第64話 帝都情景〈急〉

 帝都で所用を終えたダアトは、セレニアを背中に街道を歩いていた。

 ふと、後ろを振り返る。そこには城壁で囲われた帝都の、巨大な姿を見る事が出来る。


「……アレが、聖遺物の契約者」


 ダアトの脳裏にはリンクス・マグナハートの姿が浮かんでいた。

 油断のない翡翠の瞳、こちらを見据える表情や感情――実に、面白い。

 アレならば、最期まで戦い抜けるだろう。そして契約した聖遺物を解放まで導けるに違いない。

 こちらの正体に気づいていた事は無かろうが、一端を悟る程度はしていそうだ。

 ――この数百年の中でも、それなりに期待が持てる「勇者」である。


「――まあ、ダメだとしても問題ありません。使えないのであれば、捨てるだけですから」


 リンクスらと接していた時よりも更に冷たい声音でそう呟いたダアトは、展開した転移魔法の輝きの中へ消えて行く。

 もうそこには、誰もいなかった。不気味な呟きさえ、誰の耳に届くことも無く、帝国の乾いた風に呑まれ消えて行ったのだ。








 ◇◇◇








 ――地獄だ。

 ディートリッヒ・フォン・アルザーンは治めるヴァーロム州は、長い間多くと戦ってきた。

 聖国との戦闘、飢えた魔物――取り分け、戦いの気配があり、死屍が積み重ねる場には、魔性が惹かれて現れる。

 敵の魔導師の防御障壁ごと、州都ヴァーロムの城壁に備え付けられた魔導砲台で爆殺する光景。

 聖国の魔導師が放った元素魔法によって、観測兵や砲兵が消し飛ぶ光景。

 飢えた魔物によって襲われ、生きたまま腸を喰われる光景。

 

 それを見て、ディートリッヒはただ「地獄」としか思えなかった。

 ヒトがヒトによって殺され、その殺戮に惹かれた怪物によって更に殺される死の連鎖。

 膠着状態に陥って、小競り合い程度まで位を堕とした戦いでさえ、これほどの地獄を造れるのだ。

 もしも、もしも――全面戦争に陥ってしまえば、どうなるだろう。

 

 少なくとも、この程度では済むまい。起こされる死の連鎖は今度こそ世界を焼き尽くす事になるだろう。――それこそ、数百年前の繰り返しの如く。

 それを起こしてはならない。絶対にならない。

 だからこそ、ディートリッヒは禁忌を侵すことを決めた。

 

 国に仕える者としての禁忌、主を、民を裏切り寝返るという禁忌。聖国とのか細い窓口として機能していたユグドラス教の司教と通じ、融和派を隠れ蓑にして離反の準備を進めていた。

 その計画とは、ヴァーロム州ごと聖国へ寝返るというもの。正確には州都ヴァーロムを聖国へ明け渡すという計画である。

 

 国防の要たるヴァーロムが寝返れば、帝国と聖国の戦力のバランスは一気に傾くだろう。さすれば、聖国によってあっという間に帝国を侵攻し、すぐに決着がつく。すぐに終わると言う事は、それだけ犠牲者も少ないと言う事だ。――少なくとも、ディートリッヒが予見したような地獄は起きまい。


 愚かな行為だ。ディートリッヒ自身よく理解している。彼の感性による予見であって、実際そうなる可能性があるとはいえない。言ってしまえば勘違いかもしれないのだ。

 それでも、彼は――世界が地獄へ堕ちるのだけは許容できなかった。


「――ディートリッヒ・フォン・アルザーン辺境伯。国家反逆罪の疑いにより、捕縛命令が下っております。ご同行を」


 憲兵によって連行される直前になっても、彼はその信念を揺らがせなかった。

 そしてそれによって自身に罰が下る事になろうとも、覚悟していた。

 そう、覚悟していたのだ。








 ◇◇◇








 謁見の間――至尊の座がありし玉座の間に、リンクスとラグナは進入した。ディートリッヒ・フォン・アルザーン辺境伯への、戦時裁断権を用いた略式裁判を行う為に。

 

「……」


 当然ながら、まだ皇帝はいない。中にいるのは儀仗兵と高位の諸侯、そして四将軍だ。特に四将軍は玉座の横に待機している。いざとなれば護衛の任を負う事になるからだ。

 リンクスとラグナも玉座まで進み、横に並ぶ。四将軍のレオンとアルヴィナが並んで玉座の右に待機し、リンクスとラグナは左で待つ。

 厳かな、いっそはちきれんほどの沈黙と緊張に満たされた謁見の間で待つこと数分、その時は訪れた。


「皇帝陛下、御入来」


 よく通る声をした宰相が、絶対なる存在が現れた事を告げる。

 宰相が告げた瞬間、謁見の間の扉が開かれ、近衛兵に守られながら悠然と歩く女帝の姿が目に入る。諸侯から四将軍に至るまで、皇帝が入来するしていくと順に跪いていく。

 冷酷なる美を備えた女、皇帝たるベアトリクス・フォン・ルーヴェ・バルハルトが絨毯の上を往き、悠然と玉座に腰掛けた。


「顔を上げよ、そして楽にせよ」


 皇帝の許しを得て、その場にいる全員がゆっくりと立ち上がる。


「これより、罪人たるディートリッヒ・フォン・アルザーン辺境伯の裁きを行う」


 宰相がそう告げると、再び謁見の間の扉が開き、憲兵に引っ立てられた辺境伯が現れる。顔つきは以前より憔悴しており、彼の心情を窺い知る事が出来るだろう。

 宰相の横で慎ましくしていた法官が懐より羊皮紙を取り出し、皇帝の前で拝跪させられたディートリッヒに、罪状の読み上げを行う。


「帝国貴族、ディートリッヒ・フォン・アルザーン辺境伯。国防の要衝たるヴァーロムを担いながら、敵国にして蛮族共の跋扈する聖国と手打ちを図ろうとする、まこと愚かで理解に苦しむ行為を働いた。この蛮行においては、辺境伯の人品、責任を疑うに足るモノであり、帝国の法典に則って極刑を与えるが相応しい。国民、及び至尊たる皇帝陛下に唾を吐くが如き行い、汝が命数を以て禊ぐべし」


