第2話『ツッチー、大地に立つ』

ひんやりとした土の感触で目が覚めた。


「ここは?」


顔をあげる。


頬に張りついた湿った土を払い落としながら立ち上がった。


「木? 林? 森?」


そこは木洩れ日がわずかに差し込む、深い森のようだった。


見上げてなお、先が見えないほどに背の高い木々。


一方で、足元には見た事もないような草花が茂っている。


「……ッツ」


足裏に痛みが走る。


小さな石を踏みつけたらしい。


「裸足どころか……裸かよ……」


さきほどの白い部屋での光景を思い起こす。


戦女神がどうの、第二の人生がどうの、死因は事故だの……。


一度に理解できない事が起きすぎて混乱していたが、足の痛みがこれを現実と思い知らせてくる。


「なんなんだよ、これ。どこなんだよ?」


周囲を見回す。


何を探しているわけでもないが、何かがないかと視線をめぐらせた。


すると。


「……あ、あの、土の……魔人様ですか?」

「ん?」


ふわりと頭上から蒼い粉が舞い散った。


粉を鼻で吸い込んでしまい、オレはくしゃみをする。


「ぶえっくしっ!」

「あ、あ、あっ、ごめんなさい!」


震えるような細い声の主がオレの目線のあたりで、その淡い色の羽根をはばたせる。


そう。


それは四枚の美しい羽根を持つ、手のひらほどの大きさの少女だった。


普段であれば驚き逃げ出したかもしれない。


だが、あいにくそれよりも大きな驚きの連続で感覚がマヒしていた。


だからこんな事を言い出したのだろう。


「その羽根って本物?」

「え、あ、はい……」


身じろぎするその姿は、まるでおびえているようだった。


「綺麗な羽根だね。ほんのり薄桃色というか……」


ピンクというわけではない。近くでよく見れば白い。


これは何かによく似ている気がする……ああ、そうか。


「桜の花びらにそっくりだ」

「……え? サクラ……? ですか?」

「ああ、桜、知らない? 春になると咲く花で……」


自分の言葉に詰まる。


こんな世界に飛ばされ、桜など二度と見られないかもしれない。


オレは混乱する中でも、必死に正気を取り戻すように頭を振る。


まず最初の疑問から解いていく。


この羽根を生やした少女はなんなんだ?


愛くるしい姿からも恐怖を覚える事はなく、オレはあらためてたずねる。


「それで……君は?」

「あ、うん、えっと、はい。戦女神様より土の魔人様のお世話を申し付かった妖精です。ど、どうぞ、よろしくお願いします」


深く頭を下げ、上目遣いでオレを見ている。


敬っているというより恐れている、そんなこわばった表情だった。


「妖精……」


確か戦女神と名乗った女がそう言っていた。


サポートとか案内役、そんなものをつける、と。


「そ、そうなんだ。オレも何が何だかわからないんだけど……よろしく……」

「こちらこそ、よ、よろしくお願いします。あの、それでなんとお呼びすればいいですか?」


土の魔人というのは理解しているのだろうから、名前をたずねられているんだろう。


オレは自分の名前を思い出そうとするものの、まったく思い起こせない自分に愕然とする。


「う、うう……」


本当に何もかも記憶を消されてしまったのだろうか。


「あの、魔人様……大丈夫ですか? 土の魔人様……」


魔人、魔人と連呼しないで欲しい。


オレには名前がある。


いや、あったはずだ。


くそっ、思い出せない。


脳裏に浮かぶ名前は別の名前だけだ。


「……ツッチー。あの戦女神とやらはそう呼んでいたよ。もっとも搾りカスとも呼んでくれたけどね」


オレは本当の名前を思い出す事を諦めた。


けれど魔人と連呼されたくない事もあって苦々しくツッチーと名乗った。


悔しい事に口にしてみるとその名前はとても馴染んでいた。


「し、しぼり、かす? ええと、ツッチー様ですね。どうぞ末永くお願いいたします」


頭を下げる妖精。


そう、妖精だなんて名乗るふざけた生き物がいる、そんな世界に裸で放り出されて。


「なんだってんだよ、くそ!」

「ひっ……」


ただ、ただ、途方に暮れた。


それが異世界での初日だった。


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