第48話 一方通行な感情、表

 傭兵バルドーはグランバルト帝国、ヴァーロム州で生を受けた。

 ヴァーロム州、州都ヴァーロムを覆う黒鉄城壁は、聖国アズガルドとの国境防衛線であり、何年にも渡り守護し続けて来た英雄的存在とも言えるが、バルドーはそのような栄光とは無縁であった。

 ヴァーロム州の端っこの街で生を受けたバルドーは、傭兵として生き、そして死んだ父を尊敬していた。剣一本で成り上がり、金を稼ぎ、強くなる。血腥い戦商売だが、その遍歴は少年の心を捉えるには十分だった。

 

 残された母は常々「傭兵なんてロクな商売じゃない」と言っていた。当時のバルドー少年は反感を抱いていたが、今になってみれば、その言葉の意味を痛いほど理解していた。

 兎も角、当時の少年は傭兵を目指して自警団に身を置き、剣術体術、後は一般人でも手に入る程度の銃の取り扱いを覚え、技量を磨いた。――英雄になりたい、その一心で。

 

「――もしも過去の自分に言えるなら、その熱意で軍人でも目指せ、って言いたいね」


 そう、傭兵なんて阿漕で無節操且つ、命冥加な戦いを常とするような底辺に、態々落ちぶれるような真似をしていた粗忽な過去。

 アレさえなければ――無駄な夢など追わなければ――そう考える事も多い。

 父親譲りの剣術の才はあったものの、英雄になれるだけの器など無いのが当たり前。

 望みを託し、傭兵家業に励むものの、結果は芳しくなかった。精々、その日暮らすのが精一杯の金を稼げるくらいで、それも傭兵らの間ではまだマシな成果を得ていたと知った時には、愕然としたものだ。

 ――オレが目指していた場所は、こんなにも醜かったのか、と。


 世の中には闘技場の奴隷剣士から、将軍にまで成り上がった英雄サマもいると聞くが、そんなのは一握り以下の天運が無ければ不可能だ。 

 そう、運だ。何もかも運。運があれば、自分はもっと上に行ける。運があれば――運があれば。

 だが、バルドーはその運に恵まれなかった。だからこそ、こんな辺境で数年も燻っているのだ。


「――数年か。なら、かなりの先達という事になるな」


 今まで黙ってバルドーの話を聞いていた男が、感情を窺わせない声でそういった。

 バルドーの隣に立ち、共に街を歩いているのは大柄も大柄な男だ。鮮やかな紅い毛並みに、赤銅に輝くタテガミ。ヒトとは思えないほど筋骨隆々でありながら、自然になるよう整えられたような骨格に身体つき。武骨で涼し気な装備と、背に携えた巨大な剣。そして凛々しく精悍な狼の似姿。紅い瞳は常に凪いでいて、感情を窺わせない冷徹な色を宿している。


 ヴェド――今日この辺境に辿り着いたという、流れの傭兵。種族の違いはここまでの差を生むのかとバルドーは思う。全くもって羨ましい魁偉な容貌だ。バカみたいなデカさの剣を持っているが、成程それだけの体格ならば、棒でも振る様に使えるだろう。

 ただでさえ、獣人種というのは身体能力に優れるのだ。その中でも選りすぐりの体格となれば、それこそ英雄になるのも不可能ではないかもしれない。

 ――そう、種族の差。それもまた、生まれながらに与えられる理不尽。


 人間という種族は、数こそ多いものの、特に優れた面がない。敢えて言うならば、手先の器用さだが、それはドワーフに劣ってしまう。

 エルフならば百年の青春を生きるという長い命に、先天的に魔法の才能に恵まれている場合が多い。

 ドワーフもエルフほどではないが長命で、前述した手先の器用さに、矮躯ながらも強靭な肉体に膂力と、人間を上回る点も数多い。

 獣人種は先天の差――例えば、ネズミやウサギといった矮小な獣ではなく、肉食系の獰猛な獣の獣人であれば、かなり高い身体能力を見込める。


 そう、その時点から――運の差が出るのだ。

 バルドーは母も父も好きだったが、それだけは覆る事の無い事実だ。

 

