第99話 ルベド・アルス=マグナという剣

 ルベドが背を向け、去った後の研究室。誰もいなくなり、寂しくなったその部屋でイルシアは溜息をついた。


「今になって、どうして……。お前は充分、私から大切なモノを奪っただろうに、ホーエンハイム」


 問いかけに答えるモノはいない。唯一問いに何かしら答えそうなルベドも、彼女自身が追い出してしまった。


「……今更、関わりたくなど――いいや、ヤツが生きていたのなら、存在ごと抹消するのは必然の理。生きていていい男ではない。でも――」


 イルシアは一拍置いてから、溜息交じりに呟いた。


「ヤツを殺す為に、ルベドを使う――いや、力を貸してもらうワケにはいかない」


 ヤツとの決着は、この手で付ける必要がある。そう力強く言ったイルシアは、ガサゴソと研究室内を漁り始めた。暫くああでもないこうでもないと探していると、漸く目当ての代物を見つけた。

 

 水銀の刃を持つバゼラードだ。芸術的な美しささえ持つ、骨董品のような代物だ。注目すべきは、柄の部分に「Azoth」と彫られている点だろう。

 

「私が、私自身が殺すのだ」


 イルシアの声は、確かに決意に満ちていた。



 

 ――その日の夜。イルシアはその短剣と荷物を手に邸宅を去った。人気のない夜のセフィロトを歩き、中央区から出発する特別急行列車に乗り、外部から転移を行う手筈だ。


「……」


 遠くに輝く月を眺め、イルシアは夜に冷えた息を吐きだした。

 久しぶりに――いや、思い返せば初めて自分で、己で戦う事になる。戦い方など知らないが、自分が創り出した数々の魔導具やアーティファクトでどうにかするしかあるまい。

 これはケジメ。自分でつけるべき決着にして落とし前なのだから。


「――どこ行くつもりなんだ、イルシア」


 そうして決断をした途端、自らの最高傑作の声が響いた。


「うひゃ!?」


 思わぬ出来事にイルシアは奇妙な声を上げて飛び上がる。どうにか気を取り戻すと、キョロキョロと周囲を見回す。


「ここだ、ここ」


 再度、呆れたような声が響く。声は近くの家屋の屋根より響いていた。見上げると、そこには月光を背にして立つ、黒狼の獣人のキマイラ――名の通り紅い瞳を夜闇に輝かせる、ルベド・アルス=マグナの姿があった。


「る、ルベド……」


 まるで盗み食いがバレた子供のような声で、ルベドの名を呼ぶイルシア。当のルベドは一つ嘆息をしてから音もなく飛び降りた。


「イルシア~!」


「ドコイクノ? ドコイクノ?」


 スタっと着地を決めたルベドがイルシアの目の前に来ると、彼の尻尾であるオルとトロスが満面の笑みを浮かべ、シュルシュルと纏わりついてくる。寂しかったと、身体で表現している。


「むぅ……」


 一人で何とかする、と決めた矢先の出来事にイルシアは思わず唸る。――とはいえ、やはり家から出るというのは引きこもりイルシアには壮大な冒険だった故、慣れ親しんだ蛇達のじゃれつきに無意識に応じてしまう。


「イルシア、何で一人で出てこうとしたんだ?」


 じゃれる蛇達に気を遣いながら、ルベドが近づいてくる。予想していた質問だったが、イルシアは頭を悩ませる。


「……」


 何といえばいいか、分からない。だからイルシアは黙りこくってただただ、沈黙する。そんなイルシアを見てどう思ったのか、ルベドは嘆息の後屈みこんで、視線を合わせてくる。


「セフィロトが嫌になったか? 確かに、ここは俺もそんな好きじゃない」


「……」


「また、旅暮らしにでも戻るか? それとも、あの森に帰るか?」


「……」


 てっきりこっぴどく叱られると覚悟していたイルシアは、予想外に優しいルベドに違和感とある種の恐怖を感じながら、俯いて黙っていた。

 そんなイルシアを見て、ルベドは溜息をつく。その後、彼は僅かに牙を覗かせながら微笑んだ。


「イルシア」


 優しく微笑んだまま、ルベドは柔和にイルシアの名前を呼ぶ。普段とは全く違う態度に、思わずイルシアはドキリと心臓が鼓動するのを感じ、肩を震わせた。


「……それはちょっと、ズルいぞ君」


 顔が赤らむのを感じて、イルシアは後ろ手を組んでもじもじとする。なけなしの決意は、ルベドの態度で消し飛んでしまった。


「何しに行くつもりだったんだ、イルシア」


「むぅ……」


「――ホーエンハイムか?」


 図星を突かれたイルシアは、ビクリと肩を震わせてルベドを見上げる。


「な、何でそれを! わ、私、君に無意識に話したりでもしたか? ……はっ、もしかして〈思考盗聴ソートジャック〉とかの魔法を――」


「何もしてないって」


 普段は鉄面皮も鉄面皮だが、今日は表情が多く歪む。まるで大盤振る舞いだ。彼は苦く微笑むと、腕を組んでイルシアを見下ろす。


「ま、流石にさっきのは分かりやす過ぎる」


「ヤススギ、ヤススギ!」


「オ見通シナンダゾ!」


 ルベドの自慢げな声と、追従するオル・トロスの可愛らしい叫びがイルシアに小さな敗北感を与える。イルシアがルベドを出し抜くなど、はなから不可能だったのだ。


「――それ、始終剣アゾットだろ? 一人でホーエンハイムと戦いに行くつもりだったのか」


 ルベドが指差したのは、イルシアが腰から提げている小さな剣。水銀の刃を持つ、バゼラード程の剣。

 始終剣アゾット。――ライデル最古の文明の言葉で、「始まりであり終わり」を意味する。現代においてはαにしてΩ、とも訳される古文であろう。

 

