第53話 樹海の底、混沌

 始まりは復讐だった。

 少なくとも、当時はウィエン族の巫女たる、現ヴァーテ族の族長である彼女はそうだった。

 豊富な魔力を持つが故に、巫女として選定された。


 ウィエン族では、重要な役職に就く際、名を捧げる。自分を識別し、個人を象徴する究極の番号である名すらも返上し、腰掛けた座の仕事を全うする。そういった意味で、彼らは名を捧げる。

 奇しくもヴァーテ族でも同じ風習があった。元は一つの氏族故に、同じ風習があるのは不思議ではないのかもしれない。

 だからだろうか、彼女にはずっと名前がない。

 

 巫女の役目は簡単だ。封じられた終末の獣の眠りを見て、封印に足りる魔力があれば問題無しのサインを出す。なければ外部に生贄を求め、期日までに用意出来なければその身を捧げる。緊急避難的に生贄を捧げても問題が無いように、魔力に優れたモノが選ばれる。

 ヒトの死を望み、自らが死を選ぶ。終滅の螺旋を描く行き止まりの席に、彼女は望まず座った。

 

 当時のウィエン族はクズばかりだった。

 祭司長の三番目の妻、その末の子だった彼女を無理矢理に巫女へ仕立て上げたのは、実の父だった。

 巫女になれば遠からず死ぬ。だから一番関心の薄く、遠い子へその役を背負わせた。鼠のように子供を沢山拵えた癖に、生まれた女子が数人で、彼女以外は一番目の妻より生まれたというのもあっただろう。

 正妻より生まれた子より、摘まむ様に手を付け、結果契りを交わす事になった女より生まれたモノを矢面に立たせたのは、ある種当然だったのかもしれない。

 

 それを止める者もいなかった。滅びを遠ざけられるなら、一人の少女がどうなっても良かったのだろう。醜い、憎い。そんな感情が芽生えていった。

 だから彼女は逃げ出した。生贄の儀式が行われると知った瞬間に、逃げ出した。

 当然ウィエン族の追手が彼女を追跡した。巫女が死の恐怖故に逃げ出す事は過去にもあったのだろう。その辺りの抜かりはなかった。――忌々しい事に。

 

 追跡をどうにか躱していくが、一人の少女が成熟した狩人の集団相手に逃げ続ける事など出来ない。当たり前の事象だった。

 追手に捕まって、処刑台めいた儀式場に連れていかれる――その前に、滅びが現れた。

 当時、外界で猛威を振るっていた国が堕ち、それを行った怪物による滅び。魔力の奔流――破壊を齎す光線と化したそれが、流れ玉的に大森林へ直撃した。

 

 ――燃えていく森。吹き飛んでバラバラに死ぬ追手。運よく即死は免れたものの、自分も負った重傷。其の身に負った傷が告げる痛み。――空を割った、魔力の輝き。

 滅び、終末、破滅――退廃の連続の中、彼女はその淵に美しさを見出した。

 生まれてからずっと、全てに絶望し失望していた彼女が初めて感じた、希望。

 抱いていた全てに解を告げたのは、圧倒的な滅び。積み上げて来た全ても、何もかもが虚無へと消える、ある種の爽快感。それは彼女が生まれて初めて味わった官能であり、創めて得た神託だったのだろう。

 強すぎる光によって視力を失ったが、彼女は幸せだった。

 

 ――アレでいいんだ。アレがいいんだ。何もかも、砂場の城を蹴飛ばすように、簡単に終わらせてもいいんだ。


 無謬の解答と、無限の肯定感の中得た充足感。

 彼女は幸せだった。

 その瞬間から、彼女は新生した。かつて世界がそうしたように、滅んで砕けた欠片から、新しい作品を再生させた。

 彼女は幸せだった。その幸せを皆に分けたいとも考えた。

 何も悩まなくていい。嫌になったら、全て壊せばいい。

 それを真なる愛であると、愛に恵まれなかった少女は感じ取った。

 

 ――死にそうな身体を引きずって、彼女はヴァーテ族の里まで辿り着いた。

 彼らは彼女を歓迎してくれた。時たまあるのだという。ウィエン族より抜け出して、こうして離反する者が。

 彼らも滅びを待ち望む同胞だと知った。だから彼女も聞かせたのだ。――自分の身をもって知った、真なる愛を。


 伝承でしか滅びを知らぬヴァーテ族は、本物の滅びの経験に目を輝かせて聞き入った。彼女が得た答えと共に、それを浸透していった。

 そうしていくうちに、彼女は真なる愛の伝道者としての地位を得、先代の族長が引退するのと同時に――彼女は長となった。


 時を経ていくうちに、少女は女となり、豊富な魔力を十全に揮う方法も身に着けた。ウィエン族との戦いを経て、経験も得た。気が付けば、彼女はこの樹海で最も達者な魔導師となった。

