第32話 終幕・人間達
少女の決意は、無意味に終わった。
「あ、ぐ……」
既に一度呪歌を行使しているレイアーヌに、もう一度歌うだけの暇は許されなかった。
〈慰めの
もしも歌い切る事が出来れば、襲い来る魔性の波を退ける事が出来ただろう。
――だが、そんな「もしも」を論ずるのは詮無き事。
結果だけだ。結果だけが現実を構築する。
何をしようが、何を成そうとしたか、そこに如何なる想いが介在しようが、結果が現れなければ意味がない。
少なくともこの場においては、残酷すぎるほどのリアルが、真実だった。
「う……あ――」
遂に言葉を、歌を紡ぐことも出来なくなったレイアーヌは、自分が吐き出した血の海に倒れて沈む。
散り際に見た光景もまた赤。呪わしいほどの、赤。
だが、彼女がもっとも想った少年は助かるだろう。
――それが怪物共の、悍ましき思惑によるものだとしても。
自らの命を投げ出してでも、救いたいと思った男だ。
引き換えに失った自分の末路が、如何なるモノだとしても、きっと本望であろう。
もう今となっては、彼女自身、理解すら出来ないであろうが。
「やめてくれぇ! 悪かった! 私が、私達が悪かった!!」
――別の「彼女」達が、また別の本懐を遂げようとしていた。
貴賓席から逃げ去って、自分の執務室までどうにか生き延びたリカッダ・ヴィーン・アン・マーレスダは、目の前にいる悍ましい少女達に命乞いをする。
この国の王とは思えないほどの、浅ましい態度。
上に立つモノの姿とは到底思えないが、なればこそ相応しい。
それこそが人足る姿。生に足掻き、遍くを利用した果ての境涯であったと。
人の上に立つ王こそが、最も人間らしいというのは、ある種道理なのだろう。
「憎いのか!? やはり私が、この国が、恨めしいのかッ!?」
豪奢な衣装が皺だらけになるのも構わずにへたり込み、唾を飛ばしながら叫ぶリカッダ。
執務室に入り込んできた数匹の「少女」らは、そんな王を見て冷酷で空虚な視線を向ける。
言葉はない。
彼女達は意味のある言葉を紡げない。
その能力を奪ったのは、他ならぬ王の命令故だ。
彼が命じたワケではない。配下の魔導師の進言――兵器として死亡した歌姫を転用できないか、と打診してきたのだ。
その打診を受け、許可したのは何代か前の王。つまり、リカッダには直接の罪はないとも思える。
……いいや、それは有り得ない。
リカッダ自身よく分かっている。
自分達が生き残る為に、セイレーンを裏切り、それより生み出された歌姫を毎年殺し続けている。
その上、道具として酷使し続けているのだ。
恨まれた当たり前だ。
そして、何も知らないとはいえ、その犠牲の上で成り立っている国を、民を恨んでも……仕方ないと、思えなくはない。
でも、だからといって、殺される側に回った時に、それを納得できるほど――リカッダは達観していない。
「頼むっ! 許してくれ! い、命だけはどうかっ!!」
信心なんてないくせに、少女達の前に跪いたリカッダは、ユグドラス式の祈りを捧げて許しを請う。
「頼む! 頼む! 頼む――ひっ!」
顔を上げ、少女の姿を近くで見た瞬間、リカッダは情けない声を上げる。
「れ、レイアーヌ……いや、レイアーヌだけじゃない! お、お前はフェリス! そ、それにロクサーナも……」
死骸弄ばれたのは、レイアーヌだけではない。
数代の歌姫が、全て兵器として改造されている。
彼女らの恨みは、怪物の企みによって遂に解放された。
薄暗い研究室に囚われていた少女達が、再び日の光を見た時に考えたのは、復讐。
この国への、全てへの復讐。
――皮肉な事にその怒りは、彼女らの基となった魔族のそれと同じだった。
「や、やめろっ! くるな、やめろ、やめろぉぉぉぉ!!」
兵器となったことで、リミッターの外れた肉体より放たれる殴打。
リカッダは顔を殴られ、仰向けに転がってしまう。少量の血液と共に、王の証である王冠が虚しく投げ出された。
「や、やめてくれぇ……たのむ、いのちを、たのむ……」
無様に命乞いをするリカッダ。少女らはリカッダに馬乗りになると、ひたすら殴り始めた。
「ぐぇ! ごぉ! ぶっ!? やめ、ごっ!? あ……」
殴られる。
顔を殴られる。蹴られる。殴られる、蹴られる。
歌の力を使わず、ひたすら自らで殴り続けたのは、果たして如何なる意味があったのか。
もう誰にも、分からない。
