第三章

第59話 魔槍と鉄鎖

まえがき。

今回から三章です。

尚、二章の人物紹介と小ネタの方はありません。多分、三章か四章の終わりで纏めてやるかもしれません。きっと。

―――――――――――――――――












 焚き火が爆ぜる音、暖かな火に照らされる温もり、それらを認識したクロム・ウェインドは意識を覚醒させる。

 

「……ここは」


 目が覚めて、身体を起こしたクロムは辺りを見回す。どうやら天然の洞穴のようで、外は暗く、中で暖を取っているようだ。

 どうして自分はここにいるのだろうか、そんな疑問を感じていると、


「どうやら、目が覚めたようだな。うむ、実に結構」


 耳を擽るような、低めで凛々しい女性の声が聞こえて来た。

 声の主はすぐそばで、クロムを見守るように暖を取っていた。目を見張るような美女だ。

 赤い髪は一切の癖毛のない見事なロングヘアーで、腰の辺りまであるほどだ。瞳は何とも神秘的な琥珀色で、こちらを興味深げに覗いている。スッキリと整った目鼻立ちは怜悧で鋭利な印象を与えるが、気高いながらも表情豊かである。  

 身体つきの方はスレンダーで、しなやかに鍛えられているのが簡素な旅装からでも窺える。気になるのは、右腕が無い点だ。肩口からすっぱりと存在していない。

 

「貴方は……?」


「道の端っこで倒れていたのだよ、お前は。酷く消耗しているし、身体も濡れているしで、見ていられない有様だったのでな。こうして、暖かな場所に連れてきてやったというワケだ」


 少し高慢に、だが不思議と不快にならない口調で言う女性。

 女性に言われて、クロムは思い出す。


 マーレスダ王国滅亡後、クロムは消耗した身体を引きずって、当てもなく彷徨っていた。どこかで身を休めねばならないと分かってはいたが、その当てがないのが不味かった。

 背中を炙られるような焦燥、どこへ行っても消えない恐怖。――振り返れば、あの紅き魔眼を持つ怪物がいるような気さえして、クロムは身を休める事が出来なかったのだ。

 この女性は命の恩人という事か。感謝を覚えたクロムは女性を見据える。


「……助けられたみたいですね。ありがとうございます」


「全くだ。少年、お前は酷い有様だったんだぞ。全身に負った大小様々な傷に、濡れたせいで消耗した体力、風邪も引いているだろう。それと、その魔力――」


「魔力……?」


「ああ。魔力に関しての、複数の症状を患っているな。まず、魔力を一度に大量に摂取したことによる中毒症状だ。痛覚が鈍くなったり、或いは一部の感覚が鋭くなったり、または感情が高ぶったりしてはなかったか?」


「……」


「二つ目は魔力回路の炎症。身の丈に合わない魔法の行使や、一度に大量の魔力を消耗した魔導師が陥る現象だ。魂という魔力の根源より外部へ放出する為の、神経の役目を持つ魔力回路。酒に慣れていない人間が、一度に大量に飲めば命に係わりかねないように、魔力回路も同じく慣れていないと過敏に反応する。筋肉痛を数倍にした痛みが、お前の全身を襲っているハズだ」


 全く、一体どれほどの無茶をしでかしたのか。女性はそういうと、木の枝で焚き火より零れた燃えさしを突いた。

 

「最後に、異常な形の魔力回路。通常、魔力回路とは生まれつき定められた数や形を取る。だがお前のそれは、まるでつい最近造られたかのような異様さ。急造の欠陥品もいいところだ。魔力を放出するにも、一々苦痛が伴うだろう。無茶をするとかいう次元ではない。自決に失敗でもしたのか?」


 痛烈な言の葉を吐く女性だが、そこには僅かな憐憫とやるせなさが浮かんでいた。見ず知らずの自分を心配してくれているのだ。

 忘れていた人と人のつながり。感情、心――それらを思い起こした瞬間、封じていた忌まわしき記憶が蘇る。


 ――怒号に塗れた街、死んでいく住人。

 

 ――怪物と戦う兵士達、無意味に散らされていく命。地上に出現した地獄。


 ――愛しく遠い少女の笑顔、最期の光景、血と苦痛とに塗れながらも、微笑みを返してくれたヒト。

 

