第45話 人ならざる者

 ウィエン族の里は、巨木ヤテベオを利用してツリーハウスを建てたり、橋を掛けたりして樹上で生活している。ヤテベオが付ける黒く、大きな枝や葉が光を遮り、里は暗く暗澹としている。余人にしてみれば絶望にも等しい黒だが、ここに住まうダークエルフにしてみれば、夜闇は安息である。


「イスト、ルーゼ、戻ったか!」


 そんな大森林の奥、ウィエン族の集落に戻ったイスト達は、出迎えの知り合いと会話していた。

 

「よお、ラーマ」


 無邪気に近づいてきた知り合いに、イストは軽く手を上げて答える。

 ラーマ・ウィエン。当然ながら、ダークエルフだ。

 イストの幼馴染で、古い付き合いである。ダークエルフにして少し華奢な身体つきで、幼さを滲ませる少年めいた容姿である。

 イストと違い、彼は余り荒事が得意ではなく、狩りの腕もそこまで良くない。その分学問が得意で、収集癖があり、イストの狩りの成果をいつも楽しみにしているのだ。

 

「戻ったわよ、ラーマ。貴方のその癖も困ったものね」


 僅かに呆れを滲ませながらも、どこか微笑ましそうにするルーゼ。どこか幼い雰囲気があるラーマは、弟分のような感じに思えるのだろう。


「きょ、今日はどんなモノを手に入れて来たんだ!?」


「まだダメだって。狩りの終了を報告しないと」


 はしゃぐラーマを抑え、イストは戦士長のいる家まで移動する。

 ウィエン族の里の入り口から歩き、木の根を上って樹上の家々まで歩く。道中知り合いや声を掛けて来た同胞に軽く挨拶をしながら、戦士長の家まで辿り着く。

 

「もー、待ってろって。報告だけ終えたら、見せてやるからさ」


「早く早く!」


 目をキラキラさせて、戦士長の家の前で待っているラーマに苦笑を送りつつ、イストはルーゼを伴って入った。

 室内は質実剛健といった様子で、飾り気はなく、逆に武器やら何やらは多い。


「戻ったか、イスト、ルーゼ」


 声を掛けて来たのは、簡素な絨毯に座った低めの声をした女性。

 猛獣の如き鋭い視線、後ろで結んだドレッドヘアー。ダークエルフらしく整った顔立ちながらも、美しさよりも精悍さの印象が色濃い目鼻立ち。身軽そうな軽装から覗ける野生美を思わせる、逞しい身体付き。女戦士アマゾネスめいた印象を与える猛女。

 彼女こそが戦士長。この里で一番の戦士にして、全ての狩人を統率する存在である。

 

 ――ウィエン族を統治するのは「族長」「戦士長」「祭司長」の三つの長である。

 族長は言うまでもなく、ウィエン族を総合的に統治する存在である。族長は次の戦士長と祭司長を決める権利があり、地位的には最も高い。次代の族長は前族長が示し、それに問題がある場合は長老らから待ったがかかる――ものの、そういった問題は起こっていない。

 

 戦士長は戦士、狩人と言った者達の長であり、日々の狩り――取り分け食種や日用品、建築材料を工面する者を戦士と呼び、ニンゲンを狩り殺し森の守護者として振舞うのが狩人である。

 戦いの才に優れた若者が戦士、狩人に多く、そのような者達は必然的に性格も荒くなりがちなので、決まってそれを統治する頭は強さを求められる。

 故に、今目の前にいる戦士長も非常に強い。


 最後の祭司長だが……少々特殊な階級である。

 ウィエン族のみならず、この大森林で生きるダークエルフ共通の宗教――古来よりこの大森林で眠りし、魔王級の怪物――「終末の獣」を崇め奉る信仰。祭司長は祭司達を纏め、次の巫女を選ぶ役目がある。

 巫女とは、眠りし終末の獣の声を聞き、必要ならば生贄として身を捧げる役目だ。終末の獣が目覚めぬように、そして満足して眠り続けるように全霊を尽くすのだ。

 

 そんなウィエン族の最高権力者の一人が、イストの目の前で僅かに微笑む。

 

「よく帰ったな。狩りの首尾はどうだ?」


「はい、戦士長。恙無く終了しました」


 そう報告すると、戦士長は満足そうに頷いた。


「うむうむ、十全な結果だな。では掟通り、戦果を検め、問題無きモノをお前達の戦利品とする」


 戦士長が言った通りにイストとルーゼは戦利品の入った袋を差し出す。時に毒薬、或いは危険な魔導具を持ち込むニンゲンもいるので、こうして検めるのが決まりなのだ。


「ふむ。……………問題なさそうだな」


 暫くガサゴソと漁り、時には鑑定の術を行使する音などを響かせて暫く、戦士長は顔を上げる。


「うむ、問題なかろう。これらは全て、お前達のモノとするがいい」


 そう告げた戦士長は、使い込まれた袋を両者へ返却する。

 戦士達の狩りとは異なり、狩人のニンゲン狩りは基本的に獲物を獲った者が全ての権利を有する。持ち物は勿論、装備から、そのニンゲンの死骸に至るまで、全てだ。まあ流石に、死骸まで欲しがるモノは殆どいない――逆に僅かにはいるのだが。

 兎も角、問題無く全ての戦利品を得られることに安堵したイストは破顔した。

 