 そして今日、ここに立っている。生誕の地にして、呪いの場所。

 かつての同胞に、自分が得た答えを伝える為。――死と破滅によって、滅びの甘美を讃美し、伝道する為。


「――さあ、我がかつての同胞達よ、ワタシが得た答えを、あの光景になぞって伝えようッ! いざ行かんッ! 〈放出爆破エミッション・バースト〉ッ!」


 赤い爆裂と、魔力の波動。燃えていく森に、叫び声を上げて爆死していく同胞達。

 その光景は確かに、彼女が得た答えとそっくりだった。








 ◇◇◇








 ヴァーテ族の長によって放たれた元素魔法が、再び里を打ち据える。

 広がる熱波と、吹き飛ぶ仲間だったモノの破片、倒れる木々――宛ら地獄だった。

 

「てめぇ!」


 酸鼻な光景を自ら創り出し、傑作の芸術作品を愛でるように両の手を広げる女に向かって、イストは烈火の如き怒りを発する。

 今の魔法一つで、一体どれだけの同胞が死んだか。それだけじゃない、こうして火の手が里に広がれば、より生存の可能性が薄まってしまう。

 このような殺戮を、言うに事欠いて審判だと? 馬鹿馬鹿しい、神の使徒でも気取っているのか? だとしたら、何と滑稽だろうか。

 

「ふふふ、再誕の光には及ばずとも、中々に美しい光景だ……」


 目を隠している癖に、光景について語り出すヴァーテ族の長。こちらの事など気にしていないという態度もまた、苛立ちを増幅させる。

 

「……ッ! 死ね! 〈滅消光バニシング・レイ〉!」


 イストが怒りと共に略式詠唱で解き放った、無属系統第六位階〈滅消光バニシング・レイ〉が長に向かって飛翔する。接触すれば対象を分解して消滅させる凶悪な魔法だ。

 無色の輝きがヴァーテ族族長へ向かい――彼女は軽く手を翳し障壁魔法を展開、一切の効力も発揮させずに無効化する。


「……くっ」


 分かってはいたが、やはり強い。

 数百年もの間生き続けたダークエルフの魔導師なのだ、弱いワケがない。

 略式詠唱――いや、単なる詠唱省略での防御魔法で、イストの魔法を防いだ。

 魔力を更に支払う事で、詠唱と威力の減衰なしで魔法を行使する略式詠唱とは異なり、省略により効果が落ちる詠唱省略。当然、後者の魔法の方が弱い。

 

 だというのに、イストは撃ち負けた。

 考え得る原因は、長の行使した魔法がイストのそれよりもかなり強大だったか、或いは――考えたくないが――魔導師としての、純粋な力量の差か。悠久の時を生きた魔導師という事を考えれば、どうしても後者の気がしてならない。

 

「ほう……」


 イストの術式を防いだ長は、こちらを見て感嘆の声を上げる。


「よい心がけだ。憎しみを抱いて対象の撃滅を以て清算とする。お前にも素質がありそうだな。どうだ? ウィエン族としての己を捨て、新たなる信仰で心を満たしては見ないか?」


「ふざけたことを……誰が狂信者になるか」


「そうか? 残念だよ」


 そういった長は、心の底から残念そうに首を振ってから――


「では死ね」


 底冷えすらするほど冷徹に言い放ち、魔力を流して術式を励起させた。

 ――来る。

 身構える――よりもずっと前に、強烈な魔力の奔流が飛翔する。

 

「――ッ!?」


 ――無属系統の放出系攻撃魔法だろう。全身を貫く衝撃にまかれ、後方へピンボールのように弾かれているイストは、ボンヤリと考えた。

 

「イストッ!?」


 ルーゼが焦ったような声をこちらに向けているのが、とても遠く感じる。実際遠いのだろう。

 イストは衝撃によって後方――黒きヤテベオの強靭な幹に叩きつけられていた。それを自ら知覚した瞬間、衝撃によって肺の中の空気が全て排出された苦痛と、全身を打つ激痛とが襲い来る。


