第69話 怪物の定義
仇敵たるルベド・アルス=マグナが告げた言葉。それを否定もせず沈黙する自らの師。
クロム・ウェインドには理解できない状況だった。
だからこそ、彼は思い返すことにした。どのようにして、この状況が作られるに至ったかを。
「インサニティル山脈?」
赤髪の女性――アンバーアイズと共に旅を始めて早一か月以上。クロム達はマーレスダ王国辺りの南部から西を通り北上していた。
帝国領内で活動しているクロムは、魔物相手に鍛錬を積み、アンバーアイズに武術と魔力の使い方を教わっていた。以前とは比べ物にならないほどに成長しているが、それでもまだ足りないと確信もしていた。
「ああ、少しばかりそこに用があるのだ」
宿屋で食事をしていた二人は、朝食に勤しみながらも今後について会話する。行動方針は常日頃からはっきりさせるべし――アンバーアイズの教えが一つである。
「インサニティル山脈って、有名な山ですよね。すごく大きくて、とても危険だって」
アンバーアイズが口にした目的地の名前はクロムも知っていたが、それはあくまで聞きかじった程度のモノ。確認の為の説明は拙かったし、知識としても曖昧だった。
そんなクロムの姿をどう思ったのか、アンバーアイズは朝食に供された温いスープを不服気に啜ってから、疑問に答え始める。
「その通りだ。……霊脈、というモノを知っているか? 簡単に言えば、この世界に流れる大いなる魔力の河だ。インサニティル山脈には、その河を覗き込める場所がある。そこの様子を見て、問題が無いかを確認したいのだ」
アンバーアイズは少し我慢するようにスープを飲み干し、クロムに向けて微笑んだ。
「……もう察しているかもしれないが、私はただの旅人ではない。とある目的の為に、各地を訪問している」
アンバーアイズの告白だが、クロムにそこまで大きな驚きはなかった。どちらかといえば、納得の感情が自らの胸中を占めていた。
アンバーアイズと共に旅を始めてから、クロムが訪れたのは不安定な西方。諸国漫遊というには余りにも武骨で、争いばかりを体験する羽目になった。――ある時は、旅人を狙った野蛮な盗賊を相手に。またある時は、魔力の濃い地域で魔物と戦ったり。
彼女が以前語ったような、「行く先々でトラブルに見舞われる」というよりは、自分から厄介に突進しているような感じだった。
「私は、とある組織の――ちょっと偉い人でね。世界の平和を守るため、日々頑張っているのだよ」
アンバーアイズはとても皮肉気に、或いはその挑発的な笑顔の奥に苦いモノを隠しながら言った。その表情からは、僅かな罪悪感が窺える。
「黙っていた事は謝罪する。……すまなかった」
そういって、彼女は頭を下げた。今や師となった人物の恐れ多い対応に、クロムは慌てる。
「頭上げてくださいよ師匠」
「……騙すような真似をしていた相手なんだぞ?」
「師匠がオレを利用していたって事なら、お互い様じゃないですか。オレも、戦う力が欲しくてついていってるワケですし」
――アンバーアイズがクロムを勧誘した意図は、凡そ察せられる。
何らかの組織に所属している彼女からしてみれば、素性の知れない少年が聖遺物と契約しているというのは無視できない事象であり、だからこそこうして傍に置いておきたかったのだろう。
そして、その推測から見えてくるのは、彼女自身聖遺物に浅からぬ縁を持つ人物であるということか。
何れにせよ、戦いにおいて遥かなる先達であるのは共に行動してきて、理解できている。共に過ごす中、好感の持てる人物だとも分かっている。であれば、師として仰ぐのに不満はない。
クロムがその意図を伝えると、アンバーアイズは苦く微笑んだ。
「そうか……私はどうも、他人を疑ったり、疑われたりするのに慣れ過ぎていたらしい。全く考え物だな」
アンバーアイズは首を振って立ち上がる。
「変わらずついてきてくれるのであれば、往こう。インサニティル山脈での用事を終えたら、改めて話す」
「――ここがインサニティル山脈……」
