第86話 ケテルの円卓

 学術都市セフィロトは、外界で大戦が勃発したのを確認してから、今までよりも更に厳重に外部との干渉を避けるようになった。

 東西南北にある外周の街にも、厳重なチェックが敷かれるようになり、セントラル行の魔導列車は全面停止が布告される。

 セフィロトは外界に態度で示したのだ。――関わるな、と。


「――実際は、バッリバリに干渉してるワケだけど」


「クックック、酷いハナシだなぁ? 見るな、と言っておきながら、コチラは好き放題覗いているんだから」


 学術都市セフィロト、中枢領域セントラル。その中心に聳え立つ、荘厳なるセフィラの頂点にある「ケテルの間」にて、その会話は行われていた。


「当たり前でしょー。ニンゲン風情がアタシ達を覗くのは許されないし、コチラの干渉を跳ねようなんて傲慢にも程があるってモンよ」


 高慢な声音と、それ以上に傲慢な言葉を発するのは、桃色のツインテールが特徴的な人外的美を持つ少女。傲慢たるのが当然であるように、重厚な玉座に腰掛け、脚を組んでいる。

 ――ヘルメス・カレイドスコープ。タウミエルが一人、情報部総長。セフィロトの目にして耳だ。


「クク、ニンゲンは跪いて恣にされろと。まあ、そうだな」


 ヘルメスの言葉を聞いて、茶化すように応じたのは龍の少年。タテガミのような金髪と、ヒトと龍を無理矢理に交えたような肉体、そして中性的な顔立ちに滲む、超越者たる自覚から来るであろう傲慢。

 リンド=ヴルム。半龍――生まれながらの魔王。タウミエルの一人だ。


「いやぁ、何やら大変な事になっているみたいだね。――そういえば、そろそろ次の因子探索にいい頃合いだなぁ……」


 気の抜けた声でそんな事を言うのは、クリップボードに挟んだ紙に何かを書き綴る女性。銀髪碧眼の美女で、眼鏡と白衣が印象的である。

 ――イルシア・ヴァン・パラケルスス。外界に多くの悪名を残した、最大にして最悪の錬金術師である。


「戦争、か……多くの死が蔓延する、素晴らしい機会……ワレの探求に、また一筋の光明が、見えるやもしれん」


 寒気さえ覚えるほどの冷たい低い声で、それ以上に恐ろしい言葉を発する魔導師。褪せた赤いローブを纏い、金属の仮面で姿を隠匿する彼は、ゼロ=ヴェクサシオン。ネクロマンサーである。


「研究者的観点か、気楽そうで羨ましいな」


 そんなゼロに、呆れたような声を漏らすのは黒髪の美青年。暗い室内の中、自ずから輝くような金色の瞳が異様である。

 アイン・ソフ・オウル。タウミエルの長、セフィロトの支配者である。


「ご安心ください、アイン様。この『ダアト』めが、御身の傍にお仕えしておりますれば。アイン様のご負担を、この『ダアト』が少しでも――」


 少し憂鬱そうにしているアインを慮る様に、近くで侍る黒髪の美少女――ダアトがやたら自分の名前を強調して言った。長々と何かをアインに喋り尽くし、彼女のポニーテールがヒョコヒョコと揺れ、いつもより目も輝いている。


「……」


「アハハ、アハハー。ルベドー、クスグッタイゾー!」


 そして皆の様子を眺めてはつまらなそうに視線を落とし、自らから生える蛇をコリコリと撫でる黒狼のキマイラ。ルベド・アルス=マグナとオル・トロスである。オルはスヤスヤと眠りこけ、トロスはキャッキャと嬉しそうにしている。


 ――外界で戦争が始まってから、タウミエルは今後の計画を綿密に擦り合わせる為に会議を招集した。今回の会議は絶対参加であり、普段はやる気に欠けるイルシアやゼロ、気まぐれなリンドも参じている。

 

「それで、ニンゲン共をどうしてやるつもりなんだ? 我としては、もう面倒だから皆殺ししたい所だが――」


「ハァ? ダメに決まってるでしょ!」


 トロスがルベドにじゃらされているのを見て、ニコニコと眺めていたヘルメスだが、リンドの不用意過ぎる発言を聞いて慌てる。


「何年もかけた計画が台無しになったらどーすんのよ! このアホトカゲ!」


「クク、冗談だ。我がそのような愚行をするハズも無かろう。冗談を愉しむ心も無いのか小娘」


「冗談に聞こえないのよ! 何考えてるか分かんないし、いつも適当だし!」


「クハハ、怒るな怒るな、皺が増えるぞ」


「ッ……死ねッ!」


 リンドの挑発にブチギレたヘルメスが、目にも止まらぬ速度で拳を突き出し、渾身のストレートを放つ。山吹色の魔力を纏った強烈な一撃は、リンドの顔面に吸い込まれる――直前で彼自身に受け止められる。


