第16話 道具の不安
「しかし、奇妙だな」
「何がだい、ルベド」
幹部連中との邂逅を終わらせ、新たな住処に向かう為にセフィラの塔を出た頃、俺はボソリと呟いた。
「住処を用意してくれてたり、まるで俺達の訪れを予期してたみたいだ」
イルシアはだいぶ適当なヤツなので、事前に訪れる事を連絡しているワケもない。
連絡する方法を持っていない俺もまた、そんなことはしていない。にも関わらず、アインは住む場所を用意していたし、何故か俺たちが来るのを分かっていた。
俺の疑問がおかしかったのか、イルシアは口に手を当てクスクス笑う。
「もっともな疑問だな。そうだね、我々タウミエル――五人の
「おい、マジか。イルシアお前……事前に友達の家に連絡が出来るようなヤツだったのか……」
衝撃だ。イルシアに常識があったなんて。というかイルシアが誰かと協力して何かを成そうとする、協調性を備えていたのも驚きだ。
そんな俺の考えに気が付いたのか、イルシアは不満げに口を尖らせる。
「むう、当時の私はちょっと……今とは違った性格だったのだ。だから今の私しか知らない君の、イメージと違うのは無理もない」
そういってイルシアは咳払いをした後、顔を赤くしてそっぽを向く。
「……アインが予期していたのは連絡を入れたからではなく、彼がそういうヤツだからだ。用意周到というか、何というか」
少しだけ感心していたのに、それはやはり幻想だったようだ。脆くも崩れ去ってしまった。
「……そっか。そうだろうと思ったよ」
「それはどういう意味だい」
イルシアが食いついて来ようとした瞬間、先頭を歩いていたダアトが立ち止まる。
「着きました。ここがパラケルスス様らに使って頂く住居でございます」
ダアトが立ち止まったのは、研究施設がある区域のずっと奥――周囲の建物よりも少し大きい、研究所のような場所であった。
「ふーん、ここが……」
「だから先の言葉の意味を――と、ここがそうなのか。仕方ない、今の話はまた後で」
そういってイルシアは、一礼するダアトに軽く手を振って研究所の中に消えていった。
「ウニャ……ココ、新シイ家カ?」
トロスが眠そうに目をパチクリさせて、首を振る。慣れぬ旅路で疲れてしまったのだろう。オルなんてうつらうつらと眠っている。
「そうだ、入るぞ」
俺はトロスと、眠っているオルを優しく撫でた後、イルシアの後を追った。
外見とは異なり、中は以前の屋敷に似た内装だ。絨毯やシャンデリア、下品になり過ぎない程度に豪華な飾り付け。実に俺好みであり、それはイルシアや蛇共も同じようだった。
「悪くないな、俺としては厨房が気になる所だが……」
「研究に必要な機材は充分だったよ。後は私にしか用意できないモノを揃えるだけさ。試薬用のアルカエストだとかね」
そういってイルシアは、研究室らしき部屋に消えていった。自分が言う事だけ言ったら後は研究。全く自分勝手なヤツだ。
「フニャアー……ココ、新シイ家? 家?」
「ソウダゾ、オル。前ト似テイテ、オイラハ好キダゾ!」
心地よさそうに眠っていたオルは、眠そうな目を開いて周りを見渡す。
俺やイルシア以外の遊び相手――ヘルメスとかいう女――が出来て、かなりはしゃいでいたせいもあってか、疲れていたのだが……流石精神が子供なだけある。興味深いモノがあると疲労も忘れてしまうようだ。
「ルベド、ルベド。ゴハン食ベタイ! ゴハン食ベタイ!」
「オイラモ食ベタイゾ! ルベドノリョーリ!」
「まあ、それは厨房の様子を見てからだな。それ以外の所もチェックしないと。どうせ使うのは殆ど俺なんだ」
イルシアが使うのは研究室や実験室で、その他の設備は俺しか使わない。よって、その辺りを調べるのも俺の仕事という事だ。
面倒だが、道具の検分を怠るとそれこそ面倒な事になる。急がば回れってことだろう。ちょっと使い方違うかな……?
まあいい、今はそれよりもこの家の検分が先だ。
その日、俺は用意された邸宅に深い満足を覚えることが出来た、とだけ言っておこう。
夜になって、俺は食事を用意しイルシアを研究室から呼び出す。
「イルシア、夕飯だ」
まだ真新しい研究室だからか、以前のように書類が散乱していたり、よく分からない液体が床を汚していたりはしない。だが相変わらず不気味な設備が目白押しだった。流石世界最悪の錬金術師なだけある。
「……」
イルシアは俺の声に気が付かず、何かの書類を読み込んでいる。その様子は真剣だった。まあ、コイツは錬金術にはとても真剣なので、珍しい表情ではないのだが……どこか変な感じだ。
「イルシア、おい、イルシア」
俺はイルシアの下まで近づき、肩に手を当て軽く揺する。
「はっ!? る、ルベドか……」
イルシアは大袈裟に驚き、何故か持っている書類を後ろに隠す。何だ、恥ずかしいポエムでも落書きしてたのか?
