第70話 キマイラと勇者

まえがき

あけましておめでとうございます。年末にかけてはあまり投稿出来なかったので、ペースを上げられたらと思っている次第です。

今年も拙作をよろしくお願いいたします。














「――〈部分変異――」


 口ずさむ理解不能な単語、奔る膨大量の魔力。

 以上の要素を以て、クロム・ウェインドとグリムロック・アンバーアイズの両名は、ルベド・アルス=マグナによる初手を魔術行使だと予想した。

 しかし、それは正答ではない。


「――ミゼーアの時針じしん〉」


 続く言の葉を紡いだ瞬間、爆発的な魔力がルベドの周囲を灼いた。紅い雷光が地面を抉り、岩を砕き、木々を燃やす。

 その光景を見てアンバーアイズは元素魔法による攻撃かと思うが、すぐにそれを否定する。指向性がなさすぎるし、術式を展開していない。

 であれば、アレはただの魔力――高密度の魔力が顕現したことによる破壊事象。

 

 悟った瞬間、異形の存在たるルベドの姿が更に異質に変じる。

 ルベドから人外の怪物としか思えない尻尾が生えて来たのだ。銀の装甲に覆われた蠍のそれに似た尻尾は、先端についたサファイアのような針をこちらに向ける。

 

「フッ……!」


 鋭く息を吐いたアンバーアイズが、恐ろしく自然に踏み込んだ。一切の予兆を感じさせない挙動――彼女は左手で手刀を作り構える。

 ルベドに正面から向かうアンバーアイズ。接近し、互いを捉えられる位置になった瞬間、ルベドが動く。

 

 ルベドは異形の爪を振るいアンバーアイズを攻撃する。処刑道具のような爪が、空気と魔力の白霧とを巻き込んで裂く。

 回避することなく、アンバーアイズは手刀で切り結ぶ――接触、擦過。何故か金属音が響き、火花が両者の間を照らす。

 

「……」


 刹那の交錯の後、後ろへ飛んだルベドがアンバーアイズの左腕を見つめる。


「成程、それがお前の聖遺物か」


 ルベドの呟くが如き納得の色を含んだ声を聞いて、アンバーアイズは目を細め、クロムは逆に見開いた。驚愕故に。


(やっぱり師匠も契約者……でも今の一瞬に使っていたのか……?)


 未だ疑問と疑念が渦巻くクロムの胸中だが、一先ず優先すべきは目の前の敵への対処。アレだけ憎悪を抱いていたのに、いざ戦いに入ると殊の外冷静でいられるとは、実に不思議なモノだ。

 

「さて、どうするか」


「ブッ飛バソーゼ! 真ッ直グ行ッテドカーン! シヨウゼ!」


「ヤッチャウ? ヤッチャウ?」


 クロムらをどう攻めるかを考えているルベドが独り言を呟き、応じるように尻尾のオル・トロスらが騒ぎ立てる。そして怪物達を離れた距離から窺うクロムとアンバーアイズ。詰めようと思えば詰められる距離だが、ルベドの予測不能な攻撃手段を考えれば、不用意な行動は愚考にしか思えなかったのだ。


「よし、アレでいくか」


 勇者達をどう攻めるかを決めたルベド。身じろぎして、生やした異形の尻尾を揺らす。遂に怪物が仕掛けてくることを悟り、クロムは構えた槍に力を込めた。


「来るかッ――」


 アンバーアイズが左手をルベドに向け突き出し、その身に秘めたる魔力を発露させた瞬間――


「――〈異空歩法フェーズウォーク〉」


 ――紅き雷光の煌めきを残して、ルベドの姿が掻き消えた。

 

「なっ!?」


 突然目の前から消えたルベドを追って、クロムは驚愕しながら視線を走らせる。――どこまで見ても、あるのは不気味な白い霧と続く山道だけ。黒い狼の怪物は、白昼夢のように消え去っている。

 

「どこに消えたんだ……!」


「チッ」


 呟くクロムの声を掻き消すように、アンバーアイズの不快気な舌打ちが響く。


「次元転移……ティンダロスの犬らがよくする異能とは面倒な」


 アンバーアイズの不快気な声が、ルベドが行使した異能の強力さを物語っていた。

 ――次元転移。世界の深くに潜り、物質界のあらゆる軛から逃れ自由に移動する異能。こちらからは対象を捉えられず、向こうはいつでも戻る事が出来る法外な異能だ。


『――知っていたか。まあ、不思議ではないな』


 アンバーアイズの呟きに答えるように、どこからともなくルベドの木霊する声が聞こえる。

 

