第65話 メランコリック・キマイラ

 手に持った包丁には、赤く輝く血液で濡れている。

 俺の手の中で、命が終わっていく感覚。暖かなものが、冷たくなっていく感覚。

 ナイフを突き刺した時に身じろぎしていた男は、既に動かなくなっていた。

 ヒトから肉の塊に堕ちたモノの上で、俺は荒く息を吐き続ける。

 復讐を果たした快悦などなく、虚無感だけが心を蝕む。

 灰色の空は酷く重く、ずっと覆い尽くしている。どこまでも、ずっと。

 胸中に満ちた問いを、遂に湛え続ける事が出来なくなって、俺は口にした。


「どうして、俺は生まれたんだ、父さん」


 動かなくなった肉の塊の、かつての呼び名を吐いた。

 どこまでも続く灰の空だけが、それを聞いていた。












 ――そして俺は夢から醒めた。

 

「……」


 暖かに俺を包む青い魔力液の中、俺は考える。

 

「夢、か」


 一瞬の思考の後、解答を得た俺はそれを口にする。水中で言葉を紡いだ影響で、口の端から泡が浮かんだ。

 夢は嫌いだ。

 ずっと、ずっと前の事ですら、戒めるように顔を出してくる図々しさが嫌いだ。

 気を紛らわすように、俺は辺りを見渡す。


 薄暗く雑然とした研究室。そこにある大きなフラスコの中に俺はいる。

 ――現在、俺はミゼーアの因子を組み込む為の調整をされている。因子――つまり遺伝子情報を賢者の石に組み込む為に、フラスコの中でスリープモードにして調整しているのだ。その際に不具合などを確認し、必要があればオーバーホールも行う。

 

 電源を落としている状態にも等しく、それはヒトで言う所の睡眠に当たる。故にこそ、通常の生物に似た人格を持つ俺は、休眠中に夢を――意識の残影を見る事がある。

 だからこのフラスコはそんなに好きじゃない。確かに居心地はいいが、眠れば夢を見るかもしれない。ヒトだった頃の記憶なんて、ロクなモノがないから、思い起こす事すら苦痛だというのに。

 

 ――時折、心が無ければよいと思う事がある。

 心さえ無ければ、こうして過去の事で患う必要もない。

 心さえ無ければ、自らの主に抱いてしまう、禁忌めいた慕情に苦しむ必要もない。

 心さえ無ければ、俺はきっとより完璧な兵器に成れる。

 心さえ、心さえ、心さえ――だが、これもまた彼女が望んで付与した機能であれば、仕方ない。


 俺が俺でなければ――イルシアが決して望まないであろう事を、誰よりも強く望みながら、俺は今日も煩悶する。

 そうして魔力液の中を漂い続けていた時――


「――目が、覚めていたんだね、ルベド」


 ガラスと魔力液越しに響く、愛しき主の声。

 俺は目を開き、沈黙の思考から浮上した。

 目の前には女錬金術師がいた。長い銀髪と碧眼、そして眼鏡と白衣が特徴的な美女。イルシア・ヴァン・パラケルスス――俺の、主人。

 今日も俺は彼女に仕える。錬金術師の最高傑作、ルベド・アルス=マグナとして。


















 いえーい、見てるー? 合成魔獣キマイラです。

 ご無沙汰しています。

 ブリューデ大森林に眠る怪物、ミゼーアを撃破してから少し経った。俺はイルシアに因子の改造をしてもらい、今日晴れて正式実装となった。

 

「我が最高傑作、ルベド・アルス=マグナよッ! さあ、さあ、早速新たなる変異を見せてくれ!」


 セフィロトにある邸宅兼研究所の試験場にて、俺はイルシアに変異をせがまれていた。

 

「新シイ力! 楽シミダゾ!」


「タノシミ、タノシミ!」


 調整時は爆睡をかましていた俺の同居人たる「オル・トロス」も、すっかり元気になってうるさくしている。頭が痛いので、耳元で叫ばないでほしい。


「……何かテンション高くないか、イルシア」


 いつも以上にテンションの高いイルシアに違和感を覚えた俺は、少し呆れた口調で問うた。

 

