しを受け止めた。

 「ルグランもレイスも、僕が葬ってやる。そして、エイミー。君を自由にしてやる!」

 ジョーはこの言葉を、口に出して言う勇気がまだなかった。

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