第31話 終幕・怪物共

 まあ、だから何だという話なのだが。

 何がなんだって?

 そりゃ勿論――


「ちょっとアンタ!? 頭に槍が、槍が刺さってるわよ!!」


 俺の様子を見たヘルメスが、横で大袈裟に騒ぐ。

 そう、槍。いつの間にかクロムが攻撃してきたせいで、俺の頭に槍がブッ刺さっているのだ。

 幸いにも致命傷(常人なら)で済んだがな。

 

「ッツ! バケモノめ!! 脳天を貫かれて死なないのか!」


 俺が今だ健在である事を悟ったクロムは、槍を抜いてそのまま払って攻撃してくる。このままだと隣にいるヘルメスにも当たりかねないので、右腕で弾く。


「ワー! ルベド、ルベド、ダイジョブ? ダイジョブ?」


「マタルベドガ酷イ目ニ遭ッテルゾ!」


 槍が抜けたせいで、俺の脳天と顎下から血がピューっと噴き出す。その様子を見てオルとトロスがあわあわとしだす。


「ふん、俺には効かないな」


 ちょっと強がってみたけど、実は滅茶苦茶痛い。

 俺の感覚器官が痛みに悶えている間にも、自動再生オートリカバリーが作動し、傷が速やかに癒えていく。


 ご存知の通り、俺は不老不死である。脳みそが貫かれようが、死なないし問題無い。つーか、アルデバランとの戦いで一度、全身が消滅しているのだ。それに比べれば、今更この程度のダメージは騒ぐほどじゃない。

 それよりも問題はこの少年である。


「くっ……どうすれば殺せるんだ」


 鋭くこちらを警戒したまま、物騒な事を言い出すクロム。なんてガキだ。

 あの時、確実に少年は地面に伏せっていた。あの体勢から攻撃を仕掛けるのに、俺の感知を掻い潜って行うのは不可能だ。

 だが実際、俺は攻撃されダメージを負うまで、あの少年に気が付かなかった。

 これは一体どういうことだろうか。――いいや、自明か。


「なるほど、聖遺物か……」


 有り得るとしたら、聖遺物が契約者に齎す異能の類だろう。〈絶対防御アブソリュート・シールド〉を容易く貫く槍だ、未知の攻撃手段があっても不思議じゃない。

 ヘルメス曰く、聖遺物は法則そのものを冠するらしいしな。

 なんか凄そうだし、有り得ない話じゃない。

 そう考えていた矢先――


「――あ」


 まただ。またいつの間にかクロム少年が俺の目の前にいて、既に攻撃を終了していた。

 今度は首を切り落とされたようだ。コロリと首が落ちたのだろう、視線が揺らいで低くなっていく――


「よっと」


 俺は落下する自分の生首をキャッチすると、そのままクロムへ数度蹴りを見舞う。

 

「――ッ!?」


 首無しになっても動く俺に面食らったのか、動揺しながらもどうにか攻撃を回避するクロム。


「うわっキモ! アンタその姿で動いてんのマジでキモイわよ!!」


「ルベドノ頭ガボールニナッチャッタゾ!!」


「ナッチャッタゾ! ナッチャッタゾ!」


 煩い外野から意識を逸らして、俺は取れた頭を断面に乗せ、グリグリとくっつける。

 すぐさま傷口から蒸気を上げ、ダメージを修復していく。


 ……よし、完璧に治っているな。若干ズレちゃったかと心配だったが、俺の修復機能はその辺の抜かりもないようだ。

 前と後ろ間違えたら悲惨だしな。何がとは言わんが。

 俺は首をゴキゴキ鳴らしながら感触を確かめ、ヘルメスに視線を投げる。


「離れろヘルメス。未知の攻撃を受けた。離脱して、適当な観測魔法で観察していろ」


「あー、そうね! アンタがキモイのも分かったし、良し! 任せたわよ」


 なんて言い草だ。

 断固抗議したい所だが、ヘルメスは浮遊を飛行へ変え、上空へ移動し消えていってしまう。

 仕方ないので、その間にも俺はクロムの一挙手一投足に気を払い、注意深く観察する。

 

