不良のスパルタ指導

 翌日の昼休み、私はまた1人で部室に来た。

 2人以上で行動するよう響佳先輩には言われていたけど、気の弱い志穂ちゃんを連れてきて怖い思いをさせたくない。

 それに、響佳先輩が警戒するほど悪い人にも思えないし、またアドバイスがもらえたらいいなという下心がないわけでもなかった。

 新歓で歌う曲のラインナップの苦手な歌を練習していると、案の定、部室のドアが勢いよく開いた。

「テメェ、昨日、ド下手クソな歌を歌うなっつったばっかだろうが!」

 昨日の男子が怒鳴りこんできて、いっそ感動すら覚える。

「おお、出た……!」

「『出た』じゃねえよ、人のこと幽霊みたいに言うじゃねえ!」

 威勢のいいツッコミが返って来て、頭の回転が速いなあと思う。

「あの、昨日は、ありがとうございました。おかげで部活で音を外さずに済んで、先輩にも褒めてもらえたんです」

 お礼を言えば、不良と思しき男子は言葉に詰まった。

「礼を言ってんじゃねえよ、テメェ、人の話聞いてんのか?」

 若干毒気を抜かれたようにトーンダウンして言った。

「聞いてたから、ちゃんと歌えたんですけど」

 私が答えれば、目の前の男子はツーブロックの頭を抱えた。

「いや、そこじゃねえよ……ちくしょう、調子狂うなまったく」

 苛立ったように独り言を言われてしまう。

「ええと、あなたは有中奏太くんですか?」

 部の今後のためにも謎の不審者にしておくわけにもいかないと思って尋ねれば、目に見えて不愉快な顔をされた。

「ああ? なんで名前知ってんだよ」

 どうやら、有中くんで正解だったらしい。

「風貌からそうじゃないかという話が出て。判明して良かった。同学年なら敬語もいらないね」

 合っていたことが嬉しくて笑って言えば、謎の不良改め有中くんは舌打ちした。

「急に馴れ馴れしくしてんじゃねえよド下手クソ」

 いきなり罵倒されたうえにド下手クソと認識されしまって悲しい。

「そんなに下手かなあ?」

 これでも一応、合唱部で一年頑張ってきてそれなりのつもりでいたので尋ねれば、信じられないというような顔をされた。

「その耳は飾りか? いっぺん、自分で歌って録音したやつ聞いてみろ。その酷さが分かるぞ」

 かなり辛辣な言葉が返ってくる。

「へえ、録音かあ。やったことないや。ありがとう、やってみるね!」

 有益なアドバイスをもらえたので早速あとで録音してみようと思って言えば、有中くんはドン引きしていた。

「前向きもそこまで来ると正気を疑うぞ」

「えへへ、ありがとう」

 ほぼ初対面の人に前向きさを褒められたので照れ笑いしながらお礼を言った。

「褒めてねえよ! 何なんだお前、けなされてんのにお礼なんぞ言って頭ん中お花畑か!?」

 苛立ちが頂点に来たように叫ばれ、きょとんとしてしまう。

「まあ、けなされたにはけなされたけどさ、たぶん事実なんでしょう? 有中くんって音感いいみたいだし。それに、有益な情報や的確なアドバイスをくれたんだから、お礼は言わなきゃと思って」

