第71話 琥珀色の脅威

 アンバーアイズの腕に絡まった鉄の鎖。異質な魔力を帯びているそれこそが、彼女の聖遺物であるという。

 

「もう使ってるだろ……」


 聖遺物を解放すると宣言したアンバーアイズに、ルベドがどこか呆れたように言う。その態度は怪物らしからぬ雰囲気を感じた。


「余裕そうだな、錬金術師の怪物よ。だがいいのか? そこは既に我が領域だぞ」


 口角を不敵に上げたアンバーアイズがそう宣告し、翳した手を握る。宛ら見えぬ何かを握り潰すように。

 瞬間、琥珀色の魔力が奔り、ルベドを背後から強襲する。当然のように怪物はそれを察知し、目にも止まらぬ速度で避けるが――僅かに仕損じ、左腕を穿たれる。

 

「捉えたぞっ……」


 不敵に振舞うアンバーアイズが腕を振り上げると、応じるようにルベドの左腕も上がる。まるで目に見えぬナニカに絡められているように。


「寂滅に至らぬというのであれば、その全てを封じるまで」


 煌めく魔力を迸らせるアンバーアイズが、怪物に宣告する。


「これなるが我が聖遺物――〈神抱きの鉄鎖グレイプニル〉なり」


 グリムロック・アンバーアイズの言葉と同時に、ルベドを拘束する魔力が輝き形を成す。それはアンバーアイズの腕を鎧う鎖と同じモノだった。

 ――〈神抱きの鉄鎖グレイプニル〉。グリムロック・アンバーアイズが契約した聖遺物、悉くを制する聖鎖。その権能は「あらゆる存在の拘束、封印、固定化」である。

 

 鎖というモノ本来の使い方……誰かを縛り拘束する用途は勿論、先のアンバーアイズのように、固定化の権能を利用して自らの肉体を強化し武器となすことも出来る。取り分け汎用性に優れた聖遺物である。


「今よりお前を封印する。覚悟せよ」


 魔力を奔らせ聖遺物を振るうアンバーアイズの言葉に、ルベドが僅かに顔を顰め、拘束されていない方の腕で手刀を作って振るった。――鎖が纏う腕を切り落とそうと。

 肩口を切り落とそうとしたルベドの手刀は、琥珀色の魔力に阻まれ弾かれる。いざとなれば、あの怪物が自分を傷つけてまでも脱出しようとするのは想定済みだったようだ。

 

「ちっ、クソが。何が勇者だよ、普通聖剣とかじゃねえのか」


 よく分からない悪態を吐くルベドを見て、アンバーアイズが余裕そうに笑う。


「ここまでだな、化け物」


「っ……師匠、殺さないんですか、コイツ」


 封印と聞いたクロムは、思わずアンバーアイズを見上げる。ルベド・アルス=マグナは彼の仇敵。この手で殺したい相手だ。だというのに、封印と来た。クロムは割り切れないのだ。


「今この瞬間に、彼奴を葬れるならばそうしているさ。だが不可能だ。現状の手札では絶対に無理だろう。ならば、時間を稼ぐより他は無い。気持ちは、わかるがな」


 魔力を巡らせ着々と封印の準備を整えるアンバーアイズが、諭すように言った。――実際はクロムも承知済みの事だった。以前戦った際のルベドの不死性は、散々見せつけられている。殺すのは不可能と言われても不思議ではない。……ただ、感情が少し遅れていただけだ。


「……分かりました」


 そうしている内に、アンバーアイズが発する魔力が形を成し、鎖が中空より出現する。どうにか脱出しようと格闘していたルベドがピタリと動きを止め、注意深くその様子を見る。

