第66話 セフィラの喧噪

「何故ここに呼び出されたか、心当たりはあるだろう?」


 アイン・ソフ・オウルの目の前、円卓に座った黒狼の獣人のキマイラ――鉄面皮で強面で紅き目が威圧的な、ルベド・アルス=マグナが、脚を組んで肘掛けに頬杖をついていた。


「……」


 ルベドは相変わらず無表情で黙り込んでいる。彼よりも、寧ろ尻尾である蛇達の方が感情豊かであった。


「オーナーカースイター!」


「スイター、スイター!!」


「後ココ嫌イダゾ!」


「インキ、インキ!」


 微笑んでしまいそうになるほど無邪気に、それでいて可愛らしい声で騒ぐ蛇達。微笑ましい光景であるが、その主が何を考えているか分からないほどの鉄面皮であると思えば、素直に眺める事も出来ない。

 そもそも、アインが彼を呼び出しているのは、その問題ある素行故なのだ。


「都市内での空間転移の行使は禁止だと告げたハズだが――その後も何度か使用しているな?」


「……」


 ルベドは表情を動かさず、ただ視線だけを揺らがせた。伏せるように、逸らすように――そう、少し申し訳なさそうに。


「……イルシアが、やれって」


 心なしか落ち込んだトーンで、ルベドはやはりそう述べた。


「またしても、奴かっ……」


 予想通りの返しに、アインは思わず天を仰いだ。

 イルシア・ヴァン・パラケルスス。目の前にいるキマイラの主人にして、タウミエルの問題児。最高意思の一人であるという権利を悪用し、こうしてルールに背いた実験をも強行してしまう。


 これが一研究員による凶行ならば、処断するだけで済む。だが彼女はタウミエルのメンバー。殺すなんて出来ないし、とはいっても口頭注意では収まらない。全くもって頭の痛い問題だ。

 そして彼女によって創造された彼は、主人の命令に背くことは出来ない。それが道具として創造されたモノの定めだからだ。

 

「……悪いとは、思ってるよ」


 苦い顔をしたアインを気遣うように、ルベドが小さな声でそういった。相変わらず表情は動かないが、少しだけ耳が垂れているので確かに罪悪感は感じているのだろう。

 

「……ルベド・アルス=マグナ君。確かに君は彼女によって創造された道具だ。だがな、道具――つまり、ヤツの従者たるのであれば、主の過ちを糺すのも役目だろうに」


「それを言われると、耳が痛いよ」


「君は彼女に優しすぎる。甘やかすのも大概にしたまえ」


「……」


 アインの言葉を聞いて蛇達も何かを感じたのか、それとも怒られていると理解したのか、シュンとしていた。ルベドの耳の具合とリンクしているようで、少しだけ興味深い光景でもある。


「いいか、君もまたタウミエルのメンバーだ。我々セフィロトの最高意思は、下にいる者達に示しが付くよう、それなりの振舞いをする必要がある。上の者が布告したルールを、率先して破ってどうする」


「すんません……」


「君はまだタウミエルに加入して日が浅いからか、最高意思としての自意識が足りていないな。――そうだな、君の主もだな。アレはどうしようもない」


「そうだな。それは俺も常々思ってるよ」


「オレからもヤツに言っておくが、君も頼むぞ。アレを律せられるとしたら、やはり一番身近にいる者だけだろうからな」


 アインがそういうと、ルベドは遂に表情を変えた。苦いモノを感じさせる顔だ。


「俺から言っても無理だよ」


 にべもない一言に、アインは再び天を仰いだ。

 確かに、従者の一言で収まるならば疾うに問題はないハズだ。そうではないと言う事は、やはり彼女自身に深刻な問題がある。

 

「ままならないな」


「そもそも、アイツを制御しようという考えが間違ってるんだ。どうしようもないヤツだから、今後も規則を破るかもしれない」


「そこは君が努力するべき箇所だろうに」


「無理。絶対に、無~理」


 完全に匙を投げている様子のルベドは、目を閉じそっぽを向いてしまう。そんなルベドが可笑しいのか、蛇達が彼の顔を突いたり耳を齧ったりして揶揄っていた。


「はぁ……もういい。取り敢えず、この話は終わりだ。罰則か何かを設けようとも思ったが――」


 罰則と口にした瞬間、ルベドが目をパチっと開きこちらを見る。


「――そうだな。一つ任務を与えるから、それで清算としよう。君もタウミエルのメンバーなのだ、それを治めるオレの命令の一つくらい、聞いてもらえるだろう?」


 アインが微笑みを浮かべながら聞くと、ルベドは纏わりついてくる蛇達を払ってから頷いた。


「ああ。俺の主人の不始末だ、俺が片づけさせてもらう」


「よし、素晴らしい心がけだ。ヤツにも見習ってほしい所だが……では、これで解散とする。帰り際に情報部に寄って、ヘルメスから書類を受け取ってくれ。君に下す任務の詳細や、判明している聖遺物と、その契約者など、有用な情報が記載されている」


