第17話 タウミエルの日常
「うむ、朝食はやはりパンだな」
バタールと呼ばれる柔らかなフランスパンみたいなヤツをちぎって、口に放り込んだイルシアは、もきゅもきゅと嚙みながらそんなことを言った。
「食いモノを口に入れたまま喋るな。汚いぞ」
案の定口からパンクズを撒き散らしていたので、俺はテーブルを拭いてイルシアを叱る。
当の本人は一切意に介さず、続けてスープを派手に音を立てて啜っていた。
上品さの欠片もないな、コイツ。
「美味イ、美味イゾコレ!」
「オイシイネ! オイシイネ!」
そういえば、上品さに欠けると言えばこちらもだ。
俺の尻尾であるオルとトロスは、予想通り朝食にがっついている。蛇で、手とかも無いからしょうがないのだが、ボロボロ零している。
せめてもう少しだけ、落ち着いて食ってほしい。
いつものように、忙しく騒がしい朝を過ごしていると、邸宅の玄関をノックする音が聞こえる。
「誰だろうね、こんな朝から」
イルシアはミルクを飲みながら、興味無さげに言った。
俺に出ろってことか。まあそういうのは、確かに従者の仕事だから文句ないが。
「ほら、飯の時間は終わりだぞ」
「エェー!」
「早イヨ! 早イヨ!」
「文句言うな、さっさと詰め込め」
俺が急かすと、蛇達は残りの朝食をすぐさま平らげる。俺は蛇達の口を布巾で拭いながら、玄関に移動した。
「今出るぞ」
俺が扉を開けると、そこには――
「……邪魔する、ぞ」
そこにいたのは、ヨレヨレの赤いローブに身を包み、金属の仮面で姿すら隠匿する怪しさ満点の魔導師、ゼロ=ヴェクサシオンだった。
「オ前カァー!」
「ゴハン、邪魔シタ! 邪魔シタ!」
オルとトロスは朝食を邪魔されたことに立腹、凄まじい勢いでゼロに飛び掛かっていった。完全に攻撃してるぞこれ。
思わぬ蛇共の行動に俺は焦るが――ゼロは軽く手を上げ、魔力を僅かに発露――障壁魔法を構築して防御する。速度、練度、そして消費した魔力の少なさ、どれも凄まじい技量を窺わせる術だった。
「守ルナ! 守ルナ!」
「コノ馬鹿ヤロウ! 引キ籠ッテナイデ出テコイ!」
「バカはお前らだ」
俺は蛇共の首根っこを掴んで締め上げる。痛い痛いと喚く蛇共に更に折檻を加えつつ、俺はゼロを見た。
「悪かった、コイツら見ての通りバカだから」
「……構わない。寧ろ……興味深かった……それに……朝食の邪魔をしたのは……ワレのようだからな……」
驚くべきことに、この幽鬼のような魔導師は、謝罪をする能力があるらしい。タウミエルとかいう連中は、みんなイルシアみたいな異常者ばかりだと思っていたので、多少なりとも常識があるのは予想外だ。
「そうか、そういって貰えると有難い。イルシアに用か?」
「……左様……彼の者が齎した……技術、技法……興味あって……訪れた次第……」
「そうか、まあ学者様同士積もる話があるんだろうな。分かった、入ってくれ」
もっともぶってゼロを招き入れたが、一介の従者に過ぎない俺に、この都市の最高意思たるタウミエルの一人を、拒絶するだけの立場は無いと鑑みての行動だった。
兎も角ゼロは頭を軽く下げてから入ってきた。意外と礼儀正しい。
外見からは想像もできない行動だ。俺の中でちょっとだけ、このゼロへの株が上がった。不気味だが、多少まともに話が出来そうな予感がしたからだ。
数週間前から住み始めたばかりの邸宅を案内し、俺は食堂へ向かう。そこにある長テーブルの上座には、イルシアが口元をミルクまみれにしながらパンを齧っていた。
「……しまった」
主の惨状を見て頭を抱える俺を無視し、ゼロは影のようにふわりと彼女に近づく。
「……イルシア。邪魔……しているぞ」
「むぐ!? ヴぇ、ヴェクサシオン!? ……ゴホゴホ!」
イルシアは幹部の訪問に食っていたパンを詰まらせ、咳き込む。そそっかしいヤツだ。
俺はイルシアの傍に行き、背を撫でて落ち着かせる。蛇達も苦し気なイルシアにソワソワしている。
やがて治まり、水差しから注いだ追加のミルクを飲み干し、イルシアはようやく落ち着いた。
ただし彼女の口元や周囲は落ち着いていないので、すぐに俺が片づける。
「……ふう、見苦しい所を見せたな、ヴェクサシオン」
全くだよ。
心の中でそんなことを口していると、当の魔導師は首を振った。
「……突然、訪問したのは……コチラだ。すまん……」
「……まあ、それは兎も角、本題に入ろう。今日は如何なるご用向きで?」
「……イルシア、汝の研究成果……実に興味深い。汝の視点から……ワレの研究を……見てほしい」
「おお、良いだろう。昔はよくやっていたことだ。そうなると、ここでは都合が悪い。私の研究室で話そう」
