第90話 高原明朝

 アデルニアの緑豊かな大地が、徐々に荒涼としていく。色が褪せていくように、緑が灰へ、灰が白へ。その大地を往くは、魔導技術の胎より生み出された機械と、それを繰る兵士達。彼らの頭上に差した巨大な影は、神話の箱舟にも似た鉄の船だった。


 ――第一魔導飛空隊と、その地上に追従する侵攻軍。機械化歩兵、工兵、従軍医療兵――様々な兵科と兵站を抱えながら、飛空隊に追従出来るだけの理由はやはり、装甲車や重輸送車の影響が大きい。

 帝国本土であれば、舗装された道によって一般的な車輪でもさして苦労することなく、移動が可能だろう。


 だがアデルニアとアズガルドは、当然の如く帝国ほど舗装も整っていない。レン高原に至っては、車両での移動などほぼ不可能だ。

 だからこそ、帝国の魔導技術はそれを解決する方法を考え出した。

 

 一つは飛行兵器。そしてもうひとつこそ、移動補助兵器である。

 獣道すらない平原、或いは俗に悪路と呼ばれるような移動経路。そこを車両で移動する場合の対策である。


 補助兵装〈ククロプスの鉄槌〉――装甲車等の先頭に設置する魔導兵器。前方に術式を投射し、先の道を舗装する。

 工兵などが用いる元素系統の〈硬質化ハードニング〉〈強化リーンフォース〉等の魔法は、工事や塹壕敷設と様々な用途に用いられる。こうした術式を帝国では工兵魔法と呼び使用している。


 その工兵魔法を用いて悪路を舗装する兵器。これを以て、アデルニアやアズガルドの自然的な悪路を大軍が走破したのだ。

 

 ……帝国において魔導師の大部分が、工兵や治療兵として用いられる。満足な攻撃魔法が行使できるほどの魔力を持つ者は帝国では稀であり、他国では花形とされる攻撃魔導兵も非常に少なかった。


 人体の治療行為に伴う魔法は繊細であり、緻密な操作を要求される場合が多々ある。魔導科学で代替となる技術は開発されつつあるが、未だ「それ」はヒトの技とされていた。

 

 だが一つ間違えば命を奪い兼ねない治癒魔法より、建設や工事は魔導技術に転用し易かった。魔導兵に工兵の座が多く置かれているのは、単純に必要だったからだ。

 そして必要故、魔導技術は工兵魔法を高効率運用する為の兵器を作り出した。


「大気の魔力濃度上昇……間も無く、レン高原に突入します」


 レン高原上空、旗艦ヨハネ。融通の利かない空調に暖められた室内で、オペレーターが静かに告げた。

 

「噂通りだな。灰のような雪原、神秘の隠匿に包まれた白銀。――ふん、さもしい光景だ」


 眼下に広がる光景に、冷たく一瞥するのはリヴィト准将だ。彼ら帝国が望むのは豊かな土地。聖国の地は魔力こそ豊富だが、見ての通り荒涼としている。聖国は長年の仇敵ではあるが、引き換えに手に入るのがこの不気味で面倒そうな場所。――アホらしくすらある。


「これだけ魔力が満ちていれば、主砲やその他の兵装も十全に扱えます。それに例の――」


「あの忌々しいホーエンハイムが、急に送り付けて来たブツか。全く、ワケの分からないモノを押し付けられる身にもなってみろ」


「……そう怒らずに。確かに使途不明の兵装が多く、中には、その――気色の悪いモノもありましたが、例の魔導兵装は抜群に効果的なハズです」


 そういって宥める副官の声を聞いて、リヴィトは鼻を鳴らす。忌々しくも納得が行ってしまったのだ。

 

「……ふん。分かっている、俺とて、私情を任務に交える気はない。して、例の兵装らは使えるのか? 取り扱いは問題無いのか?」


「同時に転移してきた随行員が運用法を心得ています。兵器としての操作も、そう難しいモノではないので、現行の魔導飛行船の搭乗員でも十全に運用可能です。しかし――」


「……しかし?」


「――例の兵器は、些か巨大ですし、複雑すぎて動かせる者もいません。……ホーエンハイムが送ってきた操縦員らを除いて」


 副官の言葉を聞いてリヴィトはまたしても眉を顰める。自身の指揮下の兵では操作できず、怪しげな男の手の者にしか使えぬ兵器。……面倒にも程がある。


「……その、操縦員というのは」


「軍人です。前にホーエンハイムに引き抜かれ、実験兵器のテストモデルとして実験区に配属されていた者達ですよ。今現在例の兵器は、彼らしか動かせる者がいないので急遽第一魔導飛空隊に」


「成程……軍属ならば、まだ使いやすくもあるな。せめてもの救いか」


 そうして二三、打ち合わせていると、遥か彼方の北の山――カダス山の前に大軍が布陣しているのを確認した。

 

「アレは聖国軍か?」


「そのようですね。迎撃の構えでしょう」


「はは、狂信者共め。脳みそまで原理主義で凝り固まったのか? いや、固まっているから、こんな真似をしているのか。……大人しくカダスに籠って籠城でもすれば、多少は持ちこたえられただろうに。何を間違えたら、飛空隊相手に野戦を挑む愚を侵せるのだ?」


「確かに不思議ですね。流石に何かしら、考えあってのものでしょうが――何?」


 会話に興じていた副官が、報告の為入った通信を聞いて言葉を止める。少しの間通達に返事を返していた副官は、やがてリヴィトに向き直る。


「観測からの報告ですが、どうやらあの聖国軍の中には、律翼軍ヴィゾヴニルも含まれているそうです」


律翼軍ヴィゾヴニル……」


 副官の言葉に聞き覚えがあったリヴィトは静かに悩み、やがて脳裏に単語と関連する情報が浮かんできた。

 律翼軍ヴィゾヴニル。聖国が保有する飛行戦力だ。鳥人や翼竜騎手から成る軍で、火急の援軍が必要な場合に重宝されている遊撃隊のような存在――だったハズ。


「成程、魔導飛空隊の話を聞いて慌てて引っ張り出してきた虎の子、というワケか。いや、団長たる勇者、フレン・スレッド・ヴァシュターに倣えば鷲の子か?」


「聖国と戦う以上、いつかは勇者と必ず相対するとは思っていましたが……」


「フレンといえば、『律翼』の二つ名で西方では通っている。十年以上前か、イーファル共和国攻防戦での彼奴は凄まじかった。アレのせいで、『トーチャー作戦』なんてモノも生まれたくらいだしな」


 ふぅ、と深く息を吐いたリヴィト。当時イーファル共和国での戦いに従軍していたリヴィトには、未だフレン――勇者の力が目に浮かぶ。


「流石にこの規模の障壁を一撃で貫けるとは思えないが……ヤツの超長距離狙撃は余りに危険だ。コチラも空中戦に備えねばな」


「視認可能ならば、如何なる距離からでも射掛けられると聞きました。それが本当ならば、既に我々はフレン・スレッド・ヴァシュターの攻撃射程内に入っています。何十キロも先ですが……」


「流石にこの距離では、障壁を突破可能な威力を維持するのは不可能だ。無暗に撃って、位置をバラすほど愚かでもあるまい。だが、願わくばあの鷲に動かれる前に仕留めたい。アレを用意しろ、開戦直後に仕掛ける」


 リヴィトの鋭い声を聞いて、副官は通信を飛ばす。それをBGMに、リヴィトはレン高原彼方の聖国軍を見据える。開戦まで数時間。――もうすぐに、二大国が正面から衝突しようとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る