第63話 帝都情景〈破〉
「ほう、お前がセフィロトよりの使者――しかも、委員長自らが出向くとは」
謁見の間、玉座に座る女より高圧的な言の葉を向けられたダアトは、敬意を払っていると充分思える所作で跪いていた。
「ベアトリクス・フォン・ルーヴェ・バルハルト――このグランバルト帝国を統べる帝だ。憶えておけ」
見事に結い上げた金髪が印象的な美女が、高慢な態度でそう告げた。高圧的な所作も、彼女の美を引き立てるだけの要素にしか思えない――というのは常人の感想だろう。
人外たるダアトからしてみれば、ただのニンゲン。そしてただの道具故に、コチラがどう扱われようとも何とも思わない。
どうせ、時が来れば破棄するだけの駒に過ぎないのだから。
「――ご芳名、伺いました。私はダアト、クリフォト委員会の長であり、セフィロトを管理している者です」
ダアトがそういうと、ベアトリクスは見下すように微笑んだ。
「ダアト……それだけ、か?」
ベアトリクスが言っているのは恐らく名前の事だろう。名前が長い方が偉い――という、下らない風習が存在しているに違いない。
「はい。我らの都市では、名前は個人を識別するだけの番号であり、それ以外の意味も価値も持ちませんので」
しかしながら、主より授かった「名」を公然と腐されたようで怒りを覚えたダアト。仕返しとばかりに、少し嫌味を込めて言葉を返す。
「……ほう。そうか」
言い返されたと理解した女帝、ベアトリクスは不快気に目を細める。
「ふふ……存外にも、如才ないな。書物に齧りついているのが常の者共と考えていたが、中々見所がある」
「左様でございますか」
「どうだ? お前の都市共々、我が旗下に入らないか?」
「――折角の申し出ですが、ご存知の通り、我らの都市は中立地帯。どちらかの陣営に入る事は出来ません」
「そうか、残念だな」
ベアトリクスはそう言いつつも、全く残念そうな素振りは見せない。セフィロトが外界へ沈黙を貫き通してきたのを知っている故の反応だ。
「それで、お前達の都市にて講和会議を行うというワケか」
「はい。此度の会談は、大陸の長二つが我らが都市に集う重要な事ですので、こうして参りました」
静かに顔を上げたダアトは、感情を窺わせない声でそういった。
余りにも素っ気無いダアトに如何なる感情を抱いたのか、ベアトリクスは目を細める。
「ふん、聖国の連中に何かを譲ってやる気は毛頭ないのだが、その辺はどう考えているのだ?」
「我々はあくまでも場所を提供しただけであり、会談の行く末については一切関与いたしません」
「ほう? では、会談を成立させる気が無い、と妾がここで放言しても良いのか?」
「ご随意に」
「ふふふ、そうか」
高慢に微笑むベアトリクス。だがすぐに笑みを引っ込めると、鋭い視線をダアトに投げる。
「約束は果たすさ。会談には出席してやろう」
「左様ですか。ではそのように……」
その他にもベアトリクスと諸々の言葉を交わしたダアト。ようやく謁見を終え、いざ立ち去ろうとした時――
「最後に、一つ聞かせよ」
「……何でしょうか」
振り向いたダアトは冷徹な視線を玉座の主へ投げる。当の皇帝もまた冷たい視線をぶつけてくる。
「数百年だ。数百年、貴様らセフィロトは沈黙し続けて来た。外界で戦が起ころうとも、魔物によって万余の命が失われようとも、永遠に沈黙していた。なのに、今になって何故、都市への門扉を開く気になったのだ?」
嘘は許さないというような、強い意志を込めた視線を投げる皇帝ベアトリクス。常人ならそれだけで気後れしてしまいそうな力ある目だが、ダアトは正面から受けて涼しげにする。
――ニンゲン如きが王の真似をして、猿山の長を気取っているだけに見えないのだ。
「――いずれ、お分かりになる事故に、私如きが申し上げる必要は無いかと」
ダアトはそれだけ呟いて、謁見の間を去った。彼女の小さな、されど決して侮れぬ背中の残影を見て、ベアトリクスはずっと睨みつけていた。
◇◇◇
「号外、ゴーガーイッ! マーレスダ王国が消滅? 妖精のいたずらか!?」
街中を駆ける、よく通る少女の声。見れば、路上の販売所の前で立っている売り子が、刷りたての新聞をメガホン代わりにして通行人に呼びかけていた。
「……マーレスダ王国?」
それを見た将軍、リンクス・マグナハートはきょとんとした顔を晒してしまう。
「……」
隣に立っていたラグナが神妙な顔をして、静かに売り子に近づく。そして号外を受け取ると戻ってくる。
「なるほど、奇妙だね」
貰った号外を広げたラグナ。頷きながら号外を読んでいる姿に興味を惹かれたリンクスは、新聞を横から覗き込んだ。
『マーレスダ王国消滅、現代の神隠しか』