話し終えると、イルシアはコチラに向いた。
「そういうことなので、私達は暫く研究室に籠る。ルベドは自由にしていていいよ。どうせ君にとっては、つまらない話だ」
俺を想っての言葉だろう。門外漢の俺には、基礎的な事が辛うじて分かる程度だ。確かに聞いていてもつまらない。
でも、少し前に見てしまったあの書類――アレのせいで妙に気になる。これより彼らが語る事に、俺についての何かがあるのではないかと、考えて。
しかし俺はすぐ頭を振る。そんな事考えても意味はない。俺はイルシアの申し出を了承し、まだ見ぬ街を探索することにした。
◇◇◇
「さて、何でも聞いてくれて構わないよ」
研究室に移動したイルシア達。イルシアは研究室の机に腰掛けて、ゼロと語らう。
ゼロは研究設備などを撫でつつ、イルシアに問う。
「……聞きたい事はいくらでも……だが、まずは」
ゼロはイルシアの研究成果を記した書類の写しを見せた。そこに記されているのは「魂の錬成」という分野である。
「魂をより高次なる存在に昇華する――これは一体、何だ」
「……」
イルシアは暫く黙りこくり、やがて口を開く。何かを覚悟したかのような表情だ。
「――力ある魂というのは、それだけで相応なる力を持つ。これは、世界の法則だ」
「……」
「例えば強大な魔物の持つ魂を錬成できれば、それはより高次なる力を得る」
「………」
「それは神ならざる存在によって、新たなる神を生み出すことに他ならない」
「ほう……」
「当然、この試みは困難を極めた」
「……想像に、難くない。魂という存在は、未知数だ。組成も分からぬ存在を、錬成など……」
「その通り。だが問題はそこではなかった」
「……というと?」
「この世界の内側にある存在では、魂の錬成には届かないのだ」
「………」
「だから私は、この世に縛られぬ、異質な存在を以ってその錬成を成した」
「それは、一体?」
イルシアは一つ溜息をついた。そうして大きく息を吸い、覚悟の眼差しと共に深く吐き出す。
「――魂の錬成、その正体。それは――エリクシル。人が古来より求めた万能の存在。即ち賢者の石だ」
◇◇◇
クリフォト委員会傘下、情報部はいつも忙しい。
情報部の業務内容は多岐に渡る。特にセフィロトへの情報規制は必須事項であり、密偵の排除も彼らの役目だ。
何せこの都市、隠すべき秘密だらけだ。彼らの出番は多い。
また外界の情報を収集するのも情報部のお仕事である。ケテルの鏡の内にある、孤島の都市。外と隔離されたこの都市で、他所の情報を得る為には、やはり情報を集める存在が不可欠だ。
外で情報を収集する役割は、人型に擬態できる存在が好ましい。特に魔人族は、力を解放しない限り人類種と見分けがつかない者が殆どだ。
だからだろうか、この情報部にはそういった存在が集まった。
「次、聖国の情報」
情報部総長、ヘルメス・カレイドスコープは都市の最高意思、タウミエルの構成メンバーの内で最も多忙である。
世界各地を飛び回り、情報の収集を行う。帰ってきたら情報の整理を行う。休む暇はない。
「承りました、総長」
仕事用の武骨なトランクケースより紙束を取り出したヘルメスは、それを部下に放り投げる。
暫し紙束を捲る音と、何かを書き込むような音が響いた。やがて部下が顔を上げると、神妙な面持ちで呟く。
「聖国は少し不安定になってきていますね。やはり、パラケルスス様らの影響でしょうか」
「でしょうね。あのルベドとかいうのが派手にやったらしいわよ。何せ王国の首都を潰したとか。お陰で王族は皆殺し、国はガタガタね。取り繕ってるけど、聖国には徐々に影響が出始めている」
「流石、かの錬金術師の最高傑作……ルベド様の実力、一度直に見てみたいものですね」
「ま、アタシも興味はあるけど」
まあ、拝む機会なんていくらでもあるでしょうに。
言葉には出さず、心の内でヘルメスは呟いた。
タウミエルの目的、それは世界再建である。かつてこの星がそうなったように、今度は人や神の代わりに、人外の怪物――つまり、我々が支配する。
その為に、この星にはボロボロになってもらう。過程でいくらでも、かの怪物が力を振るう機会があろう。
「取り合えず……この書類で最後っと! ああー、やっと解放されたー」
ここ数週間、セフィロトに帰還してから仕事に忙殺されていたヘルメスは、やっと終わった事に安堵の声を上げる。その様子はまるで疲れ切ったオッサンを想像させる。だが彼女の事を笑えるモノはここにはいない。誰よりも働く総長に、尊敬はすれど侮蔑を抱くことは無いのだ。
――まあ多少、ちょっとオジサン臭いなとは思うのだが。
「お疲れ様です、総長」