数十年前にも、そんなことあったな。珍しく何か隠し事してるから、無理矢理見てみたら……。
まあいいか、そんなこと。
「飯の時間だって言ってるだろ」
「あ、ああ……そうかい。そうなのか。有難う、では頂く事にするよ」
イルシアは曖昧な笑みを浮かべて、書類を棚に戻す。その手つきはどこか焦っているような気がした。
「……」
俺はその書類から努めて意識を逸らす。なんとなく、そうした方がいいような気がしたのだ。
多分恥ずかしいポエムは書いてないだろう。ただ一瞬見えた、書類に書かれた文字――それが何となく、自分にとって不吉な感じがしたからだ。
『――
例え何が起ころうとも、俺は彼女の道具だ。
だから、最後まで――
「――ベド! ルベド、おーい、ルベドー」
気が付くと、イルシアが俺の顔を覗き込んでいた。
どうやら考え事に現を抜かしていたようだ。
……意識しないようにしても、やはり不安になってしまう。
――修正要項。
その言葉が脳内からこびり付いて離れない。
人間性は捨てた捨てたと言いつつ、このざまだ。
俺は失敗したのだろうか。或いは用済みなのだろうか。
自分は道具だ。だから捨てられても文句など言わない。
でも、どうしても怖い。存在意義たる創造主に、不要と判断されるのを考えただけで――
「……大丈夫だ、ちょっと考え事をしていた。で、何だ?」
俺が適当に濁してイルシアに答えると、彼女は不思議そうな顔をしていた。
「そうかい? 珍しいね」
「何だその言い草。俺だって考え事くらいするぞ」
「ふふ、そうか。すまないね」
そういって笑うイルシア。彼女の笑顔には、俺に対する疑念はない。俺が「処分」されることを畏れているなど、考えていないだろう。
そうだ、彼女はそんなこと考えていない。そうでなくてはいけない。道具が創造主の考えを裏切るような事は、絶対にあり得ないし、あってはならない。
「そうだ、これをおかわりしたくてね。君の料理はとてもおいしいよ。ずっと変わらず」
「そうか。ならちょっと待ってろ」
その言葉にどこか哀愁を感じながら、俺は空いた皿を以って厨房に行く。
「……」
彼女が美味いと言った鴨のローストを盛りつけながらも、俺の思考はやはり先の言葉に支配されていた。
「ルベド、ルベド。オ腹痛イ? ダイジョウブ? ダイジョウブ?」
「何カ元気ナイゾ、ルベド。大丈夫ナノカ?」
オルとトロスが俺を心配する様に、不安げな声で見上げてくる。
「……ああ、大丈夫だ」
「ホント? ホント?」
「オイラ達ニ噓ハツケナインダゾ!」
二匹の蛇は俺にじゃれつくように、優しく頭を頬に擦り付けてくる。お前には自分達がいるぞ、とでも言いたげに。
……本当に、生意気なヤツらだ。
でもお陰で、多少気が紛れた。俺は問題無いと言ってオルとトロスの頭をコリコリ撫でる。気持ち良さそうに目を細める彼らから目を逸らして、俺は皿に乗った料理をイルシアの下まで届けることにした。
◇◇◇
イルシアとルベドがセフィロトに住み始めてから数週間、世界最高の研究者を得た都市は、様々な面で革新を迎えていた。
例えば、この数百年でイルシアが昇華させた錬金術だ。
キマイラ錬成の技法から、人造生命体の錬成、物質界で起こる事象の研究、魔法や魔力といった存在そのものの追求――真理を追うが故に、あらゆる知識を収集、研究し肥大化したそれを、イルシアは公開しても問題無いモノを曝け出し、技術にブレイクスルーが発生した。
のみならず、高度な錬金術の所産である物質――アルカエストやエリクサーといった物の安定した生成、その技術を応用したアーティファクトの作成。
――セフィロトはこうして、また世界より一つ先を往く事になった。
「……同じ研究者として……この結果……誇らしい」
生と死を研究する魔導師、ゼロ=ヴェクサシオンは暗い部屋で呻いた。
彼の下まで上げられるイルシアの研究成果。それを応用すれば、ここ数百年詰まっていた己の研究も進みそうだ。
彼は生物の生と死を研究している。
事象としての生死を研究する学者である一方で、概念としての生死を欣求する哲学者でもある。
その二つを同時に図らねば、生死の真理を見出す事能わず。
その研究、やはり常軌を逸するようで、彼の研究室には腑分けにされた死骸が瓶に入れられていたり、サンプルの為か、生きた人間が檻に入れられていた。皆一様に恐怖を張り付けている。
「……魂の錬成……興味深い」
彼が目を付けたのは、錬金術を用いた実験の一例。魂という存在は未だブラックボックス。研究に事欠かない分野で、生死にも深く関わるだろう。
「……彼女らに……聞かねば」
直接会って話せば、様々な発見があるだろう。
居ても立っても居られない、ゼロは錬金術師らに会いに行く事にした。
彼の名はゼロ=ヴェクサシオン。
世界最古のネクロマンサー、生と死の螺旋の内に真理を見出す求道者だ。
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