 拳が着弾した瞬間、凄まじい衝撃がケテルの間に奔る。中央の円卓に罅が入り、石片が飛翔し、タウミエルの面々は自衛のために何かしらの行動をせざるを得なかった。


 ゼロは気にしない様子で障壁を展開、アインは「失礼」と断って前に出たダアトの防御術式によって、イルシアはのほほんとしている所を、ルベドに首根っこ掴まれ庇われる。


「これこそちょっとした冗談だろうに。この程度で度を無くすほど、器の狭い者だとは思わなんだ」


 ヘルメスの拳を異形の片腕で容易く受け止めたリンドが、尚も面白そうに笑って煽りを続ける。


「あー! ウザすぎ!」


 頭を抱えて怒りを発するヘルメスを眺め、リンドはケラケラと笑った。


「……はぁ」


 珍しくダアトが表情を崩し、憂鬱そうに溜息を吐いた後、魔法で室内を素早く修復した。


「ちっ、ダルすぎだろコイツら。おいイルシア、大丈夫か?」


「むぐ……ふふ、モフモフしてる……」


「コイツもダルいな」


 庇われたイルシアは、ルベドの胸板に顔を埋めモゴモゴとしていたが、ウザそうに顔を歪めたキマイラによって元の席に戻される。


「むう、もう終わりかい? 減るモノじゃないし、もう少し堪能しても――」


「減るんだよ、何かが。自分の席あんだから、大人しく座っとけ」


 イルシアを宥めたルベドが、未だ口論をしているリンドとヘルメスを眺めていると、騒ぎのせいで目覚めたオルがシュルシュルと顔の当たりまで上る。


「ルベド、ルベド、オデコ、血デテルヨー」


「あ? ……クソが、さっきの破片のせいだな」


「オイラガ舐メテ治シテヤルゾ!」


「俺の血なんて美味くも何ともないだろ、やめとけ。どうせすぐ治るんだ」


 額を撫で、傷を消し去ったルベドはヘルメスを見つめる。


「このゴリラ女。ヒト殴んならもっと丁寧にやれよ」


 とんでもない暴言を見舞われたヘルメスは、一瞬硬直した後素早くルベドに振り向きガミガミと叫ぶ。


「ご、ゴリ……一番ガタイ良いアンタに言われたくないんだけど!」


「大体な、あんなやっすい挑発に乗って殴りかかるとか、恥ずかしくないのかお前」


「はぁ!? アンタだってこないだリンドにブチギレてたでしょーが! 自分の事棚に上げてんじゃないわよ性悪キマイラ!」


「アレは別にキレてないし」


 いつの間にかヘルメスとルベドの口論にすり替わる室内。アインが溜息を吐くと、それを見たダアトが視線をいつになく鋭く変じる。


「おやめなさい。ヘルメス様、度を無くしてケテルの間で暴れるなど言語道断です。他の方を挑発するのは酷い悪癖です、リンド様。アルス=マグナ様も、被害を被ってお怒りだとは思いますが、従者たるならば、自らの感情を抑えるのも大切ですよ」


 騒ぎ出すどうしようもないタウミエルのメンバーを戒めるように、ダアトが毅然とした態度で叱咤する。普段は荒い口調になどならないダアトが、明確に語気を強めていたのが効いたのか、件の三人は一気に大人しくなる。


「……悪かったわ、ごめんなさい」


 シュンと落ち込んだヘルメスは、素直に謝罪する。


「我は悪くないぞ、別に」


 ダアトに叱咤されても尚傲慢な態度を辞めないリンドは、腕を組んでそっぽを向く。その態度にヘルメスはまた怒りが込み上がってくるが、謝罪した手前ただ黙っていた。


「………すんません」


 思いのほかルベドは素直に謝り、申し訳なさそうに耳をピコッと垂らした。


(か、かわいい――ッ、不覚……この程度のギャップで……)