――政府からの公式発表によって、マーレスダ王国の消滅が確認された。マーレスダ王国は、帝都セレニアより南方へ進んだ場所にある都市国家である。
海に囲まれた海洋都市であり、年に一度海上が凄まじく荒れるという、特別な環境にある国だ。
マーレスダ王国へ向かうとある商人によって、王都の消滅が確認された。王都があったハズの場所には一切何もないという、異常事態が広がっている。
現在、帝国所属の調査隊によって原因の調査が進められている。世紀の神隠しが何故起こったのか、早急に解明が求められる。
「こりゃ一体……」
新聞を読んだリンクスは疑問を露わにする。
「……つーか、マーレスダ王国ってどこだよ」
「知らないのリンクス。それは不味いよ。ほら、言われてたじゃん。マーレスダ王国を取れば、南から東を攻められる――って」
そう言われて、リンクスは少し前に聞いた会議の内容を思い出した。
マーレスダ王国という海洋都市を帝国が取れば、リビュリシオン海域から東に向かい、アデルニア王国及び、その北にある聖国アズガルドを攻め立てる事が可能になる。
兵站の移送を行うにも、海上という場所を通れば素早く行うことが出来る。少なくとも、地上を行くよりはかなり速く済むのだ。
故にこそ、マーレスダ王国を堕とす事が肝要――と、会議で聞いた気がする。
「あー、そういやそうだったな。思い出したわ」
「将軍の立場が泣くね、そんな調子だと」
「うっせ。ほら、飯食いに行くぞ。そのために城からここまで歩いてきたんだから」
リンクスは尻尾を動かしてラグナの背中を叩く。ラグナが端正な顔立ちを歪め、呆れたように視線を投げてくるのから逃げるように、街中を往くリンクス。
曇天、灰色の空の下の街並みは騒然としている。街中を走る列車や車、並び立つ家屋と店、行き交う人々。魔導科学によって高度に発展した、帝国の栄光そのものである。
「おっ、あの店でいいんじゃねえか」
暫く街を歩いていた二人は、リンクスが指した適当な店に入ろうとして――
「――どうですかダアト様、このロロネア通りは帝都初期からの街並みが保存された――あ」
案内人らしき男に連れられたセフィロトからの使者、ダアトと鉢合わせる。
「……これはこれは、将軍殿。奇遇ですね」
相変わらず何を考えているのか分からない、冷たい表情を崩さずにカーテシーを行うダアト。どうにもその鉄面皮な感じや、冷徹な表情が苦手なリンクスは、少しだけ身を引きながら応じる。
「そう、だな。実に奇遇だ、ダアト殿」
「ここへはどのようなご用向きでいらっしゃったのか、良ければお聞かせ願えないでしょうか」
「ダアト殿がお気になさるような事は何も……ただ、昼食を摂りに来ただけです」
「そうですか。……私も、丁度食事を摂ろうとしていた所です。良ければ一緒にどうでしょうか」
ダアトからの思わぬ提案に、リンクスは表情が苦く歪みかねるのを精神力で抑止する。
(ウソだろ、こんな堅苦しい、しかも他所の使者と飯? すっげぇ嫌なんだけど)
そう考えるリンクスだが、どうにもならない事は悟っていた。相手は客人だ、断れば帝国がセフィロトに含むところあり、と見做されてもおかしくない。
同じ結論に至ったのか、横でラグナが苦い感情を巧みに隠しながら、極めて友好的な微笑みを浮かべて頷く。
「ええ、是非ともお願いします、ダアト殿」
「お待たせしました」
街並みを見渡せるテラス席、喧噪を眺めながら現実逃避していたリンクスは、頼んだ品を持って来た店員の声で引き戻される。
慣れない頭脳労働――殆ど寝ていた癖に本人は頭脳労働をしたと思っている――をしたせいか、かなり腹が減っていたリンクス。だから沢山頼んだのだが、正直後悔している。
「……」
気まずい沈黙が漂う中、店員が沢山の品を並べていく。厚いステーキにパン、パスタやら何やら――その様子を眺めながら、リンクスはちらりと目の前の席に座っている者を見る。
上品に座っている黒髪の美少女、ダアト。横で居心地悪そうにしている案内人に目をくれず、帝都の喧噪を眺めている。
「ありがとうございます」
目の前に紅茶を置かれたダアトは、相変わらず感情の窺えない声で礼を述べ、取っ手を右側へ回してからカップを取る。ゆっくりと、そして上品に紅茶を嚥下すると、静かにソーサーへとカップを置いて、戻した。
文句のつけようのないほど、上品でマナーに沿った飲み方だ。――茶の飲み方で難癖をつけられたことのある身からすると、羨ましくなるほどに上品であった。名のある数奇者からも、満点を取れるに違いない。
そうして感心していると、街の喧噪の中、一際目立つ集団の声が耳に入る。
「――やめろッ! そのお方を放せッ!」
兵士に連行される女性と、それに群がる多くの者達。女性の方はユグドラス教の尼僧服を着ている女性だ。
