第78話 崩壊の足音

 時は少し前、講和会議が始まった頃。

 セフィロトに集ったニンゲン達を監視すべく、ケテルの間に集まったタウミエル。会議が始まったのを見計らってか、この場にいなかったタウミエルのメンバーが新たにケテルの間に訪れた。


「む、戻ったか。お前にしては珍しいなリンド――」


 ケテルの間の入り口、転移陣が魔力を発し輝いたのを見て、アインが声を掛け――途中で止める。アインにしては無作法だな、等とヘルメスが考えていると、その理由に思い至る。


「我らが盟主、アイン・ソフ・オウルよ。遅ればせながら参じたぞ」


 いつものリンドとはまるで別人のような態度で、尊大かつ傲慢に現れたのが理由だろう。気弱な少年の姿は消え失せ、異形の龍人として現れた。

 

「げ、メンドーなモードね」


 その様子を見たヘルメスは、思わずそう口にしてしまう。

 リンド=ヴルム――彼は龍と呼ばれる種族であるが、実は純血ではない。龍という種族の最後の生き残りである彼は、永い時の移ろいで血が薄まった、謂わば半龍である。

 

 故にこそ、純血の龍とは異なる容姿であり、また違う力を持っている。その影響の一つとして、普段力を使わない時は、気弱な少年の姿をしている。龍の力を発動している時は、本来の尊大な態度を取るのだ。


「クッハッハ! 面倒とは、随分な言い草だな小娘」


「アンタにそんな事言われる筋合いないんですケド! つーかその喋り方アインとキャラ被ってるから、さっさと戻りなさいよややこしい!」


「それこそ、言われる筋合いがどうの――という気がするが?」


「もう、ああ言えばこう言うのね!」


 面倒な態度を取り続けるリンドに苛立つヘルメス。そういうと更にリンドは面白そうに揶揄う。アインとは別なウザさだな――なんて考える。

 

「クハハ。遅れたのは許せ、龍たる者、たまに翼を動かしたくなるのだ」


 等と言って茶化すリンド。つまり空飛んで遊んでいたら遅れたと言う事か。なんて適当なヤツなんだ。日頃情報部として、スケジュールを密に行動しているヘルメスにしてみれば、かなりムカつく言い様であった。


「ふむ……まあ構わん。別に必ず見届ける必要があるワケではないしな。ゼロもイルシアもいないし、別にリンド一人欠席しても変わらん有り様だ」


「クックック、適当な輩の多い事多い事。タウミエルの務めを果たせるか、疑問だなァ」


「うざっ……」


 そうしていると、リンドはルベドの方を向いた。ルベドはリンドが現れてから、彼の方をジロジロと眺めていた。気弱な少年とはかけ離れた姿だから驚いているのだろう。――相変わらずルベドは無表情だが。


「ほう……」


 その様子を見て、リンドはその銀色の目を興味深そうに輝かせる。


「こちらの姿で顔を合わせるのは初めてだな、小僧」


「……」


「ん、挨拶もナシか? クク、まあいい」


「お前さ、キャラ変わり過ぎだろ。一瞬誰だか分かんなかったぞ」


「クク、これが本来の姿さ。それとも、手弱女の如き姿の方が好みだったか?」


 何故かリンドは嬉しそうに目を細め、ルベドにゆるりと近づく。どこか蛇を思わせる動きだ。どうやらリンドはルベドが気に入ったようだ。ヘルメスはルベドに同情すると共に、奇妙な苛立ちをその様子から感じていた。


「ちっ、ダルいな」


 舌打ちと共に小さく悪態をついて、ルベドは絡みついてくるリンドを気だるげに払う。主が不愉快な気持ちになっているのを察したのか、今の今まで眠りこけていたオルとトロスが跳ね起きる。


