第67話 人外の茶会
「着いたわ。ふふ、やっぱここよね~」
快晴な空の下、セフィロトの街を往く人外らの喧噪の中、ヘルメスはとある店の前で立っていた。
店の名は「カフェ・カローラ」――ヘルメスお気に入りのカフェだ。人外でも入りやすいように広く造られた店内と、豊富なメニュー、何より茶と甘味が美味いし内装が可愛い。ルベドに初めて集られたのもこの店だ。
「またこの店か。まあ、美味いからいいけど」
横に立った巨躯の人狼が、偉そうな口調でそんなことを口にする。漆黒の毛並みに、長く靡くタテガミ。紅く鋭い目と、涼しげな装束が印象に残る人狼のキマイラ。ルベド・アルス=マグナだ。
「奢ってもらう身で随分偉そうね」
「その分の対価は支払ってるだろうが。お前の精神安定剤になってやってるんだから感謝しろよ」
少しムっとしたので言い返したヘルメスだが、それ以上に痛烈に、面倒くさい感じで返しが来る。
何だコイツ、と思わないでもないが、グっと堪える。ここで更に言い返したらずっと面倒な言い合いが続く。
「あー面倒ね。もういいわ、入りましょ」
「ハイロハイロ~!」
「甘イノ食イタイゼ!」
ヘルメスの言葉に続くように、ルベドの尻尾であるオルとトロスも可愛らしく同意してくれる。その健気な様子に思わず表情が蕩けそうになるが、だらしない顔を晒すのは店に入ってからだ。
「こんちわー! また来たわよ!」
「ういーす」
「コンチワ! コンチワ!」
「コンチワー!」
ヘルメスの挨拶を契機に、ルベドとそれに続くように二匹の蛇も声を上げる。テーブルを布巾で拭っていた店員の女性――カルラという魔人族で、このカフェ・カローラを一人で運営している――が振り向いて、優し気な微笑みを浮かべた。
「あ、ヘルメス様。ルベド様もようこそ」
如何にも柔和そうな女性であるカルラが、その印象を裏切らずに挨拶を返してくる。何度も繰り返してきた安らぎの所作に満足感を覚え、ヘルメスは笑顔で頷く。
「いつもの席、コイツと一緒に貰うわね」
そういってヘルメスは隅っこのボックス席に行き、手前の窓側に座った。ルベドも倣うように対面に座る。初めてこの店にルベドと来た頃より、こうするのが暗黙の了解なのだ。
「今日は何にしよっかな~ ねえ、オルくん、トロスちゃん。君達は何がいいかなぁ?」
メニュー表を弄りながら最愛の蛇達に猫撫で声で問うヘルメス。蛇達はクリクリとした目を瞬かせて首を傾げる。
「ナニガイイカナ、ナニガイイカナ?」
「オイラハケーキガイイゾ!」
可愛らしい声でそう告げる蛇達。彼らの健気な態度に癒されて、思わず口元がだらしなく緩んでしまう。
「えへへ、えへへへへ」
自分でも自らのモノか疑うほど異様な声音が出る。ルベドがあからさまに嫌そうな雰囲気を放っているが気にしない、気に出来ないほど蛇達に魅了されていた。
そうしてオルとトロスを眺め、過労で荒んだ精神を治癒している内に注文を決めたのか、ルベドが軽く手を挙げる。
「すんませーん」
「はーい」
気の抜けた声でルベドが呼ぶと、明るい笑顔を纏ったカルラは元気に現れる。
「ショコラケーキ、コイツら用にデカいので。俺はアフォガートにしようかな」
「アタシ、アレがいい! あの、アレ、温かいケーキ!」
「フォンダンショコラですか?」
「そうそれ! それといつもの紅茶!」
「かしこまりました」
注文をとったカルラが厨房に消えて行くのを見送ったヘルメスは、鼻歌混じりで楽しみに待機しているオルとトロスに向き直る。
「マダカナ、マダカナ?」
「待チ遠シイゾ!」
キャッキャとしている蛇達。視界に入れるだけで心が蕩けそうになってしまう。
「ハァァ……カワイイ」
頬杖を突きながらヘルメスは感嘆の溜息をついた。それを尻目にルベドは先ほど受け取った書類を出して目を走らせ――僅かに眉を顰める。
「チッ」
いや、眉を顰めるだけじゃない。不機嫌あからさまに舌打ちまでしていた。
「……それ、何が書いてあるの?」
少しだけ興味を惹かれたヘルメスは思わずルベドに問いかける。ルベドは書類を伏せてから視線をヘルメスに投げた。
「別に、今後アインから下される任務の詳細とか、聖遺物持ちについての情報だよ」
「何よ、普通じゃない」
「そう、普通だな。だから問題だろ。どうして今更になってこんな普通の情報渡されるのかって話」
そう言いながら、ルベドはテーブルに伏せた書類を手の甲で軽く叩いた。
「聖遺物持ちの情報とか、真っ先に共有しておくモンじゃないのか?」
「あ……」
何故ルベドが不機嫌そうにしているのか、その問題を理解したヘルメスは納得の声を上げた。
「こういうのあるなら、もっと早くに教えろっての」
「……そうね、それはそうね」
「ったく、うっかりが発動して殺っちゃったりしたらどうするんだ」
「マーレスダの時みたいなのが何度もあったら困るわね。あの時はどうにかなったけど」
「何他人事みたいに言ってるんだ、アレはお前も悪いだろ」
「困るわね、ってハナシをしてるだけでしょ蒸し返さないでよ。悪かったって謝ったんだから、終わったこと一々突いてたらモテないわよ」
「モテなくても困らないっての。俺性別ないし」
頬杖を突いたルベドが不機嫌そうに言い放つのを聞いて、ヘルメスは驚愕する。
(マジ? コイツ……無いの?)
