第81話 角笛の音色

 ビフレスト聖教特区。アデルニア王国とグランバルト帝国を隔てる山脈にある、南の要衝。アデルニア王国が聖国アズガルドに管理を任せている地だ。従属の証ともとれるので、陰では「貢物」などと揶揄されることもある。


 国境沿いともあって、軍事目的の関所というのが、ビフレスト聖教特区の実態だ。一種の要塞都市のように大きく造られたその場所は、聖国の精鋭や数々の魔法技術により守護されている。


「実感ないっすね、帝国が攻めてくるなんて」


 そういうのは特区を守る兵士の一人。なんてことは無い、魔導師だ。暗い夜、彼方からライデルの大地を照らす蒼い月を眺め、ボーっとしていた。


「んな事言ってる時に限って、嫌な事が起きるんだ。だから別の話にしてくれ」


 共に警邏に就く兵士は、嫌そうに呟く。彼の話に興味が湧いた魔導師は、どういうことかと聞くことにした。


「それ、どーゆー意味っすか」


「あ? ……ああ、ほら、戦場で嫁の話をしたり、敵が来ないだの言ってると、良くない事が起こるっていう」


 説明している内に恐ろしくなったのか、はたまた夜の冷気にやられたのか、男は背筋を震わせた。

 説明を受けた魔導師だが、どうにも要領を得ない。彼自身「そういった」事は信じないタチなのだ。――あまり大きな声では言えないが、無神論者でもある。


 学院で魔導を修めた身としては、この世の事象には必ず説明できるだけの法則があると考えている――と、教えられてきた。不可思議なジンクスなど、あまり信じられたものじゃない。


「そうなんっすか。でもただのジンクスっすよね?」


「だからだよ。縁起の悪い事はするもんじゃない」


 そういってそっぽを向いた男。会話はそれっきりで、魔導師も興味を失い、再び空を仰ぎ見た。


「……ん?」


 そうして仰いだ空に、魔導師は言い様の無い違和感を覚えた。目を凝らし、違和感の正体を探し考える。

 ……そうだ、さっきまでは見事な満月だったのに、月が無い。そのせいか、辺りも僅かに暗くなっている。

 まるで、巨大な何かが月を、空を覆っているかのように。


「……冗談だろ、んだよアレ!」


 同じく違和感に気が付いて天を仰いだ男が、焦りの多分に含まれた大声を上げる。何故そこまで驚愕したのか、魔導師にも思い立った。


「あ、あ、あ……鉄の船が、空に!!」


 何度も詰まって、漸く発した言の葉。その言葉には大きな驚愕と畏怖が含まれていた。

 空に浮く巨大な鉄の船。奇妙な魔導機械がいくつもつけられたその船は、五隻存在している。

 その船の名は「魔導飛行船」――空を往く巨大な戦艦。

 この世界には未だ無い概念――即ち、大規模航空戦力である。








 ◇◇◇








 魔導飛行船――グランバルト帝国、魔導開発部が総力を挙げて開発した新兵器の一つ。主席開発長、ルルハリル・ホーエンハイムが核となって造り出した兵器である。


 空を往く兵器、というのは長年人類が議論していた存在である。魔導に精通した魔導師の中には、飛行術式を維持し、歩兵や弓兵――或いは銃射撃の射程外から、一方的に元素魔法を叩き込む者もいる。


 前述の戦術を実戦で形に出来るだけの技量を持つ魔導師は、そう多くない。鳥人などを除き、人類種は空を自発的に飛ぶ手段を持たない。魔法でそれを叶えても、空中での戦闘に適応するには、それなりの訓練を要する。

 

 故にこそ、飛空兵器へ夢想し挑戦してきたのが人類だ。誰にでも使える形で、飛空兵器を作り出す。……イルシア・ヴァン・パラケルススが究極の個を創り出すのに妄執していたように、ルルハリル・ホーエンハイムは未踏の領域を明かすのに固執していたのだ。


「あの陰険男を褒めるのは癪だが、認めざるを得んな。この兵器の価値、そして魔導開発部を」


 高度約1000メートル、魔導飛行戦艦「ヨハネ」に乗り込み、此度の「電撃的侵攻作戦」の指揮を執るリヴィト准将は呟く。


 此度の侵攻作戦は、帝国の威信と未来を賭けた決戦だ。ビフレスト聖教特区からアデルニア王国を制圧し、聖国に圧力を掛けるのがリヴィトが率いる艦隊の目的である。同時に、州都ヴァーロムより聖国へ直接侵攻も行う――つまり、二面攻勢である。

 

 ヴァーロムは聖国本土に最も近い帝国の拠点故、そこから侵攻されるのはアズガルドも承知しているだろう。されど、真反対のビフレスト聖教特区から、空飛ぶ兵器が北上するとは思うまい。下火に焼かれ、正面からも攻められるとなれば、列強たる聖国も焦らずにはいられまい。


「高度千二百メートルを維持――航行速度にも支障はありません。各計器にも異常なし」


「展開中の防御障壁の出力も安定しています。――疑似エリクシル・ドライヴ、錬成速度、出力、61%を維持。事前の予測より負荷がかかっていますが、誤差の範囲です」


 ヨハネに搭乗するオペレーターが、この戦艦に何の問題も無い事を告げてくれる。理想的な滑り出しだった。


「実戦投入は初と聞いていましたが、此処まで安定するものなのですね」


 隣に立つ副官が、下に見えるビフレスト聖教特区を尻目にそう口にした。確かに、初めて用いるモノは、何かしら問題が付きまとうのがお決まりだが、今回ばかりは例外らしい。

 

 ……だからこそ、あの男の不気味さが際立つ。この兵器作成の立役者、ルルハリル・ホーエンハイムが。

 ホーエンハイム家は、代々帝国に魔導開発者として名を連ねてきた。その内の一人、当代のホーエンハイムも、先代からの例外に漏れず、優秀な技官だった。

 

 その手腕は語るに及ばず、このような規格外の兵器すら計画立案、作成指揮までを担う。どこからその突拍子もないアイディアが出るのか、小一時間問い詰めたいほどだ。余りに空想的故に、こうして「成る」まで、主席開発長の座に甘えた「趣味」であると見做される事も屡々である。

 

 そのような突拍子も無いアイディアの実現に異常なまでにこだわる癖に、いざ完成すると、まるで飽きた玩具を投げるように帝国へ寄与してくるのだ。開発の指揮権すらも投げてくる。もうそれに興味はない、とでも言いたげに。


 並々ならぬ熱意――或いは執着を持って努力しながら、それを自ら捨てるような真似までする。理解に苦しむ男だ。


「――目的地へと到達。光学術式への魔力供給を終了、ステルスを解除します」


 物思いに耽っているリヴィトは、オペレーターの声で現実に引き戻される。ここからは要らぬ思考で脳を鈍らせる暇などない。


「よし――全兵器の使用を許可する。ビフレスト聖教特区を可及的速やかに堕とし、北上への足掛かりとせよ。後続の軍の為にも、我らが帝国の真髄を見せる時だ」


 リヴィトの命令によって、ヨハネに装備された数々の魔導兵器が起動――その中でも最も危険な武装が発動する。


「主砲開門――魔力供給開始」


「副装リアクターからの補助供給接続」


「術式展開開始、照準ユニットによるマーク完了」


「全行程終了、発射準備完了です」


「――魔導兵装『トーデストリープ』――ファイア」


 瞬間、艦内にすら閃光が走り、白熱した輝きがビフレストを襲った。

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