「シャァァ!!」


 オルはリンドに向かって思い切り威嚇をし、トロスもうねうねと動き構えている。


「クク、嫌われたモノだな」


 そういって面白そうに笑うリンドは、視線をオルとトロスへ向ける。


「知っているか、小僧。往古、蛇や蜥蜴、『竜』といった存在は、全て『龍』より始まった生命であるという。永き時の移ろいが血を薄め、斯様な生命へ変化させたのだ。そういった意味では、小僧の中にも我が命の欠片が混じっているとも言える」


 妙な事を言い出したリンドを眺め、ヘルメスはボンヤリと考える。


(つまり、お前の中にもオレがいるぞって言いたいの? それともルベドにマウント取りに来たのかしら。アイツ何考えてるか分かんないから、アタシ無理かも)


 リンドの妙な話を聞いているルベド本人は、ヘルメス以上にだるそうにしていた。そんなルベドの様子を見てリンドは肩を竦める。


「興味なしか?」


「ナシ」


「クク、連れんヤツだな。小僧を形作った創造主の一人の話だぞ?」


 あ、不味いかも――ヘルメスは直感的にそう感じた。

 ルベドが主たるイルシアを大切にしているのは、普段からの態度で充分見て取れる。そんなキマイラがリンドの「不用意な発言」を聞けばどうなるか――


「黙れよトカゲ」


 ――予想通り、席を蹴立てたルベドは鋭い視線に殺気さえ滲ませてリンドを見下す。


「俺を創造したのは天上天下、森羅万象においてただ一人だ。次もまた妄言をほざいてみろ、確実に殺す」


 成り行きを傍で見ているだけのヘルメスでさえ、思わず警戒を抱くほどの殺気。鉄面皮を歪めて怒りを覗かせるルベドの感情に動かされ、室内に彼の魔力が僅かに揺らめき始める。そんな殺気を受けて尚、リンドは面白そうに笑っていた。

 

 暫く無言のまま睨み合いを続ける両者だが、やがてルベドは飽きたようにそっぽを向いた。その瞬間から寒気を覚える殺気と魔力は消え失せる。


(アイツも、意外とキレる時はキレるのね)


 苛立っている所や怠そうにしている所は何度か見た事はあるが、あそこまで明確に怒りを発しているのは初めてではなかろうか。

 そう考えていると、ルベドは不愉快そうに出口に向かって歩き出した。


「ちょっと、どこ行く気よ」


「俺一人いなくても問題無いんだろう? イルシアを探しにいく」


 そういうが早く、ルベドはスタスタと転移陣に向かっていく。止めようとヘルメスは手を伸ばすが――


「止せ、構わん」


 今まで黙っていたアインが制止する。止められたヘルメスはアインの方を向いた瞬間、ルベドは転移陣に入り込み消え失せる。

 

「アインよ、小僧にはやけに優しいのだな」


 空席になったルベドの玉座に座り込んだリンドが、意地の悪い笑みを浮かべて言った。


「サボり許すのが優しさって。流石、龍は言う事違うわね」


「ほう、為にならんとお節介を焼く手合いか小娘。良いが、嫌われやすいぞ、そういう者は」


「何よ! それこそお節介でしょ!」


 ヘルメスの抗議を意に介さず、悪そうな笑いをするリンド。面倒極まりないヤツだ。だからヘルメスはこの状態のリンドが嫌いなのだ。


「クックック。そう怒るなよ。誰も盗らんから、安心しろ」


「はあ? マジで殺すわよアンタ」


「止せ貴様ら。……そうさな、だがアレに余り肩入れするのが良くないのは事実だ」


 アインは制止と共にリンドの問いに答え始めた。予想外の語り口に、思わずヘルメスは目を丸くする。


「どういうことよ……?」


「危険だからだ。最終計画を成す為にはアレは必要だが、同時に、全てを藻屑にし兼ねないのも奴だ。――五百年前・・・・と同じことをされては、たまらないからな」








 ◇◇◇









 会議を終え、帝国へ帰還した皇帝ら。謁見の間にて宣戦布告の準備をしているベアトリクスは、難しい顔をして溜息をつく。


「どうなさいましたか、陛下」


 秘書官が柔和な笑みを浮かべてベアトリクスに問う。ベアトリクスはちらりと秘書官に視線を投げて答える。


「恐らく、間諜がいるな」


「間諜……? それはどういう……」


「奇妙だと思わなかったのか。講和会議はどちらも望んでいなかったのに、何故か成立した。妾が出向いたのは、向こうの意志を見る為と、この宣戦布告と同時の電撃侵攻を少しでも成功させるための目くらましだ。講和会議が無ければ、それで別に構わなかった」


