第43話 目覚めの終わり

 フラスコの中のミダースが融けて消え、純粋な魔力として満ちる。

 エリクシル・ドライヴという無限の魔力錬成機構を備えた俺でさえ、圧倒されるほどの魔力がフラスコの中に満ちる。

 その魔力が雷光の如き光を纏いながら、神へと注がれる。

 水を得た水車の様に、神を形作る幾何学模様は回転する。先ほどまでのぎこちない動きとは比べ物にもならないほどに、滑らかに、そして速く回転している。

 神が目覚めていく。神の何たるかを知らない俺でさえ、そう感じてしまう光景。

 

「すごいな」


 だからこそ素直に、俺はそう口にした。


「スゴイ、スゴイ!」


「メッチャキレイダナ!」


 オルとトロスもその光景を見てはしゃいでいる。珍しいモノが好きなお子様なので、予想通りの反応ではある。

 イルシアはそんな神の光景を、いつになく真剣に眺めている。オルとトロスの声にすら反応しないほどに。よく見れば、いつの間に持ったペンとクリップボードで何かをメモっている。


「どうやら神の目覚めに間に合ったようだな」


 そんな時、後ろの方から、余り聞き馴染みのない声がする。

 振り返ってみると、そこにいたのは黒髪の美青年。妖しい雰囲気の貴公子――アイン・ソフ・オウルだ。供としてか、クリフォト委員会を律する従者ダアトの姿もある。

 いや、それだけじゃない。


「……これなるが、神……その、目覚め、か。素晴らしい……」


 ボソボソと喋る、褪せた赤ローブと金属の仮面で身を隠す魔導師、ゼロ=ヴェクサシオンもいた。

 

「すごいな、タウミエルがこんなにいるなんて」


「数百年の時を掛けて、ようやく神を目覚めさせる瞬間が訪れたのだ。多少忙しくても、見物に来るのが道理だろう? ルベド君」


 優美に腕を組んだアインは、これまた高雅な態度で言い放つ。

 まあ、数百年もかけて用意したモノだ。ようやく形になると聞けば、喜びも一入だろう。

 

「そ、そうですよね。やっと、神様が目覚めるんですもんね。えへへ、ぼ、僕も、頑張ったかい、ありました」


 俺とアインが会話していると、そこに入ってくる記憶にない少年? 少女? のような声がする。

 

「あん?」


 思わず俺はそんな声を上げてしまう。誰だ? こんな所にガキが来るのはおかしい気がするが。

 そんな疑問を解決するように、ゼロの影から遠慮がちに、ひょっこりと小さな姿を現した。


「あ、あの……その……ええっと……」


 現れたのは、中性的な容姿の子供だ。

 纏めて後ろに流しているのは、艶めく金の長髪。白皙の顔は神が手ずから彫り上げたような、優美で美しい、少年とも少女ともつかぬ、神秘的な目鼻立ち。

 体格は小さく、大体ダアトと同じくらいだろうか。少しダアトより高い点、そして骨格の形状から察するに、男性なのだろう。

 身に纏っているのは上質なローブに、膝くらいの丈のズボン。実に少年らしい? 様相である。

 そんな容貌に似合うかのように、穏やかに垂れた銀の瞳からは、遠慮がちな光を覗かせる。所作にも表れているように、どうやら臆病な少年らしい。


「あー、コイツ、誰?」


 俺がぶっきらぼうに問うと、アインがくすりと笑った。見た目がいいので、そんな様子も様になる。キザなヤツだ。


「この間、紹介できなかった五人目の創設者達オリジンだ。さあ、挨拶を」


 アインに促された少年は、おずおずと前に進み出た。


「ええっと、その、あの。ぼ、僕は……お、創設者達オリジンの一人、りゅ、龍の……リンド。リンド=ヴルムです。よ、よろしく、お願いします」


 おどおどとした少年は、何とか挨拶を終えると、深々と一礼をする。

 ………この、気の弱そうな少年が、創設者達オリジンだと?