 まるで生物のように自在に動く鎖。五本出現したそれは、全てがルベドに殺到する。――腕、胴体から口に至るまで、彼の全てを絡めとり縛り上げる。


「グヌヌヌ……ヤメロー、ニンゲン! オイラ達ヲ放セ!」


「ハナセハナセッ!」


「……」


 尻尾である双子の蛇も纏めて縛られている。とても苦しそうにしながら叫ぶが、クロムにしてみれば気味の良い光景であった。


「よし、一先ずこれで動けまい。完全に封印する」


 そう宣言するアンバーアイズが、ゆっくりとルベドに近づく。怪物の前に立ったアンバーアイズは、手を翳して魔力を奔らせる。


「終わりだ、錬金術師の化け物」


「……」


 勝ち誇るアンバーアイズと、それを相も変わらず無表情で見下ろすルベド。

 実に呆気ない幕切れを迎える――その瞬間、


「――伏したる者共の絶望すら嘲笑い、黙したる者共の声すら喰らう――」


 何処からより響く、不吉なる詠唱。山脈に吹いていた風に死臭と殺気が混ざり、心の底から震えるような寒気を感じ始める。


「ッ!? クロム、飛べ!」


 急転、焦りを浮かべたアンバーアイズが回避を促し、クロムはワケも分からず従い、


「――汝、其の名を〝死〟と呼ばわん――」


 何処からともなく現れた、仮面の魔導師が詠唱を結ぶ。視界の端でそれを捉え、危機感に駆られたクロムは全霊で逃げる。


「――〈死呪領域インサイド・デス〉」


 黒き魔力を纏い、右手を突き出した魔導師より放たれる赤黒い波動。それは魔導師の前方全てを飲み込んだ。――先には、拘束されていたルベドがいた。

 ルベドごと飲み込んだ黒い波動は、大地や空気を死滅させる。目に見えるほど濃い瘴気が漂う空間の先、二つの影が大地を踏みしめた。


「……聖遺物自体に、固定化を施さなかったのは失策、だったな。ワレの呪法は、物すら殺す」


 カツ、カツと足音を響かせ現れたのは、褪せた赤いローブを纏う鉄仮面の魔導師、ゼロ=ヴェクサシオンだ。

 

「助かったよ、本当に」


 そしてその横で、身体の調子を確かめるようにしているのはルベド。身体を戒めていた聖鎖は既に消え失せている。


「スッゴク息苦シカッタゾ!」


「タスカッタ、タスカッタ!」


「左様、か……余計な手出しかと、危惧したが……」


「いや、マジで助かったよ。……アンタがここに来たって事は――」


「……準備は整った。後は、汝のみ」


「そっか。了解」


 先ほどまでの空気は消え失せ、色濃い絶望が漂う。確定していたハズの勝利は、思わぬ妨害によって水泡に帰したのだ。

 

「……二対、二か」


 苦虫を嚙み潰したような顔でアンバーアイズが呟く。……先ほどまで、二人がかりでどうにか戦っていたのに、恐らく同格と思われる存在が援護に現れたのだ。絶望するのも無理はない。


「……まだ、続ける、か?」


 ローブに付いた砂塵を払ったゼロが無機質な態度で勇者らを見据える。ルベドとは異なる、だが確かに悍ましいモノを感じて、クロムは僅かに後ろへ引いた。

 

「……撤退するぞ、クロム」


 だからだろうか、アンバーアイズがそういってもクロムは遅疑することなく頷いた。少年が待ち望んでいた復讐の為の一戦は、当惑と失意の中敗北という結果に終わった。





 怪物達から逃れ、インサニティル山脈を離れたクロムとアンバーアイズ。当てもなく歩く二人の間には重い沈黙が広がっていた。


「……あそこで休もう」


 ようやく口を開いたのはアンバーアイズ。街道の端、身を休められそうな木陰を指していた。クロムは何も言わずに頷いた。

 木を背にして座り込み、取り出した水筒から水を飲んで一息ついた二人。重い疲労と曇る心を抱えて、クロムはアンバーアイズを見据える。


「……全て、聞かせてください。オレが知らない事、知らないといけない事、全部」


「……そうだな、約束だしな。では、少し長くなるが聞いてくれ」


 ――私はグリムロック・アンバーアイズ。秘蹟機関、第一席次だ。


 

 

 

 今より五百年以上前の話になる。

 お前からしてみれば、ずっと昔の時代、そう……未だ神聖グランルシア大帝国があり、聖国アズガルドが無かった時代の話だ。

 

 当時、東方には様々な国が乱立し、互いに覇を唱え合っていた。常に戦火が身近だった世界に、私は生まれた。

 あの時代では傭兵業が盛んだった。今よりもずっとな。戦いは常にあるから飯の種には困らないし、戦火と死臭に惹かれてくる魔物の一つでも殺せば、誰かしらが感謝してくれた。傭兵にとっての黄金時代という奴だな。

 

