第77話 ――理想は楼閣よりも脆い

「――アデルニア王国の、領土割譲じゃと?」


 皇帝ベアトリクスから告げられた、条約への調印の最低条件。それはアデルニア王国の領土割譲という、予想外且つ理不尽な要求であった。


「アデルニア王国の領土割譲とは、大きく出たな蛮族め」


「左様左様、世界を引き裂く毒婦めが、野蛮人共に傅かれて気を大きくしたか?」


 枢機卿の老人らはやはり皇帝に嫌味を交えて拒絶する。法と教団の権威によって、跪かれるのに慣れ切っている老人共にとって、自分の半分も生きていない小娘が偉ぶるのは耐え難いのだろう。

 しかし、ベアトリクスの要求が重すぎるのも事実。フレンは頭を悩ませた。


 アデルニア王国領土割譲の何が問題か。理由は多々ある。


 まず、そもそもアデルニア王国の領土はアデルニア王国に帰属する。そんなのは子供でも分かる論理だ。他国である聖国が代理も用意せず、帝国との取引に出すなど、不義理にも程がある。宗教と星の守護という大義名分を以て多くの国の支持を得ている聖国がそのような事をすれば、求心力の低下どころの話ではない。

 

 そして領土の割譲を仮に行うとしても、複数の問題がある。


 王国は現在内乱状態にある。ルベド・アルス=マグナの襲撃によって、王都ルーニアスが消滅。王族が皆死亡し、王朝の変更が成された。王権を引き継いだ公爵と、元王党派、そしてそれ以外の貴族派閥によって、国内は三つに引き裂かれている。誰がどの辺の土地を所有しているのかすら、明確ではない状況で割譲など不可能だ。


 更に言うならば、アデルニア王国は大陸でも有数の食料輸出を誇る。現在はそれも低下しているが、聖国がアデルニア王国の輸出に助けられているのは事実。そんな状態で、和平を結んだとしても、最低でも仮想敵国としてあり続ける帝国に明け渡すのは難しい。


 帝国がアデルニアを接収してしまえば、関税などによるまどろっこしい手続きや損失は無くなり、肥やすのに大いに役立ててしまうだろう。国力のバランスも傾きかねない。


(しかし……絶対に不可能と言い切る事が出来ないのがまた……)


 ――同時に、聖国が痛みを堪えれば割譲も不可能ではない。


 アデルニア王国は国として武力を誇っているワケではない。戦力の多くは、ルベド・アルス=マグナによる襲撃以前から騎士団と聖国による派兵である。戦力が貧相なのは、アデルニア王国の領土が大陸でも温暖で肥沃な大地にあり、魔物の勢力も弱く、長く安寧を保っていた結果ともいえる。


 名君による統治の結果といえばそうかもしれないが、悪く言えば平和ボケしていたツケでもある。


 戦力としては貧弱な国なので、かの国は聖国に大きく頼る事になっていた。ユグドラス教の国教化、政府への監督役としての大司教派遣……言い方は悪いが、実質的な属国である。


 だが、属国として法律的に宣言されるのとは違い、あくまでもアデルニア王国は主権を保っていた。悪魔アルデバランの眠る森があったからだ。


 しかし、今となっては悪魔アルデバランは存在しないし、同じく非常に危険な脅威たるパラケルススとルベド・アルス=マグナも、所在は判明しない。帝国すらリスクを恐れて侵攻をしなかった、いわば盾である脅威すらない内乱の国。――聖国の威光を以てすれば、領土割譲も不可能ではない。


 だがその果てに待っているのは求心力の低下による国力弱体化と、帝国の強大化。天秤のバランスが傾けば、いつ帝国は牙を剥くか分からない。条件を満たし、和平を調印させたとしても、帝国が守り続ける保証など無いのだ。


 契約魔法などを用いて約束を強制することも可能だが、同時に解除も不可能ではない。元より、約束とは二者による合意と契約を以て成る事象。そして約束とはいつだって、どちらかの不義理によって破られるモノ。だから法律があり、契約を律する第三者があるのだ。


