第9話 エメルの本音

 その日の夜。

 結乃は自室のベッドですでに眠りに落ちていた。規則正しい寝息を立てている。

 そんな結乃を枕の脇に座って見つめる。


 結乃、お前は今でも前の世界のこと、気にしてんだな。

 私は家では役立たずで、ドジで鈍くさくて、何をやってもダメだって、ムサシを川から助けたときも言ってた。

 そんなこと、気にするなよ。

 俺は、ドジで鈍くさくて、何をやってもダメ、でも諦めないお前が好きだよ。


 そんなこと、気にするなよ。俺が傍にいるから。


「ううーん」


 結乃が寝返りを打った。俺ははっとして、結乃の腕の下敷きにならないよう、急いでベッドから飛びのく。

 しばし考える。


 どうすれば結乃は青野白夜あおのびゃくやがエメルの野郎じゃなくて、シロだと気がつくんだろう? エメルの野郎は、なんでだかわかんねーけど、前の世界の色んなことを知っている。高校のこと、家族のこと、結乃と過ごした時間のこと。だから、結乃はエメルの野郎を俺だと信じ込んでるんだ。


 結乃に俺の存在をわからせる方法は、なんだ? インクで自分の名前を書こうと思ったらひっくり返してまだら猫になって、こうなったら尻文字ならぬしっぽ文字だ、と思って、しっぽでおれあおの、と書こうとしたけれど、結乃には一文字も理解してもらえず、しっぽがつっただけだった。


 と、俺は何気なく結乃が毎日化粧をするために座っている鏡台を見て、はっとした。これだ!


 俺は鏡台の上にある口紅のキャップを前足と口を使ってなんとか外す。口紅を口にくわえ、鏡に慎重に、文字を書く。

 これで俺が青野白夜だって、結乃に伝えられる! ナイス俺!


 コンコン。


 口紅ですべてを書き終わったとき、控えめにドアの扉がノックされた。


 ノックの音に、俺は「にゃおん」と返す。するとドアの向こうからエメルの野郎の声がした。

「ああ、君か。ねえ、ユノレア王女は起きてる?」

 ぐっすり寝てるよ……って、今の俺に答えられるわけにゃい……。


 するとドアが静かに開いて、エメルが顔を覗かせた。こいつ、魔法で鍵を開けたな。鍵の意味がないじゃないか。

「よかった。ユノレアはやっぱりぐっすり寝てるね。彼女ってば、一度眠ったら起きないし。シロ、もとい青野白夜、ちょっと君に話があるんだよ。ついてきてくれないか」


(なんだ、話って)


「今後のことで、大事な話」


 不信に思ったものの、結局俺はドアの隙間から廊下に出た。

 魔法で小さな明かりを空中に灯しながら歩くエメルのあとを、早足でついていく。

 何度か廊下を曲がり、少し開けたところへ出ると、エメルはあたりを見回して誰もいないことを確認してから、気だるげにこう言った。


「なんだか面倒なことになったから、ユノレアとの結婚は諦めるよ」


 な、なんと! やっぱり魔物にビビったな。


 俺は伝わらないとわかっていて、猫語で言った。


「にゃーにゃー?、にゃにゃにゃにゃ(それは本当か? 本当に諦めるのか)」


「前も言ったと思うけど、僕は王族入りして金に困らない安泰した人生を過ごせればそれでいいんだ。別にユノレアじゃなくても王女なら誰でもいい。うすらぼんやりしたユノレアは丁度いいと思ったけど仕方ない。僕はリスクのある魔物退治なんてごめんだし、メガロスの王子と張り合う気もないしね」


「にゃにゃあああああにゃ! 結乃のどこがうすらぼんやりなんだ!)」


「ぼんやりだろ? 何にも知らない、恵まれたお姫様って感じ? 未だに僕のことを青野だと思ってるんだから。おめでたいよね」


「にゃにゃにゃあにゃあにゃにゃ……(それはお前が信じ込ませようとして色々……)」


「……まあ、王女に生まれたのは彼女のせいじゃないし、前世の記憶を鮮明に覚えてるって言うのが不都合なのもわかるけど。とにかく君のフリは疲れたよ。君は前世であんな風にキザに振舞っていたのか? 笑われなかった?」


「にゃおん!?(なんだと!?)」


「初めて君と出会ったとき、酔っぱらいながら僕に前世の話をしたのは君だろ。自分の生い立ちからユノレアとのなれそめ、果ては俺は結乃の前ではクールミステリアスとか言いだして……」


「にゃ、にゃお、にゃおおおおお……(そ、それは、結乃が好きなロマンス小説の受け売りで……)」

 しかし、こいつもよくそんな俺の話を信じたな。


「ロマン? なんだそれ」


 ん? 


 にゃにゃ、にゃーんにゃ?(お前、俺の言ってることわかるのか?)


「わかるに決まってるだろ、僕がかけた魔法なんだから。まあ僕以外は理解できないだろうけど」

 エメルはさも馬鹿にしたような顔で俺を見下ろす。


 くそ、こいつ今まで俺の言ってることわかってたのに、無視してたのか。なんて陰険な奴。

 と、そこで俺はふと思った。


(お前、結乃のこと好きなんじゃなかったのか)

「はあ?」


 エメルは間の抜けた声を上げた。「どうしてそうなるんだ」


(だって昨日、部屋の前で結乃に対して素で優しくしてなかったかお前)

 魔物退治のことだって断らなかったし。


 エメルは心底情けない顔をした。

「あんな風に目の前で泣かれて、どうしろって言うんだよ」

 髪をわしゃわしゃと掻き乱す。


 俺は少し、エメルこいつの評価を改めた。

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