「あ、ああっ……」


 乾いた喉から零れる、錆びて歪んだ呻き。

 何もできなかった無力感と共に、思い起こしたあの光景。

 せり上がった潮と泥の匂いと、流れ着く醜い水死体。

 何もかもが無くなった、虚無の光景。

 

「……お、オレ、は……」


 何もできなかった。

 身体を苛む痛みも、疲労も、寒気も、全て遠く、無力感だけが重く圧し掛かっていた。


「……相応に辛い経験をしたと見える」


 女性は慰めるような優しい声音を含ませながら、片腕だけで器用に小さな鍋を沸かし、そこより湯気を立てる湯を旅用の金属製のカップに注いだ。


「飲むといい。唯の白湯だが、身体を冷やしたままでは不味いからな」


「……すい、ません」


 礼を言ってから、クロムはカップを受け取った。たっぷりと注がれた白湯は湯気を立て、カップ越しに仄かな熱を伝える。

 クロムは一口飲み、舌を熱に慣らしてから数回に分けてゆっくりと嚥下した。胃の腑に落ちた熱が、じんわりと全身に広がる感覚。痛みも疲労も消えないが、寒気の方はだいぶマシになった。

 

「少年、名を聞いてもよいか?」


 少し落ち着いたクロムを見計らってか、女性がそう聞いてくる。


「……クロムです。クロム・ウェインド。マーレスダ王国の、見習い騎士でした」


「マーレスダ王国……」


 女性は視線を彷徨わせた後、目つきを鋭く変じてからクロムを見据える。


「クロム少年、私が見た時には既にマーレスダ王国のあった場所は消えていて、さっぱりと何も無かった。お前は、その異常事態の顛末について何か、心当たりは無いか?」


「……」


 クロムは逡巡の後、語り始めた。マーレスダ王国にて起こった事件、その全てを。

 見ず知らずの者に語るのは憚られる内容ではあるが、それでも胸に秘め続ける事は出来なかった。少年の背中には、余りにも重すぎる宿命にして、呪いにして、秘密だったのだから。


「……」


 静かに、時折詰まりながらも、大まかに語り終えたクロム。それを黙って聞いていた女性は、神妙な顔をしていた。

 

「桃色の髪をした少女と、ルベド・アルス=マグナか。……王都を堕とした怪物は、そう名乗ったのだな?」


「はい」


「……またしても、錬金術師の怪物か」


「また?」


 予想していなかった言葉に、クロムは鸚鵡返しに問い返す。


「何だ少年、知らんのか。まあ、マーレスダ王国の生まれという事のようだし、無理も無いか」


 そういってから女性は一つ咳払いをして、語り出す。


「ここより東の方にアデルニア王国という国がある。肥沃な大地と、比較的魔物の勢力が弱く安定した国だったのだが、問題もあった。王国領内にある魔境、アルデバランの深森に住まう錬金術師――イルシア・ヴァン・パラケルススだ」


「ッ!?」


「かの者の作品、最高傑作を名乗っているというキマイラ、ルベド・アルス=マグナによってアデルニア王国の王都は一瞬で消し炭になった。一年前の話だ」


「一年前にも、アイツは……」


「そう、多くの命を散らしている。錬金術師によって創造され、命ぜられるがままに全てを破壊する怪物。今では主共々、様々な国で指名手配をされている」


「……」


 自分達の国が滅ぼされるよりも前に、あの化け物は別の所で殺戮をしていた。万余の命を奪っておいて、あんな風に平然としていたのか。

 その事実を知って、クロムは愕然としていた。


「全くもって度し難い。あの怪物を放っておけば、いつか必ずこの大陸が滅ぶな」


「……どうしようも無いですよ。オレはアイツと戦いましたけど、手も足も出ませんでした。不死身の化け物です。首を落とされても平然としている怪物に、どうやって抗えばいいんですか」


「……」


 黒く澱んだクロムの独白に、女性は静かに耳を傾けていた。

 諦めるつもりはない。ルベド・アルス=マグナは国の、レイアーヌの仇だ。心の片隅には今も尚、怨嗟の炎が熾っている。だがどうしても、過ってしまうのだ。あの紅い魔眼、鋭く貫かれた瞬間の絶望、殺意の奔流に呑まれた時の恐怖が。

