第57話 落とし子達

「何なんだよ……これ」


 西の空を貫く、紅き魔力の奔流。

 森を焼き尽くす不浄の蒼き力。

 数多の異能が咲き乱れる遥か西で、だがすぐそこに、神話の如き戦いが繰り広げられていた。

 

「素晴らしい……」


 その光景を見て、讃美したのは誰だっただろうか。

 

「……アレこそが、長が語り続けた滅びなのか?」


「何と……何と悍ましく、美しい」


 無上の福音を授かった求道者のように、滅びの光景を前にして涙を流す者共。狂信者の群の中で、静かに、だが確かなる喜びに打ち震えている女。


「――ああ、やはり、帰って来られたのですね」


 立ち上る紅き魔力を見て、その女は涙を流していた。

 

「五百年よりも遥か前、かつて愚かな少女だったワタシに、進むべき道を示してくださった、紅き破壊の力。余りの輝きに、福音で満たされた我が瞳が焼き切れた、あの尊き瞬間。ですがまだ、肌が、心が、魂が憶えている。例え光が無くても、貴方の降臨を見紛うハズがない――」


 跪き、両腕を広げて讃美する女。まるで宗教画を彷彿させる光景。


「貴方様の再臨を、我が全霊を以て讃美します。絶対なる存在、いと高く尊き君。破滅と終末と、再生と生誕とを司りし、大いなる黒き獣よ!!」


 法悦に満たされた蕩けそうな顔を晒して、歓喜の涙を流しながら破滅的な戦争を褒め称える女。

 邪教というに相応しい光景だ。

 大いなる死が黙したる声すらも喰らい、いじましき者共の絶望すら嘲笑う。

 それは、紛う事なき終末である。


「こんな……何なんだよ」


 それを見ていた青年が呟いたのは、無限に満たされた疑問。

 青年は知らなかった。

 この世界が――こんなにも残酷だなんて、知らなかったのだ。

 指先一つ動かすだけで数多の命を刈り取れる怪物が、いつでも世界を堕とせるような化け物が、存在している事など知らなかったのだ。

 

 こんな世界、いつ終わってもおかしくない。無謬の理解を得て、与えられたのはドス黒いという言葉すら及ばないほど、深い絶望。

 どうして初めから教えてくれなかったんだ。

 知っていれば、最初から全てを諦める事が出来たのに。

 

 無意味だ。

 何もかも無意味だ。

 この世界に生まれて、生きて、成長して、勉強して、強くなって、愛する人を見つけて――全部、無意味だ。

 積み上げて来た全てが、何の価値もないガラクタであると知って、青年は絶望した。

 だからこそ、


「――クソったれ」


 迫る大いなる破滅に、せめてもの悪態を吐く事しか許されなかった。








 ◇◇◇








「マジでヤバイですって! ほら、少しでも離れますよ!」


 族長の館にも火の手が回り、緊急的に外に避難していたラーマとその従者は、西の大森林で起こっている大惨事を見て慌ただしくなる。

 

「うわぁ、スゲェー!」


 視線の先、神話の如く繰り広げられる戦いを見て、ラーマは目を輝かせる。


「スゲェよ、ホントにスゲェ! あんなの見た事ないぜ!」


 焦る従者を引っ張りながら、魔力の奔流を指さして叫ぶラーマ。

 ラーマは嬉しかった。

 この世界には、ラーマが知らない事が沢山ある。外界の景色、存在する動植物や、魔物、ニンゲン、文化――全て、全てラーマの興味の対象である。


 知りたい、もっと知りたい。 

 そうして希うのに、特に理由はない。敢えて理由を挙げれば、もっと幼かった頃、偶々手にした外界の書物こそがそうだろう。

 子供故の旺盛な好奇心が、今となっては知識を求める欲望となっている。

 見た事の無い景色を見たい。それこそがラーマの原点。その為なら、何が犠牲になっても良いと考えている。


 だから嬉しかった。

 この光景。閉じた世界を壊して、ラーマが渇望する、外界への天蓋を開いたかのような空が。

 心底、嬉しかった。


「――んな事どうでもいいので、逃げますよ!!」


 当然、そんな心境を知る由もない従者は必死にラーマの手を引いて、少しでも怪物同士の戦いから離れようとする。

 族長の息子だからと、成り行きで世話を任されて早数十年、今や彼は使命感だけでラーマを守ろうとしている。

 正直ラーマの事など、鬱陶しいガキとしか思っていないが、哀れな事に従者は責任感が人一倍強かった。

 そのせいか、こうして命が懸っていても、自分だけではなくラーマも連れて行こうとしている。

 