「ッ!? ど、どこに――」


「落ち着けクロム。今のヤツに此方から仕掛けるのは不可能だ。――恐らく、再現出には鋭角の座標が必要。出現の際には予兆が――」


『――この力を侮っているな。その程度の制約に縛られるほど弱くないぞ。俺は』


 アンバーアイズの言葉を嘲る様にルベドが言い放つ。それを聞いた彼女は瞠目の後舌打ちをした。

 

「彼奴め、如何なる大物を平らげた。どのようにかの異能を得た……」


「オレと戦った時は、蠍みたいな尻尾は生えて無かったし、こんなこともして来ませんでした」


「では――いや、今はそんな事どうでもよい。兎に角、こちらからヤツに仕掛けるのが不可能な以上、待ち構えるより他は無い。神経を研ぎ澄ませろ、刹那の狂いも許されんぞ」


 警戒を強めるアンバーアイズに倣うように、クロムはすぐに反応出来るように槍を構える。勇者二人を付け狙う紅い影は、更に嘲笑う。


『そうだろうな。ああ、そうするだろうと思ったさ。俺だって、この力を前にしたら受け身を取る。なればこそ、此方もそれを心得ているとは、考えないのか?』


 不吉な予感を孕んだ黒い狼の嘲笑。耳に届いた瞬間、クロムは酷く嫌な感覚を得た。


『では行くぞ。死ぬ気で避けろよ――』


 ルベドがそう告げた瞬間、アンバーアイズが叫ぶ。


「上だッ!」


 鋭い宣告に釣られてクロムは空を仰ぎ――中空より出現する異形の尻尾を見た。中空に開いた次元の裂け目より出ているそれは、ともすれば空間すら灼きかねない程の力を帯びていた。


『行くぞ、〈対物質砲アンチマテリアル〉』


 ルベドの宣告を境目に、尻尾の先の針が紅く変色し、雷光と共に強烈な魔力が解き放たれた。閃光が視界を焼き、世界が終焉したような錯覚の中、勇者として造り替えられた肉体は生存本能を極限まで刺激し、思考速度を加速させる。

 

 ――不浄時空ティンダロスの王、ミゼーアの権能が一つ、〈対物質砲〉。

 大森林での戦闘において、ミゼーアがルベドに行使した破壊の術。余剰次元に満ちるエネルギーを放出して、全てを薙ぎ倒す力技。取り分けミゼーアの領域に満ちる魔力は不浄であり、それは物質界に存在する全てにとって猛毒となる。猛毒は分かりやすく、崩壊と破壊という形で顕現するのだ。


 勇者を殺すなと厳に命じられているルベドは、この異能を通常の十パーセント程の出力で放出した。

 結果――


「――ッ!?」


 クロムの背後を薙ぐ魔力の閃光によって、山脈は焼き払われていく。岩すら容易く削る破滅が、全てを崩壊させていく。物質への特効を持つ猛毒によりて起こされた事象だった。


「凌いだか。当然と言えば当然だが、やはり会得していたか」


 余剰次元より物質界へ再現出したルベドが、消し飛んだ山道を踏みしめてクロムを見据える。アンバーアイズの腕を掴んで息を荒くしているクロム。見れば、彼の槍が魔力を帯びていた。


 ――ルベドがクロムと戦い、その際に予見したように、彼は時間への干渉能力を会得していた。

 聖遺物、〈先史者の咆哮リヴァイアサン〉が契約者に与える時間干渉の異能。ルベドと戦った際には、時間停止を行うのみであったが、アンバーアイズとの旅を経てその他にも覚醒した。


先史の超越スペリオル・リヴァイア〉の応用によって、自らの時間を操作して肉体を加速させる――〈自己時間加速アクセラレータ〉を以て、先のルベドによる攻撃を回避したのだ。

 

「助かったぞクロム。……かなり魔力を込めたようだな。身体は問題無いか?」


「ハァ……ハァ……はい、まだ大丈夫です」


 ――当然自己時間軸の制御など、かなりの負荷がかかる。特にクロムは自身の魔力回路が歪であり、魔力を放出するだけで痛みを伴う。負荷はより高いだろう。

 魔力回路の問題は、旅の日々でアンバーアイズが治療を施してくれている。お陰で多少マシになっているが、それでも完治には至らない。無理はするな――アンバーアイズより示された鉄則でもある。