「ふふ、ふふふ。より完璧になった君の完成が待ち遠しくて、かかり切りで調整していたからね! こうして目の当たりにして、私の情動が爆発しているというワケだッ!」


「……ちなみに、今何徹目だ?」


 やけにギラギラと目を輝かせるイルシアに、俺は不安を感じつつ聞いた。こういう時は大体、イルシアは徹夜のし過ぎで精神がイカれている。

 果たして俺の問いに、イルシアは少し考えた後答えた。


「うーん……えっと、多分……三日は寝てない、かな?」


「……」


 彼女の答えに俺は思わず天を仰いだ。

 

「三日って事は、プラスで数日だな。お前が連続で徹夜する時の感覚は当てにならん」


「はっはっは、やはり君は私の最も良き理解者だな」


 などと明るい調子で適当な事を言うイルシア。疾うに正気じゃないな。

 コイツが不老不死だからまだいいが、普通のニンゲンなら既に死んでいてもおかしくない。というか不老不死でも体調の変化はあるので、こういうのは好ましくない。実験が終わったら、すぐに寝かしつけないと。


「私が寝てる寝てないはどうでも良いのだ。さあ早く、変異を見せてくれたまえ!!」


「……わーったよ。離れてろ」


 子供のようにはしゃいで急かすイルシアを押しのけて、俺は少し離れて集中する。自身の動力源たるエリクシル=ドライヴより魔力を錬成し、それを呼び水として変異を喚起した。


「――〈部分変異・ミゼーアの時針じしん〉」


 部分変異を発動すると、俺の臀部――オルとトロスの付け根の中間くらいからミゼーアの尻尾が生えてくる。銀色で、禍々しく尖った異形の尾。先端には蒼い宝石の針がついていて、宛ら蠍のようだ。

 

「おお、おおっ!」


 ギチギチ動くミゼーアの尾を見て、イルシアが変な声音で興奮する。だらしない顔を晒している癖に、徹夜の影響か目だけやたらギラついているので、とても不気味で怖い。


「ウニャア!? 新入リカ!? スゴク狭クテ嫌ダゾ!」


「ウゥ~、セマイ、クルシイ! セマイ、クルシイ!」


 付け根を圧迫された影響か、オル・トロスはとても嫌そうな反応をする。そんな顔しないでくれ、悪い事してるみたいになるだろ。


「けひゃきゃひゃー! 素晴らしい、素晴らしい!」


 まだ変異を起動しただけなのに、何がそんなに嬉しいのか狂気的に喜ぶイルシア。コイツは徹夜するとこうなるので、俺がちゃんと見張らないといけないのだ。今回は調整のせいで残念な結果になってしまったが。


「さあ、さあ、ルベドよ、変異に秘められし権能を発現させるのだ!」


「はいはい……」


 ギラギラした目で急かしてくるイルシアに辟易しながらも、俺は目を閉じ自らの変異に集中する。

 ――ミゼーアの因子を得た事で、俺はアイツが使っていた余剰次元への干渉能力を得た。正確には、世界に新たに余剰次元を開き、それを利用するという能力だ。まあ、有り体に言えば、俺専用のフィールドを創って使える、みたいな感じだ。


 まあ、何事も実践あるのみ。物は試しだ、実際に見せよう。


「――〈異空歩法フェーズウォーク〉」


 エリクシル=ドライヴより錬成した魔力が尻尾へ流れ、雷鳴の如く弾ける。尻尾の先についている宝石の針は、蒼から紅へと色を変える。急激に魔力を高めて弾ける尻尾を振るい、そこらへんを切り裂いた。


「――おおっ!」


 イルシアが驚愕するが、その声もどこか遠くに感じる。既に俺がいる場所は先ほどの試験場ではなく、紅く輝く奇妙な異空間になっている。血の海、血の空がどこまでも広がっているかのような不気味さだ。


「ナニコレ!? ナニコレ!?」


「何カスゴク変ナ場所ダゾ!」


 当然、そんな光景を見て珍しモノが好きな蛇共は興奮する。ここは俺の変異によって創られた異界、ミゼーアの余剰次元を再現した領域である。この世界と同一座標上にありながら、更に「深く」潜っている状態である。こちらからは向こうの世界――つまり、物質界を覗くことも出来るが、干渉は難しい。物質界に干渉するにはもう一度出現する必要がある。


