第7話 錬金術師の作品

「術師隊、撃てぇぇ!!」


 ザック・ラングレイの咆哮を合図と為し、色とりどりの魔弾が解き放たれた。

 幻想的な残光を煌めかせるのは、アデルニア王国が持つ魔導師隊と、聖国アズガルドの聖別軍レギンレイヴの僧兵達による魔術砲撃だ。


 堅牢で有名なヴァーロムの黒鉄城壁すらも落とせると錯覚するほどの、圧力と弾幕。

 最低でも第四位階、最高で第八位階という高位魔法が飛んでいるのだ。即死だろう――

 

「蓋を開ければこの程度か。かの錬金術師の作品も大した事は無いな」


 砂煙に包まれ、先ほどまでルベドとやらがいた場所を見て、ラングレイは言った。

 嘲笑が零れそうになる。それは愚かな作品とやらへのモノであり、同時に自分達へのモノでもあった。


 我々は、この程度の存在を畏れ、爆弾のように扱っていたのかと。

 であれば、生かしておいた方が都合が良かっただろう。アレらさえいてくれれば、他国からの侵攻とは無縁でいられるのだ。


 いや、世界を震撼させた錬金術師の作品を討ったのだ、我が国の武名が轟くことになるだろう。

 そう考えれば、寧ろ良いことのように思える。

 

 人類を破滅へ追いやるという錬金術師の評判は、尾ひれがついたものであったに違いない。それか、聖国の連中が己の権威を誇示する為に流布したものか。

 何れにせよ、愚かな話だ。

 クツクツと笑うラングレイだが、そんな愚昧な考えは、すぐに打ち切られることになる。


「……ん、何だ?」


 錬金術師の怪物目掛け放たれた多数の魔法。その着弾点、砂煙に包まれた場所より何かが蠢き、それを視認した瞬間――


「――!?」


 ラングレイの横を影が通り抜け、後方に固まっていた騎士達を轢殺した。

 まるで砲弾か大岩でもすっ飛んできたような有様だ。

 一拍遅れて、血と肉片と脳漿が混ざった汚物が、雨のように戦場を穢していく。

 悲鳴すら上げる間もない虐殺だった。

 

「……ひぃぃぃ!!」


「ば、化け物めぇ!!!」


 一瞬で数十人を虐殺した怪物を見て、生き残った騎士は恐怖して後ずさる。

 クレーターが生まれ、その穴の中に凄まじいほどの死骸が満ちているのを見て、ラングレイは己が愚かさを悟った。

 

(甘かったっ! 私が愚かだった! クソ、この怪物め!)


 錬金術師が猛威を振るったのは、アルデバランが現出した時代よりも更に前。

 かつて彼女が創り、世界に散った作品も、最後に撃破されたのは数十年前。

 人類は、彼女の脅威を忘れていたのだ。

 

「バカ共め、人間如きの魔法じゃ一回だって死ねないぞ」


「バカナニンゲン共!」


「ボク達ハ強インダゾ! 強インダゾ!」


 装束に付いた肉片を鬱陶しそうに払うルベドは、やはり無表情で冷酷だった。

 対照的に、彼の尾として生えて追従する魔蛇共はどこか愉し気だった。


 ラングレイは先ほどまでルベドがいた場所と、今いる地点を見比べた。もはや絶望しかない戦いだが、少しでも相手の情報を見出そうとした結果の行動であった。

 そうして、恐ろしい事実に気が付いた。


「バカな……着地の衝撃だけで騎士を虐殺したのか……」


 そう、尋常な移動の痕跡はなく、地面が強い衝撃に耐えかね凹んだ痕があった。凄まじい重さの何かが、信じられないほどの力でジャンプしたら起こるような痕だ。


 ――ルベドは魔法攻撃を受けた後、砂煙で目を眩ませている間に跳んで、着地したのだ。それだけで殺戮した。ラングレイの横を通り抜けた影は、ルベドが跳んだ故に陽光に陰りが生まれた結果だったのだ。

 

