第98話 グランルシアのイルシア《後》

「昔、大昔の事だ。まだ私が神聖グランルシア大帝国の研究員をしていた時。その頃の同僚に、ホーエンハイムという名の男がいた。――ノストラム・ホーエンハイム。優秀な男だったよ」


 思い出すように、遠くを眺めるような視線をして、イルシアは昔の事を語り出した。我が主人たる彼女が大帝国時代の話をするのは珍しい。昔の話が出ると彼女は決まって不機嫌になるし、普段見ないような、底知れぬ怒りを覗かせるから、絶対に聞いたりはしなかった。……今までは。


「そうか。ホーエンハイム……彼の家系が帝国に――いや、アレは子孫に自分の研究を託せる程、人間的ではない」


 そう呟くと、イルシアは会話から独り言へと発言をシフトさせていく。彼女のいつもの癖、思考に入り込むとなってしまう独白。普段の会話なら質す事もあろうが、今のイルシアにそれをする気にはなれなかった。


「……同一人物」


 底冷えさえするほどの声音で、イルシアは呟く。


「そうだ。アレは、私と同じ人格破綻者……他人に、血の繋がった家族にさえ、自らの証たる研究を譲れるような、まともな存在ではない。必ず、私と同じような発想になる。――では、どうやって?」


 イルシアは顎に手を当て室内をゆったりと歩きながら思考する。俺は彼女の思索の邪魔をしないよう、足音一つ立てずに一歩下がる。普段は騒ぐ蛇共も、流石に気配の変化を察したのか、ずっと黙っていた。


 イルシアはそうして思考に耽っていると、やがてピタリと止まる。止まったのは俺を収容し、調整などに使用するホムンクルス用の巨大なフラスコ。彼女はそれを撫でた後に呟く。


「ホムンクルス……。そうか、ホムンクルス」


 ホムンクルス。その単語を何度か繰り返した後、得心した様子で一つ頷くと、イルシアは俺に向き直った。


「ホムンクルスだよ、ルベド」


「………何が、だ?」


「私が私の研究を私以外に譲らないのと同じように、ホーエンハイムも自己で完結しようとする男だった。ならば、当然両者共々、自己完結の究極系へと至ろうとする。――不老不死だ」


 そう呟いたイルシアは視線を俺用に調整されたフラスコに向ける。


「私の不老不死が、自己存在の永久維持。だがヤツは、自己という存在の存続を綿密と続ける仕組みを作る事で、己を永劫の存在とした」


 イルシアは俺の周りをクルクルと歩きながら語る。


「通常、ホムンクルスの鋳造には元となる遺伝子情報が必要なんだ。ホムンクルスは魔導生命ではあるけれど、フラットな状態であれば通常のヒトと――元になった存在とさして変わることは無い。そも、男女が交わり、母の子宮で育ち産み出されるという事象を、魔法で代替するのがホムンクルス技術の始まりだからだよ」


 遺伝子が必要なのはそのため。イルシアはそう更に付け足した。

 この辺りの話はまだ俺にも分かる。……俺自身、ホムンクルスの技術を用いて創造されている故。


「つまり……そのホーエンハイムとやらは、イルシアにとっての仇敵で、今の今まで生き長らえていた。ホムンクルス技術の一つ――自分の遺伝子から同一因子素体、俗にいうクローンを創り、永らえてきた」


「そうだ。……私達は魂の研究も行っていた。如何にして生命を、その神髄たる魂を永らえさせるかという研究だ」


 イルシアは遠い目をして再び語り出す。


「肉体が死ねば、魂を保護する外殻が消え、消滅してしまう。故にこそ、エルフなどの長命なる種族は、それなりに長く生きられる。つまりヒトの肉体とは異なり、魂というのは経年劣化しないんだ。――魔力という、純粋なエネルギーの塊なのだから、ある種当然やもしれないけど」


 そういったイルシアは机に山積みになっている資料の中から、一枚の紙を取り出し投げた。視線だけ走らせ読んでみると、内容は魂の研究のようだ。


 魂とは経年劣化しない完全存在であり、それを過不足なく新たなる「器」に定着させれば、命を延命可能という内容だ。

 そしてそれを行うには、出来るだけ元の肉体の情報と近似した器を用意する必要がある。輸血の拒否反応があるように、魂と肉体にも拒否反応があるのだという。人体実験の反応も正確に記述されていた。


 よくもまあこんな研究のレポートを雑に放っておけるな。重要な情報なのだから、然るべき保存をしておくべきだろう。などと思った俺は視線をイルシアに戻す。

 

転魂ソウルシフト――グランルシアでの、私達が行っていた魂の研究の名だ。とある研究での三例の成功を元に、私とホーエンハイムが共同で進めていたプロジェクト。そうか、彼は実用化していたのだな。そうして今日まで生き延びてきた」


 そう言ったイルシアだが、突然はっとした顔になる。何かに気が付いたような様子だ。

 