 この能力の何がいいかって、無敵になれる所だ。ここにいる間は、例え物質界が滅ぼうとも俺には一切ダメージ無しだ。

 痛いのは本当に嫌なので、これはとてもいい。いつも痛い目に遭ってる気がするので、これで多少そういう機会が少なくなるといいのだが。


「そろそろ戻るぞ」


「「エェー!?」」


「文句言うなよ、どうせこの変異を使う度に見るんだから」


 ぐずる蛇共を窘めて、再び俺はミゼーアの時針を起動する。


「――〈再出現リターン〉」


 権能の名を口にして、尻尾を振ると紅い斬撃が走り、空間を切断し物質界へのゲートを作り出す。そこに静かに潜り込むと、一瞬の浮遊感の後、試験場に戻っていた。


「おおっ!!」


 俺の再出現にイルシアが大喜びしている。はしゃぎ過ぎて、徹夜の影響かボサボサの髪が更にバサバサになっている。


「いやあ、予想以上の次元干渉能力だ! これはかなりの戦力アップだ、素晴らしいよ」


「そっか。もう満足か?」


「いいや、まだまだ試したい事があるっ! 次は座標の移動を試してくれ!」


 両手をバサバサ広げてそう訴えるイルシア。まあ、主人がそういうなら従うのが道具の役目だ。役目なのだが……ギラギラした目を見るととても不安になる。早く寝かせないと……コイツの体調が心配だ。


「分かった、分かったよ。座標の移動って事は、空間転移の事か」


「そうだ。まずはこの試験場で試してくれたまえ」


 俺はイルシアの指示に従い、試験場の端に立ち前を見据える。空間移動――つまりテレポートをミゼーアの時針で行うという実験だ。

 先と同じように、俺は尻尾に魔力を流して起動する。そしてそれを地面に突き刺すと、紅い沼のようなモノが発生し、俺はそこに潜っていく。


 ――暗転と浮遊感の後、俺は事前に演算した座標地点から再びニュっと顔を出していた。視線の先、イルシアの後ろから紅い沼――余剰次元への門――を出現させ、そこから顔をひょっこりとしている感じだ。傍から見たら、生首だけに見えるだろう。


「ぬお!? おお、成功だね!」


 俺が消えた事を確認したイルシアが辺りをキョロキョロとして、遂に見つけると一瞬ビビるものの、すぐに気を取り直した。

 俺はニュルニュルと地面に開いた門から出てきて、イルシアの前に立つ。


「成功なのか。ならもう――」


 寝てくれ、と言おうとした瞬間、


「――次はッ、ここからセフィラの塔に転移が出来ないかを試すよ」


 次なる目的を語ったマッドサイエンティストによって遮られた。

 またか、と思う俺だが、彼女の語った実験内容に驚愕する。


「――っておいっ! セフィロトの中じゃ転移は出来ないだろ。規則的にも、展開してる魔法的にも」


 そう、秘密だらけのセフィロトを守るため、都市には常に転移防止の結界が展開されているし、内部での空間移動も禁止されている。

 ここはイルシアに与えられた試験場だから例外的に許されているだけであって、都市内に転移したらきっと大目玉を喰らう羽目になる。

 だが俺の懸念など一切介せず、イルシアはピンと指を突きつけた。


「構わない、私が許すからやりたまえ」


「ええ……」


 職権乱用もいい所だ。コイツをしっかりと叱れるヤツはアインくらいしかいないのも質が悪い。


「やれ、ルベド」


 いつになく命令形で命じてくるイルシア。こうなると俺にはどうしようもないので、嘆息の後頷いた。

 ……俺、怒られるのかなぁ。やだなあ。


「……じゃあ、転移してすぐ戻ってくるぞ。これが終わったらもう寝ろよ、イルシア」


「うむ、うむ! 約束しようとも」


 取り合えず言質を取ったので――どこまで通用するか怪しいモノだが――俺はイルシアの実験に更に付き合うことにした。

 俺は再び時針を起動し、ある場所へと転移する。


「――そう、アタシ大変だったのよ。何せ聖国にボッチで行って聖遺物を取ってくるんだから。例の勇者がいるかもって考えたら、ほんっとうに嫌だった――ぎにゃあああああ!!?」