「――殉教の機会をくれてやる、神にさぶらう者共よ。一握りの勇気を以て、さあ前へ進み出るがいい。その決意と共に、刹那にて屠り去るが故に」


 クレーターの中より現れたルベドは、圧倒的上位者として振舞い、言い放つ。

 数ではこちらが勝っているのに、圧力に押されたように周囲の兵が引いていく。


 怪物を相手取るのには、数ではなく、個の武勇が必要。

 古来より勇者の物語で語られる必定の定理。

 どうしていつも英雄は一人で、或いは少人数で化け物へ挑むのか――その証左を、烙印として焼き付けられた気分だった。

 

「どうした、来ないのか? たかが一匹のキマイラだろうに。それを知っていたからこそ、先ほどまではあんなにも息巻いていたんじゃないか」


 ルベドの挑発にすら何も返せない。

 寧ろ、その言葉が魔性を帯びて襲ってくるような気さえして、兵たちは士気を失い更に引いていく。


 ルベドを遠巻きから囲うように円陣が出来ていた。平素ならよく出来た包囲だろうが、囲っている者が一様に腰が引けているのだから笑えない。

 

「……本当に誰も来ないのか。情けない奴らめ」


「情ケナイ! 情ケナイ!」


「オイラ達ヲ沢山デ虐メヨウトシタ癖ニ、負ケソウニナッタラビビルノカ! ニンゲンハヤッパ弱クテ愚カダナ!」


 心なしか、哀れみを込めた視線を投げるルベドと、嘲笑を以て侮蔑する魔の蛇達。

 屈辱を感じつつも、ラングレイや騎士団の者共は動けずにいた。掛かっていけば死ぬからだ。

 誰だって、死ぬのは怖い。


 この世界の騎士や戦士、戦いに携わる者は死と隣り合わせだ。この場にいる騎士達も、それは分かっているし覚悟していた。


 だが、これは違う。

 今までとは、違う。

 慈悲も憐憫もない、名誉も希望も見えぬ圧倒的な力による虐殺。

 殉教とすら呼べぬ、無駄死に。

 それを前にして、一体どうやって震える心を抑えればよいのだ。


「待ってやっても来ないのか。ならば、正真正銘コチラの手番ターンだな」


 絶望していた騎士達が更に凍り付く。ついに化け物が動くのだと。

 

「――構えろ! 引けば死ぬぞ!」


 どさくさに紛れて後方へ撤退していたラングレイは、ルベドを囲む騎士に命ずる。流石にただ怯えているだけでは何も出来ずに死ぬと理解しているのだろう、騎士らはおずおずと武器を構える。

 

「んじゃ早速――」


 刹那の静寂、一陣の風が平原に吹いた瞬間にルベドが動いた。

 

「……え?」


 間抜けた声を出したのは誰だっただろうか。

 戦場でそんな声を出すなど愚の極みだ。されど、それを責められる者はいなかった。

 場に立った一同が、現実を受け入れるのに時間を要したからだ。


「う、うわああああああ!!!」


 静寂の後、騎士の一人が箍が外れたように叫びだす。

 ルベドは踏み込み、唯の一撃で数十人の騎士を藁束の如く斬滅してみせた。上半身と下半身が分かれ、ずり落ちて鮮血が降り注いだ光景を見てようやく、生き残った者共は現状を理解し、幾度目かの絶望を味わったのだ。

 

「死にたくないんだろ、頑張れよ」


 ぶっきらぼうな声音と共に、キマイラは踊るように騎士を惨殺していく。一撃、一撃と重ねるたびに惨劇が伝播し、ルベドの技量や殲滅の速度が悪夢じみて向上していく。このままでは数分と持たずに千人以上の兵が死ぬことになる。


「どうにかしてくれっ!」


 ラングレイは戦線後方に陣取った聖別軍レギンレイヴ――その中でも、最強の存在たる秘蹟機関のアーチボルト姉弟の元へ転がり込んだ。

 

「ラングレイ団長、今しばらく時間を稼いでほしい」


 美麗な容貌ながらも、冷徹な視線を持つカーライン・アーチボルトが言った。

 死刑宣告にも等しい。あの怪物相手にこれ以上どうしろと?

