第68話 交錯、五百年

「うぇぇぇ……もう行ってしまうのかい?」


 俺の前でやたらとぐずるのは、皆さんご存知ダメ錬金術師のイルシアだ。涙ぐんだ目元を擦り、片手は未練がましく俺の手を掴んでいる。

 

「俺が留守にすることなんて、最近は普通にあるだろ。今更泣くなよ面倒くさい」


「ぐすっ……ご主人様になんて口利くんだい」


 面倒に感じたので軽くあしらおうとするが、イルシアはしがみ付いてくる。泣きながらも顔を赤くして反論するという、やたら器用な真似さえしてみせた。


「まだ朝のモフりの最中なんだぞ。全く度し難い!」


 などとアホ丸出し発言を投げ、俺に抱き着いてくるイルシア。腹に顔を埋めて擦りつけてくる。涙目だったので、毛並みが若干濡れるのがウザい。


「……」


 そしてその様子を静かに眺める影。褪せた赤いローブを被った、銀の仮面を付けた幽鬼の如き魔導師。ゼロ=ヴェクサシオンである。

 仮面のせいで目線は伺えないが――そもそも顔があるかも怪しいが――明らかにこのやり取りを見られている。身内の恥を喧伝するようで恥ずかしい。

 

「すぅー……はぁー……ぁぁぁああ、一生こうしていたい……」


 イルシアは俺の腹に顔を埋め、擦り付け、大きく呼吸する。生暖かい息がかかってきて背筋がゾワっとする。有り体に言うと、キモい。


「きっしょ」


「なんてこと言うんだい!」


 考えていた事を思わず口にしてしまったようだ。イルシアがまた反論するが、すぐに顔を埋め直す。

 メンドくせぇ!


「ふふ、ふふふ……こだわった甲斐があったよ。しっとりとした手触り、適度なモフ感を残しながらも、肉体の造形美を損ねないように筋肉を調整する……無論、実用的な性能も欠かしていない。私のこだわりの三割が、君の腹筋に込められていると言っても過言ではない!」


 何せ日常的に摂取する予定だったからね! 等と言い放つイルシア。

 俺は彼女の後頭部をシバいた。


「いだっ!?」


「今度俺が出勤する時に余計な事したら、シバき倒すからな」


「な、なんだいそれは……脅しのつもりかい? わ、私はそんなもの怖くないぞ!」


 頭を抑えながらやっと離れたイルシアに嘆息していると、やり取りを見ていたゼロがフワフワ近づいてくる。


「……では、我々は往くぞ」


「……分かったよ」


 ゼロが出立を告げても、イルシアはどこか不服そうな顔をしている。

 ――イルシアに命じられて行った都市内転移。禁則事項に触れている行為をしてしまったため、当然アインから叱られた。事の始末の一環で、今回俺はゼロが行う調査に同行することになっている。