 俺が転移したのはセフィラの塔にある情報部の本部だ。門から顔を出すと、丁度ヘルメスが部下の……えっと、シモンさんに愚痴ってる場面に出くわしてしまった。何か見ちゃいけないモン見たみたいで複雑だ。

 ちょっと会話に耳をそばだてていると、俺の存在に気が付いたヘルメスがとんでもない顔になって、更にとんでもない声で叫んでひっくり返った。……あ、パンツが見えた。あんま嬉しくないな。


「ちょりーっす、キマイラでーす」


「キマイラダゾー!」


「ダゾー、ダゾー!」


 見つかってしまったモンはしょうがないので、俺は挨拶しながら門から出てくる。


「うわっ、ルベド様!」


 横で上司の愚痴に付き合っていたシモンが、俺の登場にちょっとびっくりしていた。何か悪い事をしている気分になってきた。これも全部イルシアが悪いんだ。


「あ、あ、アンタ……どうしてここに……ていうかどこからどーやって出て来たのよ!」


 腰を抜かしていたヘルメスが、涙目になりながらそう詰め寄ってくる。流石に罪悪感を感じた俺は、バツが悪くなってそっぽを向いた。


「……イルシアの実験でな。この新しい変異の次元干渉能力を調べたいって。家からここまで転移したんだ」


「転移って……ここ空間移動禁止だし、そもそも出来ないハズでしょ! ていうか、何でアタシのとこに来るのよ! 他にも行くとこあったでしょ!!」


「指定されたんだよセフィラの塔って。だからつい、心当たりがある場所に行ったっていうか……その、あの……悪い」


 今回ばかりは俺が悪いので申し訳なくなって謝るが、それでもヘルメスはカンカンに怒っている。

 あと俺に転移が出来た理由を聞かれても困る。原理の方はあまり詳しくないので。

 そんな事をしていると、


『ルベド・アルス=マグナ君。どうやったかは知らないが、セフィロト内での空間移動の行使は禁止されている。事情聴取を行うので、ケテルの間まで出頭する様に』


 どういう原理か知らないが、塔内にアインの声でアナウンスが響く。まるで悪ガキを呼び出す先生みたいで、恥ずかしくなってきた。


「……」


「……」


「……」


 俺に詰め寄って来ていたヘルメスも、そのやり取りを見ていたシモンも、俺も思わず黙り込んでしまった。ちなみに蛇共は興味がないのか、机に置いてあった誰かの菓子を勝手に食っていた。


「はぁ……やっぱり俺が怒られんのかよ」


 俺が愚痴ると、ヘルメスが顔を膨らませて噴き出すのを我慢していた。


「っ……くっくっく……プークスクス! 怒られてやんの! バッカね! アインはキモいインキャだから、ずっと都市を監視してるのよ! 迂闊にルールを破ったらすーぐ呼び出してくるんだから!」


 遂に我慢できなくなったヘルメスが、俺をバカにしながら爆笑する。ムカつくが、俺が悪いので何も言えない。あとシモンさんのいたたまれないような視線が痛い。やめてくれ俺をそんな目で見るのは。


『――ヘルメス、ヒトの悪口を言う時はもっと気を配った方がいいぞ』


 そんな中、再び響くアナウンス。今度はヘルメスに向けられたモノだ。それを聞いたヘルメスは暫く硬直し、やがて顔を真っ赤にして空へ――恐らくケテルの間にいるアインに向かって吠える。


「キッショ!! アンタそういう所よ! マジでキモイからねそういうの!」


「ヒトの悪口を言う方もどうかと思うけどな」


「うっさいわね!」


 何かキレ始めたので、俺はそそくさとその場を離れる。もう一回転移するのは怒られそうなので、素直に歩いて帰ることにした。報告したら怒られに行かないといけないのか……憂鬱だな。

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