閑話:彼女たちの夜

「お母様、明日は日が昇る前に起きますわ!」


 クラリスは、家族のみに向ける笑顔と共に、高らかに宣言した。


「そうかそうか、明日はリック君と毒竜討伐だしな、しっかり準備していきなさい」

「うふふ、クラリスちゃんはリック君をとても評価しているのねぇ」


 セドリック・リドリーは昼に見せた顔からは想像できない柔和な笑みを浮かべ、意気込む娘にエールを送る。


 二人の姿は、いつもの二人を知るものからすれば驚くべきものだったが、妻であり母でもあるアナスタシアにとっては、いつもの光景だった。


「毒竜は凶悪な魔物ですけれど、リックさんならきっと大丈夫ですわ、だって――」

「最下級竜種の話は昨日何度も聞いたよ、本当だとすれば彼はとても強そうだ。だからクラリス、お前の同行を認めたのだよ」


 家族は団欒を続け、アナスタシアはため息交じりに呟く。


「……この半分でも、いつも喋ってくれると嬉しいのだけれどねぇ」


 二人はそのつぶやきに気付かず、楽しげな会話を続けていく。



――



 夜遅く、ヤガーは自家製の護符をなにやら緑の蛍光色をした液体に浸し、それをじっと眺めていた。


 液体はニガヨモギや毒消し草を潰して抽出し、煮詰めたもので、強力な防呪・防毒・抗菌作用を持つ薬剤だった。


 それを護符にしみ込ませ、魔力を込めて効果を定着させる。定着した効果は使用者を常に護り、あらゆる毒性から防御する。


「……」


 その作業をしつつ、ヤガーは昼間の出来事を思い出す。


 彼――リックの逞しい手指、見た目の割に筋肉質な腕、抱えられた時に感じた温もり……


「はぁ……」


 ため息が漏れる。


 あの体温を感じたまま、日々を過ごすことが出来ればどんなに良いか。


 観測用スライムは視覚と聴覚を共有することが出来る。しかし、それ以外の感覚はデータとして集積するだけだ。


 リックの体温を知ることはできる。それでも感じることはできない。それはとてももどかしく、渇きにも似た感情だった。


 ごぽりと護符が揺れ、薬液を吸い込んでいく。


 水位があと数センチ下がれば、後は魔法で固着化すれば完成する。


 自分の技術が彼を守ることになる。そう考えると、またヤガーの心臓はどくんと大きく跳ねる。


「っ……」


 毒竜はとても強力な魔物だ。自分の魔道具でなるべく彼に負担を作らないようにしなければ。ヤガーは心でそう強く思い、護符の他にも毒消し薬の製造を開始した。



――



 ふとリゼは夜中に目が覚め、ベランダで夜風に当たっていた。


 考えるのは明日の事、彼女の主人は「毒竜」という危険な魔物と戦うことになっている。


 正直な話、リゼには毒竜の危険性が分からない。


 それでも周囲の反応や彼の真面目な顔を見ると、ただ事ではないと感じ取る事は出来た。


「ふぅ……」


 リゼは一つ溜息をついて、空を見上げた。


 月が静かに輝く夜空は、いつだって変わらない。父が死に、奴隷として売られブラッドフォードの娘で無くなった時も、寒空の下でリックと共に明かした夜も、父の仇を討った時も、空は静かにそれを見守っていた。


 できればこれからも、この空のように変わらずリックの側に居たい。彼女はそう願っている。


 だからこそ、今自分が何もできないのを歯痒く思う。


 明るく振る舞い、ごまかしているが、彼の力になれない事は、彼女の中で大きな摩擦となっていた。


 だが、何が出来るだろう?


 魔法の才能も無ければ、体格に恵まれている訳でもない。リゼは戦闘で役立つことが何一つなかった。


「リック様……」


 持ち前の明るさすら失ってしまったら、本当に無価値になってしまう。リゼは絶対に主人の前では落ち込まないことを決めていた。


 奴隷の首輪を撫で、彼との絆を再確認する。


 近くに居られれば満足だった。それがいつしか隣を歩きたいと願うようになってしまった。そしてその願いは「離れたくない」という恐怖になっていた。


「……よし、寝ましょうか」


 ぐるぐると回る思考の中、意識が眠りへ落ちそうなのを感じ、リゼは答えの出ないまま、自室へと戻っていった。



――



「あれ? シエラ! おはよう!」


 周囲はまだ薄暗く、太陽が昇る気配もない。


 そんな中でセリカは新雪を踏みしめて朝の鍛錬をこなしていた。


「おはよ……なんか眼が醒めちゃってね、一緒に身体を動かしたいんだけど、いい?」

「もちろん! 丁度みんな寝ちゃったから、張り合いが無かったんだ!」


 サイゾウは夜間の警戒を終え、セリカと入れ替わりで眠っていて、アベルは魔力を回復させるため深い睡眠をとっている。元気に身体を動かせるのは、ここにいる二人だけだった。


 シエラは木剣を構え、セリカは拳を胸の前で打ち合わせる。


 一瞬の静寂の後、木剣と素手がぶつかっているとは思えないほど激しい音が連続して響き、雪が舞い上がる。


「やっぱり、前よりも精度が上がってるね!」

「セリカも、ねっ!」


 木剣でセリカを弾き飛ばし、セリカは空中で受け身を取って離れた位置に着地する。


「なんというか、迷いがなくなったよね、シエラは」

「うん、彼……リックの事が一歩、解決したからかな?」


「じゃあ、次会うときは告白だね」

「こっ、告――」


 一瞬の動揺を逃さず、セリカは距離を詰めて木剣を弾き飛ばす。そしてそのまま、流れるように裏拳をシエラの顔面へ打ち込む。


 ……寸前で拳を留めた。


「あははっ、迷いはなくなったけど、心の動揺はまだまだだね」

「……」

「あれ、シエラ?」

「セー……リー……カァァァァァアアアア!!!!」


明け方の雪原に恨みの籠った絶叫が響き渡った。

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