「全くよ! さぁて、アタシ、行きつけのカフェに行って疲れ癒してくるから、後の事はよろしく~」
そういってヘルメスは愛用の可愛いポーチを持って、セフィラの塔情報部を去った。後に残った構成員達は、黙々と残った雑事を片づけるのだった。
◇◇◇
自由にしろと言われたものの、いざ手持ち無沙汰になると何をすればいいか分からない。
「……」
俺はSFとファンタジーが融合した、RPG終盤みたいな光景を眺めつつ、あてもなく彷徨う。
ここ数週間で見て来た光景であるが、それでも物珍しさは拭えない。色々見ているだけでも楽しめたが、少々周囲の視線が気になる。中央区域ということで、俺を見ても問題無いモノしかいないが、それでもやはりキマイラは珍しいのだろう。
「皆、近寄ッテコナイゾ……」
「アソビタイノニ……アソビタイノニ……」
誰かに構ってもらう事の楽しさを覚えた蛇達は、遠巻きに見ているだけの住民に物欲しげな目で見る。
まあ、残念だが無理だろうな。今の俺は
何もすることが無いときは、食い物を食いに行くに限る。俺は商業区へ移動した。
魔族や魔人族だって、食い物は食うし入用なモノだってある。ラスダンみたいな街にも、当然商店がある。
「落ち込むなよ、オル、トロス。何か食おうぜ」
「……ゴハン? ゴハン!?」
「イイナ、オイラ、何カ食ベタイゾ!」
蛇達の了承も得られたことだし、俺は早速商業区を見て回ることにした。
「ふーん、色々あるんだな」
魔族用か、明らかに人が食うもんじゃないモノも並んでいたり、他の街じゃ見られないモノが目白押しだ。見てる分には中々飽きない。
と、あてもなくウロウロしていると、
「あー! アンタ、何でここにいるのよ!!」
俺に指を指して大声で喚く、聞き覚えのある声をした女。
「……うわ」
「うわ、って何よ!」
商業区を検分する俺は、小うるさい例の女、ヘルメス・カレイドスコープと出くわしたのだった。
「……」
「……」
何故か成り行きで、俺はヘルメス行きつけのカフェに行く事になった。
店内は可愛らしい飾り付けが成された、何というか……俺には不釣り合いな感じの店だ。少なくとも、筋骨隆々のイカツイ狼男が入るような店ではない。
だが、気まずい沈黙が流れているのはそのせいではない。隅のボックス席に座る俺達。対面にはヘルメスが座っている。黙りこくって、睨みつけるように。
何で俺、こんなヤツと一緒にいるんだろう。
「……なんか喋りなさいよ」
そんなことを考えていたら、ヘルメスがボソリと言った。
「誘ったのはお前だろう。仕方ないから、お気に入りの店に連れてって上げるとか何とかいって」
「あ、アタシは! アンタの為じゃなくて……その……その子達と……」
そういってヘルメスが視線を向けるのは、俺の尻尾であるオルとトロスだ。彼らは興味がとても移りがちな子供なので、今は店内の飾りつけに興味津々である。
まあ、コイツらの遊び相手が増えるのはいい事なのだが、身体を共有する身としては――ちょい苦手なヘルメスと仲良くなるのは微妙である。
俺を睨んだり、オル・トロスを見てだらしない顔を曝したり忙しいヤツだ。
静かな店内で、俺達は気まずい時間を過ごした。楽しんでいたのはきっと、オル・トロスだけだろう。コイツらは基本、どこでも楽しそうだからな。
「アレナニ? アレナニ?」
「アレハ多分、食イ物ダナ! ココ食イ物ノ店ラシイシ、キットソウダナ!」
違うぞ、トロス。アレはちょっとオシャレなメニュー表だ。
ほっといたらその辺の飾りに食いつきそうで不安である。そうなったら、弁償するの俺なんだからな。
そんな蛇達の様子を見て、何だかそわそわと、触りたそうにして眺めているヘルメス。板挟みになる俺はとても気まずい。
そんな俺を救うように、注文したモノが来たようだ。
「お待たせしましたー」
魔人族の店員が持ってきたのは、俺が注文したカプチーノとケーキ、ヘルメスが頼んだ紅茶と滅茶苦茶デコレーションされた、所謂映えそうなカップケーキだ。
異世界にもこういう食い物あるんだな。憮然たる気持ちである。
「ケーキ、ケーキ!」
「美味ソウダナ! ルベド、食ワセロ!」
蛇達は子供なので、当然甘いモノも大好きだ。ケーキを出されて興奮しないハズもない。
俺は出されたデカめのショートケーキにフォークを入れ、オルとトロスに食わせてやる。
「美味イゾー!」
「オイシイ、オイシイ!」
甘いモノを食えて、とても喜んでいる。良かったな。
俺用に合わせてくれたのだろうか、デカいカップに入ったカプチーノを取る。
……あ、ラテアートだ。あるんだな、異世界にもラテアート。……おい、もしかしてこれ、俺か?