 マジかよ。


「君の表情は実に読みづらい。というか鉄面皮だな。だがまあ、それでもどんな事を考えているかくらいならば、察せられる。こんな少年が、タウミエルの一員であるという事に驚いているのではないだろうか」


 微笑みながら推論を立てて見せたアイン。ちょっとムカつくことに、図星である。

 ていうか、イルシアとかにも言われたが、俺ってそんなに鉄面皮なのか。個人的には、感情豊かな方だと思っているのだが。

 

「まあ、そうだな。魔族だの何だのが蔓延るセフィロトでは、愚昧な考えである事常々承知済みではあるのだが、どうしてもって感じで」


「クク、なるほど。では一つ講義といこうか」


 神へと魔力が注がれる光景を端に、アインは腰の後ろで腕を組んで歩き出す。


「彼は魔族、その中でも特段強大な存在――龍だ」


「龍……」


 呟いた名の主を見るように、俺は視線をリンドなる少年へと注ぐ。強面なキマイラの魔眼をどう思ったのか、少年は恥じらうようにビクりと震え、頬を赤くしながら曖昧に微笑んだ。


「そう、龍だ。星の力の流動より生まれし、魔の中の魔。強大な力を生まれながらに持ち、その出自故魔力さえ必然的に拝跪する。アレを世界を創造したという意味での神と呼ぶならば、力の強力さの意味での、神と呼ぶに値する種族だ」


 それはすごいな。生まれながらにして強大な力を備える種族は数あれど、そこまでのモノとなれば、やはり龍なる存在より他は無いだろう。

 感心していると、蛇達はどう思ったのか首を傾げる。


「リュー? リュー?」


「リューッテ、ドラゴンノ事ダロ? オイラニハ、コイツガ『リュー』ミタイニハ見エナイゾ!」


 蛇達の素直な言葉。確かに、こんな気弱な少年にそれほどの力があるようには見えない。

 とはいえ、態々タウミエルの長が教授してくれたほどなのだ。リンドの力に間違いはなかろう。


「彼がミダースをここまで連れてきてくれたのだ。最初の顔合わせでいなかったのは、そのせいだ」


 足を止め、そう言うアイン。

 なるほど、そういえば所用で留守にしているとか言ってたな。

 ミダース先輩を連れてくるためだったのか。

 

「まあ、きっと戦いになったら見せてくれるんだろ。おいおいな」


 色々な疑問を解決して貰った俺は、そんなことを言ってオルとトロスを濁している。

 すると、アインがトコトコと神の目の前でメモをとっているイルシアの元まで行き、肩に手を置いた。

 

「尽力、感謝するぞ、イルシア」


 馴れ馴れしい態度だ。いや、数百年以来の知己なのだから、ある種当然の態度かもしれないが、それでも思わず目が鋭くなる。

 

「オイラ、アイツアンマ好キジャナイゾ」


「奇遇だな、俺もだよ」


 小声でそんな事を耳打ちしてくるトロスに、俺も小さく答える。

 よく知らない男が、イルシアの近くで馴れ馴れしくしているというのは、実に不愉快な光景だ。

 別に嫉妬じゃないぞ。…………いや、流石に無理があったか。


「………ん? ああ、アインか。別に大したことじゃないさ。時間こそ掛かるが、確実に成る作戦だったからね。片手間、実験の余禄みたいなモノだ」


「ククク、そのような事が言えるのは、大陸広しと言えどお前だけだ、イルシア」


 心なしか、少しだけ甘い声音でイルシアと話すアイン。

 いや、俺がそう見ているだけかもしれないが……。

 クソ、不愉快だな。


「あ、あの……その……」


 アインの様子を眺めていると、下の方から声がかかる。

 見てみると、リンドが俺を見上げていた。――何故か顔を赤くして。


「……んだよ」


 先ほどまで見ていた光景の不愉快さ故か、低い声が出てしまう。

 