 つまり――不可能。領土割譲などありえない。


「ふむ……その是非は兎も角として、何故領土を求めるのか、理由を問うても?」


 いきり立つ枢機卿らを仕草で宥め、皇帝に話の続きを促す教皇。この老人共を窘める事が出来るなら、ルシャイアの一件でもそうして欲しかったものだが。


「よかろう」


 教皇の問いに、皇帝は悠然と微笑んで答え始める。


「まず、我々帝国の土地は乾いている。満足な食糧は育たず、故にこそ古来から戦が絶えないのだ。僅かな領土、小さな食料を、一時の安全を巡ってな」


 神妙に語るベアトリクスの表情はとても真剣で、だからこそフレンは聞き入った。


「お前達は我らを蛮族と誹るがな、そも当然、必要故だから野蛮だったのだよ。殺さねば殺される、盗らねば生きていけぬ。ならば、略奪と戦火の道こそ無上の誉れよの。今でこそ多少は豊かになったが、帝国の歴史は困窮と戦火。明日のパンすらないのだから、芋なんていう怪しげな舶来の食い物に頼る始末だ」


 彼女の瞳には火が宿っていた。燃えるような決意、それこそ戦火の如き熱が。


「何故我らが剣の代わりに銃を取り、魔導の代わりに機械を繰るか知っているか? 食い物共々、魔力すら枯れているからだ。貴国の土地も恵まれているとは言いずらいが、少なくとも魔導には明るかろう。御国の信ずる神とやらは、異能の力だけは授けてくれたようだな」


 クックックと、ベアトリクスは獰猛に笑う。その様子は彼女の美貌と相まって、一種の野生美を感じさせる。枢機卿らが野蛮と誹る、獰猛な笑み。


「無論、魔導師がいないワケではない。だが貴国に比べれば大きく劣るのは事実。魔力が土地に少なければ、魔導の素質を持って生まれる者も少ないのだ。魔法という大きな武器が無ければ、帝国に跋扈する強大な魔物に抗するのも難しい。故にこそ、魔導科学が生まれたのだ」


 ベアトリクスは芝居がかった仕草で立ち上がり、両の手を広げる。


「理そのものを欣求し、それを使える形に落とし込む。それなるが魔導科学だ。斯くして我らは武器を得、魔に対抗し、多くを侵略した。全ては国を守り、繁栄し、家庭で待つ子を、家族を、皆を餓えさせぬ為にだ。我々はお前たちが言うように野蛮だから、それしか栄える手段を知らぬ」


 一拍置いて、ベアトリクスが目を大きく見開いた。


「結構! 実に結構! 野蛮だろうと、残忍だろうと、卑怯だろうと構わぬ! 信仰では腹は膨れぬ、理想では怪物は切れぬ。ならば、せめて妾が為政者として掲げる理想は、心を満たすモノでなければならぬ! 明日へと民を進める支えでなければならぬ! 例え夥しい数の死体を築く事になろうとも、踏み超えて先へと進むのだ。栄光の未来、その果ての果てまで――」


 先ほどまでの冷徹な様子は既になく、ベアトリクスは籠るような熱を以て為政者としての持論を語っていた。そこには確かに想いがあり、理念があった。敵国の主、不俱戴天とも言える皇帝だが、それでもフレンは彼女にある程度の正しさを感じられた。


(……我々はやはり、同じ星に生きるニンゲン、同胞だ。どうにもならないのか、皆が同じように、争い無く満ちて生きる事は……)


「――もしもお前達が講和条約締結の取引として、肥えた大地たるアデルニアを引き渡すというのであれば、戦の手を止める事も吝かではない。食料は勿論、魔力も我が国は乏しい。魔力が無ければ、魔導兵器を用いて魔物に抗することも不可能だ。ただ、喰い荒らされ死ぬのを待つより他は無くなる」


「――食料を多く輸出し、我々聖国が対魔物の為の兵力を提供する、というのはどうじゃ?」


「こんな事はあまり言いたくないが、我々帝国は聖国に信頼がない。ともすれば、外患と成り得る兵力を受け入れ、まず民が納得する事は無かろう」


 ベアトリクスは着席し、息を大きく吐いた。


「我々にはな、信頼が必要なのだよ。互いの益となると、信用と信頼が。同じくお前達も、帝国に信頼を抱いているとは言い難い。アデルニアの地全土を寄こせとは言わんよ。そしていきなり、講和条約を締結するのも不可能だ。休戦協定ならば、応じなくもない。条件を満たしてくれればな」