 彼女は何時になく鋭い視線で彼方を見据える。


「間諜がいるのだ。当然、帝国にもいるだろうが――同様の勢力が、聖国の内部にも入り込んでいるだろう」


「聖国の……?」


「アレだけ此方を煽るような真似をしていた聖国上層部が、素直に講和会議を開くとは思えない。然らば、別の何者かの意志が介在していると考えるのが妥当よの」


「……しかし、そんなことをして誰に、どのような利益が生じるのでしょうか」


「そこが疑問なのだ。そこが分からぬからこそ――不気味だな」


 ふう、と重い溜息をついたベアトリクス。そうしていると、宣戦布告に関しての演説の準備が終わったようだ。


「全機材、正常です。陛下、全ての準備が整いました」


 魔導技術による遠距離通信手段が確立されてから、帝国ではラジオによる放送を行っていた。今回ベアトリクスはラジオ放送による演説を行う為にここにいるのだ。


「ああ」


 彼女は軽く返事をしてから立ち上がった。それに応じて、技術者やスタッフが慌ただしく動き、少しするとキィンという耳障りな音が響く。ベアトリクスの前に置かれた様々な機材をチェックする技術者の内一人が、無言で頷いた。既に放送が始まっているのだ。


「――親愛なる、帝国臣民諸君。我が名はベアトリクス・フォン・ルーヴェ・バルハルト。諸君らの上に立つ、皇帝である」


 その日、彼女の宣誓は帝国中に響き渡った。


『――皆の者、飢えているか。皆の者、恐れているか。失せていく粗食、襲来する魔物。我らを毀つ数多の脅威に、長き時を苦しんできた』


 ベアトリクスの声は深く澄み渡っていた。機械を通じてひび割れた声でも、その真にあるモノが聞こえるからこそ、澄んでいた。


『倒れたる同胞、殺される家族。忍苦というには余りにも厳しい苦難が、我らを長く打ち据えて来た』


 放送を聞く全ての帝国の民が聞き入った。そして同調した。発展した魔導技術を持つ帝国だが、少し地方へ行けば日夜魔物と戦い、粗食に苦しむのも当たり前。苦しみはすぐそこにあるのが、この世界なのだ。


『故にこそ、我らは戦った。奪った。侵略によって住処を、家族を奪われ、帝国を憎む者もいるだろう。当然だ。その憎しみを捨てろなどとは言わん。我らも炎によって突き動かされ、それを成したのだ。責め、糺し、矯正する権利など持たん』


 国を奪われ、今や属州となった者もその演説を聞いていた。故郷を奪った者共の長が、どの口でほざくか――そう思った戦災民も多くいる。


『だが、今や諸君らも帝国の、我らが民の一人なのだ。妾は諸君らを餓えさせんが為、今度もまた戦う。憎みたくば、妾を好きなだけ憎めッ! 全ての罪過も何もかも、妾が背負おう。果ての果てまで侵略し、この世の全てを手中に収め、真なる泰平を築くべく、妾こそが大罪人となろう! 妾を憎めッ! そして戦いに身を投じる帝国の戦士諸君、汝らが犯す破壊と殺人もまた、全て妾の罪である! 故に存分に暴れよ! 妾は帝国の血肉である。この国が果てるまで、先の先まで進み続けよう!』


