第61話 退屈な将軍たち
――時折、夢に見る。
リンクス・マグナハートが、ただのリンクスだった頃の夢。
帝国の地方都市で、物心ついた頃には一人だった彼に出来たのは、多くの恵まれない者共のように、他者から狡く奪い去っていく事だけだった。
獣人に生まれたのは数少ない天恵だった。身体能力が高いおかげで、同僚達との醜い争いにも勝てたし、獲物から金を盗むのに失敗しても、すぐに逃げ果せることが出来た。
薄汚い世界に生まれ、希望も夢の無く、ただ生物としての生存本能に従いて、生きる為の糧を得ていたリンクス。
惰性で生きているだけのクズが、ツキに恵まれ続ける事は無かった。
ある時、彼はしくじった。
愚かにも兵士に手を出したのだ。獣人とはいえ、彼はまだ子供で、薄汚いスリでしかなかった。何故そんな無茶をしでかしたのか、彼自身よく覚えていない。
「――このクズがッ! 汚ねえんだよ!!」
罵倒を切欠に、リンクスは殴られた。
何度も何度も殴られた。蹲ったリンクスを文字通り足蹴にした。
意識が朦朧とし始める。激高した兵士を、同僚が止めねば死んでいただろう。
そのまま取り調べからの、ロクな手続きもなく有罪。窃盗は少量の罰金で済む犯罪だったが、彼にはそれすら払う余力が無かった。
故に彼は奴隷として売却された。帝国の法と照らし合わせれば、そうなるのは必然であり、リンクス少年も覚悟していた。
奴隷とは、帝国の法に置いて社会の最底辺の存在とされている。犯罪を犯した者への制裁であり、財力を失った者への最期の慈悲。それが奴隷である。
奴隷商人は奴隷へ最低限度の世話をすることを義務付けられているが、しっかり守っている者は多くなかった。買い手に至っては法律もロクにない。奴隷の主人が何をしようと構わないのだ。
見目の良い女児や女性であれば、行く先がどうなるかは想像に難くない。だが獣人族の少年が堕ちる先は、当のリンクスに至っても予測はできなかった。
世の中には男児に欲情するような趣味の持ち主がいる事は知っていた。貧民窟の同僚の一部は、それを利用して日々の糧を得ている者もいた。リンクスはそれが嫌だったから、暴力と窃盗での道を選んだが、事ここに至ってはもはや天運に任せるより他は無い。
幸いな事に、リンクスは幾分かまとも――思い返せば、だが――な場所に買われた。
彼を買ったのは商人だ。それなりに富貴な身の上であった。その商人は武張った趣味があり、自分の金で買った奴隷を剣闘士として、闘技場に出すのが好きだった。些か血腥い趣味だ。
主人が望んだ通り、リンクスは剣闘士として舞台に立った。メインの見世物の前の、ただの前座試合だったが、それでも彼は戦った。
――そしてそこで初めて、リンクスは生を実感した。
少ないながらも、死闘を見物する客達。熱狂的に叫ぶ興奮の坩堝の中、戦場に立ったあの光景。
相手も新米の剣闘士だが、立派な大人だった。後から知ったが、傭兵崩れだったらしい。
粗悪な剣一本で斬り結んだ感覚。拙い剣術でも傷を負わせ、肉を抉り、返り血に染まり、戦闘の興奮によって恐怖が薄れ、神経が研ぎ澄まされ、脳内麻薬によって高揚する精神。
返ってきた攻撃で痛みを覚え、肉を断たれる絶望を感じる。互いに一手打ち間違えれば、死ねるかもしれない死闘。
そのやり取りの中、リンクスは初めて生を実感した。惰性の中、何も実感できなかった生、遂に得たのは、死の恐怖よりの逆説――。
果てに辛くも勝利を得たリンクスは、初めて笑った。
生という普遍的な概念が、如何に恵まれたモノなのかを理解した。
対戦相手の命を奪い、辛くも得た勝利によって実感した。
そこから、リンクスはリンクスになったのだ。
戦いに魅了され、そこに生きる意味を見出したリンクスは、あっという間に才能を開花させ、すぐに闘技場ナンバーワンの剣闘士に上り詰めた。
奴隷の少年が傷つきながらも、才能を磨いて闘技場のトップに立つ。誰もが好みそうな、ありふれたサクセスストーリーが彼の経歴を彩ったのも、大きな要因だった。
そうして闘技場の目玉剣闘士になったリンクス。ある試合終わりに、さる人物が彼を買い取りたいと申し出た。
その名は、ウルスラ・マグナハート。グランバルト帝国が誇る英雄の一人、傭兵として名を上げ、特例として皇帝陛下直々に近衛の任を叙された存在。
有名人だ。地方の一闘技場の剣闘士とは比べ物にならないほどに。
リンクスの主は少し渋ったものの、最終的には手放した。相手は軍人だし、おまけにかなりの金額を払ったからだ。
買われてからすぐに、リンクスは奴隷から解放され、ウルスラの養子となった。マグナハートという性は、その際に授かったのだ。