 アインがそう告げると、ルベドは少しだけ眉をひそめる。


「何か?」


「………いや、別に」


 何か言いたげだったルベドだが、特に告げることもなく席を立った。


「じゃ、俺はこれで」


「うむ」


 去っていくルベドの背中をアインは静かに見つめ続ける。


「道具、か」


 万感の思いが籠った一言は、当然沈黙に満ちたケテルの間に溶けて消える。時が経てば、呟いた本人すら忘却してしまうほど細い言の葉であった。








 ◇◇◇








「ういーす、ヘルメスいるかー?」


 資料を読み込んでいたヘルメス・カレイドスコープの耳を撫でる、感情を窺わせない癖にどこかふざけている青年の声。声の主に覚えがあったヘルメスは、倦怠感といらつき、そして僅かに期待を抱きながら振り返る。

 

「……アンタ、何しに来たの?」


 我ながら低くなり過ぎたのを自覚しながらも、不機嫌に問うヘルメス。視線の先には、情報部の入り口から顔を出す黒狼のキマイラがいた。


「アインからここに寄って、俺当ての書類を貰っていけって」


 キマイラ――ルベド・アルス=マグナは、巨躯である事を窺わせないほどしなやかに、器用にデスクの間を通り抜けてくる。仕事に打ち込んでいる情報部員を邪魔しないような配慮さえ伺える身のこなしだ。

 ルベドが言ったのをきっかけにヘルメスは思い出す。そういえばコイツ当ての書類を預かってたっけ――と。

 

(何よ、そんくらい自分で渡しなさいよね)


 胸中でアインに毒づくヘルメスだが、とあるモノを目にして心を穏やかにする。


「ア、オ菓子ノネエチャン!」


「コンニチワ、コンニチワ!」


 ヘルメスに声を掛けたのは、ルベドの臀部から生えるキマイラとしての異形――オル・トロスだ。

 オルとトロスの二匹が、シュルシュルとヘルメスに近寄ってくる。可愛らしい声に、無邪気な態度、大きくクリクリとした黒くつぶらな瞳。彼らのキュートさが、ヘルメスの心をガッチリと掴んでいた。


「オルくん、トロスちゃん!」


 覚えてくれていた事が嬉しくて、つい猫撫で声になってしまうヘルメス。そんな様子をルベドが冷たく輝く紅い目で見下ろしていた。


「な、なによ……」


 思わずルベドを睨み返すヘルメスだが、当のキマイラは少し意外そうにしていた。


「あ? 何が?」


「何かめっちゃ見下してくるから……」


 ニコニコしながら絡みついてくるオルとトロスを撫でて、その鱗の滑らかさを楽しみながらもヘルメスは言った。

 ヘルメスの言葉を暫く吟味している様子のルベド。視線を彷徨わせ、やがて何か思いついたようだ。


「そりゃ俺がデカくて、お前がチビだからそう見えるだけだろ。別に今は何とも思ってなかったぞ」


「……そう、ならいいわ。いや、何とも思ってないってのもそれはそれで何かムカつくけど。……アンタの目つきが悪いのも原因ね。アンタスッゴイサディスティックな目しているし」


「失礼すぎだろお前」


「でもイジメられるより、イジメる方が好きなんでしょう?」


「うん」


「ほーらやっぱり!」


 そんな風にじゃれ合っていると、ルベドはあからさまな咳払いをした事で書類の事を思い出す。


「あ……ごめん。ほら、これよ」


 一言謝ってから、ヘルメスは机の上に置いてあった書類の束を見つけ出し、ルベドに手渡した。


「よし、確かに受け取ったぞ」


 そういったルベドは書類を弄んだ後、クルリと踵を返した。帰るのだろう。――彼が帰ると言う事は、今こうしてオルやトロスとじゃれ合って癒される時間も終わると言う事。


(ダメ、それはダメ。ただでさえ最近仕事多くて疲れ溜まってるんだから、もうちょい癒されないとアタシの精神が持たないわ)


 どうにかしてルベドを引き留め、オル・トロスと遊ぶ時間を稼がないと。いつも以上に断固なる決意を抱いたヘルメスは、ガバリと席を勢いよく立ち上がった。いきなりのヘルメスに、仕事に打ち込んでいた情報部の構成員達や、踵を返していたルベドも振り向いて見つめる。


「どうした、まだ何かあるのか?」


「……違うわ。ただ、その――」


 どうやって引き留めようと考えていると、ルベドの視線が動く。自分の尻尾であるオルとトロス、彼らがじゃれつくヘルメスに向かって。やがて何かを察したように視線を戻すと、


「イルシアに説教しなきゃいけないから、一時間だけだぞ。あと、お前の奢りじゃないと付き合ってやらんからな」


 どことなく憐れんだような雰囲気のルベドが、傲慢な口調でそう告げた。


(……っ。アタシの考え全部見透かされてるみたいでクソムカつくわね。まあいいわ)


 見透かしたようなルベドの態度が癪に障るが、努めて無視して腕を組み、胸を張った。


「フン、分かってるならいいのよ。じゃあ行きましょ」


 仕事道具やら何やらを一式持ったヘルメスは、ルベドにそう告げた。蛇達はとても嬉しそうにしていたが、その主であるキマイラはどこか憂鬱そうな雰囲気を放っていた。

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