第52話 樹海の底、戦火

「諸君、時は来た」


 そう語り掛けるのは、怪しい熱を含んだ声音を発する女。

 ダークエルフの女だ。肉感的に整った身体つきに、長い銀色のロングヘアー。美しい目鼻立ちと形の良い尖った耳。――ただし、瞳は黒い布で目隠しされていて、窺い知ることが出来ない。

 纏っている儀式の装束めいたローブと相まって、邪教の巫女を思わせる異様である。

 それはある種正しい。彼女こそ、ヴァーテ族を纏める長――世界が新生するより前に生きる、文字通りの人外である。

 

 彼女が言葉を投げる先は、集会に集った全てのヴァーテ族。大森林の北に住まう彼らは、数こそ少ないものの、ウィエン族よりも強く鍛えられている。――少ない故に、大敵たるウィエン族に打ち勝てるようにと。

 

「我々は長い間忍苦の時を過ごしてきた。前回の大敗より数十年、苦渋を舐め、泥に顔を突っ込み、無様になりながらも再起した」


 目を隠しているにも関わらず、一人一人へ視線を合わせるように顔を動かし、情熱的な声音で語り続ける長。


「そして今、我々は此の地に立っている。散っていった全ての同胞の、想いと切望のありったけを背負って」


 感極まったように大きく手を広げ、長は天を仰ぐ。黒きヤテベオに覆われ、天より降り注ぐ陽光すら遮る暗黒の蓋だ。


「――ワタシは見た。あの日、世界が滅んだ瞬間――大いなる破滅と再誕の時を。光を失った代償の引き換えに、楽園への解放を。そう、大いなる黒き獣、再生の担い手を」


 感情が高ぶったのか、声のトーンが上がる。長の情熱的な演説に、熱に浮かされたように周囲のヴァーテ族も真剣に聞き入る。


「――携挙の時来たれり! 我ら罪深き地上の落とし子が、原罪を死と破滅によって禊ぎ、約束の地へと至る瞬間が!」


 長が叫び、聖戦を歓喜を以て始める瞬間が訪れた事を告げる。演説を聞いていたヴァーテ族は、それを待ち侘びたように立ち上がり、手を高く挙げる。


「「「時は来たれり! 我ら崇高なる使命を以て、聖絶を!」」」


 時は来たれり――その一文を熱狂的に繰り返すヴァーテ族。その様子を見て、長は満足そうに頷いた。


「よろしい、では参ろう。粛清を以て、愚かなるウィエン族に真なる愛を伝道せん」


 神の使徒とは名ばかりの、狂気的な戦いの幕開けを宣告した。








 ◇◇◇








「……四人の内二人を殺害か。まあ、最低限捕らえて戻ってきたので良しとするが……」


 できれば数は欲しかったな。残念そうに呟く戦士長を見て、イストは慙愧の念に駆られる。

 やりようはあったハズだった。だがどうしても手が出てしまったのだ。

 あの紅い狼――確実にコチラに気が付いていた。気配を消して忍び寄ったハズなのに、瞬間に気が付かれた。もしも狼に攻撃を仕掛けていれば、絶対に反撃されていた。


 その得体の知れない感覚――今まで格下のニンゲンとしか戦っていないイストは知らなかったが、それを恐怖と呼ぶ。

 故にこそ彼は焦り、狼と距離が離れ、仕留め易そうな二人のニンゲンを殺してしまった。数を減らして有利を作るのが肝要と、本能的に理解していたのだろう。もう一人弱そうなニンゲンがいたが、ソイツは狼と一緒にいた為手が出せなかったのだ。

 

「……あの獣人種の男は危険です。ですが、質はかなり良いと思われます」


 そう言いながら、思考の裏で思い起こすのはあの狼。魔力もそれなりにあるようだが、秘めた生命力も中々のモノだろう。アレ一匹で、普通の生贄何匹分にも相当するに違いない。


「ふむ……確かに、アレは質が良い。眠りの補強に用いるのは充分だろう……。そう考えれば、寧ろ良かったかもしれんな」


 少なくとも、過ぎた事を嘆くよりは建設的であろう。そう結ぶ戦士長を見て一先ず安堵の溜息を吐く。

 

「贄が揃ったのならば、聖餐は早い方が良い。早速祭司長と巫女に儀式の打ち合わせを――」


 そう呟こうとした瞬間だった。

 遠くより響く強烈な爆裂音。腹まで響くような振動に、それに浮かされたように天井から破片が降ってくる。


「今のは……」


「………様子を見に行こう」


 イストと戦士長はそう頷き合い、部屋から出る。


「――なっ!?」


 瞬間、目に入ってきた光景に絶句する。里の北の方から火の手が上がり、宛ら戦場のように化していた。怒号や悲鳴があちこちから上がり、弓を放つ音や干戈を交す轟音、魔術の打ち合いが頻繁に行われていた。

