第50話 魔人のいけにえ
準備を整えたバルドーの一党は、緊張しながらも大森林に向かう。
大森林はルシャイア近郊の荒野を超えた、離れた場所に存在する。街との距離がそれなりに空いている為、ルシャイアへ魔物が襲撃する前に察知し、迎撃が成立しているというワケだ。
荒野を抜ける際は注意が必要だ。だだっ広いだけの寂れた場所だが、それ故に身体能力の高い魔物には十全に力を振るえるフィールドだ。特にハーピーを始めとする、空を飛ぶ類の魔物には絶好の狩場である。障害物が少ないので、警戒するのに然したる労力を必要としないというのが、せめてもの救いか。
魔物が跳梁跋扈する荒野をどうにか抜ければ、晴れてブリューデ大森林の入り口に立てる。入念な準備を重ね、実力のある傭兵を固めてようやくという理不尽である。
「――前に来たときは、ここまで楽じゃなかったよ」
普通の森とは違う、黒く巨大な木々に覆われた入り口を見て、バルドーはしみじみと呟いた。
数ヶ月前だろうか、大森林までの護衛――荒野を抜ける為の戦力として当てにされたバルドーが、それなりの報酬と引き換えに請け負った仕事の際にも、この恐ろしい入り口を見たが――今こうして、自分が立ち入る側として見るのではやはり違う。
数ヶ月前に荒野を抜けた際には、集まった十数人の傭兵の内、三人が犠牲になった。その時と比べるとかなり楽だし犠牲者もいない。ヴェドが傑出して強い故だ。
「マジで行くのかよ……クソォ」
一党の一員が、震えた声でそういった。気持ちは分からなくもない。バルドー個人としては、寧ろ未知への好奇心故に高揚している気持ちが強いが。
「ここが件の森か。ふん、まあ雰囲気はあるな」
腕を組み、不遜な態度で、一切の衒いもなく言って見せるヴェド。頼もしく思うのと同時に、些か緊張というモノがなさすぎるとも思う。
「ヴェドの旦那ァ……ほ、ホントに行くんですか? や、止めときませんかい?」
「勝手にしろ。俺は一人でも行くぞ」
「ま、待ってくださいよ。い、今から帰るとなると、その、ね?」
「無理強いはしないさ。だが帰りの護衛が欲しいならついてくることだな」
にべもないヴェドの言葉に、一党のメンバーは顔を蒼くする。
「そ、そんな……」
「もう行こうぜヴェド。……嫌なら無理強いはしない。ヤバイって素直に思うなら、自分で手を引くのが傭兵のルールだからな」
そうバルドーに言われると、仕方なさそうに一党のメンバーは俯いてついてくる。
ようやく目的の大森林に立ち入ることが出来る。バルドーは無駄に揉めて時間を浪費した事を嘆きつつも、黒い森へ入り込んだ。
「不気味だな……先も暗くて見えやしない」
まるで夜のようなブリューデ大森林の中を往くバルドーは、ふいに沸いた素直な感想を口にした。
黒く巨大な木々が天まで貫く勢いで伸び、不気味な館の屋根のように漆黒の葉を無尽に付ける。陽光は本当に僅かにしか入ってこない。恐ろしい雰囲気も相まって、正に魔境といった様相だ。
「………なるほど」
何かを察したようなヴェドが、腕を組んで得心する。
一体何が成程なのか、気になったので聞こうとするが――
「行くぞ」
その前にヴェドはさっさと先へ進んでしまう。
「あ、待ってくれよ」
そういってヴェドを追うバルドー。彼の後ろから一党のメンバーである、二人の傭兵もついてくる。
「この樹は『生きている』な」
「ら、しいな。オレも詳しい事は知らないんだが――」
興味を惹かれたのか、一党の一人が黒い大樹に触れようとする――
「止せ! 食われるぞ」
「っ!? ほ、ホントなのかよその話。木が人を喰うなんて……」
「本当らしいぞ。だから不用意に刺激するのは止しておけ」
大森林から生還した――といってもすぐに引き返してきただけらしいが――傭兵の語る話を聞いたことがあるが、その男も言っていた。「樹が生きていた。アレはヒトを食う化け物だ」と――。
「トレントとかの、魔物の一種かもしれない。刺激するのは得策じゃない」
そんな風に話している内にも、ヴェドは先へ進む。物珍しそうに周りを見渡しながら進むその姿は、どこか緊張感に欠けていて、旅行気分の旅人を思わせる。
本当に大丈夫なのだろうか。一抹の不安を感じながらも、先へ進むヴェドを追い、黒い森の暗闇を抜けていく一行だが――
「……」
――急にヴェドが立ち止まり、背中の剣に手を掛ける。視線はいつも鋭いが、今はより一層冷酷で鋭利だった。
「どうした、ヴェド」
思わずヴェドに問いかける。魔物だろうか、そうならば不味い。すぐに戦闘に備えねば。
果たしてヴェドの答えは――
「囲まれている」
――想像を超えた最悪の回答だった。
「なん――」
何だと、そう驚愕する間もなく黒い森の隙間から、何かの影が飛翔する。
辛うじて目で追えるほどの素早い何か。後追いするように視線を彷徨わせると、バルドーは苦心の末影の正体を捉える。
「ぐぇ……」
カエルが馬車に轢かれた時に出すような、間抜けで聞き苦しい声。空気を絞り出すような、或いはそこに混ざった水音が、その声により苦しそうな印象を与える。
「なっ!?」