 この短剣の石突には、試作品の賢者の石が嵌められている。かつて、神聖グランルシアに所属していた頃のイルシアが、ホーエンハイムと共同の研究で造り出せた賢者の石の試作品。失敗作でもあるが、秘めたる力は並みのアーティファクトを凌駕する。


 試作品の「石」を錬成した時、「Azoth」の名を与えた。この成果は、我々にとっての始まりにして終わり――大いなる黄金錬成アルス=マグナへの第一歩であり、目指すべき最終到達点という意味を、与えたのだ。


 かつての同僚、或いは仇敵、或いは友とも呼べる男と造った剣を持ち出し、殺しに行く。それはイルシアなりの覚悟であり、今度ばかりは自らの手を汚さねばならないのだという、答えだった。


「……そうだよ。私は、ホーエンハイムに酷い目に遭わされている。多くを奪われもした。だから、今度ばかりは私が手を下さねばならないのだ」


 我知らず震える声を抑えるように、イルシアは両の手をガッシリと握り囁く。

 そうだ、これは必要な事柄。過去の亡霊が未だに後ろ髪を引くようならば、その手を断ち切ってしまわねばならない。


「……それは結構な事だが、お前、剣なんて使えないだろ」


 イルシアの話を静かに聞いていたルベドだが、ジト目を向けながら懸念していた事をグサリと刺しこむ。


「うっ!」


 イルシア自身酷く心配だったことを指摘され、攻撃されたかのような声を出す。

 

「……わ、私は魔法も使えるんだぞ。しかも結構派手な攻撃魔法も」


「お前、攻撃魔法なんて何年詠唱してないと思ってるんだ」


「うぅ……その、この剣以外にも、沢山アーティファクトや魔導具も持っていくし」


「相手も錬金術師なんだろ。しかも相手の場合は本拠地だ。対してお前はアウェー。万全の準備と時間は錬金術師の味方だって、イルシアが何十年前かに言った事だぞ」


「うぐっ……」


 何を言っても悉く言い負かされてしまうイルシア。涙目になりながら、そういえばルベドに口で勝てた事など無いというのを思い出す。


「イルシア」


 涙目になったイルシアを慰めるように、再度優しく名前を呼ぶルベド。

 

「俺はお前の最高傑作なんだろ? だったら、せめて連れて行ってくれよ」


「……!」


 最高傑作。その言葉が忽ちイルシアの心を捉える。


「お前が自ら手を下したいと望むなら、俺に止める道理も理由もない。だが、道具として、このライデル最強の錬金術師、イルシア・ヴァン・パラケルススの最高傑作として、お前が錬成した数々のアーティファクトの末席を穢すことくらいは、許してほしい」


「ルベド……」


「俺がお前のアゾットになる。お前の剣は俺だ。鞘から抜き放ち、敵に突きつけてくれ。さすればどんな相手だろうと、必ずや斬滅して見せよう」


 静かに、されど強かにそう告げるルベド。彼の紅い瞳は何時になく真摯にイルシアを捉えていた。

 

「イッショ、イッショ!」


「オイラ達ト、イルシアハ、ドコデモ一緒ダゾ!」


 応じるように、オル・トロスも優しく笑いながら同意する。

 この地上で最も信頼する存在からの、この上ない言葉を聞いたイルシア。彼女は目を閉じ、一つ呼吸をしてからルベドを見据える。


「分かったよ、ルベド。――いや、我が最高傑作、ルベド・アルス=マグナ」


 一拍おいて、今か今かと待ち焦がれている最高の従者に、言の葉を投げかける。


「これより命令を下す。私に同行し、過去の小さな因縁を払う為、力を貸してくれ」


 イルシアの命令を聞いたルベドは、膝をつき、目を伏せ、胸に手を当てて恭順を示す。騎士の誓いよりも遥かに真摯な姿だった。


「命令、受諾した。我が主、至高にして絶対なる錬金術師、イルシア・ヴァン・パラケルスス。必ず、御身の手に仇敵の首級を」


 絶対なる宣誓と共に顔を上げ、紅く輝く瞳を見せるルベド。その輝きは、確かに刃のような煌めきを覗かせていた。













あとがき

いいねが5000を超えました。読者の皆様方のお陰です。ありがとうございます。

また、星や応援コメントも励みになっております。重ねてお礼申し上げます。

更にはカクヨムサポーターギフトも頂きました。この場を借りまして、お礼申し上げます。

今後とも、「外道錬金術師」をよろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る