 このような状況、少なくともイストが生まれてから数十年無かった。だが――こんな事をやりかねない輩については、心当たりがあった。


「ヴァーテ族ッ!」


「で、あろうな……。くっ、直接里に襲撃を仕掛けてくるとは、遂に狂う所まで狂ったか」


 予想だにしなかった状態に、イストと戦士長は呻く。

 

「どうすれば……そうだ、ルーゼッ!」


 今この場にいない大切な女の名を呼ぶイスト。彼女は一足先に里に戻っていたハズ――この騒ぎに巻き込まれている可能性がある。

 

「迎撃するぞイスト。ルーゼを探しに行くのだろう? 道中戦士や狩人に声を掛けて北側への戦力を集めてくれ。私もすぐに出向く」


「分かりました!」


 戦士長からの命令を受け、イストは走り出す。兎に角ルーゼを見つけなければ。

 ――こんなに焦ったのは人生で初めてだった。安穏とした日々で、忘れていた危機感。当たり前にあるモノだと考えていたが故に、失いかねないだけで恐怖してしまう。

 知らなかった。好きな女が死ぬと考えるだけでこんなに恐ろしいなんて。起伏の無い恋愛感情だったが、自分がルーゼを愛していることを今になって自覚した。

 

 樹上に造られた道を走り、北側へ降りようとするイスト。その道中で有り得ざる存在と出くわしてしまう。

 

「なっ、お前は!」


 悠々と歩いているその者を止めようとしていたダークエルフの首を掴み、投げ飛ばしていたのは――紅い狼の大男、ヴェドだ。

 ヴェドは視線だけをイストの方へ寄こし、すぐに興味を失ったように逸らす。


「ど、どうやってここに……どう逃げ出したんだ!」


 焦りもあらわに、ヴェドに怒鳴るイスト。当の狼は興味なさげに――いや、道端の虫を見るような、怠そうな雰囲気を無表情の内に滲ませながら歩き出す。

 

「あの程度、別にいつでも破れたさ。それよりも邪魔はせずに、そこを退いた方が良いぞ。邪魔をしないなら、殺しはしない」


 当たり前のように、上位者たる態度でそう告げるヴェド。それに不気味なモノを感じつつ、それでもダークエルフの狩人としての矜持を奮い、立ちはだかる。

 

「黙れ、ニンゲン風情が舐めた口を叩くなよ」


 魔人族としてニンゲンよりも上位者に立ってきた経験が、傲慢と共に僅かな自信を蘇らせる。感情の起伏によって魔力回路より魔力が流れ、肉体に満ちる。その力を奮い、意志の力によって詠唱を行わずとも術式を構築――魔法を顕現させた。


「――死ね、〈生否呪アサシネイト・カース〉」


 解き放った赤き呪詛が、ヴェドへと注がれる。生あるモノを蝕み、その命を否定する魔の術式は――効力を発揮せずに消え失せる。

 

「なっ!?」


 レジスト――否、弾かれていない。寧ろ……吸収されている。

 数多くのニンゲンにこの術式を叩きこんできたが、このような反応は見たことが――いや、一つだけ知っている。だが有り得ない。この男はニンゲンのハズ故に。

 ――魔に類するモノに呪詛系統の魔法は効力を発揮しない。寧ろ、その邪なる力を以て、自らを強化する。ニンゲンにとっての神聖魔法のように、魔の者にとっての呪詛魔法は回復や強化の術に成り得るのだ。

 では――まさか、この男は。


「悪くない呪いだ」


 嘲る様にそういったヴェドは、自らに走る赤い呪いを確かめるように拳を握る。

 間違いない。彼は――魔の者。


「お前は……まさか魔人族、なのか?」


 正体を確かめるようにそう問い質すと、ヴェドは目を細めてこちらを見下す。


「想像に任せるよ」


 はぐらかすようにそういったヴェドは、茫然自失のイストの横を通り抜ける。ハッと気が付いたイストは振り返り、ヴェドの背中に手を伸ばす。


「ま、待て……何故この里に訪れた。何が目的なんだ」


 魔人族――或いは魔族ならば、ニンゲンほどに警戒する必要は――ある。寧ろ、ニンゲンよりも厄介な手合いだ。ここはダークエルフの縄張りだし、踏み入れる輩は大抵敵だ。

 だからこそ、問わねばならない。この異形の者が、如何なる目的をして樹海を訪れたのか。

 イストの問いに、ヴェドは答えることなくそのまま悠々と進む。もう何を聞いても無駄だろう。これ以上は不興を買う可能性がある。そうなればどうなるか、想像も出来ないし、これ以上時間を浪費するワケにもいかない。彼が何を企んでいても、イストには目を瞑るしか選択肢は無いのだ。

 

「クッ……」


 それを悟ってか、イストは悔しそうに声を上げて再び走り出す。

 ルーゼが今どうなっているかも分からないし、うかうかしていればヴァーテ族に里を凌辱される。それだけは許されない。

 

「――ルーゼ!」


 そうして探していると、イストはルーゼの姿を見た。

 

