第44話 秘境、大森林

 ブリューデ大森林。

 ガイア大陸西方北部に存在する、世界有数の秘境にして魔境。

 アルデバランの深森、インサニティル山脈と危険度と悪名を同じくする、人類未踏の領域である。

 尤も、アルデバランの深森に関しては、最近になって彼の悪魔の消失が確認され、魔境の名を解かれたそうだが。


 兎も角、ブリューデ大森林が如何にして魔境と呼ばれているか、それは複数の理由が存在する。

 まず、大森林の名に相応しく酷く入り組んでいる。数十メートルを優に超える巨木、「ヤテベオ」が鬱蒼と生えているせいで、視界は酷く悪い。巨木故、陽光も容易く覆い隠してしまう。

 しかも質が悪いことに、この樹はヒトだけを選り好み、捕食する性質がある。そんな魔物めいた植物に守られているせいで、尋常なニンゲンは立ち入る事すら出来ない。

 

 さらに面倒な事に、大森林は霊脈の上に存在する。そのせいで大森林内部で生活する魔物は得てして強大となり、ヤテベオと相まって不落の要塞を造る要因となっている。

 強大な魔物から採れる素材は、数多くの魔導具や強力な魔法の触媒となり得る事から、多くの命知らずが生物の形をした金塊を夢見て挑んでいくが、結果は自明だろう。

 

 そしてそして更には、その大森林にはある「魔人族」が暮らしている。

 その名は、ダークエルフ。エルフという種族が魔と交わり生まれた存在である。

 エルフよりも肉体的素養、魔法的素養に優れるが、代わりに邪悪さを得た存在である。エルフが単なる長命であるのに対して、ダークエルフは不老――即ち寿命で死ぬことが無いと、魔物特有の不死身性も体現している。

 

 彼らダークエルフは、ブリューデ大森林の守護者を自称し、その立場を証明する様に、魔物やヤテベオは彼らに従っている。不用意に侵入したニンゲンに対して、時折警告を発して追い払う、正に守護者然とした存在である。基本的に対話不可能である魔人族の中、まだマシな部類であるとは、知り合いの魔性学者の言だ。

 

 多くの場所が人類の手で開拓されつつあるガイア大陸の中で、未だにその神秘性を保ち続ける魔境。

 今日も大森林は、大きな口を開けて、愚かな獲物が入り込むのを待っている。

 ――フェイリス・アーデルハイト著、大陸の歩き方、魔境編より。



 

 

 



「――だってさ。随分と酷い言い草だよな」


 今日の「狩り」を終えたダークエルフの狩人、イスト・ウィエンは、獲物から採取した「本」なるモノをペラペラと捲り、時折翻訳の魔法を掛けながらそう呟いた。

 ダークエルフとして、それなりの時を生きている彼は、ウィエン族の狩人として順当な腕を身に着け、日々「狩り」に勤しんでいた。


 ダークエルフ特有の銀糸めいた髪は短髪にし、瞳もまた種族故の琥珀色。エルフ特有の長く尖った耳は時折、動物の動きや木々のさざめきを捉えピクリと動く。僅かに幼さの残る顔立ちは整っており、狩人らしく精悍さも備えている。

 華奢なエルフとは異なり、ダークエルフは種族的素養上、肉付きがいい。褐色の肌に似合うような逞しい身体を簡素な毛皮のベストでもって羽織り、植物で織った質素なズボンと野歩きに適したブーツを履いている。

 ウィエン族――いや、ダークエルフの狩人の標準的な様相である。


 余人より見れば、この世界では当たり前程度の様子だ。だがそれとは異なる点――否、異質な点がいくつも存在する。

 例えば、その手に持った肉片と血がベッタリついた、物騒な短刀は何だ。或いは、毒の滴る矢を備えている理由は一体。またまた或いは、周囲に転がるニンゲンの無残な死体はどういうことだ。

 

 ――何のことは無い。彼らダークエルフにとって、大森林に仇なすニンゲンこそが狩りの獲物。普段、食種を獣から得る行為とは違う、遊興めいた「狩り」である。

 ニンゲンを狩るのはとてもよい。イストは心よりそう信じていた。


 何しろこのゴミ共、勝手に人様の森に入り込み、許可もないのに森の恵みを採集し、挙句の果てにはこちらに刃を向ける有様である。折角コチラが警告してやっているというのだ。背を向けて逃走するならばまだしも、無視してズカズカと侵入するような輩、殺されて当然である。

 

 ダークエルフにとって、狩りは娯楽に等しい職務だ。

 森を守る為という大前提はあれど、やはり獲物を狩るのはダークエルフの性。

 森に迷うニンゲンの背に刃を立て、逃げ惑う足に弓を射掛け、必死に抵抗する愚昧を群ごと術式で薙ぎ払う。

 そうして狩りが成されると、決まって胸が空く思いがするのだ。つまるところ、スカッとするのだ。

 ブリューデ大森林は平穏で安息に満ちた暗がりが広がっている。イストも森は好きだが、如何せん娯楽に乏しい。

 

 だからこそ、外からの侵入者――ニンゲンの狩りこそ娯楽足り得るのだ。

 森を守るために積んだ鍛錬を遺憾なく発揮できる機会。そして獲物を追い詰め狩り殺す愉しみ。時折獲物から得られる、外界の物資。それらを「狩り」と言わずして何という?