「ええと、その、よろしく、お願いします。あの、お、お名前を……」


 臆病そうな少年の声を聞いて、俺はハッと思い至る。そういえば初対面なのに自己紹介してない。

 なんて無作法だ。俺としたことが。


「悪い、自己紹介し忘れていた。俺の名はルベド・アルス=マグナ。イルシア・ヴァン・パラケルススの最高傑作、キマイラだ」


「ボク、ボク! オル、オル!」


「オイラハトロスダゾ! ヨロシクダゾ!」


 俺達キマイラ三人組(?)が、揃って挨拶をすると、リンドはその中性的で可愛らしい顔を蕩けそうなほどに喜色で歪める。にへら、という擬音がつきそうなほどに。


「よ、よろしくお願いします。えへへ」


 可愛らしい笑いを見せる少年。お陰で少しだけ気が紛れた。

 俺はリンドに頷いてから視線を逸らす。さっきから静かだと思ったゼロは、研究員と何かを話したり、受け取った資料を読み込んだりしていた。

 相変わらずよく分からないヤツだ。

 ダアトの方は――コイツもよく分からん。目を閉じ、上品な所作で立っている。主であるアインの用事が終わるのを待っているのだろうか。


「そういえば、ヘルメスがいないな」


 俺の疑問に答えたのは、うねるオルとトロスを興味深そうに見上げていたリンドだった。


「えっと、ヘルメスさんは、お仕事みたいです、よ?」


「ああ、なるほど。アイツも忙しそうで大変だな」


 そう言いながら、俺は視線をイルシアの方へ戻す。

 相変わらず馴れ馴れしく話しているアインを見て、俺は舌打ちをしかけ――どうにか堪える。


「む? ……おっと、なるほど。これ以上はお前の邪魔にもなるし、止しておこう」


 そういって、アインは俺の方を見て肩を竦める。


「神の目覚めを見るという、当初の予定は終わったのだ。それに、これ以上いると、怖い狼に噛みつかれそうだ。オレとしても、脇腹を噛まれて深い森まで引きずられるのは、勘弁被るからな」


 何が可笑しいのか、くつくつと邪な笑いを零すアイン。


「んー? ああ、そうか、じゃあまたね、アイン」


 神の目覚め、それを眺めて何かを記帳しているイルシアは、酷く適当な返事を返した。きっと集中しているのだろう。錬金術に取り組んでいる時、時折アイツはあんな風になる。


「では、な。他のモノも、満足したら去ると良い」


 タウミエル達にそう声を掛けたアインは、待機していたダアトを伴ってその場から去る。最後に意味深に俺へと目配せをして。


「……フン」


 配慮されたようで、少しだけムカついた。その感情の表れか、俺は軽く鼻を鳴らす。

 

「えっと、僕も……その……お、お仕事、あるので……また、です」


 俺に向かって微笑んだリンドは、ペコリと一礼してトテトテと小走りで転移陣まで行き、去る。ちょっと危なっかしい動きだ。時折何も無いのに転びそうになっている。

 ……大丈夫なのかあの調子で。

 そんな事をしている内に、どうやら神の目覚めが終わったようだ。フラスコの中身は空っぽになり、神は先ほどまでのぎこちない動きを止め、幾何学模様が滑らかに進行している。

 

「……ふむ」


 先ほどからずっと黙っていたイルシアが、顔を上げる。

 記帳係の研究員や機材を弄っていた技術者も、顔を上げる。神への処置が終わったからだろうか。


「よし、これにて処置は終了。神は当初の予定通りに目覚めた。聖遺物さえ戻れば、我々の悲願は成るだろう」


 振り返ったイルシアは、いつもより少しだけ声を張り上げて研究員達に成功を告げる。

 作業を行っていた魔族や魔人族達は、その報告に喜びのどよめきを上げる。

 

「……神、か……不死、不滅……興味深い」


 何やら不穏な言葉を残したゼロが、ローブを翻してどよめく研究員達の群れの中へ消える。


「ふわぁ~。やっと面倒な仕事が終わったよ。これで思う存分、君を研究出来るね」


 凝った身体を解すように伸びをしながら、イルシアはそんな事を言って近づいてくる。

 

「……なら、いよいよ俺の新しい因子を――」


「うむ! いくつかある候補から、もっとも適切と思われる因子を探索してもらう」


 そういって豊かな胸を張るイルシア。

 因子の探索へ行かせるだけならば、俺一人でも出来るが、その後が続かない。取った因子は素早く組み込まないといけないし、その間は俺の調整に掛かり切りになる。他の事案を抱えている状態だとダメというワケだ。


「だってさ。また狩りに行けるぞ、オル、トロス」


「ホント? ホント?」


「イイナ! オイラ、ソロソロ身体動カサナイト、ストレスフルダゼ!」


 オルとトロスも、どうやら鬱憤が溜まっていたようだ。

 戦闘兵器として設計された以上、存在する戦闘衝動や殺戮本能。慰めるにはやはり、自らが直接パラケルススの威を示す必要があるのだ。

 久方ぶりの狩りの予感に、俺は少しだけ楽しくなった。何よりまた未知の場所へ赴くのが、単純に楽しみなのだろう。

 いつだって、知らない事を知るのは楽しい。


「ふふ、君達がより完璧に近づくのもそう遠い事ではないね」


 悪の錬金術師らしく、邪な笑みを浮かべるイルシア。


「では帰ろう。今日はもう部屋に引き籠って、研究に没頭したい」


「自堕落なヤツだ。まあ、そうだな。帰るか」


 先のタウミエルらに倣って、俺達もマルクトの間から去る。

 後に残った神はただ、沈黙したまま動き続ける。

 時計の針が遅疑することなく、延々と循環し続けるように――世界の理を、維持し続けていた。

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