第88話 大聖堂地下にて
レン高原での帝国軍迎撃。それに際してのアデルニア王国切り捨て。聖国上層部の無慈悲なる決定は、旗下たる聖職者らに衝撃を与えた。
内外へは「支援しようとしたが、間に合わなかった」と発表したが、裏に秘した真意をカンの良い者らは理解していた。……実情は上層部のエゴ、例えその根源が自国優先という大目的だったとしても、人類の守護を謳い、それによって各国の支持を得ている聖国にとって、それは禁忌にも等しかった。
「最高議会からあの老人共を追放し、健全化を図った矢先にこれか……。議会は何を考えているんだ……!」
大聖堂地下の秘蹟機関本部。出撃の為の待機を言い渡された第四席次、フレン・スレッド・ヴァシュターは苛立ちを露わにした。
ユグドラス教とは、世界の新生に際しライデルを襲った恐ろしき災厄に対し、凌ぎ、守り、生き延びる為の教えや信仰が成熟したモノ。陣頭に立ってユグドラス教原初の教えを広めたのは、グリムロック・アンバーアイズであり、その教義は今日に至るまで受け継がれていたハズだった。
だがいつの世も、誰かが恣意を以て何かを歪めてしまう。「隣人を殺し、滅ぼす為に勇者を用いるべからず」という教えの拡大解釈に始まり、「隣人を守り育め」という教義にすら背を向けた。果たして今の聖国に、フレンが憧れた正義などあるのだろうか。
……帝国と戦うのは仕方がない。フレンが生まれるよりもずっと前から犬猿の仲であり、各国へ侵攻する帝国に抗する為、聖国が戦力派遣を行った例も多々ある。フレン自身、それに帯同した事もある。
講和会議の皇帝の言により、向こうにも相応の理由あって侵攻に望んでいたと分かったが、それでも今まで行ってきた戦火の拡大を肯定は出来ない。
だが、アデルニア王国を見捨てるのは違う。それは聖国が今まで行ってきた行為の否定だ。無辜の民や国防に努める兵士が殺されている中、我が身可愛さで素知らぬ顔を決め込む――臆病にも程がある。
一方で理性では理解も出来てしまう。アデルニアの防衛に力を割かれれば、来たる決戦で敗北しかねない。余力を残しておきたい、或いは万全を期して迎え撃ちたいという思考だったのだろう。
この戦いの趨勢、そして結末は、新たなる時代の序幕に他ならない。どれだけ意地汚かろうが、勝ち残れれば即ち新時代の覇者――教皇、そして最高議会は、そのように結論づけたのだ。
勝利の果てこそ正義。歴史はいつだって勝者が語り紡いできた。勝てば官軍という言の葉があるように、理想では進めぬ時がある。――フレンの中の、冷静な理性はそう告げる。
「……クソ」
思い至ったが故に、フレンはどうにもならない現状に苛立ち小さく毒を吐いた。
「荒ぶってるねェ、鷲のボウヤ」
そんなフレンを揶揄う声が、本部の影から聞こえる。カツ、カツと小気味良い足音を立てながら、その女は陰になった隅っこから現れた。
「……貴殿は」
当惑と、醜態を目撃されていた羞恥から小さくか細い声で問うフレン。視線の先には、如何にもといった猛女が立っていた。
秘蹟機関の証たる黒い法衣に身を包んでいるが、荒く束ねたくすんだ金髪や、自信に満ちた表情、傷だらけの顔や眼帯といった要素が、どうしても「軍人」らしさを見せる。
それなりに年を食っている容姿だが、法衣の上からでも窺える鍛えた肉体や態度のせいで、年齢を重ねているように見えないから不思議である。
「愚痴ってる所見られてハズかしいってかい? 悪かったね、アンタがあんまりにも面白く荒ぶるからさ」
女はクスクスと笑いながら、本部にある円卓を撫でた。
やりにくさをヒシヒシと感じながらも、フレンは咳払いをした後話し始める。
「……見苦しい所を見せたのは謝罪しよう、第十五席次――ウルスラ・マグナハート殿」
重々しい謝罪を向けられた猛女――第十五席次、ウルスラ・マグナハートは口角を獰猛に上げた。
「真面目だねェ、見た目通り。……おちょくられて、ムカついたりはしないのかい?」
クツクツと笑うウルスラは、フレンを挑発するように語り掛ける。そんなウルスラにまともに付き合わず、フレンは頭を振る。
「私が激昂して飛び掛かるのでも期待していたか? そこまで短慮ではないし、鍛錬の相手が欲しいなら余所を当たってくれ」
「バレてたワケね。アンタは強そうだし、ちょーっとヤってみたかったんだが」
真意を見抜かれても尚、気分良さそうに笑うウルスラ。そんな彼女に、フレンは鋭く睨みつける。
「貴殿は『客将』でもある。聖遺物に選定された以上、かつての帝国軍人と言えど、我々の流儀に従ってもらう。教義への恭順は勿論だが……」