 

「その魔槍リヴァイアサンを以てしても、かの怪物を倒すのは不可能だったのか?」


 女性がボソッと呟いた言葉。彼女の視線の先には、クロムの近くに転がっている槍――〈先史者の咆哮リヴァイアサン〉があった。

 

「なっ!? どうしてそれを……」


「マーレスダ王国の至宝、魔槍リヴァイアサン。歴史を少し齧っていれば、出てくる情報だ。もしも件の怪物と戦えるとすれば、槍に選ばれた者しかあるまい。それがそうなのだろう? かなりの魔力を持った槍である事は、魔導を志す者であればすぐわかる」


「……貴方は一体、何者なんですか?」


 クロムの疑問に満ちた表情を見てか、女性は凛々しく美しい表情を崩して、面白そうにクスリと笑った。


「すまんな、私としたことが無作法だった。私の名は――アンバーアイズだ」


「アンバーアイズ……?」


「そう、見ての通りだ。ほら、少しばかり珍しく、綺麗な色だろう? 言っておくが、偽名じゃないぞ」


 いたずらっぽく笑う女性――アンバーアイズは、その名の通り美しい琥珀の瞳を指さす。

 美しく、硬くあるのが自然な凛々しい顔立ちだが、不思議とそんな稚気じみた所作が似合っていた。


「クロム少年、お前はこれからどうするつもりだ?」


「どうする、とは……」


「ルベド・アルス=マグナに故郷を滅ぼされた恨みを果たすのか、それとも忘れて別の道を歩むのか。聞いてみたいと思ったのだ」


「……どうして、見ず知らずの貴方に、それを語らないといけないんですか」


「尤もな意見ではある。――こういう言い方はあまり好きじゃないが、私はお前の命を救っている。代価として、それくらい聞かせて貰ってもいいだろう?」


 そう言われるとクロムとしても答えるしかない。かといって、アンバーアイズが満足できそうな回答を出来るかと言えば、疑問だが。

 彼自身、未だ答えが出ていないのだ。


「………祖国を滅ぼされ、大切なヒトを沢山失いました。憎しみは尽きませんが、オレには……力がない」


「……ふむ」


「アレは化け物です。正真正銘の、化け物です。魔槍に選ばれて、アイツを倒せると思っていたのに……及ばない。全く歯が立たなかった。復讐したいのに、力がないッ……オレには……どうしようも……」


 情けない話だ。

 所詮魔槍に振り回されていただけで、ルベドには即座にあしらわれた。

 何も果たせなかった、無力な少年に過ぎなかったのだ。


「そうか……ふむ」


 クロムの話を聞いていたアンバーアイズは、何事かを決めたのか、向き直ってくる。


「少年、私と共に来てみないか?」


「え?」


 思ってもみなかった申し出に、クロムは呆気にとられる。

 

「私はこう見えても結構強いんだ。そのお陰で、このような時勢でも、諸国漫遊に勤しめているというワケだ。行く先々でトラブルに見舞われたりするが、力を求めている少年にとっては、いい修練の機会じゃないか?」


「……」


「今は力が及ばずとも、いつか来る未来では分からない。違うか?」


「そうかも、しれません」


「それに、復讐を止めて、別の道を往く事になってもいい機会だと思うぞ。見た事の無い景色や情景は、きっと少年の選択肢を増やしてくれるだろう」


「……」


「どうだ、クロム少年。私と共に、来ないか?」


 改めてクロムに問いかけるアンバーアイズは、左手を差し出してくる。

 クロムは迷った。だが自分には何も当てがない事に気が付き、故にこそ迷う所以が無い事を思い起こす。


「分かりました、アンバーアイズさん。オレ、貴方と一緒に行きます」


「ふふ、そう来なくてはな。今日はこの洞穴で休み、明日出発しよう」


 そうしてクロムは長い付き合いとなる、アンバーアイズとの邂逅を終了した。彼女がクロムに何を齎すのか、彼自身まだ知らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る