 イルシアの命令以外で外部に赴くのは初めてだ。それ故か、イルシアも心構えが出来ておらず、こうしてぐずっている。


「いいかイルシア、時間管理には気を付けろ。約束をすっぽかしたりしないようにな」


「勿論、分かっているとも」


「それと、食事を作り置きしておいた。保存庫に入ってるから毎食必ず食べるように。間食も用意したが、歯磨きは忘れるなよ」


「おお! それは助かるよ」


「あと、風呂にはちゃんと入る事。湯船にはゆっくりと浸かる事。どれだけ遅くなっても、深夜一時前には寝る事。できれば十一時前が望ましい」


「もう! 分かったってば! しつこいぞいい加減。君は私のお母さんか!」


 さっきまで行くな行くなとグズっていた癖に、俺が少し注意事項を告げているだけでこの態度。今では俺を押し出して退けようとしている。


「何だよお母さんって……まあ、行ってくるから、くれぐれも忘れんようにな」


「委細承知だ、我が最高傑作よ。さあ、いきたまえ」


 やっと変なやり取りを終えた俺達。最終的にはイルシアも優しく微笑み、落ち着いて見送ってくれた。

 俺はゼロと共に屋敷から去り、セフィロト内を抜けるべく歩く。その最中、俺はゼロに軽く謝った。


「すまないな、手間取らせて」


「……構わない。イルシアは、昔からあんな感じだ」


 相変わらず暗くミステリアスな雰囲気の魔導師は、無感情な口調でそう告げた。

 ゼロの言葉を聞いた俺は天を仰いだ。昔からあんなんなのかよ。

 思わぬ暴露に呆れながら、俺はゼロと共にセフィロトを後にした。




 インサニティル山脈。

 ガイア大陸北方に位置する魔境。海抜一万メートル以上と目される巨大山脈であり、ガイア大陸北方の東から西へ弧を描くように聳え立つ。

 かつては先住民族――或いは古代文明――の居住地ないし宗教的施設があったとされている。その論を証明するように、山道には所々に先史文明の残滓を感じる。

 

 ブリューデ大森林のそれとは比較にもならないほどの濃密な霊脈が存在しており、影響からか空間が一部異界化すらしている。

 山脈は常に高密度の魔力で満たされている。魔導の心得がないものにすら可視化できるほどの魔力は、宛ら白霧のように見えるのだとか。


「――では、インサニティル山脈内にて、もっとも魔力が濃密な場所は何処か、分かるだろうか」


 山脈下層、標高三千メートルほど。天然の広場のようになっている場所で、壮大な景色を楽しんでいた俺は、横に立ったゼロの問いで意識を引き戻す。


「……うーん。頂上、とかか?」


「不正解、だ。……いや、完全に間違いとも言い切れないが、単純な魔力量では、ある場所に劣る」


 当て推量を披露してみるが、残念ながらハズレたようだ。こういう「難しそうなヤツ」は、だいぶ専門から外れているので答えられない。

 ちなむと俺の専門とは、命令を聞いて何かを壊したり殺したりすることだ。


「高い場所というのは、それだけで……魔術的、意味を持つ。……だが、魔力が収束しやすいのは、別の場所、だ。霊脈……より近い場所にこそ……魔力は収束する」


 ボソボソと暗い喋り方のゼロだが、言わんとしている事は理解できた。霊脈は星の深くに流れる魔力の流れ。故にこそ、地に近い場所が魔力濃度の高い領域――と言う事だろう。

 例を出して説明するならば、床暖房に近い。床に近ければ熱を感じ取りやすいが、椅子などで離れれば効力が落ちる――といった具合だ。

 

「なるほど……地上に近い場所ほど魔力が高まるってことか。なら何で、山を登っているんだ?」


「……霊脈は何も、均一に地を流れているワケ、ではない。脂肪や肉に隠れてしまう血管があるように、表層に浮き出る血管もある、と言う事だ。……インサニティル山脈、ガイア大陸最高峰……標高五千メートル程にある、洞穴から、直接霊脈に触れられる穴が、空いている。地下への、穴だ」


「地下への穴……マルクトの間にある、星の深淵に似たモノか?」


「似てはいる……だが、流石に、セフィラの塔のそれには、及ばない」


 再び山道を歩き出したゼロについていきながら、会話を続ける。


「セフィラの塔、最下層領域――マルクトの間は、星の中枢へのアクセス端末。……神、だ。流石に、及ばない……だが、この場所も、天然物にしては、かなり高性能、だ。故にこそ、古代の文明は、この山脈にて、文明を築いた、のだろう」


「なるほど。大規模な河に文明が興るのと同じような理屈か」


「左様……」


 遠い、遠い記憶、学校で受けた初歩の歴史の授業で聞いた文明論を思い出した俺は、そう口にした。俺の見解は間違っていなかったようで、この分野での遥かなる先達は鷹揚に頷いた。