 私が答えれば、有中くんはしばらく言葉に詰まってから、盛大に脱力した。

「はあ、テメェが馬鹿正直でアホみてぇに素直なのだけは分かった……」

 溜息を吐かれて、もしかしてこれも褒められてはいないな? というのだけは分かる。

「歌に詳しいんだったらさ、これからもアドバイスしてもらえないかな」

 部に入れるのは部長から止められているので個人的に頼むことにした。

「はあ? なんでわざわざそんなことしなきゃなんねえんだよ」

 顔をしかめられて理由を考える。

「有中くん、お昼寝タイムに下手な歌を聞きたくないんでしょう。私が上手になったらウィンウィンじゃん」

 私の答えに、有中くんは渋々頷いた。

「まあ……旧校舎ほど昼寝に適した場所はねえからな。分かった、でもこのことは誰にも言うんじゃねえぞ」

「分かった。絶対に言わない」

 せっかくの上達のチャンスなので、口止めする有中くんに神妙に頷く。

 知られたくない理由はよく分からないけど、不良のプライドかなと予想する。

「分かった。そしたらさっき歌ってた『金糸雀かなりや』の出だしんところ、もっぺん歌ってみろ。酷いにも程がある」

 ギロリと睨まれて、背筋を伸ばす。

「わ、分かった!」

 言われるがままに歌うと、やはり手厳しい言葉が返ってきて、昼休みが終わるまで延々叱られながら練習をする羽目になるのだった。


 そんなこんなで、有中くんのスパルタな昼休み特訓は1週間続いた。

 こんなによく思い付くなあと感心するくらい、有中くんは罵倒の表現が豊富だった。

「母親の腹ん中に音感置いてきたのか!?」

「鼓膜あんのかテメェ! ちゃんと伴奏聞け!」

「音程が不安定にもほどがあんだろ、鳴き始めたばっかの鶯か!」

「そんなリズム感なら3歳児の地団駄の方がまだマシだ!」

「子音が眉間に刺さらねえんだよ! しっかり言葉ァ刻め!」

 ……と、罵倒に次ぐ罵倒でさすがに若干、心が折れそうだったけど、録音したものを家で聞いたりしてみるとやっぱり指摘された通りの部分が上手く歌えていなかったので、真摯に指摘してくれる有中くんを裏切るわけにもいかなくて頑張った。

 そうこうするうちに、徐々に有中くんから認められる部分も増え、少し打ち解けられるようになってきたとも思う。

 そして流石に適切なアドバイスを個人的に貰えるだけあって、この1週間で大分上手くなり、皆からも驚かれるほどだった。

 有中くんに教えてもらったことを部員にもアドバイスしたりすることもあって、新歓の舞台も大成功を収めた。

 そんな新歓のあった日の放課後、帰り際、響佳先輩に肩を叩かれる。

「羽田さん、ちょっと2人で話したいことがあるんだけど、少し残ってもらえる?」

 小声で言われて、何だろうと思いつつ頷いた。

「あっ、はい。分かりました」

 帰り支度をしていた私は響佳先輩に答えてから、志穂ちゃんに先に帰っておいてもらうように頼む。

 部室に2人だけ残った状況になってから、響佳先輩は少しだけ躊躇って口を開いた。

「羽田さん、もしかして、例の不良の有中くんから、歌を教えてもらってる?」

 ストレートに聞かれてギクリとした。

「な、なんでそう思ったんですか?」

 口止めされている以上、肯定するわけにはいかない。

 苦し紛れに尋ねれば、響佳先輩は深刻な顔をして私を見つめた。

「昨日、たまたま昼休みに旧校舎の近くを通ったら、羽田さんの練習の声が聞こえて。頑張ってるから差し入れにジュースでもと思って足を運んだんだけど、その、有中くんに怒られながら歌ってるのが見えてしまって」

「ええっ、見られちゃってたんですか!」

 響佳先輩に言われて顔を覆った。

 目撃されたのではどうしようもない。

「すみません……実は、おっしゃる通りなんです」

 頭を下げれば、響佳先輩は目を丸くした。

「そうだったの……でも大丈夫? 脅されてたりするわけじゃない?」

 心配してくれる響佳先輩の優しさに申し訳なさが込み上げる。

「あっ、それは大丈夫です! 寧ろ私からお願いして指導してもらってるんです。響佳先輩から、部への勧誘は止められたので、せめて個人的に教えてもらえないかなあと思ってお願いしたら、引き受けてもらえて」

 私が言えば、先輩は心底びっくりした様子だ。

「有中くん、承諾してくれたの?」

 半信半疑で尋ねられて、私は苦笑して頷く。

「ええ、渋々だったんですけど、なんか、旧校舎がお昼寝に最適らしくて、下手な歌が聞こえると寝るに寝られないからって、引き受けてくれました」

「そう……」

 響佳先輩は、私の返答に衝撃を受けたように目を見開いてから、思案げにうつむいた。

「響佳先輩?」

 どこか心ここにあらずという様子の響佳先輩の名前を呼べば、慌ててこちらを向いてくれた。

「ああ、ごめんなさい。思いもよらないことだったからびっくりしちゃって。羽田さんが困ってないなら良かったの。言いにくかったでしょうに、事情を教えてくれてありがとうね」

 後輩思いの優しい響佳先輩はニコリと笑って言ってくれる。

「さて、遅くならないうちに帰りましょう。駅まで同じ方向よね」

「はい! 先輩と一緒に帰れるなんて嬉しいです」

 響佳先輩に言われて、私も笑って頷く。

「もう、可愛いこと言ってくれちゃって」

「えへへ」

 茶化しながら窘める先輩に照れ笑いして、一緒に帰路についた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る