 

「こ、これ以上は――」


「初めに、説明したハズだ。かの錬金術師の作品と争う事が如何なる意味を持つのか。あの惨状は、想定しうる事象に過ぎない」


「……っつ!」


「後方で魔法を撃っているだけの者が何を偉そうに――とでも言いたげな顔だな」


 図星だった。この女や聖国の尼僧共は、前線に出て怪物と戦い、虐殺の餌食になったワケでもない。ただ後ろで見ているだけだ。


「とっておきを準備している。故に暫しでいい、時を――」


「とっておき……」


「第九位階魔法〈雷迅収束コンセントレイト〉、第十位階魔法〈霊縛陣アストラル・ケージ〉を発動する」


「おお、そのような高位魔法が!」


 にわかに希望が芽生える。我ながら現金なモノだとも思うラングレイだが、助かるならば何でもいい。


 第九位階は非常に高位のランクに属する魔法で、単独で行使可能な術としては最高である。だが物語にでも語られるような英雄でもなければ不可能だ。


 第十位階は極大魔法とも呼ばれ、戦術クラスの魔法もこの領域に属する。複数人での儀式で発動可能で、その効力は絶大だ。

 古き国であり、大陸でも最強に等しい聖国アズガルドだからこそ行使可能な秘儀であろう。

 

「あい分かった。どうにか時間を稼ごう」


 ラングレイは頷き、騎士達の指揮を執る。その間にカーラインは僧兵達に術を用意させている間に、彼女の弟、アルフレッドと静かに会話する。


「……姉さん、かの呪文でヤツを倒せるのでしょうか」


「まず、無理だろうな。〈霊縛陣〉はダメージよりも行動を縛るのに優れた術だ。だから、そこに更に術を重ねる」


「――〈核熱砲ニュークリア・カノン〉ですか? しかし、それは……」


「分かっているとも、あの術は範囲が広大だ。なればこそ、ヤツの総体を一撃で吹き飛ばし、再生の時すら与えずに屠り去る。そのために、彼らには犠牲になってもらう」


「……怪物との戦いで死ぬのと、世界の為に人柱になるのでは後者の方が名誉ですが、死を齎される側から見れば何も変わらない――故に、ということですね」


「ああ、世界の為、ここで犠牲になるモノも必要なのだ。我々はこうして世界を救ってきた。今回もそうするだけだ」


 冷徹な会話をしているとも知らずに、ラングレイは騎士達の指揮を執る。

 その様子は滑稽だったかもしれないが、誰が彼を笑えただろうか。

 必死に生にしがみ付こうとしている様は、なればこそ人ならざるモノにしか笑えない。

 次にはその災禍、自らに降りかかるやもしれないのだから。


「ふん、まあそろそろいいかな。アイツも十分、近接戦闘による殲滅能力のデータは取れただろうし」


「ジューブン、ジューブン!」


「ナアナア、次ハ魔法! 魔法使ッテミテクレヨ!」


「そのつもりだよ、コッチも試さないといけないしな」


 何事かを呟きながら、腕に付いた血を払うルベド。蛇共が何かを急かし、周りの騎士を大きく薙ぎ払うと魔力を発露させる。信じ難いほどの膨大な魔力を。


「――っつ!? 何を――」


 ラングレイが驚愕していると、


「今だ、やれ!」


「「「「はっ!」」」」


 カーラインの命により、詠唱された〈雷迅収束コンセントレイト〉が放たれる。複数人によって詠唱されたかの呪文は、蒼く輝く太い雷鳴を大砲のように解き放つ。

 

「ちっ、面倒だな」


 軽く苛立った様子のルベドは、発現させた魔力を霧散させて右手を軽く上げ盾のようにする。

 

「まさか、受け止める気なのか!?」


 素手で第九位階の攻性元素魔法を受け止めるなど正気ではない。だがルベドは解き放たれた雷を受け止め、それを握り潰し滅した。


「ば、馬鹿な……」


「こんなもんか。アルデバランの術の方が強かったな」


「比ベチャ可哀ソウ! 可哀ソウ!」


「アイツノ魔法ハ強カッタカラナ! イタカッタシ!」


 悪魔の魔力と人間の魔力では格が違う。例え人間が使ったのが第九位階魔法であったとしても、悪魔の魔力で発動させた第五位階魔法が上回るのだ。

 人は、それほどまでに貧弱なのである。


 そうして比べられているとは知らずに、効果を発揮しない魔法に歯噛みしつつも、カーラインらは次なる術を発動させた。


「怯むな、次の術を放て」


「「「「は、はっ!」」」」


 魔性の者共と戦うのが常である聖別軍レギンレイヴの兵士達ですら、己らが放った魔法を痛痒無く滅して見せた怪物には流石に怯んでしまう。


 追撃に放たれたのは無属系統第十位階の〈霊縛陣アストラル・ケージ〉――対象を魂の領域にて戒める最強の拘束結界。魂に負荷を掛けるために、ダメージにも期待が出来る術だ。