「興味深いな、その槍の能力だろう? どんなタネなのか、教えて貰いたいものだ」


「バカを言うなバケモノッ! 敵に、それもお前のような得体の知れないヤツに、手の内を曝すワケがないだろうッ!」


 普通に正論を言われてしまった。ちょっと泣きそうかもしれん。

 まあ、冗談は兎も角――クロムの聖遺物が持つ、詳細不明の能力は脅威である。

 キマイラとしての俺の検知を潜り抜けるなんて有り得ないのだ。

 一体、コイツの異能は何なのだろう。

 クロムを警戒し見据えながら、俺は考えていた。

 …………。

 

 …………ダメだ、分かんねえ。

 

 よし、こういう時は素直に専門家に頼ったほうが良い。

 俺は自身に備えられた制御機構より、主たるイルシアへ念話を繋ぐ。


(おい、イルシア。聞こえるか、俺だ)


(おや、我が最高傑作、ルベド・アルス=マグナ。任務の最中だったハズだが、どうしたんだい? 私の声が聞きたくなったとかだと嬉しいね)


(色々言いたいことはあるんだが……まずは緊急の要件だ)


(……分かった、聞かせてくれたまえ〉


 俺はイルシアに手短に知りたい事を伝えた。今の所はコチラを警戒して、クロムは距離を取ったままだが、いつ攻めてくるか分からないからな。

 

(ふむ、よし、ちょっと視界を借りるよ)


 イルシアが念話でそう言った瞬間、制御機構を通じて『ナニカ』と俺の意識が接続される感覚――歯車が生み出され、遠くで嵌まったようにも感じた。

俺の制御機構の機能が一つだ。視界を共有することが出来る、イルシアは大抵、これを用いて俺の働きぶりを監視している。

 

(ほう――)


 俺の視界を通じ、クロムを見た瞬間にイルシアは低い声で、それでいて面白そうに、或いは僅かに苦々し気に呟く。

 

(なるほど、攻撃の正体が分かったよ)


 マジかよ。一目見ただけで分かるのか。

 すごいな、普段はアホだが――やはりこういう場合は頼りになる。


(君、今失礼な事考えてなかったかい?)


(気のせいだ。で、アイツの能力の正体は何だったんだ?)


(うむ、それはだな――)


「――」


 イルシアが告げようとした瞬間、いつの間にかクロムが俺の心臓部に槍を突き刺していた。またしても予備動作無しで、一切の気配もなく、攻撃を成功させている。

 

「シャァァァ!!」


 トロスが咆哮しながらクロムへ飛び掛かるが、すぐさま槍を抜くと後方へ回避する。


「ルベド、ルベド、イタイ? イタイ?」


「問題無い」


 やはりすぐさま傷が癒える。イルシアが死に掛けた時のように、回復を阻害するような効果はないようだ。

 そういえば、アレも聖遺物による攻撃だったのかもしれないな。あの女――アルフレッドの姉か。

 思い出すと不愉快になるが、死んだヤツの事を考えても仕方ない。

 

(ふむ、やはり間違いなさそうだ。ルベド、その者の能力は――)


 俺の視界を通じて、一連の行為を見ていたイルシアが告げた。

 クロムという少年が契約した、聖遺物の能力――。

 

(ハァ? マジかよ)


(マジだ。大マジだよルベド)


(チッ、厄介極まりないな。で、対処法は?)


(同じことをすればいいのさ。分かるかい?)


(……ま、まあ、何となくは。でもそんなんで大丈夫なのか?)


(私を信じたまえ。言っておくが、聖遺物の契約者は殺すと計画に差し支える。まあ知っているだろうが)


(それさっき、ヘルメスから初めて聞いたぞ)


(……え?)