彼女はリンクスに多くを教えた。剣術体術は勿論、文字や歴史といった教養から、魔導についても。
どうしてそこまでしてくれるのか、聞いた事がある。勿論、興味本位故に。
「――お前さんの目が気に入ってね。戦いに生き、戦いに救われた、意地汚い戦士の目だ。お前さんを鍛え上げて、そして戦えば、きっとアタシは限界を超えられる。ま、そんなとこだ」
――彼女が望んた通り、リンクスは秘めたる才覚を、それ以上に勇猛で強力な師の下で、死にそうな努力を重ねて強くなった。
彼女の紹介で軍人になり、戦いで結果を出し、瞬く間に成り上がった。
そしてある時、彼は四至宝の一つ、魔剣デュランダルに選ばれた。ただの奴隷少年が、将軍にまで成ったのだ。
尊敬できる師にして恩人にして、母でもあったウルスラに、リンクスは一番に報告した。これでアンタと戦える、と。
それを聞いたウルスラは、苦い笑顔と、少しばかりの賛辞を口にした。
その後、ウルスラは近衛の地位を返上し、帝国を去った。勿論、リンクスの前からも。
だからずっと、それが心に残っている。どうして自分の前から去ったのか、どうして帝国から消えたのか。
こうして微睡みの中、夢に見るほど心に残っている。
自分の人生に悔いはない。辛かった幼少期も、それが無ければ今が無いからだ。
だが、悔いがあるとすれば――あの時、自分の目の前から去る師の、真意を問えなかった事。
それがずっと悔いであり、杭としてリンクスを打ち据えている。
ずっと、ずっと――。
◇◇◇
「――リンクス、リンクス」
名を繰り返し、静かに、されど強めに呼ばれて、リンクス・マグナハートは意識を覚醒させた。
「――全く、聖国の連中が何を考えているのか、私にはさっぱりですね」
ヴァーロム州を治める辺境伯、ディートリッヒ・フォン・アルザーンの声が会議室に響いた。
未だ眠い目をパチパチと瞬かせて、リンクスはちらりと視線を巡らせる。
こじんまりとした小会議室、中央に置かれた机に数人が座っている。上座の方に貴族や文官が、下座の方に出席しているのが四将軍である。
リンクスは一番外側に座っていたのだが、寝不足に加え、話が難しいせいで眠気を覚えて――という流れである。
「……流石に、会議中に居眠りは不味いよ」
隣に座ったラグナ・レイヴェールが呆れたように言った。リンクスを起こしてくれたのも彼である。
「……悪い。でも寝不足だったんだよ」
「謝る時に『でも、だって』が先に来るヒトは、あんまり信用されないよ」
「うぐっ……」
痛いところを突かれてしまったリンクスは、誤魔化す為に視線だけで周りを見る。目の前には二人――つまり四将軍の半分が座っている。
一人は女性だ。爽やかなオレンジの長髪を後ろで束ねて下げている。ピシッとした軍服を着ていて、おまけに軍帽まで被っている模範的軍人だ。何故か赤いマフラーを口元まで巻いているが、そうして覗ける顔立ちは非常に整っている。
アルヴィナ・ラクシャータ。四将軍の一人だ。会議に出席しているものの、目を閉じている。
「……ほら、アルヴィナも寝てるだろ」
「多分違うって。彼女真面目だし、静かに聞いているだけじゃないかな」
苦し紛れに話題を逸らしてみるが、ラグナは反論する。
暫く見ていると、アルヴィナの首が僅かにカクリと揺れた。
「ほらな」
「えぇ……嘘でしょ」
同僚の半分が会議中に居眠りをかましていたのを知って、ラグナは呆れ混じりに驚いた。
「真面目なのは、お前だけか」
「そんな事はないハズ……ほら、レオンは起きてるし」
そういうラグナが指したのは、対面に座る男だ。
切れ長の目を持つ黒髪の男だ。細身な身体つきだが、貧相というワケではなく、寧ろ一本の鋭剣を思わせる。
レオン・ルルート。四将軍の一人である。
「……」
レオンは盛んに会議を行う貴族らを眺めて頬杖をつき、飽きたのか溜息をついてから、手元にある煙草を取って、火をつけてふかした。
「真面目とは、とても言い難い態度だな」
「……ハァ」
頭痛を押さえるように眉間をこねるラグナ。帝国四将軍のほとんどが、国にとって重要な会議に興味を示さずにいたという事実。確かにリンクスとしても、忸怩たるものを感じなくはない。
「……んで、何の話してたんだ?」
「全く……ほら、聖国との講和会議についてだよ」
そうラグナに言われて、リンクスは思い出す。
聖国主導で行われていた講和会議が、いよいよスタートする。開催地はガイア大陸中央に位置する『学術都市セフィロト』だ。その事について、貴族や文官など、中央政治に関わる人員が会議を行っており、今回講和に参加するリンクスらも、最終確認という事で出席していたのだ。