かつて王だった男の肉塊が、終ぞ動かなくなっても、ひたすら少女達は殴り続けた。
セイレーンの怒りがこの国を飲み込む最期の瞬間まで、ひたすら殴り続けた。
「クソ! この化け物共め!!」
剣を振るい、水魔にトドメを刺したアデリナが、苛立ちを罵声にして吐き出す。
「この様子じゃあ、大通りは勿論、他のルートもダメかっ……!」
視線の先には、混乱してどうしようもない大通り。
クロムと別れ、子供を助けてから移動しようとしたアデリナだが、突如として現れた水魔達との戦闘に巻き込まれてしまった。
幸か不幸か、他にも兵士がいたので一人で戦う最悪は避けられた。
どうにか犠牲者無しで潜り抜けた水魔との戦闘だったが、終わる頃には混迷を極めた街――儀式場まで辿り着くのは至難であった。
「いでぇ、いでぇよぉ」
「大丈夫かっ!? 不味い、出血が止まらねぇ!」
先の戦闘を共に潜り抜けた兵士の一人、水魔の鉤爪を受け重傷を受けてしまった男が、仲間に介抱されながら痛みに呻く。
「……クソ!」
またしても罵倒を吐いたアデリナは、死にそうになっている兵士に駆け寄った。
「傷口を見せなっ! さっさと服を剥げ!」
「あ、アンタは?」
「騎士アデリナだっ! 治癒魔法を使える! 早くしな!」
「あ、有難い!!」
結局アデリナという女は、お人よしなのだ。
縋る手を払えない、かといって全てを救う事は出来ない、紛い物の聖人。
お人好しというのは、そういうモノだ。
「ああ、酷いね。でも安心しな、取り合えず死にはしないように出来るから」
苦痛に喘ぐ男を勇気づけるように、アデリナは男の手を握る。
「よし、ちょっと待ってな。――此方へ集え、無光の意志。其は療意を以て治癒励行せよ――〈
患部に手を翳し、魔力を奔らせ詠唱を紡ぎ、無属系統第四位階〈
無属系統の回復魔法は、対象の肉体を構築する魔力を操作、補完して回復させる。
そのせいか、治療には痛みと相応の時間を伴う。神聖系統の回復魔法ならば、刹那の内に、痛みさえなく回復させられるのだが――生憎、使い手はそう多くない。
神聖系統の回復魔法より性能が低いとはいえ、尋常に回復させるよりずっと早く、安全なのだ。
「うう……」
男は呻き声を上げる。暫くすると傷口が塞がり、完全に癒える。
「これで大丈夫だよ」
「感謝するぜ……」
兵士がそういい、男に肩を貸して移動しようとした瞬間――地面が揺れた。
「な、なんだい!?」
アデリナは混乱して、周りを見渡す。同じく混乱して周囲をキョロキョロとする兵士や市民達。
「あ、アレは!?」
やがて誰かが外洋の方を指さして叫ぶ。
その視線に釣られ、多くがそちらを見て、やがて硬直する。
嫌な予感をひしひしと感じながらも、アデリナは彼方を見た。
「――!?」
アデリナが見たのは――まるで獣の顎が如き、大津波が襲い来る光景。
「ば、バカな!」
誰かがそう叫び、
「いやあぁぁぁぁぁぁ!!」
そして絶叫し、
「逃げろぉぉぉぉ!!」
皆が一斉に、走り出した。
「……っ!」
アデリナは唾を飲み込んだ。
――もしも。
もしも、アデリナが少女を見捨て、あの場に駆けつけていれば。
戦いでは役に立たないだろうが、激高した結果死に掛けるクロムを、癒す事ならば出来ただろう。
そしてそうすれば、レイアーヌは万全の態勢で呪歌を行使できただろう。
なれば、あともう少しくらいならば、時間が稼げた。
僅かな時だ。ルベドがもう一度滅びの呪歌を行使すれば、再び波が襲い来る。
だがその僅かな時で、もしかしたら誰かが助かったかもしれない。
今は既に、詮無き事。
後はもう、天に運命を任せるしかない。
「――ごめん」
誰とも知らない誰かに謝罪して、アデリナは〈
自分の周囲を覆うような球体状に展開し、せめてもの抵抗を計る。
アデリナが覚悟を決めた瞬間、マーレスダ王国は魔性の波に飲み込まれた。
――それは、とある王国の興亡。
どうしてそのような結末に至ったか、正確に言い述べる事が出来る者はいないだろう。
だが少なくとも、人の常――自らの愚かさや欲望により、滅んでしまうというのは理解できただろう。
ニンゲンという生き物が、また何度目かの自滅を迎えた。
それこそが、彼らを終末へ導いた因果律であったのだ。
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