 炎が渦巻くかの如き熱を帯びたベアトリクスの言葉。気が付けば、帝国を憎んでいた属州民も聞き入っていた。


『進撃せよ、帝国の勇士諸君! 目指すは東方の果て――仇敵たる聖国であるッ!!』


 遂に下された皇帝命令によって、兵士達のボルテージも上がっていく。皇帝の言葉を待つために、せり上がる熱を我慢する。


『――今ここに、聖国アズガルドへの侵攻を宣言するッ!!!』


『うおおぉぉぉ!!!』


 開戦の号令によって、熱狂は遂に天上を超えた。



 新生歴――古の崩壊より新たに制定された暦。このガイア大陸での、時の指標である。

 新生歴553年の終わり際、大陸最大の国家たる「聖国アズガルド」と「グランバルト帝国」が都市国家セフィロトの立ち合いの元、講和会議に臨んだ。

 

 結果は失敗。これを以て、大陸最大の国家が衝突へ加速していくことになる。

 554年の始まりに、グランバルト帝国は聖国アズガルドへ正式に宣戦布告。同時に、国境付近に集結していた帝国軍が侵攻を開始。ビフレスト聖教特区への攻撃を敢行。


 宣戦布告からの素早い侵攻を鑑みるに、帝国は講和会議以前からこの侵攻作戦を策定していたと鑑みられる。

 この開戦を契機に、大陸全土を巻き込んだ大戦が幕を開けた。歴史上初となる、世界大戦の始まりである。

 ――フェイリス・アーデルハイト著、時代の興亡より。



 ――同時刻、聖国アズガルド、大聖堂。

 

「猊下、全ての準備が整いました。計画通りに」


「ふむ……」


 大聖堂にて、二人の影が密談していた。一人は教皇。そしてもう一人は鎧姿の男だ。全身鎧で、兜まで被っている。


「予定通り、帝国との戦争が始まります」


「……枢機卿達は、何もせずとも開戦へ導いてくれたのぉ」


「はい。気になるのはフレンらの動向ですが――」


「――教団の意向には逆らえんよ。それでも納得しないのであれば、ワシが適当に言いくるめておこう。では、委細は任せるぞ――第二席次」


 ――その日、秘蹟機関のメンバーに猊下命令が下された。

 第八席次、レヴィス・ダーレイ・レテルネラと第七席次への出撃命令。内容は「戦術魔導師大隊を伴って、州都ヴァーロムへの侵攻」である。

 帝国が準備していたように、聖国もまた企みを秘めていたのだ。

 







 ◇◇◇








 セフィラの塔、第五階層、峻厳ゲブラーの間。

 タウミエルの長、アインがイルシアに与えた領域。内部は異空間となっており、様々な植物や動物が存在している。植物園などとも呼称される。

 錬金術を行う上で、当然材料が必要になる場合が多い。それを調達するための場所だ。


 ここで調達できないモノは、別の階層や部署――或いは外界から持ってくる。


 リンドとかいうヤツがムカつく事を言ってきたせいでキレてしまった俺は、席を蹴立てたついでにイルシアに探しにここへ訪れた。

 ずっと放っておくと、そこらで迷子になっていることもあるので油断できない。ゲブラーの間は広いので、十分あり得る事態だ。


 第五階層に転移した俺は、早速周りを見渡す。様々な魔法や魔導技術で常に管理された環境であり、昼のように明るい場所もあれば、夜闇と変わらない場所もある。転移陣がある入り口付近は、穏やかな森のようになっており、気温も温暖で明るい場所だ。


 俺はイルシアを探すべく「植物園」へ踏み入った。暫く適当に歩き回ってみるが、どうにも広すぎて埒が明かない。


「んだよここ、だるっ」


「イルシア、イナイネ、イナイネ」


「オイルベド、折角ナラ、羽生ヤシテ空カラ探ソウゼ!」


 俺がぼやいていると、珍しくトロスがまともに役立つ助言をしてくれた。そういや俺、キマイラだったわ。羽生やして飛べば、探すのもだいぶ楽である。

 