「さて……」


 暫く会話と、周囲の景色を楽しんでいた俺達だが、ゼロが足を止めた事で理解する。


「客人、のようだな」


 互いに異なる方法で、接近する異様なる気配を捉えていた。ゼロがゆっくりと振り返り、俺もそれに倣った。


「……」


 視線の先、そこには二人のニンゲンがいた。


「――ルベド……ルベド・アルス=マグナッ!!」


 目を見開き、激情を発するのは見覚えのある少年。動きやすそうな軽装に身を包み、物々しい槍を携えた茶髪の少年。――どっかで見た事ある気が――ああ、思い出した。ええっと、そうそう、クロム少年だ。

 もう一人は女だ。赤いストレートロングヘアーと、琥珀色の瞳が特徴的な美女。簡素な旅装に身を包んでいる。片腕が無いのが気になる――待て、俺はこの女を知っている。


「……アルス=マグナよ。アレは――」


「分かっている。どうする?」


「……出来ることならば、荒事は避けたい。しかし、それは不可能、と推測する」


「アンタの用事って、俺が絶対に必要だったりすんのか?」


「……最終的には、いてくれた方が助かるが、事前に準備も必要になる」


 ゼロと素早くいくつかの問答を終えた俺は、少し考え込む。その間にもクロムと女はコチラを窺っていた。


「……ッ! 無視するなッ!」


「待て、無暗に突っ込むな」


「でも、師匠ッ!」


 何かやかましくするニンゲンらから意識を逸らし、俺はある提案をゼロにする。


「ここは俺が引き受けるから、アンタは先に準備を済ませてくる――ってのはどうだ?」


「ふむ……理想的、と判断する。助かる、アルス=マグナ」


「いや、こういうのは俺の仕事だしな」


 そういってから手を軽く振ると、ゼロは会釈してから山道を進んでいった。それを見届けてから、ニンゲンらに改めて向き直る。


「さて、何故ここにいるんだ。――アンバーアイズ」


 俺が女――アンバーアイズの名を呼ぶと、彼女は眉をピクリと動かし、クロムの方は驚愕する。


「な、何故お前が師匠の名前を……」


 一々うるさいガキを無視して、俺は警戒を以てアンバーアイズを見据える。


「貴様の主人から、教えて貰ったのかな」


「想像に任せるよ」


 適当に返すと、アンバーアイズは挑発的に微笑み、肩を竦めた。


「つれないな」


「お前なんぞに付き合ってやる義理はない、アンバーアイズ。……にしても、アンバーアイズとは皮肉な名前だな」


 彼女の余裕な態度が気に食わなかった俺は、少しばかり意趣返ししてやることにしてやる。俺の発言を聞いたアンバーアイズは僅かに視線を鋭く変じる。


「どういう、意味だ……」


 またしても何も知らないクロム少年は、呆然とした表情で俺に問うてくる。


「本当に、お前はいつも重要な事を知らずに生きているな。可哀そうに」


「何だと!?」


「俺が知っていたのは、そっちの女が有名人だからさ。なあ、アンバーアイズ」


「……」


 無言で俺を睨むアンバーアイズ。その正体を最近、アインから渡された資料で知っている俺は反射的に警戒で返す。油断していい相手ではないからだ。


「――今から五百年以上前。この時代より前に、世界が滅び掛けた。新生の災厄だ」


 ――その災厄の時代にて、当時の北方の国々は乱立し、覇を唱え合い、戦火に塗れていた。

 そんな中、大規模な災厄と魔物の襲撃によって混乱はますます深まり、宛ら地獄のようになっていた。

 その混迷の時代にて、神の遺物に選定されし十五人の「勇者」が現れた。

 勇者は魔を打ち払い、混乱を治め、混迷の国を纏め、一つに導いた。

 

「――始まりの十五人――今や彼らの遺物を継いで、現代においては『秘蹟機関』と名を変えた組織。その第一に在りし、最優にして原初の勇者」


 俺は明確なる敵意を以て、女を見据えた。


「――新生の災厄を払った始原の勇者にして、生ける伝説、聖人。五百年の時を経ても尚、人類を守護せんとする愚昧――秘蹟機関、第一席次――グリムロック・アンバーアイズ」

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