(え、じゃねえよアホ錬金術師。お前伝え忘れてただろ。そのせいで色々面倒な事になったんだからな)


(………さあ、ルベドよ。戦闘に戻りたまえ)


 ばつの悪そうな声音になったイルシアが、強制で念話と視界共有を終了する。

 逃げやがったなアイツ。

 まあいい、後でシバいて置くのは決定だが、それよりも重要な事がある。

 目の前の少年、彼への有効な手立て。

 正直、俺じゃなかったら割と危なかったのでは――と思わないでもない、そんな凶悪めいた能力だったのだ。

 

「――」


 クロムが静かに息を吐く。先ほどからの癖――あの能力で俺を攻撃してくる合図だ。

 だからこちらも、イルシアが教えてくれた対処法を準備する。


 ――術式選択、術式改竄、代理詠唱終了、実行――


「〈時流停滞テンポラル・ステイシス〉」


 ――刹那、世界が灰色に染まった。

 

「――な、に!?」


 クロムが驚愕を露わにする。それは何故か。

 俺が――この停止した世界で動けるからだろう。

 

「どうした? 随分と顔色が悪いようだが」


 余裕たっぷりに皮肉って見せると、少年はそのあどけない顔を憎しみと焦りに歪める。

 

 ――クロムが契約した聖遺物は、イルシアの知識にあった古き魔槍だった。

 その名を、〈先史者の咆哮リヴァイアサン〉という。


 聖遺物としての能力は「時間操作」――その名の通り、この世界、ライデルの時間を支配下に置く、有り体にいってチートである。

 先ほどまでの正体不明の攻撃。あれは、時間を停止させて動けない俺を一方的に嬲ってたのだ。


 何て酷いことを。

 まあ冗談は兎も角、どうやって俺がこの面倒な状況を乗り越えたかを説明しよう。

 

 時間停止とかいうアホみたいな能力。だが魔法でも似たことが出来る。

 時空系統――魔法を系統別に分けた際、時間空間や重力等を操る魔法である。当然ながら時間停止も行える。


 俺が発動したのは、時空系統第十一位階魔法、〈時流停滞テンポラル・ステイシス〉――指定した対象の時間を即座に停止させる術式だ。


 さて、何故この魔法を用いる事で対抗出来たか。それを説明するには「魔法での時間停止」と「聖遺物が行う時間停止」の差異を知る必要がある。

 

 魔法での時間停止は「一部分への停止作用」を齎すモノだ。世界全ての時間を止めるなど、非効率的にもほどがある。

 なので、結界で空間を切り取ったり何なりして、その内部を「一つの世界」と定義し、停止を齎しているのだ。


 先の〈時流停滞テンポラル・ステイシス〉ならば、対象を一つの世界と定義して時間を停止させる。

 より上位の〈時間停止タイムストップ〉ならば、止めたい範囲を結界で切り取り、内部を停止させる。


 己を巻き込んでしまう場合は、自身を「切り取り」の応用で隔離し、結界外部の正常な時間と同期させればいい。

 

 だが――クロムの聖遺物は違う。

 ――位相を超えるとでも言うべき能力。

 聖遺物は法則そのものを冠する。時間を操る魔槍の力は世界すら停止させる。


 言わば、世界の時間という「ビテオテープ」を停止させ、自由に眺め、干渉する行為に等しい。

 或いは、時間跳躍という表現が正しいかもしれない。

 このライデルを流れる時間軸から離れているにも等しいのだ。長ずれば、逆再生や加速は勿論、時間旅行にも等しい行為を行えるやもしれん。

 

 ちょっとズルくない?

 

 そんなチートに対応出来たワケ。それは後述した「停止した時間から己を隔離する方法」――自身の時間を切り取り、正常な時間と同期させるというモノだ。

 世界が止まっているこの状況。正常な時間など無いように思われた。

 だが、俺は見つけた。そう、目の前にいる少年だ。


 自分が動けなきゃ意味が無いのだから、彼は正常な時間、或いはそれに類する作用を己に齎しているのだ。

 だから後追いのように、クロムの時間軸と俺の時間軸を「同期」させた。


 その為に詠唱したのが〈時流停滞テンポラル・ステイシス〉だ。効力を術式改竄により書き換え、クロムと俺の時間同期に用いたのだ。

 そのせいか、いつもより動きが悪い。後からクロムの時間を追っかけているワケだから、当たり前だが。

 まあ、この程度はハンデにもならんがな。


「何を、何をしたッ!」


 唯一のアドバンテージを失ったクロムが、焦ったように問い質してくる。

 さて、どう答えたものか。

 ああ、いい返答を思いついたぞ。


「敵に、それもお前のようなニンゲンに、手の内を曝すワケがないだろう?」


 先の言葉の返礼。皮肉られたクロムは、苦々しく表情を歪める。

 まあ、じゃれ合うのはこの辺にしておくか。

 