旅立ってから数日後、クロム達はインサニティル山脈の麓に到着していた。アンバーアイズが使う転移魔法で、大陸を素早く横断したのだ。
転送屋、という職業があると聞いたことがあったのを思い出した。長い旅をする際に、転移魔法を会得した魔導師に目的地に送ってもらうのだ。転移魔法の使い手は当然少ないので、必然的に利用料金は高額になるらしい。
「ここは魔境……受肉した悪魔がうろついている危険領域だ。目的地まで進み、さっさと終わらせるぞ」
そういうが早く、アンバーアイズは山道を進み始めた。置いて行かれない内に、クロムも彼女に倣って進む。
アンバーアイズに厳しく鍛えられているお陰で、山を登る程度では息を切らさない身体になっているが、それでも山脈が持つ異様な雰囲気のせいで、精神的に疲労がたまる。先を見通せない白い霧、時折聞こえるヒトの苦悶のような音。神経を擦り減らすような空間だった。
「……気持ち悪いですね、ここ」
「……」
会話も少なく山を登る二人だが、ふとアンバーアイズが疑念を露わに立ち止まる。
「おかしい」
「……?」
唐突な発言に困惑して首を傾げるクロムに向き直り、アンバーアイズが語り出す。
「ショゴスがいない」
「しょ……なんすかそれ」
「下級に分類される悪魔の一種だ。受肉した個体がこの山道に根付き、繁殖している。スライムのような不定形の怪物で、下位の魔法を行使する程度の知能もある。中級上級の悪魔共とは比べるまでもない雑魚だが、普通の者には非常に危険な怪物になり得る」
事実、山脈から抜け出した個体が移動し、村や小さな街を滅ぼした例がある――とアンバーアイズは付け加える。
「ヤバそうな悪魔がいないなんていいじゃないですか」
「分からないのか? 考えてみろ。相手は根城を抜け出してまでニンゲンを襲う貪欲な悪魔だ。我々が山道を進めば、確実に襲撃してくる。私も以前来た時に何度か襲われている。なのに……」
「来ないのが変……って事ですか?」
「そうだ。……考え得るとすれば――」
アンバーアイズは顎に手を当てて考え込みながら歩き出す。彼女の思索を邪魔しないように、半歩後ろで追従するクロム。暫くして彼女は呟いた。
「……悪魔ですら恐れをなす、怪物の中の怪物がここにいるやもしれん――」
アンバーアイズの言葉を聞いたクロムは思わず例の――忌々しいトラウマ、黒と紅の怪物を思い起こした。
バカな、ここにヤツがいるハズがない。流石に過敏すぎる。だから落ち着けクロム――どうにか己を落ち着かせる。
「何れにせよ、慎重に進むのに越したことはない」
そういって首を振るアンバーアイズ。考えても仕方のない事は、自分達の側で最大限警戒する以外対策の仕様がない――アンバーアイズがいつか言っていた事だ。
再び歩き出した彼女の背を追って、クロムは山道を進む。暫くすると、再びアンバーアイズが止まった。
「……どうしたんですか?」
「しっ!」
クロムがアンバーアイズに問いかけると、彼女は表情を険しくして沈黙を促す。先ほどまで覗かせていた余裕はなかった。それを見た瞬間、只事ならない事が迫っているのを、クロムも悟る。
「……アレを見ろ」
アンバーアイズが指した先――釣られてゆっくりと視界に入れた。
そこにいたのは――忌々しい姿。黒き狼のキマイラと、見慣れない怪しげな魔導師。
黒曜石のような色のタテガミが靡き、彼の魔装が風に揺れる度にあの光景を思い出す。
――紅き魔眼に貫かれて、死を覚悟した瞬間を。
「――ルベド……ルベド・アルス=マグナッ!!」
――そうして、冒頭へ帰る。
「五百年……? 何を言っているんだ……」
ルベドが語った事を飲み込めず、クロムは震える声で問い返す。理解できそうで理解できない――何を言っているのかが、分からない。
そんなクロムを見て呆れるように溜息をついたルベドが、気だるげに語り出す。
「言った通りだ。そこの女は、五百年以上生き続けている化け物の仲間だ」
そういってルベドはアンバーアイズに指を指す。当の彼女はただ真っ直ぐにルベドを睨んでいた。
「おかしいとは思わなかったのか?」
そして再びルベドが語り出す。