「それで、どうなんだ?」
「どうって……ああ、なるほど。まあ、まず講和何て成立しないだろうね」
「だよなー」
ラグナが言ったように、恐らく講和は成立しない。
理由は多々存在するが、一番は――
「――戦争を辞める代わりに、聖国や周辺国家の土地を寄こせ、なんて言って納得するワケないよね」
「領土割譲を呑ませるなんて不可能だろうな。ま、分かってる事だ」
帝国には魔力がない。魔力を確保する大きな手段として、霊脈より得るという方法がある。帝国は長年この方法での魔力確保に依存しており、先祖からのツケが回ってきているのだ。
講和を呑む代わりに食料や物資を融通しろ、という内容ならば兎も角、魔力は運ぶ手段も限られているし、一つの大国を満足させられる量を輸出出来るワケもない。
結果、戦争なのだ。霊脈が流れる土地を確保し、魔力を得る。それこそが、帝国が戦争を各国家へ仕掛けている理由である。
「つまり、最後通牒の為に講和に出向くってワケだ。気が重いねェ」
「講和会議が終われば、晴れて全面戦争だ。全く、救われない世の中だよ」
「どれくらい続くだろうな、戦争」
「まあ、数年じゃあケリがつかないだろう。帝国も聖国も大国だし。コッチには魔導兵器が、向こうには大量の魔導師に『秘蹟機関』がある。下手したら数十年、いや百年戦争を続けるかもしれないね」
「だー、マジか。まあ、だろうな。最悪に気分の悪い未来予想図だぜ」
そう嘆くリンクス。戦いは好きだが、罪のない一般人や雑兵を殺しても面白くないし、あくまでもリンクスが求めるのは、実力の拮抗した相手、もしくは格上との死闘である。戦争という大量虐殺の場では、高すぎる理想である。
そんなリンクスを見て、苦笑してから話題を変えるラグナ。
「そういえば、セフィロトからの特使が来ているらしいよ。何でも、最終確認の為だとか」
「へぇ、あの秘密主義のセフィロトがねぇ」
そういうリンクスは、脳内よりセフィロトについてを思い起こす。
学術都市セフィロト。ガイア大陸中央、そこの孤島に建てた巨大な塔を中心に発展した知の街である。
興った時期としては、グランバルト帝国と同時期――つまり、世界が崩壊してから新生した、あの時代である。
秘密主義であり、高度に発展した技術を持つ。内部についての情報は殆ど露出せず、また外界へも不干渉を貫いている。
立地が大陸中央であり、丁度聖国と帝国の間にある為、仮にセフィロトを手に入れれば一気に勢力が変わるだろう。攻めるにも守るにも、大陸中央から動けるのは大きいからだ。
それ故か、聖国と帝国、互いに手を出せないでいる。――いや、下手に一方へ渡るのを恐れているのだ。故にこそ、世界で唯一不干渉地帯として成立している。
「胡散臭いよなァあそこ。裏で何やってるか、分かったもんじゃないぜ」
「まあ、それはどの勢力にも言える事だしね。でも、色んな国の密偵すら遮断するほど、情報には気を遣ってるらしいね」
「攻めるにもあの立地じゃあな。孤島だし、中央の街――セントラルだっけ?――そこに行くには、魔素乱流の中を突っ切る必要がある」
「生身じゃ無理だろうね。だからあそこの街が造った特製の魔導列車があるんだけど――」
「――魔導列車って事は、運行も自由に操作できるって事だ。信じられないくらい、整った防衛体制だよな」
「そうだね。まるで――」
――まるで、初めから攻められるのを想定してるみたいに。
ラグナの言葉に思わず目を見開くリンクス。秘密主義の学者共が跋扈しているような街が、攻め込まれるのを想定している――何となく、怖気を震う想像だった。
何となく不安になったリンクスは、気分を変えるべく話題を逸らす。
「そ、そういや、あそこの街で講和会議やるんだよな。何か気分乗らねえよな」
「そうかな? まあ、あんまり気負わずに、観光でも兼ねて行けばいいんじゃない?」
「何か見るモンあんのかよあの街。中央の塔が目玉っぽいけど、誰も入れないらしいじゃねえか」
「そうだね……食事とかは?」
「学者共の街で美味い飯期待すんのは無理だろ」
「あはは。意外と美味しい郷土料理とかあるかもよ」
「そうかねェ……そういや、その特使っての、いつ来るんだろうな」
そういって視線を上に向けて彷徨わせるリンクス。秘密だらけの街から、どんな人物がやってくるのか、手慰みに想像しながら、退屈な会議を凌いでいった。
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