ゆらり、と一党のメンバーの身体が揺れ、仰向けで倒れ込む。驚愕して見てみれば、メンバーの喉には血で濡れた矢が突き刺さっていた。その男は暫く喉を搔きむしるような仕草の後、苦悶と驚愕を綯い交ぜにした表情を張り付け、絶命する。
「まず――」
不味い、警告を飛ばす間も無く、再び森の狭間から死神の腕が飛翔した。
今度は矢ではなく、赤黒く輝く奇妙な光。到底自然のそれとは思えない、歪められた節理より現出する、地獄の獄吏が携えるカンテラの如き輝きだった。
もしもバルドーに知識があれば、それを魔法による攻撃であると看破しただろう。
その赤い輝きは生き残ったメンバーの片割れに注がれた。
「――ひっ!? な、なにが……」
仲間の死か、或いは自分に浴びせられた赤い光にか、生き残った一党のメンバーは情けない声を上げて驚愕する。
二の句を継ごうとした刹那、今度は光を浴びせられた傭兵が目をこれでもかと見開き――
「あああああああああああぁぁぁ!!!?」
――耐え難い拷問を受けたような絶叫を黒き森に響かせる。
「ど、どうした!?」
この世の絶望のような絶叫をする傭兵に、バルドーも狼狽して問いかける。
傭兵はどうにかバルドーの方を向くと、血走った目から大粒の涙を零しながら口を開く。
「た、たす、たすけ――」
助けて、とでも言おうとしたのだろうか。
救いの手を求める言葉を紡ぐ暇すらなく――傭兵は死んだ。
如何なる節理か、傭兵は首を縦にあり得ない角度で回転させる。ゴキゴキという骨が砕ける悍ましい音が連続で響き、傭兵の身体はどんどん歪んでいく。紙を丸めて捨てる工程を、ニンゲンの身体にそのまま適応したような惨状だった。
「あああああああぉぉぉおおおおおお」
身体が歪むのと同時に、傭兵が上げる絶叫もノイズが掛かり、ドンドンと歪んでいく。
「ぐがああああぎゃがやがぎゃがが――」
遂には言語化不可能な叫びを上げたと思った瞬間――
「――」
傭兵はバキバキという音を上げながら丸まり尽くし、そのまま膨張――趣味の悪い肉風船と化し、内側からはじけ飛んだ。
「……あ?」
肉片と血飛沫で周囲を汚した傭兵の最期を見て、血の斑点を顔に作りながらバルドーは困惑する。
理解を超えた事象が起こり過ぎて、得心の間も無く呆然としているのだ。
魔導に精通した者ならば、傭兵を襲った魔法の正体が呪詛系統第六位階、〈
そのような事知る由もないバルドーは、起こった事に驚愕して絶望するより他は無い。
そこにあったのは無理解と誤謬であり、空白の思考を占めていたのは現状への問いかけであり、ようやく過ったまともな思考はやはり、後悔。
生還者が警告を発し、禁足地めいた樹海への侵入者――即ち先人がどうなったのかへの理解。そして今、自分がその愚かな先人の結末をなぞろうとしていることも、理解していた。
「――動くな!」
現実逃避の一環でか、深い思考の渦に陥っていたバルドーは、鋭く聞き覚えの無い声で現実へ回帰する。
声の方をゆっくりと、刺激しないように見てみると、そこにはヒトがいた。
いや、ヒトではない。褐色の肌に、逞しい肉体。森の闇の中でも美しく見える銀髪に、超自然的に輝く琥珀色の瞳。そして何より、長く尖った耳。
そうだ、このブリューデ大森林の守護者を自称する魔の者。魔人族たるダークエルフだ。
ダークエルフの青年は弓を構えながら、警戒――特にヴェドの方を、焦燥すら滲ませて睨む。
「貴様、絶対に変な真似をするなよ」
ヴェドに鋭く言い聞かせるダークエルフ。見てみれば、もう一人――人外の美を持つダークエルフの女がヴェドに武器を突きつけている。
「ヴぇ、ヴェド……」
この絶体絶命の状況、もしかしたらヴェドならば――淡い期待を以て名を呼ぶが、当の傭兵は力なく首を振る。
「こうなっては、大人しく従っておくのが吉だろう」
ヴェドはこのような状況下でも酷く冷静に――仲間の傭兵の凄惨な最期にすら動揺せず、そう告げる。
……確かに、背後を取られ、囲まれて、どれだけ仲間が潜んでいるかも分からない状況で、抵抗を試みても実を結ぶ可能性は極限まで低い。
理屈は理解できるが、バルドーの心境は複雑だった。一時の利益で繋がっていた中とはいえ、仲間を殺されているのだ。未だ上手く飲み込めない状況も相まって、バルドーは返事をすることも出来ずに黙るしかできなかった。
(クソ……ダークエルフは警告をして、聞き入れるヤツは見逃してくれるって話じゃないのか)
そう考え――思い直す。相手は魔人族。魔に与する堕ちたる存在。相手の気まぐれに期待するのが、端から間違いだったのだ。
「抵抗するなよ。今からお前達を連行する」
ダークエルフの青年は、混乱するバルドーに更に混乱を引き起こす事を言い放つ。
ダークエルフがニンゲンを連れ帰る? 何故、その目的は? バルドーには理解できなかった。
だが連れて帰るという事は、まだ生存を保証されるという事。その先に何が待ち受けているかは埒外にして、バルドーは安直に目の前の生存にしがみ付いた。
こうして大森林に踏み入れた蛮勇の傭兵らは、ダークエルフに捕らえられた。何が待ち受けているかも分からずに、深い黒の樹海の更に奥の腹まで、踏み入れる羽目になったのだ。
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