「――はは、んな上等なモンじゃねえよ。ここはオレら傭兵の飯の種が多いから、ずっと居座ってどうにか稼いでいるだけさ」


 ヴェドの言葉に茶化しながら答えたバルドー。先達と言われるような所以はない。自分はただ小狡く生きているだけだ。

 ヴェドは明らかに自分よりも強い。バルドーはそう感じていた。いくら傭兵等という底辺の掃き溜めとはいえ、辺境の強力な魔物相手に戦商売をしている、一応猛者共の街だ。その中にあっても、まるで凪いだように――そう、取るに足らない、謂わば上位者として君臨しているかのような態度。立ち合えば確実に敗北すると、感じていた。

 

 ――英雄。時たま傭兵らの中だろうが生まれる、ヒトの頂点。戦記や英雄伝に語られるような存在なのかもしれない。

 ウルスラ・マグナハートという帝国の英雄も、元は傭兵であったという。そう、このヴェドなる男は、その高みに至れる可能性があるのかもしれない。

 流石に性急な考えかもしれないが、少なくとも自分よりは高みにいる事間違いなし。そんな人物に先達等と言われるのはこそばゆい。

 

「んじゃ、まずは武器屋からだな! 傭兵にとって武器は生命線、日々の手入れだって欠かせねえし」


 感じた劣等感を振り切るように、期待の流れに街を案内する。

 親切めかして案内をしていく中、バルドーはひしひしと感じていた。


 ――欲しい。

 

 獣人種の傭兵。高い戦闘能力は勿論、狼の獣人というのもポイントが高い。鼻をはじめとする感覚器官に優れる故に、奇襲への察知能力や毒物の検知など付加価値もある。

 どうにかして取り込みたい。バルドーはその考えに支配されつつあった。

 いつも数人で徒党を組んで魔物狩りをしているが、その中にヴェドが入れば――利益がかなり伸びるだろう。長ずれば、かの大森林で探索を行えるやもしれない。

 そしてそのような偉業を成せば、自分も――英雄の端くれに届くかもしれない。歴史に名を残せるかもしれない。


 ――枯れかけていた夢に欲望の炎が付いて、自分の背中を炙るように急かす。

 

 心は決まった。必ずヴェドを一党に引き入れる。

 初めは新しいヤツが来ているという、物珍しさ程度で絡んでみたが――思わぬ掘り出し物を見つけた。

 ヴェドを仲間にするという意志の元、バルドーはルシャイアの街を案内していた。


「――どうだ? ここの店の品揃えは中々だぞ?」


 案内した行きつけの武器屋で、品揃えの豊富さを自慢して見せる。ここの武器の多さは中々のモノだ。ダガーにロングソード、ツーハンデッドソードは勿論、メイスやハンマーといった殴打武器、スピアにランス、レイピア、エストックといった刺突武器、カタールやバグナクといった変わり種まで――実に豊富だ。

 

「……まあ確かに、中々に多いな」


 どうだ、いいだろう――そう思ってヴェドの反応を窺うが、芳しくない。

 というより、恐ろしく感情が読み辛い。本当に心があるのかと疑いたくなるほど、表情が動かない。確かに獣人種の表情というのは、他種族からすると分かりづらいのだが――それでも、異常なほど動かない。

 武具を売る店には興味がないのだろうか? 確かに、背中に立派な得物を背負っているし、新しいモノはいらないだろう。

 ならば、別の店やら何やらで興味を惹いて見せよう。気に入ったモノがあれば、それを紹介したバルドーにも、多少の好印象を感じるだろう――そんな打算的な考えを以て案内を続けるが――