「だからあの時……まあいいか」


 そんなクロムの様子を見てルベドが何やら意味深な事を呟き、首を振る。顔を上げ、再びクロムらを見据えるルベド。――刹那の交錯の果て、再び掻き消えた。

 

「くっ!」


 またあの奇妙な異能か――そう考えた瞬間、紅い残光が視界の隅で揺らいだ。


「考え事か? 余裕じゃないか」


 耳元で囁かれる怪物の声。思考は一気に焦燥に駆られ、目線はすぐさまに近くにいたルベドを捉える。気が付いた瞬間には、既に狩られる一歩手前であった。

 ……死ぬ。思考の片隅に生命の危機が生じ、クロムは本能に従って再び聖遺物を起動させる。


(間に合えッ……〈自己時間加速アクセラレータ四倍速クアドラプル〉ッ!)


 契約者の求めに応じて、聖遺物が再び世界の法則を捻じ曲げる。魂より捻出された魔力が回路を通じ『槍』に出力され、対価を受け取った先史者はクロムに翼を与える。――魔力を奔らせる痛みさえ置き去りにして、思考速度と肉体速度が限界を容易く超越する。


「ハァァァ!!」


 振るわれた異形の鉤爪を弾くように、クロムは槍を突き出す。ガキィン、という甲高い金属音を響かせ、火花が両者を彩る。

 攻撃を弾かれたルベドだが、気にする様子もなく更に重ねる。――四倍にも加速したクロムを意に介さず、容易く切り結んでいる。それに苦い絶望を感じつつ、常人の領域を遥かに超えた剣戟に身を投じるクロム。

 

 心臓狙いの突きも、薙ぎ払いも、切り上げも、全てが容易く弾かれる。意地だけでルベドに喰いつくクロムだが、肉体にはかなりの負荷がかかっていた。ルベドとの打ち合いは数秒だったが、数秒維持するだけでも十二分に問題だ。魔力は削れ続けるし、回路は焼き切れそうな痛みに苛まれる。集中力だって限界だった。


 だからこそ、彼女が躍り出る。


「少年をいじめるのは止してもらおうか」


 背後、物陰、意識外――完全に死角を取ったアンバーアイズが、ルベドの背中に手刀を振るう。

 獲った……クロムの淡い期待は、


「サセナイゼ!」


 彼の尻尾である魔蛇によって打ち砕かれる。可愛らしい声で宣言し、二匹がルベドの盾となる。――アンバーアイズの手刀とぶつかった瞬間、凄まじく低い金属音が響く。あの蛇の鱗がどれほど硬いのかを想起させる光景だった。

 

「イクヨ、イクヨ!」


 お返しとばかりに蛇達がアンバーアイズに殺到する。アンバーアイズは優雅に飛んで距離を取り、すぐさま応じる。キィン、という音が幾度も幾度も響き、超速での打ち合いが始まる。その間もルベドがクロムと切り結んでいるのだ。一人で二人を相手取っていると言う事になる。


「化け物めッ!」


 思わず零れたクロムの本音に、


「誉め言葉だな」


 皮肉気に応じるルベド。――その瞬間、僅かに仕損じたアンバーアイズが腕を打たれる。


「師匠――なっ!?」


 アンバーアイズの安否を心配して叫ぶクロムだが、その瞬間には驚愕していた。彼女は一切の問題もなく無事であった。ただ衣服が裂かれて腕が露わになっただけに過ぎない。――その腕が、問題なのだが。


「ああ、やっぱりそういう使い方か」


 後方に飛んだルベドが、得心したような声を出す。彼の視線は鋭くアンバーアイズの左腕を捉えている。

 

「乙女の柔肌を見たんだ、もっとマシな反応はないのか、怪物よ」


 高慢な態度を崩さないアンバーアイズがそういう。但し、問題の腕をルベドに向けながら。

 ――彼女の腕には、鎖が絡みついていた。ただの鉄の鎖にしか思えないそれが、明らかに異質な魔力を帯びてアンバーアイズの腕を拘束――いや、武装していた。

 

「それが、師匠の聖遺物……」


「まあ、そういうことになるな」


 微笑みを浮かべたアンバーアイズが怪物に宣言する。


「これより、我が聖遺物を解放する」

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