「ルベド」イルシアは俺に向き直り鋭く問う。「マーレスダ王国について、確か実験資料を読んだとか言っていなかったかい?」


 イルシアの問いかけに、俺は暫しの間悩む。悩んだ末、思い出した。


「ああ……確かに、ヘルメスとの潜入の際に読んだ記憶がある」


「そうか……」


 安心したような呟きを発するイルシアは、どこからか紙とペンを用意し俺に渡す。


「………これは?」


「記憶領域にアクセス、サーチ。ワードは『マーレスダ王国』『魔人兵』『パラケルスス』だ」


 予想はしていたが、やっぱりか。俺は渡されたペンと紙を見て思う。

 俺は生物兵器、当然の機能として記憶は機械のように絶対保存される。とはいえ、記憶に賢者の石のリソースを割き過ぎるのはよろしくないので、人間の脳みそと似た造りで保存される。

 

 ヒトの記憶は使わないモノを長期記憶として保存し、余分なモノを忘却する。俺の場合は、必要ないと俺自身の人格が無意識下で判じたモノを、記憶領域に保存する仕組みになっている。保存された記憶を呼び起こす場合、データベースにアクセスしサーチすればよい。ネットサーフィンの要領だ。


 イルシアが言っているのは「その機能を生かし、検索し浮かび上がる情報を記述せよ」という事だ。

 これはちょっと疲れる(気分的問題)のだが、主人の命とあらば是非もない。


管理者権限アドミニストレータ受諾。記憶領域にアクセス、指定のワードをサーチする」


 神経伝導の速度を遥かに上回る処理で自分の記憶を洗い出す。然したる労も無く、該当のデータを発見した。


「該当データを確認。保存日、新生歴553年5月2日『マーレスダ王国秘匿研究#1』。アウトプットを開始」


 機械的な宣告と共に、俺は浮かび上がった情報を超越的速度で紙に記述していく。書き終えては次の紙に書くという行為を何度も繰り返した後、手を止める。


「アウトプット終了。査収してくれ、イルシア」


 纏めた紙束をイルシアに渡すと、彼女は待ちかねたように目を通し始める。


「……ふむ。『かの錬金術師パラケルススが遺した技術を以ってホムンクルスと魔族の融合を行った』……『終ぞ錬金術師が行った魔人兵ほどの存在は錬成できなかった』」


 イルシアは時折声に出しながら読み進める。その表情はいつになく真剣そのものだ。

 暫く無言で読み進めていくイルシアだが、突然手を止め一点の文章をまじまじと見つめる。


「……『記憶継承の技法』か。……残念な事に、私の考えは間違っていないようだね」


 気になった文章なのだろうか、俺が提出した書類を読んでいたイルシアがそう呟く。

 

「考え、とは何だイルシア」


 流石に気になったので、俺はイルシアに問いかける。彼女は手に持った書類をパサリと机に置いた後、語り始めた。


「マーレスダ王国は神聖グランルシア大帝国を起源とする海洋国家だ。その国土は極小であり、国力は零細と言わざるを得ない」


 だからこそ、とイルシアは続ける。


「おかしいんだ。あの程度の国力じゃ、例え起源があの大帝国にあれど、私の研究を劣化とはいえ模倣することなど出来ない。ホムンクルスの記憶継承技術がいい例だ。アレは、転魂ソウルシフト技術の劣化版。――協力者が、情報の提供者がいたんだ。研究の出資者と言ってもいいかもしれない」


「……もしかして、それが」


「ノストラム・ホーエンハイム。現在の名はルルハリル・ホーエンハイム。グランバルト帝国を隠れ蓑に、恐らく各地にテストモデルたる研究が行われていたハズだ。その一例がマーレスダ王国。――研究室での実験にも限界があるからね、よりリアルな形でデータを得たいと思うのは、錬金術師として当然の心理」


「……待て。なら、マーレスダ王国っていうのは、ホーエンハイムによるドデカい実験室みたいなモンだったのか?」


「そうだろうね。特異な環境に、セイレーンの存在。そして、国力と国土の小ささ。テストモデルにするには絶好の条件が揃っている。……あの時から、私とニアミスをしていたのか」


 そういったイルシアは頭を乱暴に搔きむしる。苛立ちが伝わってくる。


「グランバルト帝国はヤツにとって、体のいい実験室に過ぎない。金と材料と場所を提供するだけのね。マーレスダ王国もそうだったのだろう。――マーレスダの魔人兵。ブリューデ大森林での魔力爆発。ホーエンハイムが兵器に転用した事件は、わかっているだけでも二つある。ヤツと私達がニアミスしていたのだ。いる事に気が付かなかった自分に苛立つよ」


 そう話すイルシアの表情は鬼気迫っていた。焦っているといってもいい。イルシアの心をこれほどまでに乱すホーエンハイムなる存在。やはり、早々に排除しなければならない。


「なら、早速始末に向かう。ホーエンハイムとかいうのがイルシアとどういう関係だったのかは知らないが、お前にとって生きていていい人材ではないだろう」


「……」


 そう言って見せるが、イルシアの表情は浮かばない。何かを考えているようだ。


「……少し、待ってくれ。何分考える事が多い。すぐに結論を出すと思うから、少し一人にしてくれないか?」


 イルシアは申し訳なさそうな表情で、俺にそういった。そう言われれば素直に引き、待機するのが役目だ。俺は頷き、彼女の研究室を後にした。イルシアの表情、そして背中に言い知れぬ不安を感じながら。















あとがき

これで100部目となります。長い間拙作を読んで下さってありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る