 警告を発するのは勿論打算があっての事だ。森の守護者の警告で引き下がるような、ある程度の良識あるモノならば兎も角、それでも入り込むような命知らずなど、いなくなってもニンゲン側が気にすることもない――という考え故だ。大挙して押し寄せられても困るので、そういった暗黙のルールが存在する。

 

 大森林奥深くにある、ダークエルフの集落でも、ニンゲンから得た物品は娯楽品として重宝されている。

 外界の情報が記載された本、金貨銀貨といった用途不明の収集品、時折ある珍しい魔導具など、暇を潰す戦利品には事欠かない。

 故に、今イストが持ち、そして軽く読んだ本もそういった戦利品として加えられるのである。


「ふーん、そうなの。まあ、ニンゲン如きが私達の事をどう思っていても、興味ないけど」


 そう言いながら、矢を射掛けて殺害したニンゲンの荷物をまさぐっているのは、イストの友人にして今日の狩りのペア、ルーゼ・ウィエンである。

 長く艶めく銀糸の髪と、琥珀の瞳はダークエルフ共通の容姿だ。イストと似たような装備に身を包んでいる。ダークエルフ特有の、肉付きの良い蠱惑的かつ野生美を思わせる黄金比の身体。整った顔立ちは、美男美女が多いダークエルフの中でもとびきりの美女だ。

 

「ひっどいヤツだなー。まあ、俺も興味ないケド」


 そういったイストは、本を閉じて地面に置いた戦利品袋に放り込む。上手く入れる事が出来ず、本は少し膨らんだ袋の上にポスっと落ちた。

 そんな様子から無感動に目を逸らし、イストは短刀の血を払い納刀、弓など自分の持ち物を纏めてから物色を再開する。


「ふーむ……お、コイツも硬貨? ってヤツ持ってるな。ニンゲンは大抵持ってるよな、これ」


 そういって、間抜け面を晒して死んでいる男の懐から、小さな袋を出す。軽く振ってみると、ジャラジャラと金属が擦れる音がする。

 ニンゲン狩りが終わった際に得られる戦利品で、最も多いのがこの「硬貨」である。何故かニンゲンは皆、懐にコレが入った小さな袋を携帯している。

 外界では、これを用いると、食糧や品々と交換できるらしいが……真相は不明である。

 ともあれ、閉鎖的な大森林の中、ダークエルフ同士では所詮、小綺麗に輝く収集品程度の価値しかない。

 

「……お、見てみろよ。白金だ。これ、珍しいよな」


 硬貨袋を物色していたイストは、中からまろびでたコインを見て声を上げる。

 外界の品を収集する同胞の中では、やはり希少なモノほど評価が高い。硬貨は戦利品の中ではありふれているが、面白い事に硬貨にも種類がある。

 銅で作られたと思しきモノは、一番多く価値も低い。銀で出来た硬貨は、銅よりは希少だがそれでもそこまでではない。金で出来たモノとなれば、それなりの価値が出る。そして今回の白金は、一番希少で、収集癖のある同胞へ見せれば、何かと交換してくれるだろう。


 ――図らずとも、彼らダークエルフが硬貨に見出した価値順は正解であった。外界で、金を使用する術も機会もない彼らが正答を知っているというのは、ある種皮肉ではあるが。


「へぇ、いいわね。こっちにも本があったわよ。どうやら………日記か何かね。まあ、多少は価値があるでしょう」


 等とイストとルーゼは品評を交しながら、死体の物色を済ませる。

 やがて完全にまさぐり終えたダークエルフ二人は、荷物を纏めて立ち上がる。


「よし、これで終わりかな」


「ええ、そうね。……アレは、別に探さなくてもいいわよね」


 そういってルーゼが視線を投げたのは、巨木の方。ヤテベオという食人植物に食われ、未だに身体を齧られ堪能されている最中のニンゲン。木の幹から口が現れ、獣のように噛みついている光景。

 

「……まあ確かに、アレを探すのは、なあ」


「血塗れになりそうだし、止めときましょ」


「おう、そうだな。そうしよう。いい加減帰ろうぜ」


 等と言い交しながら、イストとルーゼはその場を去る。後に残った残虐な殺戮の後も、ヤテベオや森の獣、魔物が食い荒らし、痕跡すら滅する事となるだろう。

 初めから、何も無かったように。ブリューデ大森林は、外界の評価を崩さずに魔境たる様相で満ちているのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る