「あー、ちょっと待ってってば! もうちょいこの素晴らしい光景を――」


「――これ以上駄々をこねるようなら、本当にシバき倒しますよ」


 従者の素早い行動故か、はたまた幾重にも重なった天運故か、彼らは生き延びた。

 ウィエン族もヴァーテ族も、皆一様に戦いを止め、滅びの光景を眺め続け、逃げ続ける。

 閉じた樹海の世界にて、永きに渡って争い続けた両者は、皮肉な事に外より現れた災厄によって平和を与えられた。








 ◇◇◇








 滅びを讃美し続けていたヴァーテ族の長だが、地面が揺れ動き始めたのを感じて、ハッと表情を動かす。


「……地震?」


 長が気が付いた時には、既に地面が大きく揺れ動き、木々が揺れ、まだ残っている樹上の家々がガラガラと音を立てていた。

 

「大地が揺れている……神の怒りか!?」


「終わりだ、本当に終わりなのか……」


「助けてくれ、誰か助けてくれッ!」


「これが終末……おお、おお! 素晴らしい!」


 阿鼻叫喚の地獄の中、長は静かに両手を合わせ、祈りの所作を取る。卓越した魔導師故、大地に流れる霊脈が狂い始めたのを察したのだ。


「すべては、我が主のお導きのままに……」


 彼女がそう呟いた瞬間――閃光が解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……う、うう」


 砂埃と土の欠片の山を越え、身体を起こした長。周りの魔力が乱れている。何が起こったのだ、自分は死んだのか?

 ――いいや、どうやら生きているらしい。魔力探知によって周囲を測るのはまだ難しいが、盲目になってから鋭敏になった感覚器官は、未だ自分が生きている事を示す。

 

「何が、起こったのだ……?」


 我知らずそう呟き、魔力の乱流が落ち着くまで、聴覚や嗅覚、触覚で周囲の情報を集める。

 

「……うぐっ。……うわあ!? あっぶな!? マジでギリギリセーフですよラーマ様。我々、助かったんですよ!」


「……え? うーん、頭痛い……どっかぶつけたっぽいんだけど……うわ! すっげー! ここら全部クレーターになってるぞ! アレ、アイツがやったのか!?」


 喜色に溢れた声を上げる何者か。彼らが口にする言葉より、断片的な情報を集めていると、少しずつ魔力の乱れが収まってきて、魔力探知によって周囲を測るのも可能になった。

 そうして長は周囲の状況を知り――そして驚愕した。


「……こ、これは」


 長の目の前、すぐ数センチ先から、お椀状に地面が抉り取られ、超巨大なクレーターを形成していた。大爆発か何かが起こったような有様だ。

 先ほどの地震に、霊脈の乱れ――組み合わせて考えるに、何かしらの要因により霊脈が狂って、大爆発を起こしたのだろう。

 しかし、そうなれば自分達はこうして無事では済まない。爆発に巻き込まれ、死ぬのが道理のハズ。事実、同胞やウィエン族の多くはどこにもいない。巻き込まれて死んだのだ。

 

 考え得るとすれば、この場所が幸いにも霊脈から外れていたと言う事。だがそれだけでは爆発から逃れられない。となれば、やはり幸運に恵まれていたと考えるしかない。

 幸運、それも特大の天運だ。奇跡に奇跡を重ねたとしか思えないほどの――


 奇跡。長に過ったその単語が、彼女の心を悩ましく捉えた。

 奇跡――そう、奇跡でも起こらねば、自分は死んでいた。

 何故に奇跡などが起こったのか? 偶然か、或いは超常的な存在による啓示か? 長には後者な気がしてならない。

 では、仮に上位者が奇跡を示すとして、その理由は?