 淀みなく罪状を告げ終えた法官は、一つ息を吐いた。その後、冷徹な視線をディートリッヒに投げて「何か弁明は?」という。


「……」


 ディートリッヒは何も言わずに俯いていた。それをどう思ったのか、法官は不快気に顔を歪めた後続ける。


「ではこれより、貴君の罪状を裏付ける証拠の提出に移る」


 そう告げると、淀みなく証拠が並べられていく。

 ある場合は、州都にあるディートリッヒの自宅より押収された書類――聖国との密通文書――。

 またある時は、聖国の密偵と後ろ暗く言葉を交わす光景を捉えた、魔導具による写像。

 中でもディートリッヒが一番狼狽したのは――


「――連れてこい」


 法官がそう告げると、再び謁見の間の扉が開き、憲兵に捕らえられた一人の女が入ってくる。

 

(あの女は……)


 様子を見ていたリンクスは彼女に覚えがあった。ダアトと会食をしていた時に見た、兵に捕まっていたユグドラス教の尼僧だ。


「っ!?」


 尼僧を見たディートリッヒは目を見開いて小さく動揺する。


「彼女は聖国から派遣されていた使者たる司教だ。講和会議の為の使者であったが、あろうことか裏ではディートリッヒ卿と通じ、ヴァーロム州を聖国へ明け渡す算段を付けていた。なんと嘆かわしいことか」


 法官の男は、瞳にサディスティックな光を宿して尼僧とディートリッヒを見つめる。法の剣を以て罪人を公的に甚振る、正義の裏返しが齎す背徳的快悦が浮かんでいた。リンクスが嫌いな人種である。


「ディートリッヒ様……」


 尼僧は儚げな顔に苦いモノを浮かべつつ、ディートリッヒを見つめる。ディートリッヒも応じるように辛そうに尼僧を見つめ、歯を食いしばっていた。

 そんな二人のやり取りを見て、法官はニヤリと笑った。


「どうやら、ディートリッヒ卿とそこの司教は、ただならぬ仲にあったようだ。そう、懇ろな……全く、妻子のいる身でそのような真似、愚かしいと、自らを省みる事は無かったのですかな?」


「くっ……」


「あろうことか、敵国の毒婦に唆されるとは」


「彼女をッ、そのように呼ぶのは、止めていただきたい!」


「――貴様の発言を許した覚えはないッ!」


 法官の鋭い怒鳴り声を浴びせられて、ディートリッヒは歯を更に食いしばる。


「ふぅ……まあ、卿の妻子がどうこうは、些か要らぬ発言でしたな。国逆の賊の血縁ともなれば、いずれにせよ処刑が妥当。そう、詮無き事を言ってしまったに過ぎない」


 法官がサディスティックにそういうのを聞いて、リンクスは急速に白けていくのを感じた。

 

(俺は何を見せられているんだろうな。宮廷政治の真似事をする為に、その暗闘に参加する為にこんな座に就いたワケじゃない……。茶番もいい所だ)


 師たるウルスラの眼鏡に適うように、ここまで来たのだ。他人を裁くのに快悦を見出すような、どうしようもない奴と肩を並べる為に頑張ってきたワケじゃない。


「――以上の証拠を以て、ディートリッヒ卿の罪科が許しがたく、また疑いようの無いものだと証明する。皇帝陛下、よろしいですか?」


 法官がそう聞くと、目を閉じていたベアトリクスが静かに、鬱陶しそうに頷く。そして目を開き、告げる。


「残念だ、我が忠臣だったディートリッヒ卿」


「――ッ!」


 その言葉にディートリッヒが目を開く。


「ま、待って下さい陛下! 両国が全霊でぶつかれば、今度こそ世界が滅ぶ事になります。私の命など構いません! ですが、どうか、どうか戦いをお止めください! 世界を、このライデルを生かす為、どうか高所大局より御英断をッ!」


 身じろぎをしたせいで憲兵に押さえられているディートリッヒが、必死に皇帝に訴える。冷徹で有名なその声を裏切らず、冷たい視線を玉座の上から注いでいた。


「――判決を下す。被告、ディートリッヒ・フォン・アルザーン辺境伯。汝を国家反逆罪により、極刑に処す」


 法官の無情な宣告が下されると同時に、ディートリッヒは憲兵に引きずられて去っていく。


「陛下、陛下! どうか、どうか――」


 最後まで必死に訴え続けるディートリッヒを、その場にいた全ての者が憐れみと侮蔑の混じった視線で貫く。酷く寒々しい光景だ。

 ――その姿を見ながらも、リンクスは自らに過った不穏な影を振り切れずにいた。ディートリッヒの言葉、世界すら焼き尽くすかもしれない戦争への不安、多くを殺す戦いの果てに、何があるのかを想像して。


(師匠、アンタはどうして去ったんだ。ここが嫌で見限ったのか? それとも――)


 醜いヒトの感情の螺旋を目にしたリンクスは、今はここにいない師への、決して帰って来ないであろう問いを投げて夢想した。涙ながらに訴えるディートリッヒの最期、謁見の間の扉が無情に閉まる光景を捉えながら。

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