「ありがとうございます戦士長。いやあ、ラーマのヤツがうるさくって」


「そんな気安い口調は止しなさいイスト。……すいません、戦士長」


「よい。……そうだ、近々ニンゲンを捕らえる必要があるかもしれん」


「ニンゲンを?」


 疑問を呈したのはイストとルーゼ、どちらだっただろうか。恐らくはどちらも、それなりには困惑しただろう。

 そんな二人の考えを読んだように、戦士長は言葉を続ける。


「うむ。ほら、アレだ。あの御方への贄だよ」


 あの御方――ダークエルフの間で、「終末の獣」を意味する呼び名である。

 それを聞いたイストは、なるほどと納得する。


「そういえば、そんな時期でしたっけ」


「うむ。そろそろ、あの御方にも聖餐を供さねばならん。さもなくば、目覚めを迎えてしまう」


 そう言う戦士長の言葉や視線には恐れはあっても、祈念の類は存在しない。純粋に、目覚める事を恐れているようだ。

 それもそのハズ、かの獣は古、それも千年は優に超えるほどの彼方でこの森に現れた存在。その時代よりブリューデ大森林にて生活していたダークエルフには、激震が走った。恐ろしい怪物が現れたと。

 いきなり現れ、生活を滅茶苦茶にした怪物。壊すだけ壊して、後は素知らぬ顔で眠りこける怪物に、尊敬など抱けまい。少なくとも当時のダークエルフはそう考え、その思考は未だ色濃く受け継がれている。――このウィエン族では。

 

「……あ奴らが、余計な事をしなければ良いのだが」


 そう口にする戦士長。その口調には苦いモノを感じた。


「……ヴァーテ族ですか」


 戦士長の懸念に答えたのはルーゼだ。


「うむ。あの狂信者共が黙っているハズがない」


 戦士長の口調にはいっそ清々しいほどの侮蔑が含まれていた。対象は言わずもがな、かの氏族だろう。

 

 ――古、終末の獣が現れるより昔は、この森に住まうダークエルフは一つであった。

 かの獣が現れてからは、それが二分した。

 眠りし獣を守り、そして大森林の平穏を守護する「ウィエン族」

 眠りし獣を害し、その目覚めによって世界を破滅させ、果てに新生する世の、楽園に携挙されんとする「ヴァーテ族」――などと言えば聞こえはいいが、実際はただの狂信者。自らの住む場所や、自他の命がどうなってもいいと考えている愚か者である。

 両者は以来敵対し、犬猿の仲という事すら烏滸がましいほど憎み合っている。

 

「聖餐ともなれば、必ずや妨害が入るハズだ」


「そうでしょうね。前の時も凄まじい勢いで襲撃してきましたし……」


 不惜身命の如き勢いで獣を襲撃し、眠りを紡ぎ続けるウィエン族を殺そうとしてくるヴァーテ族――その姿はイストも見たことがある。血眼になって目的を果たそうとする様はいっそ病的で、思い返す度に怖気を震う。

 目覚めれば何もかもを灰燼に帰しかねない怪物なのだ。何が彼らを駆り立てるのやら。

 

「……おっと、余計な事で時間を使わせてしまったな。すまん」


「いえ、貴重な話を聞かせて頂きました」


「そういって貰えるならば何よりだ。先の件に関しては、追って指示があるだろう。聖餐の贄を調達する役割を、担って貰うことになるやもしれんから、頭の端にでも入れておいてくれ」


 戦士長との会話を終えた二人は、礼儀正しく家を去る。

 報告の終わりを悟ってか、入口で待っていたラーマが焦がれたように瞳を輝かせる。


「遅いって!」


「悪かったって。ほら、早速俺の家で広げようぜ、戦利品」


 子犬のようにはしゃぐラーマを見て苦笑するイスト。家に行けば早く外界の事を知れると思ったラーマが、小走りでイストの家まで行くのを見て、その家の主とルーゼは顔を見合わせ、肩を竦め合った。






「これはっ……本だ!」


 戦利品袋よりまろびでた品々に目を輝かせるラーマ。

 イストの部屋でいつものように戦利品を広げる三人。ラーマは本を手に取り、軽く捲る。

 取り分けラーマが興味を示すのはやはり本だ。外界の書物は、貴重な情報に富んでいて、ニンゲンのみならず、この森以外の場所や文化についても深く知れる――とは彼の言だ。

 正直何が面白いのか分からないし、ニンゲン如きの文化にここまで興味を持つ心理もよく分からないのだが、ラーマが好きな事なのだから口出しはしない。イストだって、ニンゲンが作った硬貨だの、魔導具だのに多少は惹かれるのだから、きっとそういうモノなのだろう。


「これは……旅の作家の本か。正直そこまで出来は良くないけど、何故かよく持ってるんだよな、ニンゲン」


「へえ。そうなのか。んじゃあ、ハズレか?」


「そんな事ないよ、本は貴重だ! しかもこれは、まだ持ってなかったヤツだから、より嬉しい! イスト、何か欲しいモノはあるか?」


「うーん、そうだな――」


 ラーマが気に入った物があれば、彼から有用なコレクションや何やらを引き換えに融通してもらう。

 ルーゼも、イストも、ラーマも、ずっと過ごしてきた日常。

 幼い頃に、「狩り」へ赴いてから帰らぬ人となった両親。孤独感を感じていたイストだが、今はこれが尊い日常だと言える。

 こんな日がずっと続けばいい。彼はふとそんな事を考えた。

 

 

 無論――安穏な平穏が、この残酷な世界で長く続くハズもないのだが。

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