カプチーノにはデフォルメされた俺と、オル・トロスがラテアートとして施されていた。
………可愛いな。
思わず眺めていると、ヘルメスが覗き込んで来た。彼女はラテアートを見ると暫く固まり、やがてぎこちない動きで顔を上げる。頬が赤らんで、ちょっと目が潤んでいた。大泣き秒読みって感じの顔だ。
「あ、アタシのと、交換しない?」
そういって彼女は温かな湯気を放つ美味そうな紅茶を出してきた。
なんだか俺はいたたまれなくなって、その申し出を了承した。
「やった! ありがと!」
キャピキャピと喜ぶヘルメス。彼女はラテアートを眺め、クネクネと喜んでいる。
あのカプチーノ、俺用に合わせたサイズみたいだから、小柄なヘルメスが持つととんでもなくデカく見える。飲み切れるのか本当に。
俺は紅茶のカップを指でつまんで口に運ぶ。逆にこっちはちっせぇ。こんなん一口で飲めるぞ。
味は美味いので、まあいいか。
空になってしまったカップを見て、俺は溜息をつく。今から追加で注文するのもなんだかなぁ。
ケーキでも食おうと皿を見ると、既に空になっている。オルとトロスが食いつくしていたようだ。彼らを見ると、口元をクリームまみれにして、満足そうにしている。
俺は溜息をついた。
「あのさ……ありがと」
唐突に、ヘルメスがそう口にした。
「んだよ」
らしくもない感じだ。思わず俺はそう聞き返す。
「……別に。ただ、ちょっと仕事終わりで、疲れてたから。何ていうか、その……癒されたっていうか」
彼女曰く、情報部というのは非常に多忙な組織らしい。情報統制から、収集、間諜――それらを一気に担う存在故だ。
数週間前俺達が列車で出くわした時も、情報収集から帰還する最中だったみたいだ。
なんつうか、大変そうだな。
「……アタシ、タウミエルの中じゃ一番弱いし、最初っからいるワケでもない。だから頑張んないとって思って……でもちょっと、張り切りすぎたかな」
傍若無人な態度とは裏腹に、彼女は意外と責任感が強いようだ。
「何でアタシ、アンタにこんな事喋ってるんだろ」
「……それは知らんが。まあ、大変だってことは分かったよ。ここ、秘密が多いし、隠すのも一苦労だろうしな。関わっていない以上、月並みな慰めしか口にできんが」
「……意外と、優しいのね」
「オルとトロスの遊び相手だからな、俺はお前の事そんな好きじゃないが、コイツらは違う。多分、お前が身体壊したら悲しむぞ」
そういって俺が蛇達に視線を向けると、オルとトロスが気が付いて、ニコニコしながらヘルメスに近寄る。
「オネエチャン、エライヨ! エライヨ!」
「オイラ達ト遊ボウゼ!」
純粋な視線を浴びたヘルメスは、暫く硬直し、やがて肩を震わせて泣き始めた。うわ。
「うう……今日はお姉ちゃんが奢ってあげるから、もっとケーキ食べる?」
「食ベタイゾ!」
「タベル! タベル!」
「……アンタも、食っていいわよ」
「そ、そうか。なら……ごちそうになろうかな」
ぎこちない関係ながらも、俺は少しヘルメスを見直した。傍若無人でウザイ女だとか思っていたが、謝らないとな。
こうして俺の、セフィロト観光の自由時間は過ぎていった。たまにはイルシアのお守りをやめて、楽に過ごすのも悪くないな。
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