フレンはそこで言葉を切り、ウルスラをじっと見つめた。
「……こんな事は言いたくないが、貴殿は現状の敵国たる帝国の軍人であった。我々聖国からの信用は、無いに等しい。くれぐれも、怪しい真似は止す事だ――例えば、挑発とかな」
チクリと刺すように、ウルスラに警告するフレン。それを聞いたウルスラは、鼻で笑ってそっぽを向いた。
「アタシが裏切るなんて有り得ないのは、お前さんらが良く知ってるだろうに」
嘲笑うウルスラは、指で胸を叩いた。――そこに埋め込まれた、呪具を指しているのだろう。
ウルスラ・マグナハート。帝国方面では有名な名だ。元傭兵でありながら、時の皇帝に叙され近衛兵となった精鋭。つまり、聖国にとっての敵たる女だ。
そんな彼女が聖国の勇者をしている理由は単純。聖遺物に選定されたからに他ならない。聖遺物に選定された以上、その者が如何なる素性であろうが勇者。ならば、秘蹟機関の末席として叙するのが教団の法なり。彼女に洗礼名が無いのは、正規の入団ではない故である。
とはいえ、元は敵軍の英雄。裏切りを懸念して、彼女の心臓には呪具が埋め込まれている。裏切りが発覚したり、或いはこちらの意向一つで、心臓を即座に破壊出来る。
「自分で志願したんだ、是非はないよ。こうして晴れて勇者サマに成れたんだ。上司であるアンタがそういうなら、大人しくするさ」
そういってウルスラは肩を竦めた。さばさばとしているのは好感が持てるが、如何せん適当過ぎるのでは、とフレンは思う。
(それに……ウルスラを推薦したのはあの女だ。警戒はしておくべきだな)
既にやめて久しいとはいえ、敵国の元軍人が如何にして聖遺物に「挑めた」か。……理由は簡単だ。同じく、聖遺物に選ばれた勇者の推薦故である。狂人にしてフレンと決裂している、ミラ・ティーエ・イストーリャの働きが影にある。それがフレンにとっての懸念なのだ。
「ユーシャとしてのお仕事はちゃんとするさ。安心しな」
快活に言って見せるウルスラに、フレンはうっそりと顔を上げ見据える。
「例え自らの愛弟子……いや、息子と殺しあう事になってもか?」
フレンの冷たい言葉に、ウルスラはピタリと動きを止めた後、すぐにニヤリと笑う。
「ああ、もちろんさ」
「……理解しかねるな」
「理解しなくて結構。アタシを分かるのは、アタシだけさね」
そう言い放ったウルスラはカツカツと本部の出口に向かい、扉に手をかける。
「対等な立場で殺し合えた方が、きっとリンクスも喜ぶさ」
そうとだけいって出て行ったウルスラ。その背を眺め、フレンは呟く。
「狂人に招かれたのも、また狂人か。にしても、ミラめ。何を考えている……ヤツが嫌う帝国人を、勇者に叙するとは」
暫く考えるフレンだが、納得のいく答えは出ず、虚しく頭を振った。
「狂人の思考を理解しようなど、詮無き事か」
椅子に座って項垂れていたフレンは、再び開いた扉によって顔を上げる。本部の大会議室に現れたのは、二人の女性だった。
「フレン様! お元気ですか?」
いかにも快活な声音をしているのは、これまた元気そうな少女。……第十三席次のアイリス・エウォル・アーレントだ。眩しいほどの笑顔を浮かべて、こちらに駆け寄ってくる。
「こら、アーレント。室内で走っては……」
そんなアイリスを注意するのは第十席次のカーラインだ。出来の悪い妹に接するような態度で、どこか姉妹のようにも見えてくる。
「もう、センパイってば。『アイリス』って呼んでくださいって、何度も言ってるのに……」
「……では、走ってはいけないぞ、アイリス――これでいいかな?」
「えー、なんていうか、ちょっとぎこちないですよ。もっと自然に――」
こちらをそっちのけで微笑ましく言い合う二人。そんな光景を見ていると、少しばかり荒んだ心が癒えていくのをフレンは感じた。
少しの間漫才を続けていた二人だが、フレンの生温かい視線に気が付いて、頬を赤らめ曖昧に微笑む。
「す、すみません第四席次。みっともない所を――」
「いいや、構わないさカーライン。アーレント、君も元気そうで何よりだ」
フレンが優しく接すると、カーラインもアイリスも安心したように微笑む。
「不興を買っていないのであれば良かったです。……第四席次も、国土防衛の為に待機を?」
「うむ、そう命じられている。私は
「はい。……やはり、第一席次はいらっしゃいませんか」
そう呟くカーラインの表情には納得の色が含まれていた。その様子を見てフレンは僅かに疑問に思う。
「やはり、というのは――彼女がどちらにいらっしゃるのか、知っている、のか?」
「……はい」