 ヘルメスがそんな事を考えていると、ダアトが咳払いをして注目を集める。


「帝国と聖国が戦争を始めたワケだが――」アインが疲れたような顔をして喋り始める。「この戦争には、聖国に勝利してもらう」


「………ほう。その、心は?」


 我関せずを貫いていたゼロが、まともな話になったのを悟ってかアインの語りに応じる。


「理由は簡単だ。聖国が聖遺物を最多で保有している故。……戦争という経験を踏めば、契約者たちの覚醒も促されるだろう」


「帝国側の契約者はどうするの?」


 聖遺物や契約者、各国の情報も集めているヘルメスはアインにそう尋ねる。アインはダアトから給仕された茶を啜って、ソーサーに戻してから話を続ける。


「帝国側の契約者は、いずれもそれなりの力量がある。戦争程度では死なんよ。だが、常に監視はつけることにする。死にそうなら、干渉すればいいだけの事」


「聖国にも必要じゃないかい、監視」


 クリップボードで挟んだ紙に何かを書き綴っていたイルシアが、合間にアインに問う。


「当然監視は行っているさ。だが、余りに干渉しすぎるのも不味い。聖国側には、グリムロック・アンバーアイズがいるからな。奴に悟られるのだけは避けたいものだ」


「ああ、あの女か……」


 ルベドは何かを思い出すように呟く。曰く、彼はグリムロックと一戦交えたらしいので、思う所があるのだろう。


「……面倒な事に、あの女はこちらの監視をすり抜けてくる。放浪癖と、後は本能的感覚のせいか……? ……監視網を敷けば問題無いのだろうが、そこまで行うとなれば、奴に気づかれる可能性が強まる。こちらの存在を悟られるにしても、それは聖国側の勝利が確定してからだ」


「クク、愉快な女だなアレは。それ以上に哀れでもある。何をしても裏目裏目――愚昧とは、アレの為にあるような言の葉よ」


 リンドは微笑んで囀るようにグリムロックを罵る。それに応じるようにアインは口角を上げた。


「まあ、そうだな。今はどうでもいいことではあるが、彼女には出来るだけ悲惨な結末が待っている事を祈るよ」


 どうにか機嫌が戻ったアインだが、すぐにまた目を伏せる。懸念を思い出したのだろう。


「問題は、予想以上に帝国の戦力が高いと言う事だ。個々は比べるまでもないが、兵器が強力だ」


「あの空飛ぶ船でしょー。アイツらもよく考えるわよね」


 空飛ぶ船――魔導飛行船。グランバルト帝国は魔導科学が発展していたが、アレはその中でも頭抜けていた。――セフィロトには及ばないが、きっかけさえあればその限りではないと思えるほどに。


「空飛ぶ船?」


 ヘルメスの言葉に反応して、イルシアがボードを円卓において顔を上げる。


「空飛ぶ船とは、また面白い発想を聞いたね」


「気になるか、イルシア」


 主が興味を示した故か、オル・トロスをじゃらしていたルベドが声を出す。だが当の錬金術師は、首を横に振ってしまう。


「面白くはあるが、興味はないね。放っておいても、いずれは誰かが明かしていた領域だろう」


 イルシアの言葉は酷くさっぱりしていた。恐ろしい程に乾いていた。


「つまりは、非現実的じゃないんだよ」


 そうして船への総評を終えたイルシアは、転じて情熱的な語り口へ移る。


「私の探求は未知という新雪を、未開の道を初めに踏む事ではない。途絶えた道のその先へ、不可能の領域へ進む事」


 ――それを教えてくれたのは君だよ、ルベド。


 イルシアはとびきりの優しさと慈愛を込めた笑みでルベドを見つめる。当のルベドはあっさりとした嘆息をついた。


「そういうのさ、大勢の前でやんのやめろよな」


 

 ――その後も会議は続くが、結局は状況を座視すると結論づける。魔導飛行船はイレギュラーではあるが、全てを覆すほどの駒ではない。タウミエルら人外の者の、ヒトの英知の結晶への総評は、実に残酷なモノだった。


 そうしてその日の会議は終わった。足早に去っていくタウミエルのメンバーたち。最後に残ったアインとダアト、そしてヘルメスはそのまま会話を続ける。


「なんでさ、教えなかったの?」


「何がだ、ヘルメス」


「とぼけないでよ」


 ヘルメスは何時になく不機嫌そうに円卓を叩いた。視線は鋭く、僅かな怒りさえ籠っていた。


「パラケルススとルベド、アイツらには知る権利があるでしょう」


「いずれは知るかもしれん」ヘルメスの態度に動じることなく、アインは続ける。「だが、今ではない。それだけだ」


「詭弁ね。……機会がなければ、ずっとそのままってことでしょ?」


「そうだ。あの者達を刺激する必要はない。もう、終わった過去で患うのは無意味な事だ」


「下らないわね。アンタがそういう態度なら、アタシが――」


 そういって立ち去ろうとしたヘルメスを止めるように、アインは振り返る。


「いいのか? 計画を成就させなくて。――亡き兄君に報いる為にも、必要な行為ではないかね?」


 そう言われたヘルメスは歩みを止め、殺気さえ込めた視線でアインに振り返る。僅かに泣き出しそうですらあった。


「………アンタって、本当に嫌なヤツ」


 震える声でそう口にすると、ヘルメスはケテルの間から去った。その残影に語る様に、アインは微笑む。


「オレ自身、よく分かっているさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る