第76話 会議は踊る、されど――

 教皇ら聖国アズガルドの代表も、案内を受けてディベート・ホール、大弁論室へ到着した。

 大弁論室もまた、ディベート・ホールの外見と同じように白を基調にした荘厳な雰囲気の部屋だ。中央に大きな長テーブルがあり、左側の席には既に帝国の代表らが座っていた。


「どうぞ、右側のお席に」


 ここまで教皇らを案内してきたダアトは、冷たくそう告げた後、奥の席に向かった。

 

「……」


 教皇の護衛として参加しているフレンは、室内――特に帝国の代表らを見て警戒する。万が一、暗殺などがあっては困るからだ。

 最低限の確認を終え、一先ず問題無いと結論付けたフレンは合図を出し、席へと向かう。一番真ん中の席に教皇が座り、その左右に忌々しい枢機卿らが、更に挟むようにしてリーゼリットとミラが、フレンはミラの隣に座る。

 

「双方揃った故、予定通りに講和会議を始めさせていただきます」


 ダアトの冷たい声が、大弁論室によく通った。それを契機に、皇帝と教皇の間に冷たい火花が散った。

 

「まずは――」女帝ベアトリクスが、その美貌に冷たい微笑みを浮かべて喋り出す。


「グランバルト帝国を治める皇帝、ベアトリクス・フォン・ルーヴェ・バルハルトだ。此度の会議は両者――帝国、聖国の合意を以て設けられた機会だと認識しているが、相違ないか?」


 バルハルト朝第三代皇帝――ベアトリクス。

 古くから帝国の権力を強く握っていた元老院を先代で破滅させ、法律から排除したことで有名な冷血一族の末裔。非情且つ有能として名が通っている――とフレンは記憶していた。

 

 兎も角、ベアトリクスの問いに頷いたのは教皇だ。


「第71代教皇、ニキルータ・ロンド・エイゼラン……。そのような認識じゃと、考えておるが」


 しわがれて疲労したような声音で、教皇は言葉を紡ぐ。


「して、その問いに如何なる意図が込められているか、問い返してもよいかの?」


「無論だ。……妾は疑問に思ったのだ、果たして貴国に、講和条約を締結して戦争を終結させる意志があるのか、と」


 ベアトリクスの予想外の語り口にフレンは眉をひそめる。疑問、そして僅かな苛立ち故に。

 各国に戦争や外交的圧力をかけて、諸国を併吞し続けている帝国。その帝国の長があろうことか、平和の守護者たる聖国に向かってそのような事を問うたのだ。嘲笑よりも先に、苛立ちが募るのもむべなるかな。

 

「何を無礼な!」


 ベアトリクスの言葉を聞いて怒気を発したのは枢機卿ら。醜い老人は席を蹴立てて反論する。


「我らは人類の守護者、母なる星ライデルの守り手よ!」


「救世の聖国に、泰平の世を乱さんとする賊めが、そのような口を利くとは!」


 思わず鼻白んでしまうほどの言い草に、皇帝の秘書官や護衛の将軍らは顔を顰めた。無論、フレンも頭痛がする想いである。

 

(このゴミ老害共がッ……この期に及んでまだ足を引っ張るか! いっそ私の手で殺して――くっ、落ち着けフレン。冷静さを欠けば、獲れるものも獲れんぞ)


 胸中で醜い老人共を口を極めて罵ったフレンは、どうにか気合で気分を落ち着ける。鋭い胃痛が襲ってくるが、それも振り払うように思考を働かせる。――それが無意味であると知りながら。


 聖国を律する大法律――「ユグドラス教団法」にある通り、秘蹟機関は超法規的な組織である。外交上の問題を予見されるような戦力派遣などを隠密して行う権利や、機関単独の承認のみで正規軍に戦力提出を要求するなど、法を超えた存在だ。


 その全て、星を犯す脅威と戦う為だ。だからこそ秘蹟機関は強い力を持つが、それ故に制約も多い。当然ながら内政及び外政への干渉は禁じられている。表向きただの護衛団とされているのはそれが理由だ。勇者である事を認めてしまえば、恐ろしいほどの政治的発言力を握る事になる。

 

 力持つ者と法律を共にしてはならない。強者が恣にしてしまえば、其れ即ちテロルであると。始まりの勇者はそう定めた。


 故にこそ、秘蹟機関に所属するフレンにこの場においての発言権は存在しない。初代勇者にして現存人類の中でも最強たるグリムロック・アンバーアイズを尊敬しなかった時は無いが、これに関しては失敗ではないかと考えている。

 

 彼女が古に定めた法のせいで、彼女自身追い詰められてもいるのだ。そして今、フレンも――。


「クックック……当然、抱いて然るべき疑問であると思うが。何故なら、講和会議を控えているにも拘らず、貴国は帝国領内で発生した災害を以て、我々を口汚く批判したからだ。あのような振舞いをされては、交渉の席に着く気があるのか、疑うのも無理なかろう?」


 ベアトリクスが指摘したのはやはり、ミラが焚き付け枢機卿共を以て教皇にさせた、ルシャイア半滅に関しての公式発表。敬意が欠けていると見做されても不思議ではない。侮辱にも等しい振舞いをされれば、不興を買うのはやはり必定。フレンの口に苦いモノが走った。