「やるぞ、オル・トロス」


「エェー! オイラ、コノ不思議ナ世界ヲモット見テイタイゾ!」


「ソウダソウダ!」


「うっさいわボケ。飯抜きが嫌なら大人しく働けガキ共」


「「……ハァイ」」


 バカなガキ共を従わせると、俺は普段より多めに肉体を強化、一気に距離を詰める。

 こんなワケの分からん空間に長居したくないしな。

 何か時の止まった世界ってキモいし、今は停止しているとはいえ、そろそろ〈呪歌・忘却の波〉による大津波が押し寄せてくる頃だしな。

 決着はいつだって、早めにつけるに限る。

  

「――クッ」

 

 いくら時間停止の影響で俺が弱体化していようと、元から大きく差が開き過ぎているのであまり意味がない。

 だってコイツ、さっきまで一般人だったんだぞ。


 技術も大してない、魔力も急拵え。目端の良さくらいは褒められるものの、所詮その程度。

 それに、この異能も無制限に使えるモノでも無かろう。

 明らかにオーバースペック過ぎるし、何らかの形で深刻な負担が掛かっているだろう。

 それ即ち――


「ゲームオーバーだよ、勇者殿」


 攻撃を受け止めようとしたクロムを掻い潜るように、オルとトロスが彼の腕を打ち抜く。

 

「ぐあっ!?」


 衝撃に堪え切れず、クロムは槍を手放してしまう。

 その瞬間に回転を付け大きく脚を上げる――そして勢いのままにカカトを落とす。

 

「――ッ!!」


 声にならない悲鳴を上げ、クロムは勢いよく地面に叩き伏せられる。

 彼の集中が切れたのが原因か、停止していた時間が元に戻り、世界に色が戻る。

 俺も時間の同期を解除し、クロムの背に足を乗せたまま腕を組む。

 

「あー、疲れた。ったく、手間を掛けさせやがって」


 我ながら酷いくらいの小物臭溢れるセリフを吐いてしまうくらいには、精神的に疲れた。

 殺さないようにするとかいう、慣れない事をしたせいだな。

 ぶっ殺すだけならどれほど楽か。

 

「ヤレヤレダゼ!」


「ダゼ! ダゼ!」


 蛇達も同意してくれている。今はこの無邪気な態度が疲労した心に染みる。

 そんな事をしていると、上空からヘルメスの魔力が急接近してくる。戦いの終わりを悟って戻ってきたか。


 ヘルメスはとてつもない勢いのまま地面に華麗な着地を決め、コチラにピースしてくる。

 良い笑顔だ。着地地点がクレーターみたいになってるのを除けば、自称アイドルくらいなら出来そうなものだが。


「ヘルメスちゃん華麗なるスーパージャンプ! 流石ねアタシ」


「相変わらずアホな事言ってるな。まあ、怪我が無くて何よりだ」


 そう俺が言うと、ヘルメスは若干顔を赤くする。


「な、なに言ってるのよ! あ、アタシだって結構強いんだし、どうとでもなるわよ! し、心配されるほどじゃないわ!」


「何焦ってんだお前。結構このガキの聖遺物が厄介だったんだよ。お前でも割と危なかったと思うぞ」


「な、なによ……ホントに心配してくれてるんだ」


 そう呟くと、ヘルメスは顔を赤くしてそっぽを向く。


「アンタ、意外と優しいのね。見直したわ」


「あ? 別にそんなんじゃねえよ。流石に俺みたいに首落とされるのは嫌だろうな、って思っただけだ」


 ホントに心配しているワケじゃない。流石にガワは美少女なのだ。悲惨な絵柄になると思って配慮しただけにすぎん。

 

「ツンデレ? ツンデレ?」


「ルベドハスゴク優シインダゾ! チョット素直ジャナイケド!」


「シバかれたいのか、蛇共」


 そんな事で茶を濁していると、そろそろ大波の轟音で耳がイカレそうになるくらい、波が近づいてきた。

 この国の終わりも近いな。レイアーヌがボロボロの身体でどうにかしようとしていたが、どうにもならないようだ。

 ま、現実などそんなものだ。そも、津波をどうにかしても、俺を何とかしない限り無意味である。

 