「――ッハ!? ゲホゲホ……」


 痙攣する肺に無理矢理に空気を送り込み、血の混じった咳をするイスト。全身に酸素が回り、脳みそがまともに回転し始めてからようやく、攻撃されたことを知覚した。


「化け物、め」


 同じ人外の領域にありながら、絶対に埋めようのない差。それを叩きつけられたイストのせめてもの抵抗。そんな虚しい悪態を聞いた長は、悠然と微笑む。


「今ので死なないのは中々。ではもう少しやれそうだな」


 出来の悪い生徒に点数をくれてやるような態度でそういった長――そんな女の死角より、息を潜めていたルーゼが短刀を手に飛び掛かる。


「――ッ!」


 声もなく、しかし表情に十全な殺意を滲ませて、黒曜石の刃を振るう。狙いは長、その頚椎。一撃にて沈める算段か――。

 イストが僅かな希望をそこに見出し――


「流石に甘すぎるとは、思わないのかッ!?」


 ――悪夢じみた速度でルーゼの接近に反応した長が、攻撃を回避。隙だらけのルーゼの首――喉仏へと回避の勢いのまま肘鉄を見舞う。


「ッ!? カハッ……」


 喉を衝撃で貫かれたルーゼが、目を見開いて苦痛の空気を絞り出す。


「ルーゼ……!」


 先の魔法によるダメージで動かない身体を捩りながら、イストはルーゼを呼ぶ。

 ルーゼは力なく崩れ落ち、苦悶を滲ませて酷い咳を繰り返す。


「クソ……」


 イストは再び悪態を吐くが、先ほどよりもずっと力が無かった。

 そんな二人を見てどう思ったのか、長は再び唇を歪める。


「世界に破滅を、瓦礫より新生を。さあ、滅びと再生の為の供物をここに」


 聞くに悍ましく耳朶を犯す邪な祝詞を上げ、長はルーゼの持っていた短刀を拾い上げる。黒い刀身に、燃え盛る火災の輝きが狂的に映り込み反射した。酷く、不吉に。

 何を、何をするつもりだ。

 今日何度も投げた問い。この時に限って、その解答が帰ってくる。

 

 イストとルーゼ以外のウィエン族は、ヴァーテ族の長の側近らしき者らによって一掃されていた。背後から奇襲されたというのが大きいだろう。

 その側近らが、静かに、だかその狂気の瞳に悍ましい期待の光を宿してルーゼを仰向けに押さえつける。


「やめろ……!」


 身体を這いずってルーゼの元まで向かおうとするイストだが、別のヴァーテ族に押さえつけられてしまう。瀕死の身体では満足に動けないし、魔法だって行使できない。イストには、これより行われる惨状を見るより他は無かった。

 

「死と苦痛によって、清算を」


 長はルーゼの腹部に向かって、何の躊躇いもなく刃を振り下ろした。


「ッ!? あああああああ!!」


 腹部に突き刺さった短剣。血液がドクドクと溢れ出し、朦朧としていた様子だったルーゼは、激痛のあまりの叫び声を上げ、どうにか逃れようともがく。――が、屈強な男に押さえ付けられているので無意味だ。


「やめろッ!」


 悲痛なイストの声を聞いて、長は視線を向けずとも口を邪悪に歪める。イストの事になぞ意識を向けず、そのまま刃を動かす。腹を割り、臓物を取り出し、それを素手で掴み掲げる。


「ああああああああ!!!」


 想像すらできない激痛で歪んだ絶叫を上げるルーゼ。イストはただそれを見ている事しかできなかった。


「やめろッ! やめろぉぉ!」


 掲げた臓物から血が零れ、何もかもが赤く染まっていく。炎に巻かれた里、死んでいく同胞、散在する死骸と血液。――確かに、ここは地獄だ。終末というのに相応しい地獄だ。

 滂沱の涙を流し、必死に叫んでもルーゼへの暴虐は止まらない。やがて彼女が動かなくなるまで、イストは必死に身を捩って拘束を解こうとしていた。


「クソ……クソ……」


 無力感に苛まれ、イストは呆然と呟き続け、やがて顔を上げた。涙を枯らし、代わりに激怒と憎悪とを滲ませて。


「殺すッ! お前らは絶対に殺すッ!」


 憎しみを迸らせて、激情を放つイスト。その様子を見て長は心地よさそうに笑った。


「ははは、そうだろう? 憎かろう? 憎しみ、絶望! それこそがワタシが抱いた原初の感情! それすらも捻りつぶし消し去るほどの災禍――お前もアレを見れば、自らが抱いた感情が如何に小さく、さもしいかを理解するだろう。ああ、早くお前にも見せてやりたい……甘美なる終末、終わりの光景をッ!」


 長は意味の分からないことを滔々と言い続けて、遂には発狂したかのように両の手を広げて叫ぶ。彼女の言葉は理解できない。イストも憎しみは向けるが、言葉を噛み砕いたり、推察したりはしない。所詮狂人の戯言なのだ。

 

 ――今の、今までは。


 ――長の後ろ、祠がある場所から凄まじいほどの魔力が――紅い、魔力の奔流が放たれる。同時に聞こえる、聞きなれない獣の咆哮。祭司長がずっと語り継いできた、終末の獣、それの目覚めを予感させる光景。

 

「なん、だと? まだ誰も祠へは向かっていないハズ……一体誰が、アレを目覚めさせたのだ?」


 かの獣を目覚めさせる理由が最も深いと思われたヴァーテ族の長も、この光景に困惑を滲ませていた。だがすぐにその顔に喜色を浮かべた。


「違う、違うのか! フハハハハハ! あの力、この光景! ああ、あの御方はワタシ達を見捨てていなかった! 主よ! この五百年、ずっと待ち侘びておりました!!」


 燃え盛る里、惨殺され贄とされた女、酸鼻な光景の中、訪れた終末を讃美する異常者達。

 三流の絵師が、幼稚な筆致で描いたかのような残酷な風景こそが、地の獄ならぬ地上に顕現していた。

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