「――ここの娼館はいいぞ! 昼の間は安いし、どの娘を選んでも大体ハズレがない! 色んな手管で楽しませてくれる」


「そうか。まあ、今はそういう気分じゃないな」


「――ここの薬屋のポーションはよく効く。保存期間もそれなりだから、仕事前にここでいくつか買っておくといいぞ」


「ああ、まあ……考えて置く」


「――怪我をしたらまずこの診察所に駆け込むといい。聖国の尼僧共がよくする神聖魔法とやらには及ばないが、きっちりと治してくれる。覚えておけよ」


「怪我か。そうだな、覚えるに越したことは無いな」


 ――何もかもが梨の礫。まるで興味がないような返事しか返さない。やはりヴェドには感情というものが欠落しているのではないだろうか。

 こうなったら「とっておき」で興味を惹かねばなるまい。固い決意の元、バルドーは次の目的地までヴェドを伴い往く。


「――よし、とっておきの店を紹介しよう」


「とっておき……」


 ヴェドを伴って向かったのは路地裏にある怪しい店。一見すれば、ただの民家にしか見えない場所だ。到底商いをしているようには見えない。


「ここがそうなのか?」


「ああ、そうだ」


 ヴェドの質問に答えながら、バルドーは扉を開く。


「さ、ヴェド、入ろうぜ」


「ああ。……せまっ」


 裏路地の秘密めかした隠れ家となれば、大柄も大柄なヴェドには窮屈で仕方ないだろう。我慢してもらうしかない。

 中に入ると、そこは落ち着いた雰囲気の酒場だ。ヴェドで会った時の店とは異なり、明かりも最低限で客も少ない。


「ここは上等な酒を振舞ってくれる店なんだ。いい酒はそれなりの値段がするモンだろ? 物取りに目を付けらえても困るから、ちょいと秘密ごかして商ってるワケだ」


「そうなのか。飯はあるのか?」


「そりゃ勿論。酒によく合う佳肴の類だって用意してくれる」


「そうか、それはいいな」


 ――初めてヴェドが、明確な興味を示した。

 武器も、医者も、女にだって興味を示さなかった難物。さしもの男も、美味い酒や飯には興味を示さずにはいられないらしい。寧ろ食気こそがもっとも強い欲望なのかもしれない。

 酒場の中へ進み、先と同じようにカウンター席に座った二人。酒場の主人に注文をして、暫く待つ。


「……」


 頼んだ品が出てくるのを待っている内に、二人の間には沈黙が流れる。僅かに気まずい雰囲気を破るべく、バルドーは考えていたことを口にする。


「なあ、ヴェド」


「何だ?」


「こうして出会えたのも何かの縁だ、ちょっと一緒に仕事をしてみないか?」


「仕事……」


「魔物狩りだよ。アンタは見たら分かるくらいの腕利きだし、加わってくれるならこれ以上助かることは無い。勿論、報酬だってちゃんと分ける。一番多くの魔物を狩ったヤツが多く分け前を得るっていうルールで――」


 その後も立て板に水とばかりにヴェドに説明し、どうにか加わってもらうべく語る。彼は静かにそれを聞いていた。


「――どうだヴェド。アンタにも利益があるハナシだ。悪くないと思うんだが」


 目を閉じて話を聞いていたヴェドは、静かに見開き、口を開いた。


「いいだろう」


 あまりにも呆気ない勧誘の成功に、一瞬思考が停止するバルドーだが、すぐに心の底から喜色が湧き出てきて――


「――ただし、大森林への案内をしてくれるなら」


 ――そのまま凍り付く羽目になる。


「なっ!? だ、大森林……」


「そうだ。俺はブリューデ大森林に用がある」


「あ、アンタ、オレの話を聞いてなかったのか? あそこは正真正銘の魔境、入り込んだら命はないって……」


「聞いていた。その上であそこに用がある」


 頑なに考えを変えないヴェドに、バルドーは思わず天を仰いだ。


「……マジかよ」


「これが受け入れられないなら、話は無かったことになる」


 その言葉にもまた再び凍り付く。感じていた欲望の炎によるひりつくような感覚は、いつの間にか焦燥へと変じていた。

 ――このチャンスを逃せば、ヴェドは手に入らない。

 理性は拒絶しろという。大森林へ行く事になれば、高い確率で死ぬ羽目になる。生きていればまだいくらでもチャンスはある。だから拒絶しろ……と。

 一方で感情はそれを否定する。このままでいいのか? 英雄になるという幼き頃からの夢を捨てて、掃き溜めに浸かり切る堕落した毎日。今、それから抜け出せるチャンスなのかもしれないのだ。逃せば二度とないかもしれない。それでいいのか?

 

 ――バルドーは迷う。迷いに迷う。人生でこれほど迷ったことは無いだろう。

 酒場の店主が頼んだ品を揃え終えた頃、バルドーは口を開いた。


「…………分かった」


 ――悩み抜いた結果、バルドーはヴェドの要求を呑むことにした。

 愚かな考えだと理解しているが、それでも何故か受け入れてしまった。

 敢えてその理由を上げるとすれば――やはり、バルドーもこの生活に飽き飽きしていたのだ。

 先の見えない毎日。そこに現れた一縷の変革。分かてば死へ至るかもしれない選択だが、それでもバルドーは取ってしまった。何故なら彼は傭兵だからだ。命の危険を覚悟し、戦場で斬り合いに、多少なりともやりがいを見出す戦商売。――つまるところ、バルドーはやはり愚かだったのだ。

 ――こうして、バルドーは人面獣心の怪物の手を取ってしまった。それが如何なる意味を齎すのか、理解もしないまま。

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