「お待たせしましたー」
ヘルメスが驚愕している間に、注文してた品が到着した。温かな紅玉色を湛えるカップと、粉砂糖でデコレーションされたショコラケーキだ。
「ワァ!」
「オイシソウ、オイシソウ!」
大きなケーキを目の前に置かれた双子の蛇達は、目を輝かせて喜ぶ。供されたジェラートと小さなコーヒーを無感動に眺めていたキマイラに向かって、蛇達が振り向いて視線で急かす。
「食って良し」
まるで犬にでも命令するかのような物言いだが、蛇達にとっては福音にも等しい声だったようで、満面の笑みを浮かべてから勢いよくケーキに齧り付いた。
「オイシイ、オイシイ!」
「コレ、チョー美味イゾ!」
口元を茶色塗れにさせながら、オルとトロスは叫ぶ。その様子を眺めていたルベドは、注ぎ口のついたカップに注がれた濃いコーヒーを取った。
「だいぶ濃いな」
などと言って飲もうとするルベド。その様子を見てヘルメスは呆れと嘲笑との感情を抱いた。
「バカね、それはアイスにかける用なのよ。アフォガートっていうのは、濃く淹れたコーヒーとかお茶とか酒とかをアイスにかけて食べるモンなの」
「ふーん、そうなのか」
「知らないで頼んでたの?」
「悪いかよ。いいだろ、名前だけで決めても」
ぶーぶー文句を垂れながら、ルベドはコーヒーをジェラートに注いだ。湯気を立てて氷菓が溶けていき、白と黒が混ざっていく。
「最近の楽しみなんだよ。知らない、名前だけじゃワケ分からんヤツ注文するの」
「何それ。ギャップ萌えでも狙ってるつもり? アンタには無理よ、無理」
「お前じゃあるまいし、んなモン狙うワケないだろアホか」
蕩けたジェラートをスプーンで掬って、右往左往させているルベドが呆れた声で反論する。相変わらず減らず口が鬱陶しい奴である、とヘルメスは感じた。
そんなヘルメスを意に介さず、ルベドは掬ったジェラートを一口味わい、再び書類に目を通す。
ヘルメスも自分に出された茶と甘味を味わいつつ、無邪気に振舞う双子の蛇を眺めて癒されることにした。
「オイシイ! オイシイ!」
「黒イケーキ、スゴク美味イナ! ルベドモ喰ウカ?」
「いいよ俺は。お前らで食え」
「イイノ、イイノ?」
「いいって言ってるだろ」
ヘルメスからすると非常に羨ましいやり取りを気だるげにしているルベド。ヘルメスが歯軋りを抑えながら眺めているのを知らずに、ルベドは優雅に氷菓を喫していた。
「コーヒーとアイスか、手軽な癖に美味いなこれ」
「そうね。……そういえば、コーヒーもショコラも異大陸伝来の代物なのよね」
あと芋とかも――と付け加えると、ルベドが珍しく目を見開いていた。表情が動かない事に定説のあるこのキマイラが、ここまで動揺するとは一体――
「異大陸……ガイア大陸以外にも、あるのか。この世界に、大陸って」
「はあ? あるに決まってるでしょ。アンタ、無知ってレベルじゃないわよ流石にそれは」
「チッ。知識量でマウントとって楽しいのかよ」
負け惜しみにも聞こえるような事をボヤきつつ、ルベドはジェラートの残りを平らげた。空いた器に投げ出されたスプーンがカランと、虚しい音を響かせる。
「頭がよくて何でも知ってるヘルメスさんに、ついでに聞いておきたいんだが。インサニティル山脈ってどんなところなんだ?」
かなり皮肉気に聞いてくるルベド。唐突な質問にヘルメスは首を傾げた。
「何でいきなり……」
「ほら、これ。アインの命令で行く事になるんだよ。あの……その……ゼロと一緒に」
ルベドが指したのは彼が受け取った書類の文章。軽く目を通すと、確かにそのような旨が記されている。
「ゼロって、あのインキャ魔導師? 何でアンタと一緒に……接点無いでしょ」
「なんでも、死者の世界? とかについて調べたいとかで。都合のいい魔力源が欲しいそうだ」
「ああ、だからアンタなんだ。確かにそのバカ魔力なら、コンセントとしての役目は果たせそうね」
「俺はモバイルバッテリーかよ……」
よく分からない返しをボソリとしたルベドは、少し嫌そうな顔をして窓から店の外を眺める。いつにないルベドの姿に、ヘルメスは少しだけ面白く感じた。
「ふふっ、まあ、ちょっと興味ある組み合わせではあるわね。観察できないのがザンネン」
「見世物じゃねえっつーの」
「ジャネーッツーノ!」
「ツーノ、ツーノ!」
「おっ、食い終わったな」
ルベドの言葉を理解してかしてないのか、嬉しそうに鸚鵡返しするオルとトロス。口元はチョコ塗れで、とても情けなく可愛らしい。呆れたように嘆息をしたルベドが、どこから出したのかハンカチで丁寧に拭う。
「おら、動くな」
「あ、アタシ……アタシが拭いてあげたい!」
「はあ? …………しょうがないな」
こうして束の間の休息は過ぎて行った。ヘルメスの貴重な休息は、彼女が望んだ通りに正しく遂げられたのだ。それがどれほど恵まれた事か、態々論ずる必要は無かろう。
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