第2話 ぼくはセックスができない
さすがに喫茶店でこれ以上セックスの話をするわけにも行かなかったので、僕たちは近くのカラオケボックスに場所をうつした。谷田さんは興味深そうにデンモクをいじりながら僕に問いかけた。
「ところで田中さんはなんでセックスをしたいのですか?」
「いやまあ、男なので、ずっと憧れてましたし......。周りが童貞卒業し初めているので、僕だけ童貞なのもなって」
谷田さんは太い指を顎に当てて「うーん」と悩むようなポーズをとった。
「これはあくまで僕の意見ですがね、田中さん。セックスというのは然るべき人間に然るべきときに訪れます」
急に村上春樹みたいな抽象的なこと言い始めたな。僕はいまから何を聞かされるのだろうか。
「つまりですね、早い段階でセックスをできる人間は早い段階でセックスに向けての準備をしているということです。田中さんはおそらく大学に入ってはじめて、セックスができるかもしれないという期待を抱いたのでしょう。中学、高校の段階では自分には縁遠いもの、まだできなくても仕方ないものだと思っていたはずです。違いますか?」
「まあ......。」
ふとそこで僕は、高校の時に同じクラスだった矢沢のことを思い出した。矢沢は当時学年で3番の指に入るほど可愛い子と付き合っていて、その子とセックスをしたらしい。その噂がどこからともなく流れて、僕らは矢沢のことを揶揄ったし、下世話な噂話もした。今ならわかるが、あのとき僕らは矢沢を馬鹿にしながらも称賛と羨望を抱いていたのだ。
「世の中には中学や高校でセックスを終える人もいますよね。彼らは皆、セックスへの心構えと準備ができていた人間です。虎視眈々とその機会を狙って、欲望を放出させたんです。周りの目や自らの立場をかえりみず、まっすぐにセックスへと向かって行った人間です。田中さんは、端的に言えばセックスを舐めていますよね。思春期のニキビのように、ある程度の年齢になれば大方の人間が自動的にできるものだと思っている。」
大学に入れば勝手に彼女ができると思っていた自分は確かにいた。ぐうの音もでない。
「......そ、そういう谷田さんは」
セックスしたことあるんですか、という声は尻すぼみに小さくなっていった。
「いやまあ、僕は無性生殖なんで......セックスとは縁がないですね」
「は?なんて?」
無性生殖?最後に聞いたのは多分理科でゾウリムシを観察した時とかだぞ。
「セックスすると魔力がなくなっちゃうんですよねぇ。」
「童貞は魔法使いになれる、の裏みたいな話?え、谷田さんもう一体増やせるってこと?」
「はい。ヒトデなんかと同じですね。こう、腕を切り落としたらまた腕が生えてくるんですけど、切り落とされた方の腕から身体が生えてきて、もう一体できます」
なんで仕組みを知っているのか。仕組みを知っているということはつまり、やったことがあるのか。もう一体谷田さんがこの世にいる可能性を考えるとあまりにも恐ろしい。
「谷田さんって人間じゃないんですか」
「元々は人間だったんですけどね、30まで童貞でいたらこんな身体になっちゃいました」
谷田さんは、ははは、と笑ってみせたが僕からすると何も面白くない。事態は深刻だ。無性生殖体になるのだけは嫌だ。
「谷田さん僕の何がダメなんですか」
「セックスへのイメージの希薄さですね。まあそれは後ほどやるとして、一旦歌いましょう」
「え!?いや、今教えてくださいよ」
「そうがっつかないで。余裕がないと童貞のままですよ」
「出た!!謎理論!!なんなんだよみんなして!」
谷田さんは喚く僕を無視してデンモクを操作し始める。前奏が流れ始めると、谷田さんは体を小さく揺らしてマイクを握った。
「ドブネーズミみたいに」
意外と上手いのなんなんだよ。
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