聞いてはいけない。自分の中の何かが、激しく警告する。
これは痛みを伴う真実なのだと、どこかが悟っている。されど怪物はこちらの事など慮ることなく語り出す。
「強大な力を持つアーティファクト……『聖遺物』が、その契約者に与える異能。契約とやらを交わすだけで、人間離れした力を得られる」
クロムは思わず自分が握っている槍を見た。竜を思わせる意匠の槍は、これまで幾度とクロムの助けになってくれた。これと契約を交わしてからクロムは、それこそ憧れていた英雄じみた力を手にしたのだ。
「契約を交わした人間を、その偉大なる力を讃えて『勇者』と呼ぶらしいな。ああ、確かに、五百年以上前の災厄から、北方を救ったのも勇者だった」
表情を殆ど動かさないルベドは、初めて顔を変える。視線を鋭く変じさせ、アンバーアイズを睨みつける。
「そこの女は、五百年以上前にいた勇者の一人だ。聖遺物との契約によって、時の流れでは死なない肉体を得ている」
「ッ!?」
それを聞いたクロムは思わず隣のアンバーアイズを見る。彼女は変わらずルベドを見据えていた。
「聖遺物の契約者は、いずれ不老の肉体を得る。ある種の不死性を会得しているワケだ。……なあ、この世界には一つ、不死性を得ている種が存在するだろう?」
唐突にルベドはこちらに問いかけて来た。……不吉な予感から、クロムはルベドの発する言葉を深く考えないようにしていたが、直接問われたとなれば別だ。考えないようにしていても、問いを認識した肉体は当然の反応として「何故?」を生み出し、思考の片隅で解答を検索してしまう。
やがて、クロムは思い至ってしまう。有り得ないと思いつつ、その答えの衝撃さ故に口にしてしまった。
「……魔物」
クロムの呟きを聞いたアンバーアイズがビクリと肩を震わせた。見れば、少し苦々しく目を伏せている。
「そう、魔物――魔物はどんな魔物でも、どこかに不死性が顕現する。ヴァンパイアであれば、陽光無き暗闇での限定的不死が、ゴブリンのような雑魚でさえ、不老の特性を持つ」
もっとも、数が増える生物的な魔物は、どこかで淘汰圧に厳選されるらしいが――とルベドは締めくくる。
「よく、似ているとは思わないか?」
「ッ……」
ルベドは暗に告げているのだ。
勇者という存在は、魔物と何ら変わらない怪物なのだと。
「ニンゲンは、俺達を殺したくて『それ』を手にするんだろう。皮肉だな」
ルベドはクロムの握った槍を見てそういった。魔の存在を倒す為に聖遺物を取り、選ばれた勇者が、その実魔物と同じ怪物である事を「皮肉」という簡素な単語で嘲笑しているのだろう。
怒りを覚えるのが然るべき反応なのだろうが、今のクロムには何もできなかった。いつの間にか怪物になっていたという事実が、無音の衝撃となって貫いていたのだ。
「さて……十分か」
そう口にしたルベドは、魔力を発露させる。戦う者としての訓練を受けていたクロムは、皮肉な事に仇敵が戦闘態勢を取ったが故に気を取り戻す。
ルベドは前の戦いで見せたように、爪を鋭利な処刑道具の如く変じさせた。そのまま彼は問いかける。
「今回ばかりは引いてくれると助かるんだが、どうだ?」
「……悪いが、我々もこの先に用事があるんだ」
今まで沈黙していたアンバーアイズが、ルベドに応じて言葉を発する。
「そうか、グリムロック・アンバーアイズ――ここでお前とやり合うのは怠いが、その気ならば仕方ない。然らば、そろそろ起こしてやるか」
そういったルベドは、爪を出していない方の手で尻尾を叩く。今までゆらゆらと動いていた二本の尻尾は、ビクリと震えて起き上がった。
「ドシタノ? ドシタノ?」
「ンニャ!? オイラ達ヲ起コスッテコトハ、出番カ!?」
「そうだオル・トロス。構えろ、ちょっと本気で行くぞ」
来る――待ち望んだような、忌避していたような、仇敵との戦いが遂に始まる。
クロムは焦燥を掻き消すように、憎しみで脳を凍らせて〈
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