 

 長は考える。

 死と破滅を齎す終末の獣が、それより零れ落ちる真似を許す理由は何だ?

 ――分からない。どれほど考えても分からない。長は暫く思案し続け――やがて思考を放棄した。

 圧倒的な高位存在が考えることなど、愚かな下等生物たる我々には理解も出来まい。

 神を推し量ろうなど、言語両断。我ら信徒は、与えられし啓示を受け入れるのみなのだ。


 そうして現実に考えを戻した長は、自らが対面した奇跡の甘美さに打ち震えていた。

 もしも、もしも自分があと数センチ先にいたならば、既に死んでいる。

 そう、たった数センチ先から、全てが消失しているのだ。地面に手を付ければ、切り取られた縁を触る事が出来る。

 このような偶然を、奇跡と呼ばずして何と呼ぶ?


 五百年以上前、あの滅びの時、この目で目の当たりにした奇跡もまた素晴らしかった。それこそが、彼女に信仰を芽生えさせる切欠だったのだから。

 だが、これもまた異なる響きを持つ福音なのだ。自らが信仰に芽生え、大いなる愛の伝道者として、正しき行いをしていた最中に起きた奇跡。

 

 ――正しき教えと思想に満ちた今だからこそ、奇跡はより甘美に長を打ち据えた。

 自分はここにいる。ここで生きている。ここで破滅の手を逃れ、まだ神の所業を目撃する機会に恵まれている。


 ああ、その全ての何と素晴らしき事か!

 法悦に至った長は、官能を感じて蹲り、下腹部に手を当てビクビクと痙攣した。余りの出来事に脳髄が限界を迎え、達したのだ。

 

「……っ。ハァ、ハァ、ハァ……主よ……」


 クレーターの中心、異形の獣の前に在りし紅き魔力。

 五百年前見た魔力と同じ輝きを感じ取り、そこにいる自らの主を全霊を以て讃美した。

 その思いが届いたのか、再び嵐のような魔力が放たれた。


「おぉ!?」


「何だあの魔力は!?」


 どよめく生き残りの声を背に、彼女は両の手を広げてそれを讃えた。


「――素晴らしき、我が絶対なる主よ! 貴方様の再臨を以て、世界に真なる愛を!」


 何度口にしたかも分からない讃美を捧げた瞬間、魔力が収まり、遠いクレーターの中心に黒き獣が現れる。

 異形にして神々しい、黒き獣の王。肩や額などにも開いた瞳には、やはり魔力の色と同じ紅い輝きが満ちていた。

 終末の獣は、再び現れた。

 

 ウィエン族が封じていた方は、恐らく蒼い魔力を持つ方だろう。そちらについては――特に何も感じない。神の代行として、使える道具だと考えたからこそ封印を解こうとした。かつて、巫女として殺されそうになった復讐も兼ねて。

 封じられていた方が、長が知っている「獣」ではないのは分かっていたのだ。そも、アレが封じられたのは長が生まれるよりもずっと前だから、外に出て暴れるような事は出来ない。

 

 長が知っているのは黒き獣の方だ。五百年前、長に啓示を与えてくれたのはあの御方だ。信徒としての、敬虔な行いを認めて、再び降臨してくれたのだろう。

 そう考えると、ゾクゾクとした快悦にも似た感情が沸き上がる。愛しいヒトのようにすら思えてしまう。不敬だと分かっていても、抑えきれない感情。


「我が神よ――」


 神話の如き戦いに興じる愛しき獣に、愛の混じった祝詞を上げた瞬間――


「――ウオヲオオオォォォ!!!!」


 けたたましく雄々しい咆哮と共に、紅き魔力の閃光が放たれる。

 ――祝福の光だ。

 長はそう感じ、手を伸ばしてそれに触れようとした――

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