 私はそんな黄金の夢に惹かれた傭兵団の団長――が抱える娼婦の子として生まれた。

 それなりに強く規模の大きい傭兵団だったからか、武器を辛うじて握れるくらいの年齢までは、あんな荒んだ世界にしては大切にしてくれた。


「――父である団長は厳しくてね。十にもならないガキに、武器を握って戦うか、女の身を生かして金の一つでも稼げと突き放された」


 酷い親だろう、そういってアンバーアイズは苦く笑う。


「グリムロック、なんて女とは思えないイカつい名を付けられたのも、その影響さ。土着の戦神信仰――戦いに生きる傭兵らの、願掛けとしての名前だ」


 だから私は剣を手に取り、戦った。身を売るのは気が乗らなかったのさ。

 幸いにも、それなりの才はあった。その内団長が戦死して、一番腕のあった私が団を引き継いだ。

 

「それからはまあ、色々あった。……聖遺物と出会ったのも、その頃だ」


 お前ほど運命的な出会いをしたワケじゃない。戦に使う魔導具が欲しくて買い漁っていたら、誰にも使えないという触れ込みの鎖を見つけた。そして興味を惹かれ、触ってみたら――という形だ。聖遺物が流れに流れ、どこかの骨董品として並べられているというのは、意外とよくある話だったよ。

 

「聖遺物を得てからの私は、それこそ負けなしだった。アレのお陰で魔導にも目覚め、『聖剣技』なる戦技を拓いたりもした」


 ずっと喋りっぱなしで喉が渇いたのだろう、水筒から一口水を嚥下するアンバーアイズ。


「聖遺物について知りたいのだろう? ……我々も、アレについては良く分かっていない。何処から来たのか、誰が造ったのか……ただ、アレがヒトを選び、選んだモノに力を与える事は確かだ。聖遺物との繋がりが強まると、一種の不死性すら与えてくるようになる。――それに耐えられず、文字通りの化け物に果てるものも、いる」


「……ッ!? そ、それじゃ、オレ達はいずれ……いずれ……」


「……そうなると、決まったワケじゃない。だが……私の同胞、あの時共に戦った十四人の内、半数は――」


 アンバーアイズが続きを紡ぐことなく、力なく首を振った。


「因果なものに魅入られてしまったな、私もお前も。だが、少なくともお前は、今すぐ成り果てるワケじゃない。未だに聖遺物との繋がりが薄いからな。――聖遺物を使いこなし、より力を求めれば、その限りではないが。例え全霊で使い続けても、そうすぐに限界が来るというワケでもない」


 もっとも、お前が怪物に成ろうとするのを見過ごすほど、私は情に薄くないぞ。と、アンバーアイズは言った。


「聖遺物だけではなく、ヒトが魔物に転じる例は他にもある。そして、それを制する術もな。だから今は安心しろ」


 そういうアンバーアイズ。彼女自身、クロムが感じている恐怖――自分が自分でなくなる瞬間――は何百年と味わっているだろう。こんなにも重要な事を黙っていたことに反感を抱かないでもないが、それを責め立てるような事は、どうしてもできなかった。

 

「さて、当初の目的を果たすことは叶わなかったが、お陰で錬金術師の怪物の脅威を知る事が出来た。私はこれより本国に帰還する」


「本国って……その、聖国ってヤツですか?」


「そうだ。私は聖国アズガルドの暗部、秘蹟機関のトップでね。……あの時、五百年以上前、東方戦乱の時代の最後、魔物の襲撃や悪魔アルデバランの出現に対して戦った、十五人の契約者によって作られた組織だ」


「オレも、そこに入る事になるんですか?」


 クロムが抱いていた当然の疑問――聖遺物の契約者を集めている秘蹟機関の長ともなれば、少しでも手元に置いて管理したいと思うのが当然だろう。――知っての通り、聖遺物の力は強大ゆえに。

 そんなクロムの予想に反して、アンバーアイズは苦く微笑んで首を横に振る。


「そんなことは望まないさ。……現在の秘蹟機関は、あまり健全な組織とはいえない。構成員は高潔な者が多いが、そうではないものもいる。そして、その『そうではないもの』によって、現在、秘蹟機関は実質教皇直属の――もっと言えば、枢機卿らの最高議会の私兵に成り下がりかけている。そして私は、それをどうしようもできない。お前をあの場所に連れて行くのは、気が進まん」


 薄汚い権力は、いつだってヒトに纏わりつく。数百年のうつろいを見ていれば、自ずと分かる。と、アンバーアイズは悲しそうに笑った。


「胸糞の悪い話ばかりですまんな。だが朗報もあるぞ」


「なんですか、その、朗報って。今の流れからじゃ、とてもそんなのあるように思えないですけど」


「――それはな」


 ――錬金術師の怪物、不死の存在、ルベド・アルス=マグナの殺し方を思いついたのさ。

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