放浪癖があり世界を流転し続けている第一席次――グリムロック・アンバーアイズの居場所を知っていると認めたカーライン。それにはフレンも瞠目する。
カーラインは周囲を見回し、気を配るような仕草をしてからフレンに耳打ちをする。
「……現在はイーファル共和国を拠点に、教団の調査をしているようです」
イーファル共和国。聖国と帝国の間にある国で、アズガルド勢力側の小国だ。
「調査……とは?」
「第一席次曰く、教団内に不審な動きがあると。それ自体は、第四席次もご理解していらっしゃるでしょうが、より大きな問題が」
「……教えてくれ」
「――何でも、秘蹟機関内、或いは上層部に、密かに外部組織との繋がりがある者がいるとか」
カーラインの呟きに、更に瞠目する事となったフレン。驚きを抑えながら、カーラインに質問する。
「それは……帝国側への裏切り、ということか?」
「いえ……それがどうも、違うようで」
……曰く、聖国の派閥は複数あれど、どれも対帝国で思想は一致している。実際攻め込まれているワケだから、それは当然だ。
「となれば……対帝国を有利に進める為、外部に協力を?」
そう推論するフレンだが、何かが違うと首を振る。戦局を有利にするため、外部に協力を仰ぐのは自然な事だ。何も隠す必要などない。何か良からぬ思惑があるのは確か。その目的は――
「……戦後、か?」
考えをまとめ呟くフレンだが、どうにも分からない。戦後を見据えて外部と繋がりを持っている、のだろうか。
「第一席次は、戦争を有利に進める為に外部組織と内通していると考えているようです。――不自然な資金の流れや、異様に警戒が強まっている機関内部。それらが不自然と、第一席次は仰っていました」
「不自然な資金……は兎も角、警戒は当然ではないか?」
「外部への情報流出ではなく、内部からの特定に警戒しているようです。……一心党です、第四席次」
カーラインの耳打ちで、今までの説明に納得するフレン。教団原理主義たる一心党は、対帝国を強行している。帝国を滅ぼす為には、外部との後ろ暗いやり取りも厭わない――のだろう。
そうなれば、もう一つ疑問が生まれる。聖国とやり取りをして、満足に何かしらの利益を齎せるとなれば、かなり大規模かつ帝国に属していない勢力となる。力があり、聖国と密なる取引をして利益を与えられる勢力だろうが、帝国に属していればその時点で一心党は拒絶するハズ。
「…………セフィロト」
思考の果て、あまり面白くない考えに至ったフレンは呟き、それを聞いたカーラインは静かに頷いた。
「第一席次も、同じ考えでした」
「永世中立を謳うセフィロトが……如何なる思惑を」
「私には何とも……第一席次も、分からないと。それに未だ、推論の段階ですから。ただ、注意するようにと仰っていました」
「うむ、それはそうだ」
「それともう一つ……」
カーラインは再びフレンに耳打ちをする。
「公式には記録されていない、十六番目の契約者を発見しました」
「っ……それはホントか?」
「はい。第一席次は、その――彼が『今』の教団に縛られるのを恐れて、秘密裏にしています」
「……悔しいが妥当だな。君は会っているような口ぶりだが」
「ええ、面会しましたよ。未だ幼いですが、第一席次から直接手ほどきを受けているだけあって、中々に強かそうでした」
「ふふ、君から幼いと言われるようではな」
「おちょくらないで下さい、第四席次。――彼をこの戦争に関与させるつもりは無いそうです。この先の、決戦に必要な人材と」
「第六席次の、予言か」
「はい。……あの化け物との戦いが控えていますから」
カーラインの真摯な声を聞いたフレンを思わず天を仰ぐ。今現在、目の前の戦争やら何やらで手一杯だというのに、理外の怪物の相手まで考えなければならないとは。
「あのぉ……」
そうしていると、横でモジモジとしていたアイリスが申し訳なさそうに声を上げる。
「それ、ワタシの前で話してもいい事だったんでしょうかぁ……」
不安げなアイリスを見て、フレンはカーラインに視線をやる。彼女は獰猛な鷲の視線を受け、曖昧に微笑んで肩を竦める。
「私が第一席次と会った時に彼女もいましたから、今更ですね」
「そうか……第一席次がいいのであれば、良いか。味方は慎重にと言いたいが、アーレントに内偵なんて真似務まるとは思えんしな」
「むぅ、どういう意味ですかそれぇ。でもでも、クチは固いですよ~」
明るい声音でそういうアイリスは、口に人差し指を当てる手振りを見せる。稚気じみた所作に、フレンもカーラインも顔を見合わせて笑った。
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