 永き聖国の歴史によって編み出された、対魔結界である。

 

「あ? なるほど結界か」


 ルベドを覆う青白い結界。それに覆われた怪物は、少し苛立った様子を見せる。


「うん? 何かリアクターの調子が悪いな。魔力錬成の速度が遅い……」


「コノ結界ノセイダ! タブン!」


「気分悪イ、気分悪イ!」


 結界の中に囚われたルベドは、気怠そうな雰囲気で何事かを呟いていた。その怠そうな気配とは裏腹に、蛇達のテンションはドンドン上がっている。

 

「結界のせいか、まあだろうな。面倒だし、壊すか」


 結界に囚われたルベドは、目を閉じると赤い雷光のような魔力を解き放つ。


「……っ! またかっ。あの化け物じみた魔力!」


「姉さん、結界を破るつもりです! すぐにアレを!」


 ラングレイの後方で秘蹟機関の姉弟が何かを叫び、カーラインが錫杖を構え魔力を励起させた。カーラインの下に精鋭の魔導師が数人集まり術式を展開する。強大な魔法の気配だ。


「あー面倒だな。殴れば壊れるんだっけ」


「ヤッテミヨ、ヤッテミヨ!」


「ヤッタラ分カルゼ、ルベド!」


「そうか、そうだな」


 ルベドは拳に魔力を収束させ、結界を殴りつける。魂を縛る結界故、魔力で対抗可能だが物理現象では干渉できない。拳で殴っても無駄だ。

 されども纏った魔力が強靭だった故、僅かに結界が軋む。


「……あんま手応えないな。あ、イルシアが言ってたのを思い出したぞ。結界は魔力でぶっ壊せるって」


 不吉なことを呟いたルベドが、更に魔力を解き放つ。


「なんて化け物じみた魔力なんだ!」


 余りに強大な魔力故、顔を覆わねば視界を焼かれてしまうほどの輝きが放たれる。

 結界が軋み、ガラスのように罅が入る。罅が増えるたび、ラングレイらの心も軋んでいく。

 徐々に壊れていく結界。カーライン達が唱える魔法が、希望そのものだ。心なしか、カーライン達が唱える詠唱も焦ったように感じる。 

 

「「「「「――故在りて、此方に集え滅私滅却の劫火よ!――」」」」」


 詠唱を結び、術を解き放とうとした瞬間、


 ――結界が内側から消し飛び、溢れ出した膨大量の魔力に当てられ騎士達が死んだ。

 余りに濃い魔力が人体の許容できる領域を超えたのだ。

 結果として、


「「「「「――穿て、〈核熱砲ニュークリア・カノン〉っ!!」」」」」


 精鋭数人で詠唱された元素魔法第十位階〈核熱砲〉は、効果を発揮することなく潰えてしまった。

 魔力を出来るだけロス無く熱量に変換し、解き放ち大爆発を起こし、着弾地点より三百メートルを死の領域へ変える凶悪な魔法はしかし、魔力の総量でルベドに敗北、結果術式は効果を発揮できなかったのだ。

 

「な、馬鹿な……」


 流石にこれは予想外だったのか、カーライン達は顔を青くする。

 

「ふー、やっと解放されたぞ。全く窮屈だった――さて」


 ルベドは再び魔力を練り上げ、肉体に奔らせる。


「――〈部分変異・アルデバランのかいな〉」


 ルベドの背中から肉が蠢き、めきょめきょと何かが生えてきたと思えば、それが筋骨隆々かつ鱗の生えた、悪魔めいた腕へ変化した。

 それこそ、かの悪魔の如く。


「性能試験その二だ。精々頑張れ、人間」


 ここに立った人間にとって、更なる絶望が始まろうとしていた。

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