「そうだな、そうしよう。――〈部分変異・セイレーンの鶴翼〉」


 俺は背中からセイレーンの両翼をメキメキ生やすと、調子を確かめるように何度か震わせる。バサバサと動かし、動作に支障がない事を確認した俺は、翼に魔力を送りながら飛んだ。


「ウヒャアー! スゴイスゴイ!」


「気持チイイゾ!」


 普段使う飛行魔法とは異なる飛翔の感覚に、オルとトロスはご満悦だ。

 確かに中々心地いい。何とも言えない爽快感に包まれていると、先ほどのリンドの発言も記憶から消えて行きそう――いや、やっぱムリだな。


 龍とかいうよくわからん輩が、俺の創造主を名乗るなど言語道断。

 俺の主は――俺を産んだのは、ただ一人だけだ。


 不愉快な気持ちを払うように頭を振った俺は、上空からゲブラーの間を見下ろし探索する。

 森や海、またはヤバそうな異界を人為的に再現している階層故、上から見下ろすと色とりどりで面白い。カスみたいな形容だが、様々な味があるピザを眺めているようだ。


 暫く視線を彷徨わせていると、ふとイルシアの魔力を捉えた。白い花で一面埋まっている花畑のような場所に、彼女のモノである魔力が蠢いている。俺はその場所へ向かった。


「よっと」


「ビューント着地ダゼ!」


「楽シカッタネ! 飛ブノ、飛ブノ!」


 上空から勢いよく高度を下げ、数回のホバリングの後ゆったりと降りた俺は、翼の変異を解除し肩を回す。

 不本意だが、定期的に空を飛んでおきたいという、リンドの言い分も分からなくもない体験だった。

 

「さて、イルシアは……」


 着地した場所から俺は適当に歩き出し、イルシアの魔力を辿る。しかしどうにも、イルシアらしからぬ場所にいるな。


 俺が着地したのは白い花でいっぱいの花畑だ。森の中、切り取られたような広場にある。カモミールとも、エーデルワイスとも似つかないような花――全部同じヤツだな。青臭さの中に仄かな甘い香りが広がる場所で、幻想的と褒めても差し支えない光景だ。


 イルシア、こんな場所に何しに来たんだ。アイツに花を愛でるような可愛らしい趣味があるとは思えないが。


「変ナ場所ダナ」


「ハナイッパイ、キレイキレイ!」


 全く異なるオルとトロスの反応を背に、俺はイルシアの魔力を辿る。彼女は花畑の真ん中に生える、場違いな木に身体を預け眠っていた。

 