「……ほう、して、その条件とは?」


 教皇は細くしわがれた目を開き、皇帝を見据える。


「――ガイア大陸南方、アデルニア王国領土でありながら、お前達聖国が管理している国境の要衝、『ビフレスト聖教特区』の割譲だ。尚、この提案が飲めなければ今後一切の交渉はしない」


 王国割譲の代替として最後通告と共に提案されたのもまた、それなりに無茶な要求だった。


 ビフレスト聖教特区。アデルニア王国とグランバルト帝国の中間、南の要衝だ。山岳地帯の近くにある場所で、王国への戦力供与の引き換えに、昔から聖国が管理している。南から帝国の侵攻を抑止する重要な地点で、山岳地帯があるため兵力を満足に移送するには、ビフレストを超えなければならない


「――確かに、あの場所はワシら聖国が管理しておる……」


「思い上がるなよ、神聖なる南の地を穢そうなど!」


「崇高な理想を掲げて置いて、望むのはやはり戦かッ! 恥を知れ蛮族共!」


 恥を知ってほしいのはお前達枢機卿だ――という言葉を飲み込んで、しかしフレンは考える。


 実際、ビフレストは聖国が管理しているので、あそこならば影響も少なく割譲可能だろう。だが、南の要衝を明け渡せば戦略的に大きく不利になる。そして要衝を要求するなど、良からぬことを企んでいると喧伝しているようなもの。


 向こうがこちらに信頼が無いと言ったように、此方もまた帝国に信頼がない。だから聖国にビフレストを要求し、それを踏み絵にしているのだろう。成れば、帝国は此方を信頼するが、此方は帝国への踏み絵はない。だから同じく聖国も帝国に要求を突きつければならない。


「――そうじゃな。仮にビフレストを求めるならば、此方は州都ヴァーロムを求める。それで互いの信頼の証としよう」


 教皇もフレンと同様の考えに至ったのか、帝国に要求を行う。州都ヴァーロム、北方の要衝、帝国側の国境の壁だ。長らく帝国攻略の阻みになっている場所である。


 ビフレストから帝国に攻めるには、アズガルドから大きく迂回して戦力を輸送しなければならない。しかも必然的にアデルニア王国領内を通行する為、手続き等で遅延も発生する。

 

 しかしヴァーロムを得れば、アズガルドから真っ直ぐ兵力を送れる。その分南からの圧力を掛けられるが、アズガルドを帝国が攻めるには、まずアデルニア王国を落とさなければいけない。この提案は、必然的に聖国が有利になるようになっている。


「ダメだな。お前達が有利過ぎる」


 だからだろう、ベアトリクスはその提案を拒絶した。彼女は僅かに疲労したような溜息をつき、鋭い、殺意すら滲ませる目つきを見せた。


「ならば、交渉は決裂と言う事だな」


「そういうことに、なるのぉ」


「ふふ、そうだな。ならばこれ以上、互いに話すことは無い。これにて終了とさせてもらおう」


 そう言ったベアトリクスは席を立つ。応じるように秘書官と将軍二人も立ち上がる。


「ふん、蛮族共めが、後悔するなよ」


「いらん意地の代償は、いつか思い知るだろう」


「さてはて、どちらが何を思い知るかは――それこそ、神のみぞ知るとやらだな」


 老人共の嫌味にも一歩も引かず、皮肉で返して見せたベアトリクス。――もはやこれ以上、フレンに出来る事は無い。決裂と共に始まるだろう世界大戦を想って、フレンは歯を食いしばる。


「アッハハ……始まった」


 そしてフレンの横で、不穏な沈黙を保っていたミラがそう囁く。怒りを覚えたフレンは彼女を睨みつけようとして――やめた。そんな気力も無かったのだ。


「……」


 リーゼリットは同じく立ち上がる教皇を義務的に守るように動き、無表情で追従する。心境は複雑だった。長らく禍根のある帝国との会談、向こうの言い分、生まれてからずっと根差してきた信仰――多くを救いたいと考えるリーゼリットにとって、帝国の訴えはいっそ悲痛だった。


 されど、彼女は聖職者。心持ちでいえば軍人に近い。命じられれば、戦い信仰と教えを痛みを以て刻むのも仕事。溜息をついて、教皇に続く。

 

「それでは、これにて講和会議を終了とさせて頂きます」


 ダアトの宣言が何より、フレンに何もできなかった事を証明していた。

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