「――くっ!」


 ルーゼはいた。戦火が広がる北側で、多くのダークエルフに混じって戦っていた。多少傷は負っているが、無事だ。

 

「ルーゼ!」


 イストはルーゼの名を再び呼び、樹上より飛び降りて猫のように着地、勢いを殺さずに駆け出す。

 

「無事か、ルーゼ!」


「イスト……ええ、私は大丈夫」


 そう微笑むルーゼを見て、イストは一先ず安堵する。……気を抜くのも程々に、イストは戦場へと意識を移す。

 酷い有様だ。木々は元素魔法による攻撃で燃え盛り、ダークエルフの死体――味方か敵かも分からない――を焼き焦がし、人体より発せられる脂と血とが蒸発する異臭に満ちている。

 酸鼻な光景だ。その舞台に相応しい演者たちが、狂気めいた演劇を刻んでいる。但しセリフではなく干戈を交わし、劇中歌の代わりに破滅を齎す術式の詠唱が木霊する、文字通りの戦場だ。

 

「この狂信者共め! 神聖なウィエン族の里を侵すかっ!」


「携挙の時来たれり! かつての同胞達よ、今我らは死と破滅によって原初へ還り、楽園へと至るのだ!!」


 ウィエン族のダークエルフの声が聞こえていないのか、ヴァーテ族の狂信者共は楽園だの、携挙だのと意味の分からないシュプレヒコールを叫び続ける。話が通じない相手だと常々思っていたが、ここまで極まっているとは。絶望か呆れか、イストの気が少しだけ遠のいた。

 

「クソ……数が多いな」


「連中の狙いは奥の祠、終末の獣ね。どうあってもここを通すワケにはいかないわ」


「祠の封印は――」


「ここまで来たって事は、破る手段は用意しているのでしょう」


 不味い、イストの口に苦いモノが走る。

 数ではこちらが勝っているが、一人一人の練度ではヴァーテ族の方が高い。しかも向こうは異常なほど士気が高く、不惜身命の四字を具現したような立ち回りだ。いつ死んでも満足といった有様で、武器で貫いてもそのままの勢いで、突進して攻撃してくるような輩だ。魔法で障壁を紡げば、自分達が吹き飛ぶのも構わず炸裂魔法を詠唱する。悪質な集団自殺に巻き込まれている気分だ。


 このままではどれほど持つか分からない。今の所はこちらが優勢だが、何かしら、戦場に変化を齎す一手を打たれればその限りではない。

 分かってはいるが、戦うしかない。押し負ければ氏族は皆殺される。それだけはダメだ。絶対にダメだ。

 不退転の決意を抱いて戦闘に加わろうとしたイストだが――


「っつ!?」


 ――背後、樹上の家々が爆裂したのを見て動きを止める。

 

「なっ!? どうして! ここは塞いでいる、コイツらは通れないハズなのに!」


 普段から冷静なハズのルーゼが、狼狽も露わにそう叫ぶ。

 そう、先ほどからここを押そうとしているヴァーテ族の侵入は塞いでいる。後ろの里に投げ込もうとしてる魔法も、全て防いでいるのだ。だが今のは確実に背後から発動した。


 ――もう既に、侵入を許しているのではないか?

 有り得ない、イストは浮かんだ考えを打ち消す。ヴァーテ族がこの里へ侵入するには、北側のルートしかない。迂回して回り込むとなれば、大森林の外周を回る羽目になる。恐ろしく長く険しい行軍になるハズだ。まともに戦えるだけの戦力を届けるのは不可能に近い。

 

 同時に、もう一つイストの脳裏に浮かんだ考え。

 もしも、戦士長や族長、祭司長に匹敵、或いは超えるような実力者ならば、たった一人で樹上の家々を爆破する魔法も行使可能だろう。

 そして少人数――少数精鋭であれば、迂回での行軍も或いは――


 それは――正解だった。

 最悪に近い回答を意図せずとも引き当ててしまったイスト。だが正答への褒賞は与えられず、代わりに下されたのは色濃い絶望。

 

「見よ、ウィエン族の者共よ。これなるが、裁きの時、怒りの日、落日より天上楽土へ至る最後の審判である」


 やけに明瞭に透き通る声で、そう告げたのは――イストらの背後より歩いてきた女。数人の屈強なダークエルフの護衛を連れ、背後の轍に無数の凄惨な遺骸を刻み、現れた死の使い。

 巫女装束にも似たローブ、長い銀のロングヘアー。そして黒い布を眼帯に、両目を隠している女。そのような容貌をしている存在が、ヴァーテ族にいるというのはイストも知っていた。

 何故なら、あの女こそが――


「ヴァーテ族、族長……」


 ――五百年以上前、外界で起こった大災害。余人が新生と呼ぶ災禍に巻き込まれながらも、命を失わなかったモノ。卓越した魔導師でありながら――このウィエン族に生まれながら裏切った、背反の罪人。

 ウィエン族に伝わる、世紀の大罪人にして――イストなど到底及びつかぬ、英雄の領域たる人外である。

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