周りにいて、兵士らの連行に抗議しながら抵抗しているのは恐らく、融和派の人間だろう。オレンジ色の揃った腕章が、その証だ。
何事かの問題を起こし、兵士にしょっ引かれているのだろう。全くもって度し難い。
国内での問題を客人に見せてしまうという危惧をリンクスは抱くが、努めて忘れる事にする。どこへ彼らが連行されようとも、今のリンクスには関係のない事だ。というか、客人の相手をしているリンクスに、気にするだけの余裕はない。
国外の特使に国の恥――内部で統率を取れていない事の証明――を見せてしまう危惧を抱き、ダアトの方を見たリンクス。当の彼女は目を閉じ、優雅に茶を喫していた。
見ていないのか、はたまた見ていないフリ――つまり、見逃しているのか。この鉄面皮の不気味な少女について思えば、後者の気がしてならない。
気まずい沈黙を破る様に、カタリと少しだけ音を立ててソーサーにカップを戻したダアト。伏せていた目を戻し、深い紫の瞳を輝かせる。
意を決してか、ラグナがダアトを見据え言葉を紡ぎ始める。
「……帝都はお気に召しましたか?」
「――はい。驚きましたよ、ここまで魔導科学が発展しているとは」
「セフィロトはあらゆる知を集積する都市と聞き及んでいます。その都市よりいらしたダアト殿でも、驚愕して頂けるほどでしたか、我が国は」
「……そうですね。私達の都市では、確かに集積され、研究され、実用化され、利用されている技術ですが、故にこそ、驚愕したのです。魔導技術を戦い以外に用いていて、ここまで発展させていることに」
暗にこちらを野蛮人だと言っている――ともとれる発言だが、感情が読み辛いので皮肉っているのかは判然としない。
「……はは、学術都市たるセフィロトの方から見てみれば、珍しくないモノでしたか」
「我々の目的はあらゆる技術、知識を既知とする事――とも言えますから、珍しいモノがあってはならないのです」
学者故の哲学だろうか、ダアトは静かにセフィロトの信念を語っていた。リンクスが抱いた、偏屈だという事前の印象はやはり変わらないが、それ以上に底知れない何かを感じつつあった。
「……その、どうして我々と昼食を?」
少し緊張した顔で、ラグナが一番気になっていた事を聞いてくれた。
「そうですね……やはり、音に聞こえし四至宝の担い手たる将軍殿と言葉を交わしてみたかった、というのが主な理由です」
冷淡に述べると、ダアトは鋭くリンクスを見据えた。まるで獲物を見る捕食者のような視線に、思わずリンクスは身を引き、右腕につけた篭手に触れた。
「……なるほど、かのセフィロトでも、四至宝のようなアーティファクトは珍しいモノなのですね」
「はい、とても――そう、とても、珍しいのですよ」
そういうダアトの声音は僅かに揺らいだ。そこには奇妙な熱が籠っていたように思える。先ほどまで冷淡で平坦な声を聞き続けて来たが故に、判じる事が出来た変化。――引き寄せられそうになるほど蠱惑的で、逃げ出したくなるほど恐ろしい。
「……」
それにリンクスは本能の領域で危険を感じ、思わず鋭い視線でダアトを見据える。そんなリンクスを気にも留めず、優雅に茶の残りを喫しているダアト。
上位者の如き態度であり、異常な雰囲気も相まって不思議と不快にならない。
だからだろうか、
(まるで――化け物だ)
目の前の少女を、怪物と感じ取ったのは。
リンクスは後に、そう、ずっと後で思い知るだろう。その時に感じた答えが、奇しくも正答であったと。
「では、私はここで」
重苦しい会食を終え、去っていくダアトの背中を見てリンクスは溜息を吐いた。横ではラグナも同じようにしている。リンクスとラグナは似た所作を取る互いに気が付き、疲れたように笑い合った。
「もう今日は帰るか。流石に疲れたぜ」
「だね……」
そういって家に帰ろうとしたリンクスとラグナだが――
「レイヴェール将軍!!」
――城の方から走ってきたと思われる兵士が、息を切らして訪れたのを見て歩みを止める。
その兵士はリンクスも何度か見たことも会話もしたことがある。ラグナの部下である男のハズだ。
「どうした」
ラグナは将軍に相応しい態度をとり、毅然として応対する。
兵士の男は呼吸を整えた後、顔を上げて敬礼する。
「その、かなり大変な事になってて、その――」
「落ち着け、何があったんだ?」
「……辺境伯が、アルザーン辺境伯が、国家反逆罪で捕縛されました」
周囲を気遣ってか、静かにラグナとリンクスに告げる兵士。
憂国の士たる辺境伯の離反。その事態は、無音の衝撃となってリンクスらを貫いた。
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