「アレに関しては事実じゃろう」教皇はそう口にした。思わぬ発言にベアトリクスの眉が動き、帝国の代表らの顔が苦く不快気に歪む。


「実際、うぬらがルシャイアで魔物狩りを行い、それで利益を得ていたのは事実じゃ」


「それはこの世界に生きる人類であれば、皆が行っている行為だろうに。貴国も、似た事はしているだろう?」


「然り。じゃがそれはあくまでも、人類守護の過程で得た魔物の死骸を利用しているだけじゃ。うぬらの様に、魔物が湧く諸悪の根源を残しておいたりはしておらんよ」


「――我々が、人類共通の大敵たる魔物を飼い増やしていたとでも?」


「そのように見ておったが、違うのか?」


 皇帝と教皇。異なる形、されど支配する側の存在。その両者が舌戦を広げる。次第に交わされる視線は剣呑になっていく。それを止めるように、秘書官の男が割り込む。


「それは、同地の戦力ではブリューデ大森林の掃討を行うには不十分であり、不要に刺激すれば予想外の大事故を産む可能性があったからこその判断で――」


「――それは怠慢というものじゃろうに。手が足りぬというのであれば、うぬらが増やせばよいだけの事。我ら聖国では、そのようにしているが」


 教皇がそう指摘すると、秘書官の男はバツが悪そうに顔を背ける。

 

「弊害よのぉ。うぬらが侵略を推し進めて来た弊害よ。戦争で奪った土地は癒えるのに長い時がいる。ヒトも増えるには時間がいる。土地ばかりが増え、管理が覚束ないとは失笑よ。庭師も雇えぬようでは、里が知れるというもの」


 教皇もまた痛烈に帝国を皮肉る。

 ――グランバルト帝国の発祥は、古来の大帝国を源流とする。かの帝国が終末の怪物と錬金術師によって落ち、破滅した後、国は分裂した。その国を纏めたのは、当時まだ勢いがあった大帝国の末席の貴族。方法はやはり戦争だったという。


 教皇の発言は「昔から殺し合いばかりして、結果ひもじさに身を焼かれ続けた蛮族共」と皮肉って言ったようなものだ。皮肉としては上出来だが、交渉の席に着く者の振舞いとしては上手くない。


 当て擦られたのを聞いて、ベアトリクスは愉快気に笑った。笑い飛ばしているのか、怒りを堪えているのか、判然としない。


「クックック……そういう所だ。その振舞い、講和条約を締結するとは思えない運び方。のう、この会議は一体、誰がどのように望んでなっているのだ?」


「……何が言いたいのじゃ」


「貴国が中心となって推し進めて来た講和会議。だがその国の長らは、余り平和に積極的とは思えない」


「……」


「方や我が国では、融和派なる者共が推進しておったが、だいぶ前に一掃している。既に我が国には、講和会議なぞ望む者はいないハズだったのだよ」


 どこか不穏なベアトリクスの語り口。そこに違和感と嫌なモノを感じつつ、フレンは聞き入った。


「なあ、この会議は誰が望んだのだ?」


 言外にこの催しそのモノが無意味であると言い含めて、皇帝は発する。

 ……普通に考えれば、良識的な教団関係者だろう。実際、開催そのものも危うかった程だ。軌道修正するのにも、多大な労力を支払った。


 疑問なのはやはり、そうして開催を漕ぎ着けておきながら、挑発的態度を繰り返す聖国の首脳陣なのだろう。確かにフレンとしても疑問だし苛立たしい限りだ。

 ――まさか、内部分裂を見破られている? 僅かに過る可能性。ゼロではないだろう。


「まあ兎も角、互いに望んでいない会議と言う事ならば、早々に切るのが賢明というもの」


 そういってベアトリクスは席を立とうとする。教皇や教団関係者にそれを止める意志は見えない。――不味い、このままでは互いに歩み寄る余地すらないまま終わってしまう。

 フレンは意を決して声を上げる。越権行為と理解していながらも、黙ってはいられなかった。


「待ってほしいッ! せめて帝国が和平に望む最低限の条件だけでもお聞かせ願えないだろうか!? このまま互いに歩み寄る余地がなく終わるのであれば、それこそ徒労のまま終了する! 互いに益を得るべく、もう少しだけ時間を――」


「――第四席次、それは越権行為というものですよぉぉ? 頭おかしくなっちゃいましたかぁ?」


「左様! 鳥風情が、黙っておればよいものを!」


 当然一斉に止められる。特にミラの様子など、こちらを射殺さんばかりであった。同時に身内が統制出来ていない事の証明を知らしめたようで、今更ながら失策であったかもしれないという後悔が、フレンに胃痛という形で現れた。


「クックック……まあよかろう。そちらの勇士が言う通り、もう少しだけ続けようか」


 しかしどうにか皇帝を引き留める事に成功したようで、会議は続行できる。その事実にフレンは一先ず安堵の息を吐いて座る。


「そうさな、仮に講和条約を締結するとして、その最低条件は――領土割譲。それも、貴国のものではなく、アデルニア王国の領土を要求する」


 予想外の吹っ掛けに、聖国の代表は皆一様に押し黙ってしまう。

 皇帝の放った無音の衝撃が貫いているのを感じる。当の女帝は、それ見た事かと意地の悪い笑みを浮かべていた。

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