「あ、もう時間がないわね。さっさとソイツを死なないようにしてやりなさい。結界なり、どっかに飛ばすなりね。アタシは周りの様子でも見ておくわ」

 

「ああ、分かった。さて――」


 ヘルメスが高めに浮遊して、周囲を見回している間に、俺はクロムを見下ろす。


「……うぅ」


 クロムは酷く疲れた声で呻き、顔を上げて俺を見る。


「……」


 俺は考えていた。

 クロムの聖遺物が長ずれば――イルシアを殺せるのではないか、と。

 時間を操るということは、過去への干渉も可能になるということ。


 もしも不老不死になる前のイルシアに、攻撃を送るなり、或いは時間旅行で殺しにいくなりすれば――きっと、今のイルシアも死ぬ。

 そうなれば、俺も死ぬことになる。イルシアが創造したという俺は、彼女無くして成立する存在ではないからだ。


 即ち、この少年は――イルシアを殺しうる存在!

 

 ――ここで殺すべきだ。

 己の理性も、感情も、全てが告げる。

 イルシアの敵は俺の敵。イルシアを害するモノはすべからく罪人だ。

 彼女を殺す事が出来るというだけで、この世界に存在することすら許されない。

 殺す、殺す、殺す、殺す――


「……」


 計画には差し支えるだろうが、ここで殺す。

 このニンゲンの存在を、許容する事は出来ない。

 俺とクロムの視線があう。

 彼の目には憎しみ、そして恐怖が浮かんでいた。

 俺は部分変異を施し、爪を鋭利に変化させる。

 そしてその凶器を、少年の命を奪くべく叩きつけようとした瞬間――


「――ッ!」


 己の中より、電流が奔ったように動きが止まる。

 指先も、足も、視線すら動かない。

 

「――クソが」


 俺が殺意を意図的に止めると、すぐさまその硬直が解除される。 

 

「制御機構……反逆防止措置の発動か」


 俺に備えられた制御機構。その反逆防止措置。主たるイルシアの意にそぐわぬ行為をしようとした瞬間、すぐさま発動する。

 そうだ、俺もまた道具。使い手の意向には逆らえない。例え主を害するモノを生かすことでも、それが彼女の望みならば――逆らえない。


 人形、道具。よくいったものだ。

 ある少女と同じく、俺もまた操られるだけの存在。

 不満など無い。もしも彼女が死ねと命じれば、俺は喜んで自刃するだろう。

 例え賢者の石が不壊でも、記憶されている俺という人格、そして魂を初期化フォーマットすれば、死と同義である。

 そうだ、俺は――


「ふん、道具か」


 無意味な感情だ。

 マリオネットの意向など、所詮その程度。

 寧ろ抱くだけ無駄である。

 

「なーにやってんの! 早くしなさい! もう時間ないわよー!」


 上空からヘルメスがそう声を掛けてくる。

 このガキを生かすのは業腹だが、仕方ない。

 それに、ここで彼を殺しても、聖遺物がある限り、同じ能力を持った使い手は現れる。

 そう、初めから、詮無き事だった。それだけにすぎない。

 

「――ではな、少年。術式実行――〈隔離領域アイソレーション・ワン〉」


 最後まで視線を合わせ続けた少年は、俺が発動した隔離の結界に囚われる。

 白く塗りつぶされた領域は、外界の様子を窺えないほどに対象を隔離する。

 もうこの少年が、無事な故郷を見ることはないだろう。

 

「あ、不味いわね。もう波がそこまで来てるわ」


 そんなことを呟きながら、ヘルメスが俺の横にふわりと降りた。


「アタシ、びしょ濡れになるの嫌だから、早く逃げましょ。さ、転移魔法お願いね。呪文唱えるの面倒だから、任せるわよ」


「どうしようもないヤツだなお前は、まあいいさ、離れるなよ」


 俺は転移魔法を実行、その場から離れて帰還する。

 惨劇の後以外、何もない領域。――そしてその痛ましい光景すら、すぐに呑まれて消えるだろう。

 ニンゲンへの報復。最期のセイレーンの怒りによって。

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