「……寝てんのか」


 俺はイルシアの傍でしゃがみ込み、彼女の寝顔を覗き込む。スヤスヤと静かに、心地よさそうに眠っている。目を閉じた彼女の顔は、とても穏やかで美しかった。


「黙ってれば、滅茶苦茶美人なんだけどな」


「イルシア、イツモウルサイカラナ」


「デモ、ボク、イルシア好キダヨ、好キダヨ」


 俺達キマイラは眠っているイルシアを慮ってか、自然と静かに会話していた。彼女の寝顔はいっそ神聖で、犯し難いモノすら感じたからかもしれない。


「そうだな、俺も――イルシアは……」


 俺はイルシアの頬に手を伸ばし、撫でようとして――やめた。


 きっとそれ以上は許されないと、自身の戒律が戒めているのだ。

 俺は彼女の創造物であり、従者たる道具。この想いは、彼女に廃棄されるか、命数果てるその時まで隠し通すべきなのだ。

 だから俺は――


「ん……」


 逡巡していると、イルシアが小さく呻いた。ゆっくりと身じろぎをして、目を開く。


「んあ……? ルベド、どうしてここに……」


 彼女は目を覚ますと、目の前にいた俺を寝ぼけた目で、しかし何故か悲しそうに問う。


「目が覚めたか、イルシア。探しに来たぞ」


「オハヨ、オハヨ、イルシア!」


「オハヨウダゼ!」


 俺達が一斉に話しかけると、イルシアは目をパチクリとした後、優しく微笑んだ。


「そっか。すまないね、手間を掛けさせた」


 起き上がった彼女は何度か伸びをして俺を見上げる。


「そういえば、今日は何か会議があったんだっけ。もしかして、すっぽかしちゃったかい?」


「ああ。でもまあ、アインは来ても来なくても良いって言ってたから問題ない」


「そうか……」


 俺の答えを聞いたイルシアは安心したように溜息をつく。

 その時、少し強い風が吹いた。風に当てられて、白い花が花弁を散らす。宛ら吹雪のような光景だ。


「……そういえば、ここは何なんだ?」


 その光景を見て、この花畑が何なのか気になっていたのを思い出した俺は、イルシアに問いかける。

 イルシアは俺の問いを聞いて、遠くを眺めような視線になった。


「ここはワカユキロウソウの花畑さ」


「……この花の名前か?」


「そうだよ」


 イルシアは近くに咲いていた花――ワカユキロウソウなる花を見て微笑む。


「この花は多年草で、強い繁殖力がある。ロウソウ――狼の草という名の通り、一か所に群生する習性があるんだ」


「雑草じゃねえか」


「はは、そうだね。でも、根っこの部分には薬効があり、乾燥させて煎じると、独特の香りと甘味のある茶になるんだ。ポーションの材料なんかにも使えるね」


「へぇ……」


「それに――」


 イルシアは咲いているワカユキロウソウを撫でて言った。


「綺麗だろう?」


「……」


 イルシアの思わぬ発言に俺は暫く目をパチクリとする。


「お前から、そんな言葉が聞けるとは思わなかったな」


「何だいその言い草は! 私にだって、花を愛でる心くらいあるさ」


「イルシアッポクナイゾ!」


「ソーダソーダ!」


「全く、君達まで……」


 オルとトロスの追従に、イルシアは困ったように微笑む。


「まあ、いいさ。お前が好きならなんでも」


「そうかい? ふふ、ルベドは優しいね」


「別にそんなんじゃないだろ」


 俺が――照れ隠しに――そういうとイルシアは口に手を当て笑う。


「ふふふ、分かってるよ。君が誰より、私に優しいのは」


 そういうとイルシアは後ろを向いて花畑を眺める。少し遠い目をしている。

 何かを語るのかと思えば、そのまま沈黙していた。――いや、或いは何かを迷っているようにも思える。

 暫くそんな時間が続いて、ふとイルシアが口を開く。


「実は、私は君に隠し事をしているんだ」


 そういったイルシアは、横に立った俺に視線を向ける。……俺は彼女の視線から逃れるように、正面の花畑を眺める。


「今に始まったことか? お前が俺に言ってない事があるなんて、いつものことだろ」


「そうかもね」


 さっぱりとそういったイルシアは、迷いを払うように前に歩き出す。


「戻ろうか」


「……ああ」


 振り返って、後ろ手を組みながら微笑んだイルシアに俺は頷く。歩き出す彼女の背を追いながら、俺は胸中で呟く。

 

 俺も、お前に言っていない事があるんだ。


 それは、お前の事がどうしようもないほど好きで、他の何にも代えられないと言う事。

 お前さえ良ければ、他の全てなどどうでもいいと言う事。

 そして叶うならば、俺にだけ、ずっと笑っていてほしい。

 時折、どうしようもない黒い衝動に襲われるのだ。

 お前が他の何かに笑っていると、どうしようもない何かが、俺を衝くのだ。


 だからこれは、胸に秘め続ける。

 これは、これこそが、俺のバグなのだ。

 道具が主に恋慕して、剰え――いや、これは……ダメだ。考える事すら、不遜な反逆だ。

 故に、これは記憶の果てに封じよう。

 俺はキマイラ。イルシアの最高傑作。それ以外の名も、価値も必要ないのだから。















―――――――――

あとがき

これにて三章終了です。三章は更新ぺースが遅かったので、次はバシバシと進められたらなぁ、と考えております。

次回は四章です。お付き合いいただけると幸いです。

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