閑話:残された者たち

 目蓋すら貫く閃光と、すべてをなぎ倒すような爆風。地面は赤熱し、方々で黒煙をもうもうと上げている。


「ふむ……」


 しかし、ヘルメス・トリスメギストスと三つの霧水晶、その周囲は切り取られたように無事に残っていた。


 彼が手を振ると、エルキ正規軍の入った霧水晶ははるか彼方へ飛んでいく、行先はエルキ共和国の首都近くの大平原だ。


 そして、彼は続いてシエラ達の霧水晶を砕く。


「っ!?」


 ピシリと音を立てて水晶が割れると同時に、投げナイフが喉元へ飛来する。彼は身をよじってそれを躱すと、続いて訪れる斬撃と殴打の連打を捌いていく。


「神雷(ディヴァインサンダー)っ!!」


 すべての攻撃を縫って放たれる神速にして超威力の上級魔法。それは老人に命中する寸前、空気に溶けるように消える。


「全く、彼奴も彼奴なら、お前達もお前達か」


 老人の姿は霧に紛れて消え、また別の場所に現れる。彼が元居た場所には、四人の男女が無言で武器を構えていた。


「少しは話を聞けというのに、リックの望み通りなのだぞ?」


 次の瞬間には、サイゾウの短刀が喉を掻き切り、セリカの拳が頭を割り、アベルの火属性魔法が身体を焦がし、シエラが胴体を袈裟切りにしている。


「……動くな」


 しかし、またもや老人の姿は消え去り、再び現れた時には右手に霧水晶があった。


「っ……」


 その中にはリゼが閉じ込められていた。


「やれやれ、理性は残っているようで安心したぞ」


 老人はしわの奥にある眼で、四人の様子を見る。


 全員大声で叫ぶような様子は無かった。しかし、それは憤怒と憎悪を隠せているかどうかとは別だった。


「……」


 全員が無言で、老人への殺意を持っていた。並大抵の人間では、殺気に当てられただけで失神するような視線を受けて、彼は口を開く。


「ようやく落ち着いて話ができるな……そもそも、儂は貴様らを殺すつもりは無かった。自分よりも強い存在と対峙した時、リックは何を選択するのか、それを知りたかっただけじゃ」


 老人は油断なく、しかし後悔するように語った。


「その結果が、これか」


 サイゾウが無感情に問いかける。闇狼として修業を積んだ彼は、感情のコントロールが他の三人よりも優れていた。


「返す言葉も無い……彼奴は少し思い込みが激しいものの、連鎖魔法を扱う人間として、理想的な性格をしていた」


 老人の手から霧水晶が離れ、それが割れるとリゼが現れる。人質は居なくなったが、シエラ達は老人へ攻撃する意思を削がれていた。


「だから何だ。お前の間違いが無くなるわけではあるまい」


 サイゾウは問答を続ける。シエラとセリカは言葉を発せばそのまま泣き出しそうだったし、アベルは言葉を発するよりも早く魔法を唱えそうだった。


「あの……私も、あなたを許しません。私が死ぬのは覚悟していました。でも、リック様は私のすべてです」


 リゼは毅然とした態度で言う。痛切なほどの悲しみを抑え込んで、彼女は立っていた。


「……儂の生命力を譲渡する。彼奴はまだ死んでおらんのでな」

『っ!?』


 その場にいる老人以外の全員が周囲を見回す。しかしリックの姿は影も形も無かった。


「禁呪にはいくつも種類がある。エルフ(古代種)でもすべてを把握しきれておらぬが、幸いその禁呪は習得しておる」


 そう言って、老人が手をかざすと霧が集まり、それが人の身体を為していく。


「リック様っ!」


 人間の姿となって地面に横たわったのは、リックだった。リゼは誰よりもはやく駆け寄り、その体を揺らした。


「……言ったであろう『全員を生きて返す』と」


 老人はその髭の奥で口を緩めた。


『リック!』


 シエラ達は全員顔色を変え、横たわる彼に駆け寄る。彼は静かに呼吸を繰り返し、安らかな寝顔を晒していた。


「……気を失っているだけだ」


 サイゾウの一言に、シエラ達は一気に感情を爆発させた。


「うわああんっ! 良かったよ! セリカ、もう駄目だと思ったああぁぁっ!!」

「全く……目が覚めたらまた説教だぞ、禁呪なんか使って……」

「リック、リック……! 良かった……生きてる……っ!」


 その背後で、老人はまるで幽霊のように立っていた。


「さて、お前たちは儂を殺すか?」


 その言葉には、緊張も敵意も存在しなかった。ただ、相手の出方を伺うような穏やかな声だ。


「……いや、僕たちは何もしない」


 その質問に答えたのは、アベルだった。


「僕たちもリックの流儀に従おう」


 つまり、むやみに人を殺さないという選択。


「とはいえ、禁呪を使ったお前は――」

「儂の事は気にするな、所詮、現世は長い夢のような物、それから醒めようとも、また夢の中じゃ」


 老人の身体は霧に溶けるように、ゆっくりと崩壊していく。


 強く風が吹き、霧が晴れていくと、塵となった老人の身体も風にさらわれて消滅してしまった。

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